甘さのわけ

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は少し嫌なことがあった。

上司にイヤミを言われたこと。部下が失敗してその尻拭いをするはめになったこと。

以前の自分なら1人で目を瞑って堪えていただろうが、今はあいつがいる。

青島に話をすれば、それだけでだいぶ楽になれる自分がいる。

今はイライラしているが、あと数十分後、青島の部屋に着きさえすれば、きっと楽になるだろう。

室井は電車の窓の外を眺めて、何から話そうか考えはじめた。

 

 

 

いきなり電話をして「今夜行ってもいいか」と尋ねた時、即答で「喜んで」と返事をしてくれた

青島は、予想通りの笑顔で迎えてくれた。

その笑顔にホッとする。

今日はなんだかとても甘えたい気分で、そういう時に笑顔で迎えてもらえると嬉しいものだ。

今日は自分から甘えてみよう、と室井は思った。

 

ところが。

いざ話をしようとしても、青島はなかなか聞いてくれなかった。

食事の準備中に話し掛けると、「すいません室井さん、今油やってますから、後で」。

食事中に話し掛けると、「ほらほら、その前に食べないと冷めますよ」。

テレビを見ている時に話し掛けると、バラエティ番組で笑うのに必死で、室井が話している間中

思い出し笑いを堪えているものだから、室井も話す気がそがれて途中で止めてしまった。

1時間しっかりテレビで笑った後、ようやく青島は室井のほうを向いて訊いた。

「室井さん、何か話すことあるんですよね。何ですか?」

「お前俺のこと嫌いだろう」

すっかり室井は拗ねていた。

「ええ〜、やだなぁ、そんなわけないでしょ。」

少しも動揺した気配もなく、青島は笑顔で返事をした。

(かわいくない…)

と室井は下唇を噛んだ。

 

以前から時々思ってはいたのだ。

青島は言うほど自分のことを好きではないのではないかと。

自分ばかり好きなのではないかと。

なぜなら青島はケロッとしている。少しぐらい動揺したらどうだ。

もし私が彼に「俺のこと嫌いでしょう」と言われたら、きっとひどく動揺して必死でなだめすかしている

だろう。そんなことはない、と。それはもう、必死で。

それに比べてこいつの涼しい顔は何だろう。

恋人が自分の愛を疑ってる(この言い回しは少し恥ずかしいのだが)、そういう時はもっと、慌てて

否定したりそう思った理由を聞いたりするもんじゃないのか。

なんで笑顔で答えられるんだ。

 

「お前俺のこと好きじゃないだろう」

「え、だから、そんなことありませんて。何拗ねてんですか?」

室井は、ソファで横に座っている青島から、じりじりと離れながら続けた。

「なんで俺の話を聞こうとしないんだ」

青島は相変わらず笑顔だったが、少しだけ困ったような色を浮かべた。

「…いや、でも、今聞こうとしてるじゃないすか…」

「俺はさっき聞いて欲しかった」

「…ご、ごめんなさい。でもほら、今聞きますから」

室井は視線だけで横の青島を見た。長いまつげと、綺麗な切れ長の目が強調される。

「どうしてさっき俺の話を聞いてくれなかったんだ」

「それは、ご飯を作ってたり、ご飯を食べてたり、テレビを見てたりしたからで…」

「つまりお前は俺より料理や食事やテレビが大事なんだな?」

「…そんな…。んな、女みたいなこと言わないでくださいよ」

「俺だって時にはそういう気分になる」

室井は視線を青島から外して目を伏せた。その瞳が少しうるんでいる。それを隠すために

目を伏せたのは一目瞭然だった。

「お前は、俺が想ってるほど俺のことを好きじゃないんだろう」

「…はっ…!!??」

ここで、初めて青島はその動揺を顔に出した。

「どういう意味っすか」

「俺はお前のことがすごく好きだが、本当は、お前俺のことそんなに好きじゃないんだろう」

「…へ…?…ってちょっと!」

言い捨てて、そのまま立とうとする室井の腕を掴んで、青島はなんとか室井の動きを止める。

半分だけ立ったような間抜けな格好で、室井は振り返って青島を睨んだ。

室井の目が、濡れてきらきらと光って、だがその分青島を強く打ち抜いた。

「離してくれ」

「嫌ですよ。それだけは譲れませんよ」

「それってなんだ」

「俺の方がずっとあんたのこと好きです!!」

「嘘だろう」

「…って即答っすね…」

「俺はお前が甘えたい時は、顔でわかる!お前はわかってないじゃないか」

「…甘えたかったんですか」

「…少し嫌なことがあってな…」

「だって、…だって室井さん基本的に無表情なんですもん…」

「…そうか?」

「怒ってる時とかは、眉間の皺で分かるんですけど…」

と言うと、また室井の眉間に皺が寄った。

「今日は…わかりませんでした、ごめんなさい」

素直に青島は頭を下げたが、室井の機嫌は直っていないようだった。

少しだけ視線を青島から外して、

「もう、いい。離せ」

と言い放つ。

その、少しだけ逸らされてしまった視線が悲しくて青島は動揺した。

「室井さん」

立ち上がって室井の肩をつかむ。こちらを向かせようと、少し揺さぶるが、相変わらず視線は

遠い。

「室井さん、本当にごめんなさい」

「もういいと言ってる」

「よくないでしょう?」

「本当にもういいんだ」

「それじゃ俺が嫌だ!!」

青島の剣幕に驚いて、室井は思わず視線を青島に戻す。

彼の、仮にも一般的には男前であるはずの彼の顔が、眉はへの字に寄せられ目は潤み、口が

悔しげに固く結ばれていて、見事なまでに歪んでいた。

「俺が聞きたいんです。」

口調や態度は強気に思えたが、青島の瞳はどこか怯えて、これ以上室井の機嫌を損ねないように

気を使っているのがありありと見えた。

「お願いです、話してください」

プライベートでは滅多にない彼の懇願。

室井は、落ちた。

「…じゃあ話す。ちゃんと聴けよ?」

「はい!」

 

ゆっくりと、一つ一つ順序を追って話す室井の話を、青島は真剣に最後まで聞いた。

途中で投げかけられた愛しげな視線にも、甘えたいことをさりげなく伝えた言葉にも、今度は

しっかり気付いた。

だから、話が終わると同時に、誘われるままに室井の髪に手を伸ばし、彼の頬に唇を寄せ、

そして彼の腰を少し抱き寄せる。抵抗無くもたれかかってきた室井の身体を抱きしめながら、青島は、

あまりの愛しさに眩暈を覚えた。

拗ねる彼が愛しい。潤んでいる彼の瞳がすごく好きだ。怒る彼の姿にさえ見惚れてしまう。

しかし今回は意地悪がすぎたようだ、と自ら反省をしながら、愛しい人の肩口に顔をうずめた。

 

 

ああ、やはり私の方がこいつのことを愛している。

あんなに怒っていたはずなのに、結局少し懇願されたぐらいで落ちてしまった。

絶対、もう二度とこいつには話をしないと思ったのに。

結局どこまでも甘いのだ…こいつに。

やれやれと溜息をついて、しかしこんなに好きな限り改善されることはないだろうと潔く諦める。

大好きな琥珀色の瞳が近づいてくるのを感じながら、室井はうっとりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


某友人桜の誕生日プレゼント用に書きました。

「室井さんが不安になって、目が潤んで、最後はラブラブ」というリクエストでした。

彼女のツボは「目が潤む」のようです(笑)

桜、遅くなったけど、誕生日オメデトウ♪♪