レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452.4.15~1519.5.2)


フィレンツエ北西のヴィンチ村で公証人の子として生まれました。少年レオナルドはヴェロッキオ(1435?〜1488)の工房に預けられましたが、20才のころには独立したと考えられます。フィレンツエだけでなく、ミラノをはじめ、マントヴァ、ヴェネツィア、ローマと各地で活躍しましたが、1513年にフランス王フランソワ1世の招待を受け、フランスに赴き、その地で生涯を終えました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは極めて探求心・好奇心が旺盛で、芸術だけでなく科学全般にわたって優れた才能を示しました。しかしそのため未完成の作品も多く、残されている完成作品は余り多くありません。

師ヴェロッキオの「キリストの洗礼」180×152センチ 1472〜75年

左端の天使及び背景となる風景は、若きレオナルドの手によるものと言われています。ヴァザーリによればヴェロッキオは弟子レオナルドの余りにも見事な描写力を見て、以後絵筆を持たなかったと言っています。

天使をクリックしてください

初期(〜1482年頃)の作品
「カーネーションの聖母」62×47 1475年頃 
アルテ・ビナコテーク
「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」 38.1×37 
1478〜80年頃 ワシントンナショナル・ギャラリー
「マドンナ・ブノワ」
48×31 1475〜80頃 エルミタージュ美術館
「東方三博士の礼拝」243×246 1482年未完
 ウフィッツィ美術館
「聖ヒエロニムス」
103×75 1480〜82年頃
未完  ヴァチカン美術館
「受胎告知」98×217センチ 1472〜75年頃
 ウフィッツィ美術館
「マリア」と「天使」をクリックしてください。
「受胎告知」の天使の腕の素描
拡大画像ありません

中期(1482〜1500年頃)の作品 ミラノ時代

「岩窟の聖母」
198×123センチ 1483〜1486年頃ルーブル美術館
 
ミラノ、サン・フランチェスコ・グランデ聖堂の祭壇画として制作されますが、注文主とのトラブルで結局フランス王ルイ12世の手に渡ります。後年もう一枚改めて描かれます。
「白貂を抱く貴婦人(チェチリア・ガッレラーニの肖像)」
54×39センチ1490年頃 クラクフ・ツァルトリスキー美術館(ポーランド)
「音楽家の肖像」
43×31センチ 1490年頃 
アンブロジアーナ美術館(ミラノ)

これは、レオナルドの影響を受けたアンブロジョ・デ・プレディスの作ともいわれています(5)

「リッタの聖母」
42×33センチ 1490年頃
エルミタージュ美術館
下絵の習作素描が残っていますが、よくみると素描の方がよく描けているようです。
「最後の晩餐」 460×880センチ 1495〜98年
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ聖堂の食堂

保存状態が悪く(レオナルドの描画技法が悪かったとも言われています)何度も修復が重ねられています。しかし、イエスの右目を消点とする一点透視図法、12使徒を四つのグループに分けた構図、また使徒たちの動きのある姿態や表情などそれまでの同主題の絵に見られなかった臨場感あふれる構成で、やはりレオナルドの最高傑作です

1500年以降の作品

「糸車の聖母」50.2×36.4センチ 1501年 
「聖アンナと聖母子」168×112センチ 1502〜16年頃 ルーブル美術館

フィレンツエのサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂の祭壇画として描かれました。

「モナ・リザ」
77×53センチ 1503頃 ルーブル美術館

ダ・ヴィンチといえば「モナリザ」。最もよく知られています。ベートーヴェンの「運命」、ドストエフスキーの「罪と罰」みたいなものかな。
1911年に盗難に遭い2年間ほど行方不明でした。そのことに関しては、中丸明著「モナ・リザへの旅」( 集英社, 1998)が面白いです。

195.5×120センチ
1508年に完成 ロンドンナショナルギャラリー

ルーブル美術館の「岩窟の聖母」の第2ヴァージョンです。人物がやや大きく、明暗がはっきりしています。レオナルド以外の画家の手がはいっています。

ルーベンスが描いた《アンギァーリの戦い》の模写です。ミケランジェロの《カッシーナの戦い》とともに未完で終わり、現存しません。拡大画像なし
「洗礼者ヨハネ」
177×115センチ 1513〜16年頃 ルーブル美術館

洗礼者ヨハネは聖母マリアの従姉妹エリザベツの息子で、イエスの又従兄弟にあたります。

「洗礼者ヨハネ」
177×115センチ 1513〜16年頃 ルーブル美術館

何か怪しげな雰囲気です。レオナルドには同性愛的傾向があったとか言われますが・・?