コレッジオ 1489年頃〜1534年
本名:アントニオ・アレッブリ 1489年頃パルマに近いコレッジオ村で生まれ、1519年パルマに転居、以後主にパルマで活躍しました。ローマを訪れ、ミケランジェロやラファエロの壁画を見てその影響を受けたと思われます。パルマの聖堂や礼拝堂に幻影的なフレスコ画を描いた盛期ルネサンスの最後の巨匠です。ヴァザーリによると大変内気な性格で、家族を養うため大変苦労したようですが、そのためか、45才の若さで亡くなります。

「聖母子と幼い聖ヨハネ」
48×37センチ 1516年 
プラド美術館(マドリード)
レオナルドの「岩窟の聖母」を思わせる場の設定ですが、3段階の異なったトーンの青が美しく配置されています。
「カンポリの聖母」
58×45センチ 1517〜8年 エステ美術館(モデナ)
柔らかくぼかされた美しい色合い、コレッジオのものでしょう。ここでも「聖母子幼さない聖ヨハネ」と同じ青がつかわれています。
「聖ヒエロニムスの聖母(イル・ジョルノ=昼)」
205.7×141cm 1523〜28年 パルマ国立美術館

コレッジョの最も有名な祭壇画ではないでしょうか

「ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)」
130×103cm 1518〜24年
 プラド美術館(マドリード)

聖カタリナの神秘の結婚
聖カタリナは〈アレキサンドリアのカテリナとも呼ばれる〉エジプトの王女でした。カテリナは夫となるべき人はキリストであるという告知を受け、洗礼後キリストと神秘の結婚をしたと言われています。
28×24cm 1518〜20年

カーポディモンテ国立美術館
         (ナポリ)

105×102cm 1525〜6年

 ルーブル美術館

コレッジオの描いた天井画はその構図の独創性で有名です。
左から「サン・パオロ女子修道院」(1519〜20年)「サン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ聖堂」(1520〜24年)「パルマ大聖堂」(1526〜30年)

右二つにミケランジェロやラファエロの影響が見られるような気がします。

コレッジョにはキリスト教聖書を主題にした作品の他に、ギリシャ・ローマ神話を題材とした魅力的な絵があります。次の4枚は多情なユピテル(ジュピター)が様々な姿で登場します。
「ダナエ」 
161×193cm 1531〜2年
 ボルゲーゼ美術館(ローマ)
ユピテルが黄金の雨に姿を変えアルゴス王の娘ダナエと交わるお話。この主題の絵は多くの画家が描いていますが、Cohohはこの作品が好きです。二人の幼いクビトは何やらイタズラを企んでいますが、ませた思春期(?)のクビトはユピテルの交わりを手助けしているみたい・
「イオ」 163.5×70.5cm 1531〜2年 ウィーン美術史美術館 
次は雲です。黒雲に姿を変え、イオを誘惑します。黒雲のユピテルに口づけされ、しっかりと抱かれたイオの恍惚とした表情いいですね。それにしてもナンにでも姿を変えられるユピテル羨ましいです。
「レダ」 152×192cm 1532年 ベルリン国立美術館
ユピテルは白鳥に姿を変えスパルタ王テュンダレオスの妻レダに迫ります。きわどい絵ですね。ユピテルが白鳥になっていたので、その子供は卵で産まれたという.
右上に思いを遂げた白鳥(ユピテル)が満足げに飛び去っていきます。右下は言い寄る白鳥。つまり3場面が同一の画面に描かれているわけです。
「ガニュメデス」163.5×70.5cm 1531〜2年 ウィーン美術史美術館
今度は少年愛。まれに見る美貌の少年ガニュメデスを気に入ったユピテルは、自分のそばに置いて酒の席で酌をさせようと、鷲に変身し地上からさらっていってしまいます。このガニュメデスと鷲は夜空で水瓶座と鷲座となって輝いています。