本名:アントニオ・アレッブリ 1489年頃パルマに近いコレッジオ村で生まれ、1519年パルマに転居、以後主にパルマで活躍しました。ローマを訪れ、ミケランジェロやラファエロの壁画を見てその影響を受けたと思われます。パルマの聖堂や礼拝堂に幻影的なフレスコ画を描いた盛期ルネサンスの最後の巨匠です。ヴァザーリによると大変内気な性格で、家族を養うため大変苦労したようですが、そのためか、45才の若さで亡くなります。| 聖カタリナの神秘の結婚 聖カタリナは〈アレキサンドリアのカテリナとも呼ばれる〉エジプトの王女でした。カテリナは夫となるべき人はキリストであるという告知を受け、洗礼後キリストと神秘の結婚をしたと言われています。 |
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| 28×24cm 1518〜20年
カーポディモンテ国立美術館 |
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105×102cm 1525〜6年
ルーブル美術館 |
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左から「サン・パオロ女子修道院」(1519〜20年)「サン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ聖堂」(1520〜24年)「パルマ大聖堂」(1526〜30年)
右二つにミケランジェロやラファエロの影響が見られるような気がします。 |