ボッティチェルリ Sandro Botticelli(1445年頃〜1510年)
本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。ボッティチェルリとは小さな酒樽のことで、兄が酒樽のように太っていたとも、本人が酒を飲むと真っ赤になって酒樽にようだとも言われています。
図1「東方三博士の礼拝」
(1475年)

1463〜4年頃フィリッポ・リッピに弟子入りしています。彼の流麗な線描による優美な女神像や聖母像は多分にリッピの影響を受けていると思われます。ちなみにリッピの傑作「聖母子と二人の天使」(ウフィッツィ美術館)はちょうどそのころの作品です。1467年リッピがフィレンツェを離れたあと独立して工房を持ち、評判も高まってきました。特に当時フィレンツェの支配者であったメディチ家の庇護を受けるようになります。
そのためか図1「東方三博士の礼拝」では、三博士をはじめその従者たちはすべてメディチ家及びメディチ家一門とかかわりのある人々をモデルにしていると言われています。ボッティチェルリ自身も右端に自画像を描き込んでメディチ家お抱えの画家であることをPRしています(左上拡大図)。

図2反逆者たちの懲罰
1481年ローマ教皇に招かれヴァティカン宮殿システィナ礼拝堂の壁画を描くことになります。彼はそこで「キリストの試練」「モーセの試練」「反逆者たちの懲罰(図2)」の3点を制作します。

1482年にはフィレンツェに戻りメディチ家からの注文をはじめ多くの作品を制作しています。彼の代表作である「春(プリマヴェーラ)」図3、「ヴィーナスの誕生」図4もメディチ家一門のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコのために描かれたものということです。

図3「春(プリマヴェーラ)」1477〜1482年頃 ウフィッツィ美術館

右側は西風の神ゼフュロスに抱かれようとしたクロリスが花の女神フローラに変身するところ。中央ややや奥にヴィーナス。三人の女神は、美・貞節・愛を表し、ヴィーナスの上で目隠しをしたキュピットが矢を放つ先は中央の女神「貞節」。左端はメリクリウスが雲を追い払うところ・・絵解きは難しいけど、薄衣をまとった三女神をはじめとにかく美しいですね。フローラの衣装と足下に何10種類もの花が描かれています。

図4「ヴィーナスの誕生」1484〜1486年頃 ウフィッツィ美術館

ヴィーナスはギリシャ神話ではアフロディテ。そのアフロディテはクロノスが天空の神である父ウラノスを去勢したとき、海に落とされたウラノスのペニスから出た泡から生まれたという伝説があります。だからヴィナスの誕生は海からなのですね。ここにも図2にいるゼフュロスとクロリス(フローラ)がまた登場してます。

図5「誹謗」1495年頃

ボッティチェルリは図3,4をはじめ新プラトン主義の影響を受けた神話的寓意画を多く描いています。
(ところがその解釈となると専門の美術史家の先生方を悩ませ、なかなか一筋縄ではいかないようです。右の「誹謗」と題する絵など何のことやらさっぱり(私には)分かりません。そこへいくと聖母子像などはそう難しく考えずに鑑賞出来ますね。)

図6マニフィカートの聖母
1487年頃
図7ザクロの聖母
1487年頃
図8書物の聖母
1480年
フィレンツェで流行したトンド形式の二つの聖母(図6,7)は彼の線描による優雅な特色がよく分かります。
さて1492年豪華王と言われたロレンツォ・デ・メディチが死去すると、たちまち政情不安。そこに登場したのがカリスマ的修道士ジロラモ・サヴォナローラです。彼は華美な生活を徹底的に非難し、ひたすら信仰の生活を市民に求め、絵画・彫刻もギリシャ神話を題材にしたもの裸体を賛美したものなどみんなダメ!聖母も色っぽいグラビア写真のようなものはダメ。
フラ・バルトロメオの描いた「サヴォナローラの肖像」
そういう作品は見つけ次第没収し焼却したといいます。ボッティチェルリはこのサヴォナローラに心酔していたと言われていますから、自らの作品をかなり焼却したらしいです。もったいないですね。
このサヴォナローラの神権政治はまもなく市民の嫌うところとなって1498年偽預言者・異端者として火刑に処せられあっけなく終わりを告げます。その後のボッティチェルリの作品は次第に神秘主義的になっていったようで1495年頃作といわれる「ピエタ」も晩年の「神秘の降誕」なども実物は見てませんが、ますます分からなくなってきます。
図9ピエタ
1495年頃
図10神秘の降誕
1501年
晩年のボッティチェルリはかなり惨めな状況だったようで、あのヴァザーリによれば、2本の杖なくしては立っていることも歩くこともできなかったと言うことです。