フィリッポ・リッピの作品 

初期の作品

初期の作品については「リッピの生涯」でも触れましたが、もう少し補足します。
フラ・フィリッポは、若い頃(20歳前後)おそらくブランカッティ礼拝堂でマザッチョが「聖ペテロ伝」を描いているのを見ていたでしょう。そして、見ながら描画技法を身につけていったのであろうと思います。画家を目指す一風変わった修道士フラ・フィリッポにとっては、非常にラッキーでありました。というのも、マザッチョは「ジョットの再来」とも言われる天才で、ルネサンス期の多くの画家が一度はこのカルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂を訪れ、マザッチョの壁画から新しい絵画の神髄を学んだと言うことです。リッピはそこの修道士だったのですから.。

左;玉座の聖母と天使および聖人たち

中;聖母子と天使たちおよび聖人たちと寄進者

右;母子と天使および聖人たち

 従って、リッピの初期の作品にはマザッチョ絵画の特色、すなわち遠近図法、人物の写実的・個性的表現などが受け継がれています。それに、人物の配置などやはりマザッチョの影響があると思われます。マザッチョの代表作ブランカッチ礼拝堂壁画聖ペテロ伝の「貢の銭」(部分)とリッピの初期作品と見比べてみてください。特にリッピの描く聖人や寄進者にマザッチョ的なもの感じませんか?天使や幼子キリストの顔について、これは絵画ににおいてリッピ独自のものと言いましたが、実は当時の彫刻に似たものがあるのです。ドナテッロやロッピアです。どうやらリッピがドナテッロの影響を受けたようです。
ドナテッロ「アチュス」パルジェッロ美術館
ドナテッロ「カントーリア」(部分)1438年頃 フィレンツエ大聖堂付属美術館
ザッチョ「貢の銭」(部分)
1425年 サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂
「聖母の戴冠」

次にウフィッツィ美術館とヴァチカン美術館のの「聖母の戴冠」を見てみましょう。

「聖母の戴冠」(1) 200×287
1441〜5年頃 ウフィツィ美術館
(フィレンツエ)
「聖母の戴冠」(2)167×69、172×93、167×82 
ヴァチカン美術館
この聖母戴冠はキリスト教宗教画のきわめてポピュラーな主題で多くの画家が何枚も描いています。この二つを比較してみると制作年代はほぼ同じ頃ですが、きわめて対照的で面白いと思います。(1)は当時としてはきわめて斬新なものであったと思います。(2)は中央に聖母と冠を授けるキリストだけをおき、聖人・天使は左右に分かれている伝統的な構図でやや堅苦しい感じですが、(1)は実にのびのびとしており、聖母と父なる神((2)はキリストでした)の周りをたくさんの(2)の天使よりずっと若々しい天使が聖人や寄進者とともに取り囲んでいます。まるで女子中学校の月曜朝の集会のよう(日曜日に遊び疲れたような顔も見られますね)。
 そして何より背景に見える青と濃紺の斜めの縞模様には驚きます。普通は(2)のように自然の空か風景の遠景が描かれますが、こんな模様は珍しいです。この青と濃紺は何かを意味していると思うのですが・・・? 同じ画家の同時期の作品(1)と(2)の違いはどこからくるのかというと、これはもう注文主の好みでしょう。当時に画家は近代の画家のように自分の描きたいものを自由に描いたわけではなく、依頼主よって主題も人物も構図まで決められたりします。(1)などは比較的自由に描かせてくれたのではないかと思います。当時の画家は芸術家と言うより職人でしたから、依頼主の注文は絵を大きく左右します。また描く方も一人で描くのではなく弟子や下働きの職人らと一緒に工房として制作に取りかかります。
ところで(1)の右手前に灰色のしゃがんだ僧侶がおります。その前に何やら文字が書かれているリボンのようなものがありますが、それによってこの僧侶はリッピの自画像ではないかといわれたのですが、どうもそれらしくないです。むしろ左側でちょこんと顔を出しているのがリッピみたいです。
聖母子像
次に聖母と幼子キリストを描いた絵を見てみましょう。極めつけは、なんといってもすでに見た「聖母子と二人の天使」(ウフィッツィ美術館)でしょう。また同じ頃の作と言われているのがミュンヘンの「聖母子像」も素敵です。この二つの「聖母子」に見られる背景の遠景などは約50年後に描かれたダ・ヴィンチの「モナリザ」を思い起こさせます。何らかの影響を与えているのでしょう。下の三点は比較的初期のものです。
「聖母子と二人の天使」95×62 1465(57?)年 ウフィッツィ美術館 「聖母子」75×53 アルテ・ビナコーク(ミュンヘン)
この5点の聖母子像と次の「聖母子と聖アンナの生涯」を見て気づいたのですが、聖母マリアの円光が極めて繊細デリケートに金のレースのように描かれています(例外もありますが)。他の主題の絵では結構厚みのある円光も多いです「コルネート・タルクイニアの聖母」などは円光が描かれていないんですね。何か意味があるのでしょうか・・? 今年(2002年)の4月バルベリーニへも行ったのですが、そのときは気がつきませんでした。とにかくこうした繊細な円光、衣装の襞、大理石の模様などリッピは非常に注意深く熱を入れて描いているようです。というより、それらを描くのが楽しかったのではないかと思います。モチロン、聖母の顔を描く時と同様に。
「聖母子」115×71 メディチ・リッカルディ(フィレンツエ)
「聖母子」80×51 1445〜5年頃 ワシントン国立絵画館
「コルネート・タルクイアの聖母」114×65 1437年 
バルベリーニ国立美術館(ローマ)
リッピの描く聖母はどれも優雅で美しく聖母としての品も備えています。その上、時代とともに魅惑的な(チャーミングな)要素が加わってきます。特に左の「聖母子と聖アンナの生涯」の聖母はどこか庶民的な親しみを感じさせるチャーミングな女性になっています。背景となる不思議な建物の構造と聖母とは関係なく別の次元で演じられているドラマの群像とで極めて美しいトンドだと思います。
1452年頃の作と言いますからまだリッピは例のルクレッツィアとは会っていないでしょうが、私はこの方がルクレッツィアをモデルにしたのだと思いたいです。
「聖母子と聖アンナの生涯」 直径135 1452年頃
パラティナ美術館(フィレンツエ)
次に「幼な子キリストへの礼拝」図を3点見てもらいます。
幼な子キリストへの礼拝 140*130 1463年頃 ウフィッツィ美術館 
幼な子キリストへの礼拝 137*134 1455年頃 
ウフィッツィ美術館
森の中の幼な子キリストへの礼拝 
127*116 1460年頃 
ダーレム国立美術館(ベルリン)
一応、時代の古い順に並べてみました。描画様式の変化など比較してみてください。専門書にはいろいろ書いてありますが、自分の目で見て比べてみるのもいいのではないでしょうか(うまく解説できない言い逃れ)。ただ、このころのこうした注文板絵は主な聖母やキリストなどはフィリッポ・リッピ自ら筆を執っているでしょうが、背景や付属の建物などはリッピの構想の下に工房の弟子たちが制作に加わっているものと見てよいでしょう。ボッティチェルリも一時リッピの工房にいたようです。ボッティチェルリの女神像、体にまとわりつく衣装の柔らかい襞などリッピ絵画を継承したものと思います。

受胎告知

プラートやスポレートの壁画を手がける以前、リッピの作品のほとんどは聖母を中心としたものですが、その中でも「受胎告知」はいくつもの作品が制作されています。その中の主なものを四つ並べてみます。

A
175×183 
1440〜45年頃
サン・ロレンツォ聖堂(フィレンツェ)
B
155×144 1450年代 
バルベリーニ国立美術館(ローマ)
C
203×186 
アルテ・ビナコーク(ミュンヘン)
D
118×175 
1445~50年頃
ドリア・パンフィーリ美術館(ローマ)
A;大天使ガブリエルの言葉に驚き、ちょっと腰を引いた仕草がやや大げさで面白いです。これと似たような動きがドナテッロの浮き彫り彫刻にありますが(下図参照)、ドナテッロの方がもっと品がいいです。その状況を目撃しようと天使が二人が一緒について来てます。本来「受胎告知」には関係ない天使です。真ん中の太い柱で画面を二分したのはそのためかも知れません。画面前面やや右寄りに透明なガラス瓶が、これまた不自然にな場所に、しかし極めて精密な描写で静物画のように描かれています。透明なガラスはマリアの処女性を象徴しているのだと言われていますが・・?
B;Aに比べてこちらのマリアは堂々としていますね。こちらもやはり状況目撃者がいます。右やや奥に二人の女性が衣を翻して、Aの天使と違いこの場を逃れようとしています。この階段がまた不自然。ほかではきちんとした透視図法で建造物を描いているのに、何か違う次元の世界へ逃れようとしているみたいです。また、右手前にいる二人の男はこの絵の注文主。このころの絵には、絵の注文主や寄進者、また画家の自画像などが絵の中によく描き込まれます。もちろん注文主の希望でしょうが、このように(ずずうしく)目立つのも珍しいです。この点やはりリッピは芸術家というより職人的だったのでしょう。
C;これは比較的まともなようですね。聖霊を表す鳩もいますし、父なる神もおります。制作年代が分からないのですが、早い時期かな?
D;これは後にかなり修復の手が入っているそうです。この聖母は座って天使のお告げを聞いています。同時期のフラ・アンジェリコの構図によく似ています。しかしその出来に関してはアンジェリコに一歩譲らざるを得ないでしょう。

「受胎告知」
スポレート大聖堂

今まで主に板絵作品を見てきましたが、50歳を過ぎたリッピに与えられた仕事は、プラート大聖堂およびスポレート大聖堂のフレスコ壁画でした。しかし、そのころは弟子のディアマンテスをはじめリッピ工房の弟子・職人たちがその制作に加わっていますので、どこまでがフィリッポの真筆か分かりません。
その中でフィリッポ・リッピ自身が描いたと思われる非常に興味深いものがあります。左の洗礼者ヨハネの生涯「ヘロデの宴会」プラート大聖堂です。有名な「サロメ」が主題です。この絵は一つの画面に、左から右の向かって時間の経過に従って、三つの場面を組み合わせています。つまりサロメが三回登場しています。一番左にヨハネの首を載せる皿を準備するサロメ、中央に妖艶に舞うサロメ(してみてください)、右には母ヘロディアに洗礼者ヨハネの首を渡すサロメです(このサロメもルクレッツィアがモデルだという説もあります)。こうした画面構成はこの時代よく見られるものです。ジョットも同じ主題でこの手法を用いています。

以上、フィリッポ・リッピの主な作品を見てきました。フィリッポ・リッピは美術史上大きな革新をもたらしたというわけではありませんが、15世紀中頃の最も人気のあった画家の一人でした。それは彼の絵が単に礼拝の対象としてだけでなく、見る楽しさを人々に与えたからであろうと思います。特に聖母の図はリッピの巧みな技巧が女性の魅力を余すところなく表現しています。それは、敬虔な信仰心に基づいたというより、ヴァザーリの言うように、フィリッポ・リッピが恋をした女性(ルクレッツィアに限らず)をモデルにしていたからであろう思います。