Guten Tag
音楽療法・音楽教育視察の旅 (1)

オルフ・ムジークテラピーを行なう部屋
出発
ドイツへ発つ1週間前、ニューヨークの惨劇が起こった。アメリカでは空港閉鎖、厳しいチェックが始まる。ドイツなら大丈夫ではないか、と思っていたらなんとテロ集団の一人が以前ハンブルグに住んでいたとか、ドイツ国内にもかなりの数のテロリストが潜伏しているとか、物騒な情報が入る。周りの人々は、ホンマに行くんかいな、と心配して下さったが、物事を良い方にしか考えないタチの私はもちろん予定遂行。
2001年9月17日午前9時35分関空発‥‥のはずが、機材到着遅れのため午前11時発に変更になる。1.000円の食事券が配られたので迷ったあげく山菜ソバを食べ、売店を冷やかしながら時間をつぶす。ゲートに行ってみるとさらに遅れて11時10分発になっている。最終的には11時40分発。離陸したのは12時だった。関空からフランクフルトまではユーラシア大陸を横断して延々 9.256 、11時間の飛行である。地球の自転と反対の向きに飛ぶのでずーっと昼。だから途中で窓のブラインドを閉め、明かりも消して無理やり夜にする。でもなかなか寝付けない。隣席の女性が熟睡していてトイレに立つのも気が引けるのでビールやワインばかり飲むわけにもいかないし、Book Offで手当たり次第買ってきた推理小説やエッセイなど毒にも薬にもならない文庫本をパラパラ読む。
フランクフルトへは現地時間の午後4時過ぎ到着。予定していたミュンヘンへの乗り継ぎ便には間に合わず、ルフトハンザの係員が乗客名簿片手に、あなたは○ゲートの××便へ、あなたは○ゲートへ、と案内してくれた通りに向かったが、フランクフルト空港はむちゃくちゃ広い。表示を見ながらひたすら歩く。
雨が降りだし、気温は16℃。肌寒い。16:45発ミュンヘン行きはほとんどビジネスマンらしき人ばかり。隣に座った若い男性に今夜の宿があるGautingへの行き方をたずねてみた。一応、宿の方や淑子さんから聞いてはいたけれど、切符の種類もいろいろあってややこしそうなのだ。電車はS−Bahnといってミュンヘンの中央から四方八方に出ていてそれぞれS1,S2,S3・・・と路線番号がついている。郊外にある空港からだといったんミュンヘン中央に入ってそこからGauting方面への線に乗り換えなければならない。彼は図を書いてていねいに説明してくれたが、切符のことについては説明がイマイチ理解できない。まあ行ってみればわかるだろう。
ミュンヘン到着
S−Bahnの駅はすぐ見つかったが、切符の自動販売機を見るとなるほどややこしい。ここには5日間いるわけだからミュンヘン周辺3日間乗り放題の“3Tagekarte”でいいんじゃないかなー、でも淑子さんは“Streifenkarte”を買うように言ってたなー、と説明書きをながめていたら、
「何かお手伝いしましょうか?」
と大きなスーツケースを転がしている旅行帰りらしい年配の夫妻が声をかけて下さった。
「Gauting まで行きたいんですが」
「ああ、それなら‥」と、普通の片道切符を買えばよいといわれる。いや、それよりお得な切符があるはず、と説明するのも時間がかかるので、すなおにそれを買って行こうとすると、我々もGauting方面へ行くから一緒に行きましょう、と言ってくれる。1時間余りの車中、いかにもドイツの田舎の気の良い夫婦という感じの彼らは、天気も良く素晴らしかったノルウェー旅行の話や、テロ事件や、最近外国人(とくにトルコ人)がすごく増えて電車の中でも傍若無人なふるまいだとか、いろんな話を次から次へとして私の耳をドイツ語に慣らして下さった。
「ミュンヘンは初めてなんですか」
「もう20年も前に来たことがあります。ライン河沿いのボッパルトという町に住んでいたんです」
「おお、ボッパルトはワインの美味しい所ですよ。20年前では君はまだ子供で飲めなかっただろうけどね」
いえいえ‥‥と言いかけて、べつに否定することもあるまい、とにっこり微笑んでおいた。
そして、Gautingに着いたら宿に電話を入れるつもりだったので、
「テレフォンカードはどこで買えるんですか?」とたずねると、ごそごそポケットから1枚のカードを取り出し、
「あまり残ってないと思うけれど、これを使いなさい。この間携帯を買ったのでもう使わないから」
「あら、テレフォンカードなら私もあげるわ」
と奥さんからも1枚。
「小銭はあるのかい?カードじゃかけられない電話機もあるからこれもあげよう」
と小銭入れをごそごそ探して1マルク硬貨まで下さった。彼らには右も左もわからない日本の小娘に見えたのに違いない。
初めて訪れる町、それも田舎町に夜到着するというのは何だか心細い。バスは19時台までしかないと聞いていたのでもう無理。とりあえず電話ボックスを探そう、と駅舎の外に出ると、ちょうど1台タクシーが待っていた。ラッキー!と速足で向かって行くのに気づいた運転手のおじさんが車のトランクを開けてスーツケースを入れてくれる。
「日本から来たんですか」
「はい」
「Kyotoですか」
「いえ、Nara です。ご存じですか」
「いや…」
奈良を知っている人は意外と少ない。5分ほどでホテル着。
Hotel Sammerは、客室が3室のみの小さなペンション風のホテルで、ご主人がドイツ人、奥さんが日本人である。インターネットでたまたまホームページを見つけて面白そうだったのでメールで申し込んだのだ。
ああ、シャワーを浴びてビールを開けてベッドに寝るしあわせ。
朝食はダイニングルームでフレッシュジュース、最高に美味しいブレッチヒェン(丸いパン)、生ハムやチーズ、そしてコーヒー。ドイツを味わいながら同宿者と顔を合わせる。日本人ばっかり。文化庁から派遣された美術関係の方とその奥さん、彼らはここに80日間も滞在しているそうだ。もちろん税金で来てるんだろうなあ。もう一人は茨城県の公務員の男性で、私と同じく昨日ここに着いたらしい。もっとも日本からではなくシュツットガルトから。この方も「ビールによる地域活性化」というようなことをテーマに、研修に来ているとか。これも税金‥‥
13:00からKinder Zentrum(小児センター)に行くことになっているので、午前中はミュンヘンの町でも散歩してみよう、と出かけると、バス停で茨城県氏に会う。どこへ行くのかたずねると、ビール博物館か醸造所でもあれば行ってみるとのこと。私としては興味がないわけではないので、同行させてもらうことにする。とりあえずS-BahnのMarienplatzで降りてInformationを探し、聞いてみると、ビール博物館のようなものはなく、Stadt Museum(市立博物館)にいくつか展示室があるとのことなので行ってみた。が、市街のミニチュア模型や、写真、歴史を物語る絵画のフロア、家具、調度品のフロア、娯楽、マリオネット、遊具などのフロア、服飾のフロアがあるばかりでビールのビの字も見当たらない。係員のおじさんに聞くと、もう5年も前にビール関係の展示はなくなったそうだ。Informationのおばちゃんはいい加減だ。まあ仕方ないか、とMarienplatzに戻ると11:50。あと10分で有名な時計台のからくり人形が動き出すから見ていこう、ということになり二人でビデオカメラを構えて待つ。
12時になり、教会の鐘はガラーンガラーンと響き渡るのに人形はいっこうに動く気配なし。見物人が増えてきたのでカメラを上の方に構えるものだから腕がだるい。どうなってるんや、もう5分過ぎたのに、と文句を言っていると賑やかな音楽が鳴り響いて人形が動き始めた。リーンゴローン、ガラーンゴローン、緩慢な動きは腕のだるさと急ぐ身につらい。でもせっかく待ったから少しだけ撮影して、茨城県氏(結局名前も聞かずじまいだった)に別れを告げ、急いでS-Bahnに乗り、約束のKinder Zentrumに向かう。

市庁舎の仕掛け時計
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