【 伊勢街道 】
一身田 芸濃町  高田本山・専修寺
寺内町一身田の水路
一身田は、真宗高田派本山・専修寺の境内約3万坪の周囲に末寺と町屋を配置し、その外側に水路をめぐらし寺内町を構成していた。
専修寺はもと下野国(栃木県)芳賀郡高田にあり、鎌倉時代の初期、親鸞上人の布教の拠点となり真宗高田門徒を形成した。
10代真慧(1434〜1512)は東海・北陸を中心に教化活動を行ない、その拠点として寛正6年(1465年)頃、無量寿院が造られ、室町時代末期に専修寺となった。
江戸時代には、皇族や貴族から住持を迎えたり、津藩主と姻戚関係を結んで社会的地位を築き、本山としての威容を誇るようになった。
専修寺 唐門(県文)
如来堂正面にある四脚門、天保15年(1844年)上棟
専修寺 如来堂(重文)
屋根を二重とし仏殿らしい装飾を多用、享保6年(1721年)着工し27年ご後完成
御影堂(重文)内で、説明を聞く
開山親鸞上人の御本尊を中央に、歴代10人の御影を両脇に安置する。
寛文6年(1666年)上棟
高札場跡と道標
一身田は交通の要衝で、高札が立てられ火の見櫓もあった。道標は天保8年(1837年)に建造。
御堂の裏に閑静な回遊式庭園(県史跡・名勝)があり、中に江戸時代の茶席「安楽庵」がある。 竜王桜伝説の『長徳寺の竜王桜』
桜好きの南澤さんの希望で・・・
芸濃町役場の椋本は、関宿から津江戸橋に至る中間点の宿場町であった。幕末には20数軒の旅篭を数え、角屋が旅館として現存している。当時の古い伊勢講の木札が玄関を入った鴨居にたくさん掲げられていた。 椋本の地名の由来となった樹齢1000年を越える大椋(国天然)
磨崖 聖観音立像
楠原の浄蓮寺覚順が嘉永元年(1848年)、画工に命じ奈良の唐招提寺の聖観音像を模写してここに彫らせたもの。
像高2.52b。
磨崖 阿弥陀如来立像
像高3.52bの石山では最大の像である。上品下生来迎の姿に造られている。鎌倉時代の清涼寺式衣文の影響を受け、平板な体を包む平行線に整えられた衣文は美しくのびやかである。

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