●スズキ・グラストラッカーvsヤマハ・TW200
独走を続けるTW200に対抗すべく、スズキが放ったグラストラッカー。内容はあまりぱっとした人気の無かったボルティーをベースにメーカー自らトラッカー風に改造したもの。TW200の2000年モデルはブロックパターンタイヤから超極太ロードタイヤに変更し、フロントにディスクブレーキを備える。(今までドラムだったの…!?)TW200の独走は止まらないのか…!?

●SUZUKI GRASS TRACKER vs. YAMAHA TW 200
> Trying to beat the TW 200 in a run away race, the GRASS TRACKER was released by SUZUKI. Based on a rather unpopular VOLTY, it was remodeled with a touch of
> tracker. The year 2000 model of the TW 200 has block patterned tires instead of super thick road tires. And, it also has disc brakes installed on the front
> end. (I wonder if it was drum before...?) Can anything stop the TW 200 run away win?

【或る2輪カタログコレクタ-の独り言】
          
京都府:高橋 徹会員
@ 2輪カタログに目覚めた頃

 今年の東京モ-タ-ショ-を見に行かれたACC会員の方も多いと思うが、私は残念ながら諸般の事情で行く事が叶わず、代わりに同モ-タ-ショ-を特集した各種2/4輪雑誌により楽しむ事とした。
 そんな私のペ-ジをめくる手を突然止めさせたもの、それは一枚のホンダ2輪プロトタイプの写真であった。『CB Four』とネ-ミングされたそれは、まさしく千年紀を迎える今、30年の時を経て蘇った"ホンタドリ-ムCB-750 FOUR"そのものと思えるイメ-ジを強烈に発していた。 そして、いつのまにか私を30年前の記憶の世界へといざなうのであった。


 1970年、私は山口県の片田舎の高校へ入学した。校則に「質実剛健」等という言葉が生きているほど硬派な(はずの)学校であったが、入学してみれば、思いのほか伸び伸びとした校風を感じた。
 又、車の事などを話せる連中がいることも分かり、嬉しかった。 すぐに仲良くなったUという友人は、車のほかバイク狂らしい事も分かり、教室の昼休みには"車口プロレス"を楽しんだ。 曰く、「昨日、近所の兄ちゃんにCB450を借りて乗った。冬にノ-ヘル・ゴ-グル無しでバイクを100kmオ-バ-で走らせるとどうなるか知ッとるか?目からは涙が、鼻の穴からは鼻汁が進行方向とは逆に横一直線に頬を伝い、後頭部目掛けて伝っていくんじゃ-。ダッハッハ-!」。
 かような他愛も無い、かつ迫力満点の与太話に花を咲かせながら、大型スポ-ツバイクへの憧れのようなものも胸の内に膨らんで行くのだった。


 ある日、Uが"モ-タ-サイクリスト(だったと思う)"のバックナンバ-を教室に持ってきて「これ見てみい」と指し示した写真に、私の目は釘付けになった。 それは並列4気筒エンジンを形の良いタンクの下に抱え込み、エグゾ-ストマニホ-ルドから先は4本のマフラ-をくねらせ、又、フロントフォ-クにはディスクブレ-キが輝いていた、そんなシャンなバイクの写真であった。その名は"ホンダドリ-ムCB750 FOUR"。
 当時、丸刈り頭に黒の詰め襟学生服姿で自転車にうち跨り、各4輪ディ-ラ-を熱心に廻り始めていた私にとって、そのバイクは『4輪のメカそのものをまとったス-パ-バイク』とのインパクトを与える、何かとてつもない存在として脳裏に焼き付いた。
 過日、Uは今度は自分の行き付けのバイクショップから、そのバイクのカタログをもらってきて私の前に広げた。三ツ折り(だったと思う)を開けると、新聞紙を広げたくらいのその黒いバックの画面には、先日見たバイクの3/4Viewが写っていた。また、そのカタログ裏面の説明で、初めてメカの詳細について知った記憶がある。別体タンクを持ったドライサンプ潤滑を採用している由の記述にはたまげた。ドライサンプは、量産4輪車でもフェラ-リ・デイトナくらいしか思い浮かぶものがなく、ますますそのバイクに込められたホンダの意気込みといったものを強く感じた。
 ところで、気前の良いUは、「こんなんもある。」と見せてくれたのは、"ホンダS800-M"のカタログ、「要るのなら、お前にやる。」との有り難い言葉に一も二も無くその場でゲットし、以後何度も何度も読み込んだものである。もっともそれは、ボ-ルペンの書き込みがあり端も破れてはいたが‥。
 4輪カタログを読み込んでいた私は、2輪カタログとはあっさりしたものとの印象を受けたが、4輪とは違う2輪の写真の迫力のようなものを、その時確かに感じ取った気がする。


 さて、時は経て、大学卒業後、会社に就職した私は、既に大古車の風格(?)を兼ね備えた10年落ちのボロ車をマイカ-として所有するようになったものの、自動車への興味は薄れる一方であった。
 当時、昭和48年規制からスタ-トした4輪の排ガス規制により、元気の良いスポ-ツタイプをはじめとする魅力的な4輪は日々消えてゆき、来る53年規制など本当に達成出来るのか、といった悲壮感も手伝い、4輪車に明日は無いとの気持ちと共に自ずとカタログ収集熱も冷め始めていた。
 そんな時、ふと手にした2輪誌は新しいデザイン、新機軸の技術を満載した各2輪メ-カ-の意欲作の新型バイクが続々と登場しているらしい事を報じていた。
 早速、会社の営業活動の時に見つけていた2輪メ-カ-の営業所やバイクショップに飛び込み、カタログ棚に在った重量車を中心とした車種のカタログを総ざらいしてきた。
 家に持ち帰り、読み込んでみれば、何とそこには私の知らなかったカタログワ-ルドが広がっているではないか!
 曰く、《大いなる余裕の王者(スズキGT750)》とか、《Tレックスよりブラ-ムス、コ-ラよりも真紅のワインそして我が友ROADSTER(カワサキ650-RS)》といった直截的で素人ぽいとも思える程のダサいコピ-が踊ってはいたが、事実上排ガス規制は無く、また騒音規制もいつからのことやら、といった2輪の世界は、豪華・高性能・スポ-ツ性の飽くなき追求といった、本来人間が乗り物に求める欲望をストレ-トに商品化しており、4輪では当の昔に失われたユ-ザ-の夢(これは同時にメ-カ-の技術者の夢でもあったろう)を具現化していた。
 『カタログはこうでなくっちゃ!』と感じた私は、4輪カタログはストップしたまま、2輪カタログの世界にのめり込んだ(こんな時、実車の方に行かないのは、カタログマニアの習性か?)。


 しかし、私と2輪カタログの蜜月も、そう長く続くことは無かった。なぜなら、当時既に日本は世界一の2輪生産国であり、日本の4大メ-カ-(ということは即ち世界の4大メ-カ-)は、主な輸出先でのマ-ケティングの結果を商品化に反映させてか、アメリカン・タイプのバイクを盛んにその
ラインナップに加え始めていた。
 スリムでヨ-ロピアンなリアルスポ-ツバイクが好みであった私は、そのメ-カ-各社の変節(?)にどうにも我慢がならなかった。
 『これは、オレの求めているバイクワ-ルドではない!』と思い始めていた私は、結局、1974年から1979年くらいを集中して集めていたに過ぎず、以降は、暗く長いカタログコレクタ-氷河期に入ることとなった。