ダモクレス奪取の後、ブリタニアに全ての捕虜(罪人)を移送したルルーシュは、本国にてペンドラゴンの郊外にあったが故にフレイアの腕から逃れていたアリエスの離宮に束の間の玉座を構えた。

8年前、テロで破壊されそのまま後輩の一途を辿っていた小さな宮は今やかつての素朴な美しさを取り戻していたが、そこに仕えるはずの従僕の姿はなく、角質にしつらえた小さくとも見事な細工を施されたシャンデリアが明かりを灯すことは一度も無かった。




カツン、カツンと硬質な靴音を響かせながら地下へ続く石段を降りる。

たった一人、先の見えない階段を降りる足取りに狂いは無く、ひどく慣れた様子で彼は白い皇帝服を真昼に作られた闇の中に溶かしていった。




降りきった先では壁伝いに歩数を数えながら迷路のような地下通路を進む。隅々まで漆黒の石で整えれた地下は光の浸食を一分も許すことなく、外の音を響かせることも無い。ただ彼の足音と静かな息遣いだけが、徹底した闇の中で彼自身の存在を証明していた。

常人ならば気を病んでしまいそうなほど長く続く暗闇の向こう、それ自体は柔らかくとも開いた瞳孔には鋭く刺さる光があった。

一瞬、眩みそうな目を瞬きで誤魔化し、ゆっくりとこの地下の中で唯一光を呼び込んだそこに佇むと、彼の足元には簡素な棺と十字架が一つ鎮座していた。


棺に彫られた銘は、『シャルル・ジ・ブリタニア』


その存在の消滅を知っているが故に、空っぽの棺の中には朽ちるに任せた白薔薇が一輪、そろそろ花弁の周りを変色させている頃合だろう。


もう一方の墓には『マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア』の銘が刻まれており、十字の部分には瑞々しいシロツメグサの首飾りが、その下には真新しい白薔薇が供えられていた。



「・・・本当は、あなた方を同じ場所に葬るのは嫌だったんですがね、・・・あなた方は二人で一つだったのだから、仕方ない」



私自身が、母上を最後に切り捨てたのだから、それくらいは妥協して差し上げます。

尊大な物言いに投げやりな態度でため息まで吐いてみせても、死者に対して何のダメージにもなりはしない。両親が残した不要な遺産(置き土産)に、叶うならふざけたロールケーキ頭に蹴りの一つも入れてやれればよかったとつくづく思う。

ゼロ・レクイエム・・・ギアスをはじめ、全ての支配から世界の解放を目指して起こした皇帝殺し(下剋上)だったが、いかんせん前までが極端すぎた所為で新しい世界の構築のために立ち上げる案件、発効せねばならない新法が非常に多いのだ。

日本の諺にたつ鳥後を汚さずというものがあるが、全ての膿を排除し整えたものを後に残していかなければならない。

それを、ギアスによって傀儡と化した文官たちに余さず指示を出しつつ、皇帝として膨大な仕事をこなし・・・目の回るような多忙さに、愚痴の一つも吐きたくなるというものだ。

自分一人しかいないこの空間なら、尚更に。

静かな時間・・・ほんの一時の休息を得て、ルルーシュはもと来た道を引き返した。
洞を思わせる暗闇の迷路を抜け、夜が明けるように闇が薄らぐ階段を上り、開け放してあった隠し扉を潜る。

そこは埃被った素朴であるが精緻な細工を施された上質な家具を配した部屋――故マリアンヌ皇妃の寝室だった。

いやおう無く幼い記憶を想起させる母の寝室を汚さぬように、うっすらと積もった埃の中についた自信の足跡を辿り、静かに扉を閉めて、束の間胸中に湧いた懐古の思いに蓋をした。


そして再び“皇帝”の仮面をつけようと、執務室としている昔の私室の扉を押して――目に飛び込んできたのは・・・・・・















































「ルルーシュ・・・ルルさま!」



ふわりと柔らかな朱華の髪とレッドベリルの瞳。まだ稚い甘さを含んだ少女の声が耳を打った。

知っている――そうだ、彼女は、



「アールストレイム卿?」



ナイト・オブ・ラウンズ、そして過去をわずかばかり共有した少女。
ラウンズとしての服を剥がれ、囚人服で牢に入っているはずの彼女は、何故か質素なワンピースを纏いルルーシュの前に立っていた。

彼女を捕らえた自分に会っても感じるのは憎悪ばかりのはずだろうに、返されたのは哀願に似た視線と必死な訴えだった。



「アーニャ。わたしは・・・ただの、アーニャ」

「お前はナイト・オブ・ラウンズ(前皇帝の騎士)だろう。何故ここにいる?」



知っている。覚えている。忘れられない記憶が表面に想起しようとするのを遮るように、ルルーシュは少女の訴えを半ば無視して言葉を続けた。



「私が連れてまいりました」



彼の最もな疑問に答えたのは、左目に特殊な形の片眼鏡をつけた青年――物陰から姿を現したジェレミア・ゴットバルトだった。



「ジェレミア・・・」

「彼女は前皇帝陛下のギアスにかかり、過去の記憶の一部を失くしていました。またマリアンヌ様のギアスにも掛かっていた様子でしたので、先の戦線の折にギアスキャンセラーを掛けました後・・・あなたに仕えたい、と再三申し出るので連れてまいりました」



“仕えたい”
目の前の、こちらを真摯に見つめる瞳とその言葉に、思わず後退りしようとする足をルルーシュは必死でその場にとどめる。

いけない。このまま彼女をこの場にいさせるわけにはいかない。



「ルルさま・・・」



懐かしい呼び名だった。祈るように胸の前で組まれた小さな手は僅かに震えており、帝国最強の騎士とまで言われた少女はただの子供のように自分からの拒絶を恐れていた。






















たった数日だけ共にいて、ナナリーやユーフェミアとも仲良くなっていた年の近い少女。
幼い約束。
小さな薔薇を戯れに差し出して、受け取ったときに見れた笑顔がとても好ましかったのを覚えている。


母が死ぬ・・・殺される、たった数日前にあった光の日々を、宝箱の中に収めるきれいな石や少し歪な花飾りのような優しい感情と一緒に、覚えている。











































やっと会えた。

約8年ぶりの――アッシュフォード学園や戦場で会ったこともあったが、正確な記憶を伴わないあれは“再会”というより“出会い”だった――再会に、体中を満たしたのは哀切と歓喜だった。

隠しきれていない驚愕と疲れの残る顔色が切ない。
警戒に張り詰めて自分を訝しがる視線が哀しい。
しかしそれ以上に体を震わすのは、紛れもなく、再び見えた歓びで。

自分の現状を説明しているらしいジェレミアの言葉が終わり、ただひたむきに見つめていた紫電と漸く眼が合うと、思いの溢れるままに彼を呼ぶ。



「ルルさま・・・」



大好きです。どうか、どうか傍に――
思いの熱さで痛みすら孕んだ感情を、無意識の内に組んだ手の中へ内包する。



「私は、あなたの・・・あなた方(アリエス)の、行儀見習いでした」



今は、侍女ではない。彼を守れる力を手に入れた今こそ、彼の騎士に。



「お前は、ナイト・オブ・ラウンズ(主を定めた騎士)だろう?」



呼びかけにも硬直したように応えなかった彼に言葉を連ねると、返ってきたのは先程も聞かれた不本意な事実だった。

アーニャは思わず彼の皇帝服の裾を掴み、ふわふわと髪を揺らし否定の意思を伝える。

例え覆らせぬ事実だとしても、今この時にナイト・オブ・ラウンズ(他人の騎士)だった汚点の指摘など受け入れたくはなかった。
かつて・・・不当に塗り潰された記憶の向こう、忠誠を誓ったのは確かに目の前の人なのだ。



「私は・・・ルルさまの騎士」

「アールストレイム・・・」

「アーニャ」

「・・・・・・・・」

「アーニャ、です。・・・ルルさま」



背後から嗜めるようにジェレミアが声を掛けてきたが、聞こえないふりで目の前のルルーシュに縋る。



「ルルさま・・・私も、一緒に往かせて下さい。逝くなら、私も連れて下さい」



これは彼にかつて刃を向けたものとしての命乞いなどではない。奪われていた記憶(もの)を取り返したからこそできる懇願。



「それは・・・できない」



それが叶うかどうかは目の前の彼に掛かっているとしても――



「ルルさま・・・」



拒絶を紡ぐ彼の薄い唇を見つめる。伏せられた睫は僅かに揺れ、そっと指先で触れた手は酷く冷たくて。



「ルルさま・・・お願い」



尚更、彼のそばに在りたい・・・在らねばならないと思えてしまった。

それ以前にも、ずっと共に在りたいと願っていたのだ。記憶を奪われた後も、“彼のために”強くなろうという目的を失ったまま、ただ本能に刻み付けたその過程を義務のように辿ってきていた。



「どこにいくのでもいい。ルルさまがいくなら、どこでも」



お願い、お願い。お願いします。
その立場が騎士でなくともいっそ構わない。本心から言えば騎士になりたいと思うが、自分の意思と関係なくとも他人の騎士を名乗ってきたアーニャはそれを望めなかった。ラウンズとしての自分を否定することは、その事実へのささやかな抵抗でもある。

“騎士”とはそれ程までに重みを持った称号なのだ。

これまで2人も主を経ているスザクとは違い、ブリタニアで生まれ長く騎士として過ごしてきたアーニャは身に沁みてそれを理解していた。
だけど。



「一緒に・・・」

「それは、できない。・・・アールストレイム」

「アーニャ」



変わらず拒絶される声に落胆と絶望が巡るのを感じながら、アーニャは譲れないところだけはしっかり訂正し、彼を見上げた。

皇帝服の胸元にあった視線を細いあご、すっきり通った鼻筋、そして美しいアメジストの瞳に送ると、そっと固定するように・・・しかし優しく後頭部に手を添えられた。



「――すまない」



贈られるのは――そんなものは、望んでいない――唐突な謝罪。



「・・・すまない。お前まで、連れて行けない」



潤いを乗せた紫電こちらを見据えてくる。

複雑に揺れる瞳の色が痛々しくて、思わずその白い頬に手を伸ばすとそっとその手を取られた。



「――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる・・・」



静かな声を微かに震わせて、アーニャの手から離れた指先が彼の目元を滑り、後頭部に添えられた手に力が込められた。

固定された視線の先で、美しい紫電から禍々しい赤に変わった瞳に、背筋に戦慄が走った。

――いや、



「いや、です・・・っ」



やめて、という訴えは、決意を帯びた彼の瞳に遮られる。
目を逸らそうとしても固定された首は動かず、視線は既に彼の瞳に囚われたまま。



「――おやすみ、アーニャ。・・・私の時が、尽きるまで」



彼の命、最期の・・・

頭の中でパキンと何かが噛み合うような音がして、瞼が己の意思に反して勝手に下がり、思考には靄が掛かり始めた。



「いや・・・いやっ、ルルさま・・・わたしも、一緒に・・・!」



ひたひたと、沼に落ちるような絶望が身の内を浸すのを感じながら、アーニャは酷い苦痛と共に意識を暗闇に落とした。

























































足掻いてもがいて、それでも抜け出せない闇に疲弊しながら、アーニャは強制的な眠りから覚めようとしていた。

どんなに抗っても逆らえない睡魔の侵略。その束縛の強固さにまで孤独であろうとする彼の意志の強さを感じて切なくなり、遂には力尽きて闇に沈もうとした時、


パキッ


脳内に、何かが弾けた音が響き、夢現の中で急速な浮遊感を感じ――目を開くと、酷くまばゆい光と一人の男の顔が視界に飛び込んできた。



「ルルさま・・・ルルさまは!?」



彼は確かに言ったのだ、“私の時が尽きるまで・・・”と。
自分が起きたということは、彼はもう――



「ルルーシュ皇帝陛下なら、これから公開でお前たちを移送するため外に出ている」

「なんで・・・あの方は・・・」

「――私が、ルルーシュ様のギアスを解いた。枢木でも私でもC.C.でもなく、あの方の真実と最期を見届ける者がいてもいいだろう」



淡々と告げられた目覚めの理由に、アーニャは肩を強張らせる。
予測はしていた。しかし・・・この男は今、何と言った。

“公開で、移送する”
“ルルーシュ様の真実と、最後?”



「処刑台で、運ばれるのは――」



自分たち(反逆者)ではなくて、ルルーシュ。

彼が進もうとしている道行きを理解してしまったアーニャに、ジェレミアが裏付けるように首肯した。やけに冷静なその姿に、アーニャは思わず目の前の男に掴みかかる。



「どうして止めない!?あの方が、たった一人で逝くなんてー!」
「後追いしようものならお前たちを見限ると・・・ルルーシュ様にギアス(願い)をかけられた」

「―――っ!」



なんて、ずるい。

湧き上がる愛しさと哀しみに声を詰まらせ、アーニャはその場に崩折れる。
彼と再会した時は体中を満たす歓喜に溢れる余地すらなかった涙が、みっともなくぼろぼろこぼれて落ちる。

誰よりも優しくて、強くて、寂しがり屋で、こんな醜い世界を愛おしんでいる人が、たった一人で逝くことを望んでいる。

多くの祝福と惜別の悲哀ではなく、大衆の憎悪とわずかばかりのギアス(願い)を抱えて。



「・・・私は・・・アーニャは、ルルさまと一緒」



彼の後すら追えないならば、せめて傍にいて彼を見ていたい。クリアになった記憶に、彼の全てを、最期を灼きつけて。

アーニャの決意に抱くと返したジェレミアに連れられ、服を着替えて首と手足を拘束する台へと向かい、違う意味で屈辱でしかない列に並んだ。

こんな所ではなく、彼の側にいたいのに。彼に気づけなかった己への代償はこんなところにもあったのだと思い知らされる。

発進する直前、日の光を一身に浴びて階を登り、彼が悠々と自分達の間を通り抜けて行こうとした、一瞬。



「ルルさま・・・」



ほんの微かに震わせた声。彼の澄んだ紫電と眼が合い、ひたすら見つめていたからこそ気づけた唇の震え。



――――



言葉は声になることはなく、彼は歩調を乱さずアーニャの前を通り過ぎて高座へと座った。
動き出す護送車。街道沿いを埋める人々の嫌な視線に気づいているだろうに、泰然とした姿勢を崩さない彼は憎憎しいほど澄んだ青空の向こうの、どこか遠くを眺めていた。



そして、雑音。



作られた動揺の気配。

高座に上る仮面の男。


漆黒の衣装と異様なコントラストを見せる赤い剣が、

彼の胸を――貫いた。



手を拘束されていて良かった。見届けると決意したというのに、手足が自由であれば視覚から来る胸の痛みで思わず目を覆ってしまっていただろうから。

かつて彼が被っていたはずの仮面に滑る赤に染まった指先。笑みを湛えた唇が紡ぐ言葉すら読み取り、記憶しようとアーニャは彼を必死で凝視した。

そして高座から崩れ落ち、自身の血でブリタニアを裂いて見せた彼が、遂に目を閉ざすまで見届け――そっと自身の目も閉ざす。


彼がいた世界を全身で感じ取るために。


彼を喪くした世界を自覚し、体の心から凍らすような巨大な穴(絶望)に耐えるために。


目も耳も、心すらも全て彼への思いに寄せて閉じ込め、まどろむように暗闇の中へ意識を落とした。
























ルルさま、ルルさま、


あなたは
   どんな世界を

                  望みましたか


アーニャはあなたがいる世界が欲しかったのです

これから、きっと変遷していく世界

移ろいゆく現実(ゆめ)の中で

きっと私だけはあなたといた時のまま――







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この思いだけは本当だった

記憶をなくした時だって胸を燻っていた

きっと、これからもずっと真実であり続ける