耳元に響いた音。
それは、光を切り捨てた自分への絶望の合図。















カチリ、至近距離での接触で否応なく聞こえた音に、ビクリと思わず漆黒の衣装の肩を震わせた。

細い指が肩に触れる。ゼロ(スザク)の動揺を予想して耳元に掛かる苦しげな吐息が嘲りを込めて声を紡いだ。


「満足・・・でしょう・・・?」


それは聞き知った彼のものではなく、あの時彼が手放した駒の一つの声音だった。柔らかだが凛とした声は勝ち誇ったような喜悦に塗れ、ただ一人聞き入る仮面の男を慄かせる。

ああ、違うのだ、この“ルルーシュ”は。

違ったのだ。

刺し貫いた剣から伝う生暖かい生命の証が、最早気づいても手遅れだと突きつける“事実”を否定することを赦さなかった。

たった一言で絶望を知らしめて、ブリタニア旗へと崩れ落ちる横顔は全てを達成して満足気に微笑み――もう剥がせなくなった自分の仮面すら嘲笑うかのようだった。

貴方は、貴方が憎んだ仮面を被って(ゼロになって)彼が造った世界(優しい煉獄)で生き続けるといい。

ゼロへの呼び声が空を無遠慮に打つ。晴天の青空を、血塗れの声が切り裂くのを無視して。



「置いていかないでください!ナナリーも一緒に、今度こそ一緒に連れていってください!」

「お願いです、おねがい・・・っ」

「お兄様っ、愛してます!あいしてっ・・・」

「おにいさまぁああ――!」



天を仰ぐ“ルルーシュ”に泣き縋る少女から、思わず目を背けた。叶うことなら、この耳も塞いでしまいたいくらいだった。
この身をも切る細い声から、逃れられるなら逃れたかった。

彼女は気づいたのだろうか。
視力を取り戻し、ほんの数度しか彼の姿を収めていないはずの盲目であった少女は。
兄と偽者との違いに気づけたのだろうか。



胸元に固い感触がある。細長い形と手触りからして、何かの小さな機器だと判った。

身を覆う虚無。
吐き気がするほどのもどかしさに苛まれながら、退却を叫ぶジェレミアが“ルルーシュ”の遺体を回収して立ち去っていくのを意識の端にみとめ、一歩、泣き崩れ震える少女の下へ足を踏み出す。

全てを――今度こそ、全てを知る(共有する)ために。




真実を知らされた残存者たちは

深い絶望を抱えたまま

それでも生きるしかない

この、彼の造った(いない)世界で














『あの方の行動を共有しても

 あの方への罪悪感を自覚しても

 あの方が負った傷を理解できたわけではない

 あの方があなた方を許しても、私たちは決して赦さない

 無知を被って、誰よりも優しい存在を悪に仕立て上げて、

 それを自分の手で葬れて満足したのでしょう?

 だったら、返してください

 返していただきますよ――我らの主を』











































お願いです、おねがいです

生きてください

生きて、幸せになってください

この選択を取ってくださるのなら

この身を犠牲にしようと
あなたに恨まれることになろうと




構わない




















































ふわり、顔に当たる柔らかな風の気配に目を覚ました。

風に揺れるカーテンが視界の端で明るい日差しを穏やかに遮っている。小さなベッドに沈む感触は、大きさは違えど一度として寝入れなかった皇帝の寝室のものとどこか似ていた。


「ここは・・・どこだ・・・?」


俺は、死ねたのか?


「いいえぇ〜生きてらっしゃいますよぉ〜」


己がいる場所としては現実味を持てないほど穏やかで優しい空間に、半ば呆然とルルーシュは呟いたが、それに返った聞き慣れた声に体を起こすと、すぐ間近に見知ったアイスブルーの瞳があって――

全て、思い出した。

















スザクと決意を交わしたあのアリエスの離宮。

未だ騎士装束だったかつての友に己の業(ゼロの仮面)を託し、どこか沈んだ様子の背中を見送った直後に現れた――牢に囚われていたはずの――ルルーシュの二人の騎士。


囚人服を纏ったままのアイスブルーと漆黒の色彩をそれぞれの目に宿した男女が、呆然とした様子でこちらを見て佇んでいたのだ。

全て聞いていた様子の二人に、止めないでくれと、付いても追うなと告げ、痛々しく歪んだ二人の顔を見てしくりと胸が痛み疼いた瞬間――

意識が、ブラックアウトしたのだ。











「“皇帝・ルルーシュ”は死にました。今ここにいるのは只の“ルルーシュ”ですよ」


意識を落としていた間に何があったのかは知らない。自分が今いる場所さえ判断がつかない。
だが、それでも見知った道化の笑みではない酷く真摯な瞳と数少ない言葉に、未だ知らぬ“結果”を察するのは容易かった。

気づかなければ。否、気づかれなければ良かったのか。
何故、どうして、とらしくもなく疑問符ばかりが頭の中を埋め尽くす。
逃避したくてもしきれない現実が、目の前に――己の身の上に在った。






























「何故だ・・・どうして生かした!?死なせて、くれなかった・・・!」


切なる慟哭が柔らかい雰囲気を醸す午後の室内に不似合いに響く。
彼の中で彼自身の死は全ての帰着であり、彼が求めた世界が最初の第一歩を踏み出す過程として必要な彼の結果だったのだろう。

“ゼロ・レクイエム”・・・人々を、世界を脅かす支配の全てを無に帰す計画。
支配と言う面において絶大な力を発揮する彼のギアスは彼の願う世界には不要物であり、世界中の憎悪を一身に集めたという“皇帝ルルーシュ”は世界にとっての巨悪であったのだ。

全ての清算のために・・・そう唱え、未来の刃をこの計画の共犯者に託し、世界を再構築しようとした。

ギアスなんぞに掛からずとも彼を唯一と身を捧げた騎士にすら隠し通そうとして。


そんなこと、赦せるはずもない。


彼がいなければ世界など無意味だと、生きている価値すらないと考えている自分たちにとって、彼のたった一人の道行きなど耐え難い地獄だった。


「僕らがそれを望んだからです。何に代えても・・・得るべきは、あなただと」


自分たちに生きよと言うなら、あなたにこそ生きていてほしい。
自分たちが生きていなくとも、この身を切り捨ててでも自分達の主には幸せを得てもらいたい。
そう考えるのは騎士として当然のことだった。


「・・・咲世子・・・は・・・っ」


涙を堪えるように見開かれた美しい紫玉は滲むように潤んで午後の光を星屑のように反射している。その輝きは純正のアメジストよりも美しいだろうと思わず魅入られ、ロイドは主の問いに答えなかった。

・・・否、元々答える必要も無かった。

嗚呼、哀惜に満ちた声は、それだけで彼女の死を理解していることが知れた。


「何故だ・・・俺には、あいつを犠牲にするような価値など・・・」

「価値は、あなたが自己判断するものではなく僕らが願うものです、ルルーシュ様。・・・ルルーシュ様・・・孤独になろうとなさらないで下さい。僕らを置いて逝かないで下さい。独りで生きようとしないで下さい。共に、往かせて下さい」


チャキッ。差し出したのは細身の短剣。
毎夜研がれ磨かれ輝きを増す薄い刃が、差し込む午後の光を受けて静謐に刀身を瞬かせた。

その刃を持って、恭しく柄を主に差し出した。


「ロイド・・・・・・」
「主が、どうしてもと仰るなら」


かつてあった頃よりも大きく、しかし確実に自分よりも小さな・・・まだ少年の掌に、ロイドはその柄を乗せて指先を握りこませ、そっと主に身を寄せた。

間近に、彼がいる。その事実だけで体中に堪えきれない歓喜が疼いた。

今なら殺されても構わないと思えるほどに。


「僕も殺してください。僕も・・・僕たちも、一緒に連れて逝ってください。行き先が地獄でも地底でも宇宙でも監獄だって構いません。ルルーシュ様がいないと、僕らが生きてる意味も・・・それこそ、価値なんてありません」


あなたがいない世界など、くそくらえだ。

おおよそ貴族であった身に相応しくない物騒な暴言を心の中で吐き捨てて、ピタリ、首筋に刃を向けて主に握らせた短剣を添える。

ほんの少し彼が指先を震わせただけでも、薄い首筋の皮膚を傷つけるくらい近い所に。


「愛しています、ルルーシュ様」


彼女が唯一届けられなかった言葉を、少女が叫んでも届かなかった言葉を、己の意思で紡ぐ。
そうできるこの(現実)がなんと贅沢なことだろうと思わざるを得ない。

ひたすらに、他のものなど視界に入れるのも惜しいと思考の紫玉を見つめた。
一途に、ひたむきに、二人分の願いをこめて。

お願いです、僕たち(あなたの騎士)を選んでください、と。


「お前は・・・お前たちは、卑怯だ・・・っ」


ボスッ。シーツの上に短剣が落ちる。
薄く細身の刃は白い布波の上にあっても尚、白く輝いて美しかったが、主の手を離れては既に用を成さなかった。

今しがた自分の命を脅かすものであった細工の凝らしたそれを何の感慨もなく床に放り、ついに見つめていた白い頬を零れ落ちる涙を掌で拭った。


「そうですよぉ〜。僕らは卑怯で、臆病で・・・自分たちが可愛いんです」


どんなものよりも自分の欲を優先させようとする、あなたより余程、酷い生き物なんですよと笑えば、漸く掌を添えた彼の頬が動くのを感じられた。


「・・・許さないからな・・・っ」


喉に絡まる声で囁く主に頷き、微笑みかける。
そんな責めさえ、彼が生きていてくれるなら本望だ。覗きこんだ紫玉に瞬く小さいようで深い傷跡が酷く愛しい。自分への罵倒語を噛み締めているのかきつく引き結んだ薄い唇も、彼の死を前にした衝撃に比べれば砂糖菓子よりも甘美な現実だった。


「許さなくったっていいですよぉ。共に往かせて下さい。最期まで、傍にいますから」


離れろと命じられても、従う気は毛頭ない。

これは、どんなに憎まれるとしても彼とともにあろうと決めた己の権利なのだ。

震える白い手が伸ばされ、そっと顔を寄せる。掌で拭いきれない涙が惜しくて、堪えられずに唇で拭った。
少し冷えた指先が頬に触れる。柔らかな掌が辿り、細い指が髪を梳いて、そっと引き寄せられた。

こつん、額と額が触れ合う。伏せられた白いまぶたや長い睫が焦点の合わない視界に映った。額から、頬から、伝わる熱がどうしようもなく愛しい。

彼の理知を示すような薄い唇がゆっくりと開かれる。小さな歯が現れ、涙に濡れた吐息を肌で感じた瞬間、ロイドは内心で同士たる咲世子に謝罪した。

ここまできて、有り得ないことと解っていても、受け入れようと思ってしまったのだ。
彼が心底望む結果が、彼にとっての収束、自分たちにとっての絶望でも。

知っている。そんなことは有り得ないことくらい。

彼の残酷なまでの優しさを、自分は間近で見聞きしてきたのだから。


「――叶えよう、お前たちの願い」


ロイド・・・咲世子。

痛みを堪えるように呟き、彼らの主として痛みも戸惑いも全て瞳の表層から消し去った彼は、生を選んだ決意を湛えて静かに微笑んだ。

窓辺から伸びる影は足を長くして静かに室内を侵食している。
床に落とした短剣もベッドの影に入り光に瞬くことはなく、ただ彼の存在だけが確かなものとしてロイドの中に映っていた。

二人の上に静かな帳の影が差す。誰そ彼時、とも言える日の沈む間際の濃い陰影も、ほんの間近で一心に見据える男の目は関係なく克明に主を捉えていた。

ゆっくりと項に添えられていた手が頬を滑る。彼の指先が辿って初めて、ロイドは自分の涙を認識し――堪らず主の痩躯を抱きしめた。否、抱きついたというほうがきっと正しい。

ルルーシュ様。
ルルーシュさま。

「あいしています―――」

声にならない声が胸の内に張り裂けそうなほど響く。体がみっともないくらい震えていた。
卑怯な安堵。
傷物の歓喜。
なんだって良かった。

「知っているよ」

認知と言う名の応え。穏やかに許容する声音が更にロイドの中の熱いものを誘った。頬に添えられていた手はいつの間にか自分の背中に回されており、幼子を宥めるように背を撫でられていた。
自分の傍に彼の温もりがある。確定したその未来が、痛みを伴うほどに幸せだった。












ただ一人に忠誠を誓った忍びは、
己の身に死を強いて 替わりに全てを語る権利を得た

己の唯一にのみ膝を折ることを選んだ道化師は、
主に憎まれる覚悟を抱いて 替わりに主の傍近くで共に在る権利を得た


例え主の意思に反していようと、譲れない願いだったのだ


傲慢な願いだと百も承知だ

卑怯な望みだと自覚するまでもない

それでも 貫き通したい思いだったのだ


あなた自身であても


自分たちからあなたを奪うものは 赦せなかった



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おまけあり↓


管理人コメント
美味しい具合にロイドさんを歪ませてみた。
でもうちのロイドさんにMっ気はないです
(台無しだ!)


























世界の人柱にならんとするルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを掬い上げるため、世界を騙そうと企む二人は静かに眠る主を気に掛けながら向き合った。

その片割れである、大戦の最後まで自分の意思で彼に仕えとおした女性は、大役を担い持ち前の技術を駆使して見事彼女の主に化けて見せ、複雑な表情を浮かべる男を見上げた。

細身の肢体に纏う白い皇帝服、静かで滑るような所作、浮かべる微笑まで見事彼に化けて見せた姿に囚人服を纏ったままのロイドは感嘆の溜息を吐き、しかし遣る瀬無さにゆるく首を振る。

「ねえ、本当に君でいいのかい?僕が死に役やってもいいんだよ?」
「私でいいのです、アスプルンド伯。貴方であれば、死を望む主も止められるでしょう」

主の生を望んでいるのは本当だ。こんな無闇な行動に出ようとするほどに。
しかし、真実彼が死を望むのであれば、自分は恐らく止めきれないだろうと不安が残る。
だから。

「貴方の責務は、貴方が果たしてください」
「はぁ〜い、はい。わかりましたぁ〜」

ふざけた声音。表情。しかし目だけが真剣に彼女を捉え、己に課した義務に諾を告げていた。
それが解るからこそ、彼女は――“皇帝・ルルーシュ”はゆるりと満足気に微笑み、切り捨てる世界への餞別であるボイスレコーダーを袖に仕込んでくるりと背を向けた。
“彼”に合わせ、ロイドもゆっくりと踵を返してその場を立ち去った。後ろは決して振り向かず、ただ腕の中で眠る温もりを恭しく抱きかかえて。