静かな朝だった。白いカーテンの向こうから差し込む陽射しが眩しくて、ロロは僅かに目を細めた。穏やかな、いつもの朝。
年頃の少年の部屋にしてはやや可愛らしさに先立つ室内は、一年前は別人が使用していた部屋を少しだけ改装して自分に宛がわれたものだ。
ルルーシュ・ランペルージの弟役として。
元の面影が残っているのは、改変されたルルーシュの記憶に必要以上の齟齬を帰さないための念を入れたフェイク。
「・・・全部、変えられればいいのに」
そう、彼の妹が、血縁が、自分ではないという過去から全て。
ドアを開くと、自分と兄以外はいないクラブハウスでおいしそうな匂いが漂ってくる。
低血圧の兄は、それでもきちんと起きてくれたらしい。
いい匂いに頬が緩むのを感じながら匂いの元を辿っていくと、ダイニングのテーブルに手際よく料理皿を並べる兄の姿があった。
朝の光を浴びて黒髪は光沢を増し、その艶やかさを示すように天使の輪が浮き上がっており、背を向けた腰元では蝶結びにされたエプロンの紐が揺れている。
一時も止まることなく滑らかに動き続ける後姿はどことなく楽しそうにも見えたが、こちらに気づいてもらえないのは寂しくて。
気づいて欲しくて。
「兄さん」
声を掛けた。
「ロロ、おはよう」
くるり、振り返って柔らかく細められた紫電の瞳。
でも僕は、その左目が忌まわしい血塗れの赤に変わることを知っている。
微笑みはルルーシュの弟への愛しさに満ちていて。
それが本当は、ルルーシュの妹に向けられていたものであっても。
「おはよう、兄さん」
向けられるそれらに喜びを感じながら、おはようのキスを交わした。
いつもの、親愛を示す習慣。
すぐにスープを運ぶから、座っていなさいと椅子を勧められて、大人しく兄の席の隣に腰掛けると、すぐにスープとグラスをトレイに載せた彼が戻ってきた。
食卓を改めて眺めてみれば、パン籠には小麦の黄金比を極めたクロワッサンと白パン。
メインは中がとろとろのチーズ入りオムレツにアスパラのベーコン巻き。
サラダボールには鮮やかな三種のレタスとトマト、二色のパプリカにセロリなどが色彩豊かに盛り付けられており、スープカップには冷製カボチャポタージュに刻んだパセリをかけて。グラスは二つ。飲み物はオレンジジュースとミルクがポットで用意されている。
見るからにおいしそうな朝食に、今この時の幸せを実感する。
“今の生活”になって初めて知った、まともな食事の習慣。
家事全般が殆ど出来ないロロとの生活で、日常の家事、特に料理はルルーシュの担当だった。
指先についた小さな傷をそっと眺めて握りこむと、すぐ隣に座った兄を待って手を合わせた。
これも、日本に来て知った習慣だった。
「「いただきます」」
声が揃う。
――日常となったささやかなことさえも、僕には。
デザートのミルフィーユ風のイチゴムースを平らげ、ニュースを見ながら他愛もない世間話をして過ごす。
――そうだ、こんな一時すら、“観察”の対象だなんて、本音をいえば吐き気がするほど嫌悪しているのに。
「ロロ、そろそろ仕度しないと、授業に遅れるぞ?」
「そういう兄さんこそ、」
「いい天気だからな、どこかで日向ぼっこでもしているさ」
「またサボるの?・・・後から大変じゃない、課題とか」
「大丈夫、単位は問題ない」
ひょいっと竦められた肩に、ロロはあっさり説得を諦めた。例えこれ以上言葉を連ねたとしても、簡単にはぐらかされてしまうのだ。
普段手を抜いていても、本当はずば抜けて明晰な頭脳を持つ兄に誇らしささえ感じながら、ロロはルルーシュとの時間を惜しんでゆっくり立ち上がった。
「ロロ、寝癖ついてるぞ」
すると、そんな心の揺らぎを察したように、ルルーシュがロロの頭に手を伸ばす。
ふわりと毛先の巻いたクリームブラウンの髪に触れ、細い指で慈しむように寝癖を撫で付けてくれる。
「校舎までは、一緒に行こうな」
だから、用意しておいで。
撫でていた手でさらりと頬に触れ、向けられる微笑に胸が温かくなるのを感じながら、ロロは頷いてその手に擦り寄った。
そして、そっと離れる温もりにすら追ってしまいたくなるのを我慢して、漸くダイニングを離れた。
閉めたドアの向こうで、食器を片付ける音がする。きっと兄は、胸中のみで囁いたロロの願いを叶えてくれるのだろう。
彼の日常に張り巡らされたカメラの死角で、先程触れられた髪に手を当て、頬に触れる。
こんなにも、こんなにも嬉しくなれる温もりがあるだなんて。もっともっとと望んでしまいたくなるなんて。
ただ
愛しいと
微笑んで
暖かな手で触れて欲しい。
どうか、ずっとこの“今”が続きますように。