司馬懿 〜諸葛亮に女の着物を贈られる〜

 諸葛亮に並ぶ三国志の軍師、司馬懿仲達。五丈原で諸葛亮との対峙は後半の見
所である。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言われるほどに、生前の諸葛
亮に一歩も引くことなく譲らなかった。
 堅く守備を貫き陣から出てこない司馬懿を討って出させるために、諸葛亮は挑
発を試みる(演義第103回)。その中で、諸葛亮は司馬懿に女物の着物を贈っ
て、甲冑を纏って出てこないのは男ではなく女である。と、挑発した。しかし、
司馬懿は激怒したが挑発に乗ることなく将軍達を諌めて守備に徹して出ることは
しなかった。

 そこで実際に筆者も試してみることにした。果たして女物の着物を贈られても
感情にまかせて外に出ることはないのだろうか。
 とはいえ、戦国乱世ではないので、陣もなければ挑発される敵もいない。現代
において篭って一歩も出ないような場面で引きこもりを考えたが、自分はそうで
はない。
 とはいえ、このところ仕事以外ではなかなか外出する機会がなく忙しくしてい
た。お出かけ用の服が欲しかったが、買いに行くまとまった暇もなく、知人から
の誘いを断ったり、延ばし延ばしになっている状況だった。
 そんな折、知人の姫から女物のドレスを貰った。一緒に遊びに行こうという事
である。さすがにチャイナ服ではないが、フリルいっぱいのひらひらのかわいい
服でロココ時代の中世のヨーロッパ風の服である。せっかくのお誘いであるし、
忙しい中での休息も欲しいし、ステキな服を着て遊びに行きたい。
 普段なら迷わず出て行くところだが、仕事などで忙しくているので、出て行く
わけにはいかない。出たいという感情を抑えつつ、仕事の義務を果たすことを優
先にした。
 まさに諸葛亮から女物の着物を贈られた司馬懿の状態のようである。

 その後、一段落して外に出られる状況になると貰った服を着て外に出た。出る
べき時は出る。機を見て行動する。
 当たり前のような事だが、大きな感情が入った時ほど公私を混同しない事は意
外に難しく葛藤が生まれるものである。多くの人は公私混同や私欲に走るのはう
なずける。やはり、個人的感情に流されることなく、やるべき義務をしっかりと
行う冷静な判断力は名軍師に相応しいと思われる。
 その後、贈られた女物の着物を陣で着てみたかどうかは史書には記載がない。
実際に着ることができる筆者は、司馬懿を超えたのかもしれない。


(筆者近影)