三国志の軍神、関羽雲長、三国志を知らない人でも名前は知っている人もいる
のではないだろうか。
関羽が、樊城攻略の際、曹仁の毒矢を受けて倒れてしまった(演技第74回〜
第75回)。この時、関平が救って帰陣したが、すでに毒は骨まで染み通ってお
り、青く腫上がっており動かすこともできなかった。
四方に名医を求めて、華佗元化という名医によって治療された。その治療は、
肉を裂いて骨をむき出しにして、骨についた毒を削り落とし、薬を塗って再び縫
合するというものであった。華佗曰く、その荒治療ゆえに、腕を柱に縛り、顔を
布で隠して行うという。
しかし、関羽は、
「なんだそれだけのことか。柱なぞいらぬ。存分にやってくれ。」
と言って、酒を飲みながら、馬良と碁を打ち始め、一方で華佗に切るように命じ
た。関羽は、酒を飲み、肉を食らいながら、痛さも感じぬが如く馬良と碁を打ち
続けた。そして、華佗は肉を裂いて毒の染みた骨を削って薬を塗って、再び縫合
した。
そこで実際に筆者も試してみることにした。というか、ためさざるを得ない状
況になってしまった。
筆者も怪我をして、病院に担ぎ込まれた。左手親指をガラスでえぐってしまっ
たのである。出血がひどくなかなか血がとまる気配がなかった。
病院で、止血をしてもらうが効果が薄く、皮膚ごと肉がえぐれてしまっていた
ので縫うことができず、もうひとつの手段として、血管を焼いて止血するという
治療がなされた。しかも、麻酔なしである。まさに、肉を切り裂き骨を削る関羽
に近い条件である。関羽のように痛くないのだろうか。
傷口からは血が溢れ出ており、そこにレーザーのようなものを直に押し当てて
焼くという方法である。傷口はただでさえ痛いのに、そこに物が触れるだけでも
ものすごく痛い。しかし、筆者もそこまでなら、碁でも将棋でも対局可能である
気がする。碁の打つ手を考えることはできないかもしれないが。
しかし、その後、
「ちょっと痛いですよ。」
のお医者さんの言葉と同時に、ものすごい激痛が走った。おもいっきり痛い。肉
むき出しの傷口に「根性焼」を入れられたわけである。とてもじゃないが、碁を
する余裕などない。お医者さんに、
「焼き加減はミディアムにしてください。」
と言いたかったが、その声すらでなかった。
しかし、ここでよく考えると、関羽は治療の前に酒をたらふく飲んでいる。つ
まり、酒を飲むことで酔っ払い、麻酔の変りにしているのではないだろうか。さ
らに、関羽は美髯公と称えられるほど、りっぱな髯を持っている。笑いながら馬
良と碁をする状況を考えると、痛みで歯を食いしばっても、髯のために周りから
はそれが分かりづらいのではないだろうか。そして、関羽のような百戦錬磨の軍
神とも言うべき将が優男であろうはずがない。蛮勇の男ですら逃げ出すそのいか
つい顔立ちと髯の前では、痛みを堪えているのか余裕で笑っているのかの区別が
つきにくいのではないだろうか。
最後に馬良と碁の対局。これは、一件余裕であるように見えるが、治療から眼
をそらし、他の事で気をそらしていると思われる。ちょうど筆者が、治療の際に
美人の看護婦さんと楽しくおしゃべりをしていたように。筆者の傍でずっと見つ
めてくれていた看護婦さんは関羽に対する馬良の存在のようである。
関羽は、華佗に名医だと絶賛して、傷が良くなると宴を設けて華佗を招いた。
そして、華佗に黄金百両を差し出した。しかし、華佗は
「私は将軍の仁義の名を聞いてまいったもので、さようなものを当てにして参っ
たのではございませぬ。」
と、固辞して、傷の薬を一袋残して、暇を乞うて立ち去った。
やはり、名医たるもの利益に走ってはいけない。筆者の場合、しっかり初診料
と、その後の通院による検診で診察料を支払うことになったのは言うまでもない。
関羽と筆者の差は、この辺にあるのではないだろうか。
だから、後世に語られるならば、同じ怪我をしても、筆者はガラスで指をえぐ
って病院に行った漢(おとこ)、関羽は平然と毒矢の傷を肉を裂き骨を削って治
療させた漢(おとこ)となろう。
関羽との比較は、最初に同じ土俵に上ることでさえ困難を極める。非日常的な
スペックの持ち主である関羽に挑むことは容易ではない。