| 黄巾の党首 太平道の祖
出身地:鉅鹿
生没年:??〜184年
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容姿 :挙人の試験に落ちた秀才。常に黄色の布で髪を束ねている。
太平道の祖、大賢良師。天公将軍
〜列伝〜
「挙人」たりえずいた秀才で、山中に薬草を採って暮らしを立てていた。ある
日山中に入ると、碧眼童顔の老人に出会い「太平要術」3巻を授けられた。その
老人曰く、
「汝これを得、天に代わって教えを広めよ。もし悪心持てば天罰がたちまち下る
であろう。」
平伏して名を尋ねると、老人は南華老仙と名乗って風となって消えた。
この書を得て、日夜習得に励み、風を呼び雨を喚ぶことができるようになると
「太平道人」と号した。そして疫病が流行ったときに治療にあたり、自ら、「大
賢良師」と称した。弟子は500人余り。
そして全国を渡り歩いて布教し、民の心を引き寄せた。
「蒼天既に死す。黄天立つべし。」と言い広めた。
人はみな、黄色の布で頭をくるみ黄巾と呼ばれた。その数、4,50万。
また、配下のバゲンギを朝廷に遣わし、宦官のホウショと内応を謀った。しか
し、これは弟子のトウシュウが大将軍カシンに密告したため露見し、自ら天公将
軍、弟のチョウホウを地公将軍、チョウリョウを人公将軍として挙兵し、妖術を
用いて官軍と戦った。
184年2月、中国全土で一斉に蜂起した。
しかし、戦いの半ばで病死し、弟のチョウリョウが引き継いだがコウホスウに
破られ壊滅した。さらに、棺をあばかれて屍を切り刻まれ、さらし首にされた。