| 力が正義 暴虐無道の王
出身地:隴西郡臨トウ
生没年:??〜192年
|
容姿 :桓帝の末年より羽林郎、中郎将、前将軍などを歴任。
河東郡太守をつとめ、傲慢な男。体は重く太っている。
〜列伝〜
中郎将ロショクが黄巾党のチョウカクと戦うが、視察に来た宦官のサホウに賄
賂を贈らなかったために罪に陥れられ、代わって黄巾党と戦った。しかし、黄巾
党に討ち破られる。そこをリュウビ達の義勇軍に助けられるが、リュウビに官職
がない事を知ると手のひらを返したように冷たくあしらった。その後、黄巾党と
の戦いに敗れ続けたのでコウホスウと交替させられた。しかし、十常侍に賄賂を
贈って罪を逃れた。
その後西涼の刺史として力を蓄え、大将軍カシンの宦官誅滅の偽詔を受けて洛
陽に兵を進めた。そして、洛陽を逃げ出した宦官たちに連れられた少帝と陳留王
を保護するかたちで押し寄せ、その軍勢を率いて洛陽に入城し、武力を盾に禁中
をわがもの顔に振る舞った。
女婿リジュと謀って少帝を廃し、陳留王を帝位にたてようとした。しかし、荊
州刺史テイゲンに反対されたので斬ろうとしたが、背後にいるリョフに気付いた
リジュに止められた。さらにロショクや侍中サイヨウ、議郎ホウハクにも止めら
れ、司徒オウインに「後日日を改めて」と言われてその時は散会となった。
翌日、テイゲンが戦いを挑んで来て、リョフに歯が立たず大敗するが、リシュ
クが赤兎馬を持って味方に引き込んだ。リョフはテイゲンの首を持って駆けつけ
た。
189年(中平6年)9月1日、少帝を廃し陳留王を帝位につけた。少帝は弘
農王に封じられるが、後に何皇后とともにリジュによって殺害された。
その後ますます暴虐になり、見かねた越騎校尉ゴフに襲いかかられたが返り討
ちにした。
ソウソウが司徒オウインから宝刀七星の剣を授かり暗殺を試みるが、鏡に映っ
たソウソウを見て
「何のまねだ。」
と問う。ソウソウは
「宝刀所持しておりましたので献じようと思ったのでございます。」
と言って剣を差出して走り去った。
エンショウを盟主とした連合軍が�レ水関に攻め込むと、洛陽にいたエンショウ
の一族を殺し、カユウ、リョフをやって応戦した。リジュの進言で長安に遷都を
強行し、洛陽の金持ちを反逆者の名のもとに斬り殺して金品を没収した。さらに
兵士達に略奪、凌辱を許して洛陽に火を放ち、皇族の墓を盗掘した。その後、連
合軍は追撃するも次第に仲間割れを起こし勢力は衰えていった。
長安に遷都してからもますます暴虐無道の行いをし、自ら尚父(太公望が周の
武王に呼ばれた名)と名乗った。さらに一族を老幼問わず皆を官職に就けた。城
内に宮殿を建てて20年分の食料を蓄え、美女800人を択んでここにおき、金
銀財宝を数え切れぬほど集めた。また、宴の席で投降してきた捕虜数百人の手足
を斬らせ、目をえぐらせ、舌を抜かせて大鍋で煮殺した。百官恐れおののく中で
平然と酒をのみ談笑をつづけた。
司徒オウインが我が子のように可愛がっていた歌い女貂蝉が連環の計を勧めた。
オウインは自分の館にリョフ招いてもてなし、娘の貂蝉を紹介して輿入れの約束
をした。数日後、オウインはトウタクに宴席を設けて貂蝉の舞を披露し、貂蝉を
献上した。その後、リジュの進言も聞かず、貂蝉を可愛がり政務もおろそかにす
る有り様。一方、貂蝉を取られた形となったリョフが、貂蝉を取り戻すためにオ
ウインとともに、献帝が帝位を譲ると言って呼び出した。
宮中に入るとオウインの
「国賊を討ち取れ」
と一声にリョフに喉を貫かれ、リシュクに首を斬られた。さらに一族はすべて皆
殺しとされた。
屍の臍に灯芯を置いて火をつけると赤々と燃えた。リカク、カクシ達が屍を埋
葬しようとすると雷が三度落ち、屍は跡形もなくなくなってしまった。