袁術公路 エンジュツコウロ
皇帝を名乗る男 名門袁家の御曹子
出身地:汝南郡汝陽県
生没年:??〜199年
容姿 :4代続いて三公を出した名門袁家の御曹子。袁紹の従弟。(弟の説もあ
    る。)
    侠気があるが、贅沢三昧、欲望のままに行動する。
    自ら帝を称して仲氏と号する。

〜列伝〜  南陽太守の時、董卓討伐軍第一鎮として駆けつけ、洛陽に攻め上った。先陣の ソンケンが快進撃をするが、力をつけるのを恐れて兵糧を送らなかった。ソンケ ンに兵糧を送らなかったことで抗議されると、兵糧を送らないように進言した者 を斬って詫びを入れた。エンショウに馬千頭を借りようとしたが断られ、さらに リュウヒョウにも兵糧20万石の借入れを断られ、これを恨んで、ソンケンに、 エンショウとリュウヒョウが江東を狙っていると偽ってソンケンにリュウヒョウ を襲わせたが、ソンケンはリュウヒョウ配下のコウソに討たれ、失敗に終わった。  トウタクを討ったリョフが、リカク、カクシ等の残党から落ち延びて来たが、 リョフを信用せず追い返した。  徐州で旗を挙げたリュウビが襲ってくると、配下のキレイに迎撃させ、小沛に いたリョフにリュウビの背後を突かせようとした。しかし、リョフはリュウビか らも加勢を求められ、天に仲裁を任せるとして戟に矢を命中させ和睦させた。  ソンケンの死後、身を寄せていた子のソンサクが玉璽を質に兵を借りた。玉璽 を得て、配下の諌めるのも聞かず、 「袁家は陳国より出た。陳は大舜の末裔じゃ。その上玉璽も持っておるのに帝位 に即かぬは天道に背く。」  かくして、帝位を僭称し仲氏と号した。  チョウクンを大将軍に任命して、リョフとリュウビを討とうとしたが大敗した。 兵糧不足に陥り、ヨウダイショウの進言で寿春をリホウ、ガクシュウ、リョウゴ ウ、キョウズイの4人に固めさせて引き上げた。  その後、肥沃な領地であったので贅沢三昧をし、国を衰退させた。行き詰まっ たところでエンショウに帝位を譲って保護を求めたが、道中でリュウビに襲われ て逃亡し、江亭に駐留した。そこで兵糧が尽き、固い飯が喉を通らず、料理番に 蜂蜜を命ずるが、 「ここにあるのは血の水ばかりです。」 と言われ、寝床に座ったまま、一声叫んだかと思うと転げ落ちて一斗余りの血を 吐いて死んだ。  その後、玉璽は甥のエンインが柩と妻子を守って廬江へ逃れる時に持っていた が、ジョキュウに殺され、ジョキュウによってソウソウに献じられた。