| 晋の左将軍 破竹の勢いで呉を平定
出身地:??
生没年:222〜284年
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容姿 :司馬懿の女婿。
知恵、策謀に長けて、治乱について明るく老成練達で学問を好む人柄。
「春秋左氏伝」を常に持ち歩く。「春秋左氏経伝集解」を著作した。
〜列伝〜
ヨウコの遺言により、シバエンに推挙されて鎮南大将軍、荊州の都督に任ぜら
れた。襄陽で民政を行い、兵力を蓄え練兵し、呉討伐に備えた。そして、益州の
オウシュンと共に呉に兵を進めた。
た。部将シュウシを長江対岸に送り込んで呉軍を撹乱させ、先鋒のソンキンの軍
を討ち取り江陵を得た。すると広州各郡の太守、県令達は戦わずして帰順した。
そして、人をやって領民を安堵させて武昌に兵を進めた。武昌も降参した。
建業攻略に当たっては、平南将軍コフン曰く、
「呉は大敵で、しかも春先は大水の季節であるので、冬を待って一挙に攻め込む
のがよろしいかと存じます。」
しかし、
「我軍の士気が大いに上がっている今、破竹の勢いをもって押し進めば、声を聞
いただけで降り、攻める必要もないであろう。」
と、慎重論を取り入れず、一斉に建業に向けて兵を進めた。
さらに、建業に向けて兵を進めた。長江は鎖で封鎖されており、ドヨは笑って
大きないかだを作らせて上流から流して松明で火を付けて鎖を溶かした。そして
その勢いでチョウテイ、ショカツセイらの軍を打ち破った。
呉将トウシュンが呉主より2万の軍勢をもらい受けてチョウショウとともにオ
ウシュンを迎え討ったが、大敗してチョウショウがオウシュンに降って城門を開
けさせて晋軍を入城させた。
ドヨは、翌日建業に到着し、軍をねぎらって、穀倉を開いて呉の人民に与えた
ので安堵した。
かくして、三国時代は幕をおろして晋のシバエンの天下統一が成し遂げられた。