塩のはなし 人が塩を利用するようになったのは、今から五千年以上も前のことです。 古代文明が栄えた所は、豊かな水源と肥沃な土地がある所で、多くの塩を得る ことのできる所でした。 古代では、ご飯の際に、おかずに手に載せた塩をなめたりしていました。宮廷 用語で小皿をてしょといいます。手塩がもとになったといわれ、その後、食べ物 にかけるように食膳に添えられた少量の塩のことを手塩といわれるようになりま した。時間と労力をかけて得られた塩をかけて、食べ物をさらにおいしくするこ とから、丹念に育て上げる事を手塩にかけると言うようになりました。 また、古代の人は心身を清めるために、海水を浴びており、それがその後簡略 化されて、塩を撒いたり盛り塩をして清めや厄除けなどをするようになりました。 昔の中国の皇帝は、多くの妃の所に通うために牛車を使っていました。そこで、 妃は自分の所に来てもらえるように、牛の好物である塩を家の前に盛っておきま した。すると、牛がそこで止まるので、皇帝はその家に行かざるを得なくなった といいます。お店の前に塩を盛るのは、清めのためとも客寄せのためとも言われ ています。 塩は食に重要であり欠かせない物なので重宝され、アフリカでは貨幣の変わり として使われていました。 古代ローマでも国が兵や役人の給料として、塩を与えていました。塩をラテン 語でサラリウムといいます。それで給料をサラリーというようになりました。塩 で雇われた兵士をソルジャーといいます。 日本では、初めは海岸の岩間やくぼみなどに溜まった海水が蒸発し結晶になっ た塩を採取していたようです。その後、塩凝という方法で竹筒等に海水を入れて 自然乾燥させるようになりました。さらに、それを煮詰めるという方法に発展し ました。 その後、古事記や日本書紀に堅塩(きたし)と記されたもので、精製しないそ のままの塩を使っていました。 六世紀ごろからは、藻塩焼きが一般的になりました。藻塩焼きは、海藻を海辺 に積み、何回も海水をかけて塩分多く含ませ、それを焼いて灰にします。そして それを水に溶かし、灰を除いてから釜で煮詰めるて塩を取ります。 海水を煮詰める燃料に山の薪が使われました。そこで、山間の人々がと海辺の 人々は塩と薪を交換し合いました。そのため、山間にも塩のつく地名が各地で きました。 平安時代中期頃からは、揚げ浜式塩田に代わりました。揚げ浜式塩田は、浜辺 に海水を撒いて乾燥させます。そしてその砂を集めて水に溶かして煮詰めます。 室町時代になると、入り浜式塩田に移り変わりました。潮を満ち引きを利用し て海水を塩田に取りこむ方法です。これは、江戸時代終わりまで続きました。 昭和時代に入って、近代技術を導入しポンプを使う流下式枝条架式塩田が利用 されました。 1970年代頃からは、化学を利用したイオン交換膜式製塩法が利用されるよ うになりました。これは、塩化ナトリウムを電気透析装置によって集める製塩法 です。 この製法は、有害な重金属等を除くことができるため、安全な塩を得ることが できます。しかし、同時に食塩が持つ豊富なミネラルも除いてしまい、高純度の 塩化ナトリウムになってしまいます。 古くから重宝されてきた塩は、わずかな量のミネラルが健康に重要な働きをし ていました。それが、現在の塩ではミネラルが少ないためなかなか得ることがで きず、逆に高純度の塩化ナトリウムは、高血圧などの病気の原因になってしまい ます。 塩の成分 塩は海水から作られるため、海水の成分をそのまま含んでいます。 主成分は、酸素、水素、塩素、ナトリウム、硫黄の5元素で、99.78%を 占めています。 これらを除く残りの元素は、マグネシウム、カルシウム、カリウム、亜鉛、鉄、 リン、ヨウ素、マンガン、銅、コバルト、セレン、モリブデン、などで、人間が 必要としている微量なミネラルです。 この微量元素の中でマグネシウムは60%、カルシウムは18%です。 海水を煮詰めていくと塩化ナトリウムが析出してきます。煮詰めた残りはカン 水(母液)とよばれ、苦いのでニガリ(苦汁)と呼ばれています。ニガリの主成 分は塩化マグネシウムです。 古代から行われてきた塩田製法で得られた塩には、このニガリ成分が含まれて いました。 現代の塩の製造方法では、このニガリが少ないため、ミネラルが乏しいのです。 そのため、わざわざ後でこのニガリ成分を添加したりする塩もあります。
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