〜第1章〜 人物伝
聖地(-21-) | 神の次女。 神の政治手腕を受け継いだ。その評価は神にも劣らぬらしい。 神没後、湖畔を治めた。また、神家の一門の中で最年長であり、聖地、中原、 平原、湖畔を取りまとめた。 0年、夫大神との間に長子大和が生まれた。 15年、神子暗殺の仕業を湖畔と天下に広まり、真事実を突止めるために奔走 した。 23年、神子暗殺の実行者である猛者が深森に君臨していることを突止めて、 猛者討伐軍を興し、猛者を討ち破った。 26年に平原の客将として平原に滞在し、様々な進言を行った。 30年、平原の中流攻めに援軍を派遣を派遣すると見せかけて、平原を急襲し た。しかし、本拠の一つは東山の援軍によって阻まれ、平原の全てを手中に収め ることはできなかった。しかし、この急襲により、平原は壊滅的打撃を受け、急 速に衰退していった。 32年、中原に吸収を申し出て湖畔と中原を統合した。以後、中原の将として 内政官として、あらゆる場面で活躍した。 35年、神農の命により中流の勇者に駐屯している勇者を討つべく夫の大神と ともに一軍を率いた。そして、別働隊の大和と連携して見事に中流を攻略し、勇 者を討った。 | ||
聖地(-20-17) | 神の長子。 神の手腕を受け継いだ。神娘と神子を足して2で割ったような評価であった。 神没後、中原を治めた。 その後、神子が軍を動かして勢力を拡大すると、それに対抗して軍備増強を図 り山麓を攻略しようとしたが、領内の内情が安定するのに期間を要し遅れを取っ た。その間に神子が勢力を急激に拡大したため、国内防備に力を入れて精強な兵 で警戒にあたった。平原四天王を得た平原の急速な増強にはさすがの神長子も中 原勢力拡大に遅れをとったという結果になった。 0年、長子が生まれた。 3年、長女が生まれた。 5年、次女が生まれた。 15年、神子が中流で刺客に討たれ、この刺客を神娘の手の者であると噂され、 神娘と争そう姿勢をとるも、平原を治めることで同意し平原に移ろうとした。 16年、その矢先に病に倒れ、後事を子に委ねて死んだ。 | ||
(-17-15)聖地 | 神の次子。 神の武略手腕を受け継いだ。その評価は神にも劣らぬらしい。 神没後、平原を治めた。 自ら兵を率いて圧倒的力を見せた。四天王が臣下に加わると、他の兄弟よりも いち早く諸勢力吸収に乗り出して世を広げた。初めに中海を軍門に入れると、そ の後は破竹の勢いで世を拡大していった。 15年、中流地方を征圧に向かった際、後続の神子の子率いる部隊が足止めさ れ、敵の策に陥りやむなく軍を四散させて血路を開いて神娘のもとに落ち延びた。 しかし、神娘の領内に入る直前に味方であるはずの腹心の猛者に不意に襲われ、 奮闘するもやがて力尽きて落命した。 | ||
(-15-35)聖地 | 神の末子。 他の兄弟3人のように目立たなかったが、決して3人に劣ることはなかった。 神没後、聖地を治め、神の墓陵を築いた。 10年、長子が生まれた。 16年、神の墓陵が完成した後、神娘、神長子に別れを告げて俗世を捨てた。 以後、神娘、神長子ですらその姿を見た事はなかった。 35年、天命を全うし、世を去った。享年50才。 | ||
(1-15)聖地 | 神子の子。父、神子の武勇を受け継ぎ、その勇猛ぶりは若いながらも家臣団も 一目おいており、将来が期待されていた。 15年、中流地方を征圧に向かった父の後続軍を率いていたが、中流軍の別働 隊と属国であるはずの河口、入江、下流軍に襲われた。そのため先に中流地方で 戦っていた父のもとに行けず、父は軍を四散させて兵を退くも戦死した。 父の死を知り、父に殉じた。 | ||
(10-)聖地 | 神末子の子。父、神末子の意志を受け継ぎ、神の祭られている聖地の守を努め た。 33年、神農の妹神稷を妻に迎えた。 35年、父亡き後、その跡を継いだ。父同様、他国に干渉することなく、聖地 で墓守を努めた。 37年、長子神音が生まれた。 | ||
(37-)聖地 | 神楽と神稷の長子。 |
Back |