2003.9.7(Vol.1)作成



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 最近、丁度30年前の1973年に(私のお膝元であった)天王寺動物園で写したアルバムが見つかりました (それでこのサイトを開設する気になったのです ^_^ )。 ちなみに当時の私は中学生でして、写真も当然当時の私が撮った物です。
 全般にあまり鮮明な写真ではありませんが、30年という年月により退色したのか?  あるいはこの当時のカメラやフィルムの性能により元々がこういう鮮度だったのか? ....まあ、いずれにせよ、画像処理ソフトを使えば少しはクリアにすることも可能 かと思いますが、あえてここではレトロなムードを優先しまして、 オリジナルの鮮度のまま掲載しました。ちなみにネガは残ってません。

 実は更に古い1960年代前半に写した天王寺動物園の写真(白黒写真)も有る筈なんですけど、 家の奥深くに入れてしまって見つからないのです。もし発見されましたらば勿論公開させて頂くつもりです。


  ゴ リ ラ  



 先ずは人間に1番近い動物である猿から....と言ってもゴリラしか写しておりませんでした(笑)。 まあそりゃあそうですよね、男の子にとって “猿” と言えばなんたって “ゴリラ” に決まってますよね!
 ここに写っているのは多分オスのゴロ君(当時推定8才)だと思いますヨ。 奥にチラッと見えるのはメスのラリさん(当時推定7才)じゃあないですかね?
 ゴリラってのは大人になるとオスとメスの違いが一目瞭然なほど体格に顕著な差が出るんですけど(性的二型と言うらしい)、 子供の頃は判別が難しいそうですって。例えば京都市動物園のメスの元気さん(1986年生まれ)なんて、 生まれてから数年間はオスだと思われていたそうですから。 ま、その理由の1つとしては、男性のシンボルが非常に小さいんですって、ゴリラって。 人間のそれは疎かチンパンジーのそれよりも小さいらしくって、 大人になっても毛で隠れて見えないくらいなんですヨ。 動物園のゴリラの繁殖力が非常に弱いのは、その男性のシンボルの小ささも 原因の1つではないでしょうかねぇ?

 と言う事で、この当時の天王寺動物園のゴリラはオスメスとも未だ7〜8才と 少年少女のような歳ですので、この左の2枚の写真では性別の判別が付き難いんですよね、 奥にチラっと写っているゴリラも未だ小さそうですし.... ただ、ラリさんの顔はもっと目と鼻の距離が短かったと思いますので、 それでゴロ君だと判断した訳です。 ちなみにゴロ君ってこの23年後の1996年にはこの右の写真のような姿になっていたんです(その頃は千葉市動物公園)。 最早一目でオスと分かりますよね。
 ゴロ君は1995年まで天王寺動物園に居て、そして千葉市動物公園に移されたのですが (したがって2003年現在天王寺動物園にはゴリラは居ない!)、 1994年に体重を計ったら219kgもあったそうです。立派な大ゴリラですよね。 ちなみにメスのラリさんもずーーっと天王寺動物園に居たのですが1992年に死にました。
 ゴロ君は1967年に、ラリさんは1968年に天王寺動物園に来て (但し当時の資料を見ると、ふに落ちない点が有るのですが)、 長年天王寺動物園で親しまれてきました。子供はまったくできませんでしたが。

 私が物心ついた頃に最初に見たゴリラは多分、このゴロ・ラリのカップルの前に 居たゴリ・リラのカップルだったんじゃあないカナ? ....そのメスのリラさんは1966年11月に客の投げた異物を食べて死んだそうですし、 オスのゴリ君は伴侶のリラさんが死んだ事で寂しがって乱暴にもなったらしく、 このゴロ・ラリカップルと入れ替わりに東北の動物園に移ったそうです。 でも1970年頃に買った天王寺動物園の絵はがきセットのゴリラの写真は 既に居なかったゴリ君だったと思いますけどネ(^_^ )。
 それから私が小学生の時だったと思いますが、動物園に毎日写生に来ていた 女子大生にゴリラが恋をして、来なくなったら途端にションボリしてしまった という話を聞いた事がありましたが、それはこのゴロ君だったのカナ?
 それにしても、ゴリラがこれだけ鮮明に(比較的近くでしかもカメラ目線で ^_^ ) 写真に撮れた事は(シロウト写真としてはまずまず)貴重じゃあないでしょうかねぇ? 神経質でわりと人見知りする動物でしょうから。 でも、ゴロ君って1995年に千葉に移る直前まで、この様にわりとよく 人前に出てくれるゴリラでしたね。
 このゴリラ舎は1961年に完成し、ゴロ君が千葉に去った1995年まで ずっと使われておりましたが、(この写真には写っていない)寝室の方は日本初の強化ガラス式の 展示方式だったそうですって。最初はその安全性を危ぶむ声が有ったらしいですが、 特に何も問題が起きなかったのでこの後、強化ガラス方式のゴリラ展示をする 日本の動物園が増えたそうです。 このゴリラ舎も今では取り壊され、その跡地は1997年にカバ舎に生まれ変わったようですね。

 ところで、一口に “ゴリラ”(学名 Gorilla gorilla )と申しましても、 実は3種類(正確には3亜種)おりまして、ニシロ−ランドゴリラ(学名 G. g. gorilla )、 ヒガシロ−ランドゴリラ(学名 G. g. graueri )、 マウンテンゴリラ(学名 G. g. beringei )に分かれるんです(最近の学説ではもっと細かく分かれるそうですが、長くなるので省略)。
 ただこの1973年当時は未だ、ヒガシロ−ランドゴリラはマウンテンゴリラに含まれておりまして、 ニシロ−ランドゴリラは単にロ−ランドゴリラと言われていた (つまりロ−ランドゴリラとマウンテンゴリラの2亜種だけが定義されていた)頃でしたし、 しかもゴリラはチンパンジーと同じ Pan 属 (つまりゴリラの学名を Pan gorilla 、チンパンジーの学名を Pan troglodytes ) に書かれてる本も有ったくらいなんですよ。 「チンパンジーを人間と同じ Homo 属に入れよう」と言う声すら挙がっている 2003年現在とでは時代の流れを感じてしまいますネ。
 このゴロ君も含めて日本の動物園に居るのは全てニシロ−ランドゴリラなんですが、 1961年頃に愛知県のモンキーセンターにマウンテンゴリラ(ただしヒガシローランドゴリラの可能性が大) が来た事があったそうです。今でもモンキーセンターにはその剥製と骨格が展示されているようです。



  ライオン & ト ラ  




 次はこの2大猛獣キングたちです。
 かなり広い放飼式展示方式なのですが、跳躍力のある猛獣なので 堀がかなり大きく作られていますので、 こういう小さい写真しか撮れないのが残念ですね(左下に拡大した写真を載せております)。
 でもライオンもトラもせいぜい20年程しか生きられませんので、 ここに写っている彼等はもうこの世には居ないんですよね.... そう考えるとちょっと寂しいですネ。  

 このライオンとトラの放飼舎は天王寺動物園の北の端に隣接しておりまして、 1963年に完成して2003年現在でも未だ使われております。 完成当時は都市型動物園でこれほど広い猛獣放飼舎はとても画期的だったそうです。 ただし近々新設される計画も有るとも聞きますが....。
 ここで1997年頃のこのライオンとトラの放飼舎の写真を右下に示します。 左の写真とでは24年の隔たりが有る訳ですが、一見して分かるのは “緑が沢山植えられた事” ですネ、壁面とかにそれが顕著ですが。
 天王寺動物園は大阪市の真ん中にあり近くを高速道路が走る都市型の動物園ですが、 「緑が結構多い」と言う事で(1997年頃だったと思いますが)外国(主にイギリス)から来た 動物園調査団にも比較的好意的に受け入れられた数少ない日本の動物園の1つ だったそうです。
1997年頃のライオン・トラ放飼舎






 では再び1973年当時に話を戻しまして....
 先ずはライオンの話ですが、一口に “ライオン”(学名 Panthera leo )と申しましても、 いくつかの種類(正確には亜種)に分けられます。TVの動物番組でよく見かける 野生のライオンはタンザニアあたりに住むマサイライオン(学名 P. l. massaica ) でしょうかねぇ。 ただ、トラは今は大体どの動物園でも「ベンガルトラ」とか「アムールトラ」とか 亜種名まで明確にして飼育・展示されてますが、ライオンは横浜のズーラシアの インドライオン(学名 P. l. persica )を除いてはただ漠然と「ライオン」としか 展示されていませんよね。まあつまり「亜種はよーー分からん」「亜種は大して気にならん」 って所なのでしょうか?
 でもこの1973年当時の天王寺動物園では、アビシニアライオン(学名 P. l. roosevelti )が 飼育されてたんですよ....まあ正確にはアビシニアライオンも飼育されていたと言うべきでしょうか。 これは1970年の大阪万国博覧会の時にエチオピア政府から寄贈されたものなんですけど (オスのフジオ君とメスのサクラさんで、当時の資料には「普通のライオンより少し毛足が長いようだ」とか書かれてますね)、 “日本でライオンが亜種名まで明確にして飼育された珍しい例” なんですって。 そして子供も沢山生まれて他所の動物園に送られました。
 ただこの左の写真に写っているのはそのアビシニアライオンではなく、 このオスライオンは1962年生まれのタカシ君か その息子で1969年生まれのテツ君のどちらか(いずれも亜種は不明)だと思います。


 次にトラの話ですが、(ライオンと同様)一口に “トラ”(学名 Panthera tigris )と申しましても、 実は8種類(正確には8亜種)に分かれまして(ただし3亜種は絶滅)、 この左の写真の1973年当時の天王寺動物園のトラはインドに住むベンガルトラ(学名 P. t. tigris ) だと思います。 ちなみに2003年現在(及び右上の1997年当時&右下の1995年頃)の天王寺動物園のトラはロシア〜中国東北部に住む アムールトラ(学名 P. t. altaica )です。
 この1973年の写真では3匹ないし4匹写っている様ですが、当時の記録を調べてみますとどうやら、 このトラ放飼舎が出来たのとほぼ同時の1963年にやって来たオス・メスの番(1973年当時共に10才)と、 この1973年の元日に(勿論この夫婦の間に)生まれた2匹の子供(オスとメス)の様ですネ。
 トラはライオンと違い、群れを作らない動物なので、大人のオスと子供を同居させるのは非常に危ない事だと 思うのですが、でも天王寺動物園では最近のアムールトラに至るまでしばしばオスと子供を同居させてきました(右図参照)。
ただ自然界でも時折、トラのオスがメスや子供と一緒に暮らしている光景を見かける事も有るようですね。

 ところで、トラはライオンと比べると、オスとメスの判別がイマイチ付き難いんですよね (ヒョウやジャガーもそうですが)。 いや一応絶対的な判別方法は有ることは有るんです、オスの場合は尻尾の付け根の所に男性のシンボル (タマタマ ^_^ )がハッキリと露呈してますからねぇ (ま、ネコを飼っている人なら分かるか?)。 ただこの写真のように小さい写真だとその男性のシンボルもよく見えませんし、 それに前からだと見えませんものね。
 ま、一応はオスの方が胴体や四肢が長めで、メスの方が丸みのある体つき という傾向は有るようですね。だから左の真ん中の写真の赤矢印の個体はオスじゃあないですかね?
 それから(これは人間も含む哺乳類ほぼ全般に共通する事ですが) オスの方が顔が大きいですネ。 それと(トラの場合は)オスの方が頬の毛が長く伸びる傾向が有ります。
 まあでもこれらは個体差が有りますので、やっぱりトラ(ヒョウやジャガーも)の オスメスの絶対的な判別方法は、尻尾の付け根の所に男性のシンボル(タマタマ)が有るか無いか と言う事になりますね。


 で、最後にライオン&トラとしての話なのですが....
 この1973年当時の天王寺動物園は、左の写真に示しましたように普通に ライオンとトラを個別に飼育しておりましたが、でもこれらとは別に ライオンのオスとトラのメスとを一緒に飼育もしてたんですよ。 写真は撮っておりませんが。
 これは共に1971年に生まれたライオンのタケオ君とトラのタマさんを 生まれてすぐに一緒にケージに入れて飼育し始めたんです.... まあ混血獣作りを目的としてでしょうが。 そのタケオ君とタマさんが赤ちゃんの頃から私は見ておりましたし、 それに(俗っぽいですがやっぱり)混血獣に期待もしておりました。
 その期待の混血獣ライガー(オスライオンとメストラの間の子供をそう言う。 その逆の場合はタイゴンと言う)は一応生まれる事は生まれました、1975年に。 でも生まれてすぐに死にました。で、その後「こんな人間の身勝手な行為はもうやめよう」 と言う事で、このライオンとトラのカップルは別れさせられて、 トラのタマさんは他所の動物園に嫁入りし、ライオンのタケオ君はこの天王寺動物園のライオンの群れに移されて そしてボスになったそうです(そして1992年に大往生)。



  ゾ ウ  



 次はいつの時代も動物園の1番の人気者ゾウです。
 天王寺動物園は昭和に入ってからは2003年現在まで一貫してアジアゾウ(一般にはインドゾウと呼ばれる事が多いか)の メスだけが飼育され続けています。この写真では少し見難いですが、 奥の小屋にもう1頭居るんですが、正面に見える2頭と合わせて3頭ともメスなんですよ。
 実は日本では未だにアジアゾウの子供が生まれ育った例が無いんですって。 出産例自体は一昨年に神戸の王子動物園が有りましたが(死産だった)。 そもそもオスゾウを飼いたがらない動物園も多いみたいだもんね、 それも原因の1つと思いますがね。
 ただ現在、王子動物園のズゼさんはどうやら妊娠中のようで来年2004年あたり出産が期待できる....そうです。

 この正面に見えている2頭のゾウは やや大きい方が1950年4月にタイからやって来た春子さん(1973年当時26才、2003年現在も健在)、 やや小さい方が同じく1950年の6月に同じくタイからやって来たゆり子さん(1973年当時24才、2000年に死亡)、 そして奥の小屋に居るのは1970年の大阪万国博覧会を記念してインド政府から寄贈された ラニー博子さん(1973年当時3才、2003年現在も健在)です。 ちなみにラニー博子の名前の由来はラニーとは女王の意味だそうで、博子は万博の年に寄贈されたからです。
 ところで、アフリカにいる耳とキバの大きなゾウをアフリカゾウと呼ぶのに対して、 このアジアにいる耳とキバの小さなゾウは一般の人たちの間には “インドゾウ” と言う名前で浸透していると思います。 実際にもこの1973年当時は動物図鑑や辞典等の文献類でもインドゾウという呼ばれ方がされていました。
 でも今は、このアジアに住む耳とキバの小さなゾウは、 動物図鑑や辞典等の文献類では “アジアゾウ”(学名 Elephas maximus )という呼ばれ方がされてるんですよね(正式な学術名がそう変わったのだと思う)。 で、インドゾウという名前は現在ではアジアゾウの中の1亜種になってるんです。
 ですので、ここに写っている3頭のゾウは “種” レベルで言えば3頭とも アジアゾウで、もう1段階下の “亜種” レベルで言えば、 (正面に見えている)春子さんとゆり子さんはタイから来ましたのでタイゾウ(学名 E. m. hirsutus )という亜種、 (奥の小屋に居る)ラニー博子さんはインドから来ましたのでインドゾウ(学名 E. m. indius )という亜種になるわけですネ。 ちなみにこの1973年当時は3頭ともインドゾウと呼ばれていたと思います。

 このゾウ舎は天王寺動物園の南園に有り、なんと戦前に出来たそうです。そしてつい先頃までずーーっと 長きに渡ってこの場所でこの形で幾世代もの子供達にゾウを見せて楽しませてきた訳ですが ....今年2003年に遂に新築されました。この同じ場所に、隣に有ったキリン舎の跡地も 含めて新たにアジアの森ゾーンと言う名前で生まれ変わったのです (ただし2003年9月現在、一般公開は未だされていません)。
 そしてこの度ゾウ舎が新築された事により、2003年現在の天王寺動物園で、戦前に出来て今尚使われている動物舎は シロクマ舎1つとなってしまったそうです。



  キ リ ン  




 次はいつの時代でもゾウに次ぐ動物園の人気者キリンです。
 一口に “キリン”(学名 Giraffa camelopardalis )と申しましても、いくつかの亜種に分けられます。 TVの動物番組で見かける野生のキリンはタンザニアあたりに住む (体の模様が少しギザギザになった)マサイキリン(学名 G. c. tippelskirchi )が多いと思います。
 実は天王寺動物園は戦後最初に飼育したのはそのマサイキリンだったそうですが、 1959年以降は2003年現在までずーーっとこの写真のように (体の模様が網の目の様に整然とした)アミメキリン(学名 G. c. reticulata )が 飼育されています....と言うかまあ日本の動物園では圧倒的にアミメキリンが多いんじゃあないですかね。 ただ(2003年現在)神戸の王子動物園にはマサイキリンが飼育されております (その写真も後日紹介いたしますが)。 マサイキリンの方が体が若干大きいそうですってね。 皆さんも動物園に行かれたら漠然とキリンを見られるのでなく、 そういう体の模様の違いなどにも気を付けて見られたらより面白く見られると思いますヨ。
 ところでキリンの学名 Giraffa camelopardalis の由来ですが、 属名の Giraffa は古代アラビア人がキリンの事を “速く走るもの” という意味の “xirapha” という 言葉で呼んだ事が由来だそうで、種名の camelopardalis は “ヒョウのような模様のあるラクダ” と言う意味で (ヒョウの学名は Panthera pardus と言う)、古くはラクダとヒョウとの間の子と考えられてた事に 由来しているんですって。昔の人って可笑しな事を考えるもんですね。

 さて、この1973年当時の天王寺動物園のキリンに話を戻しますが、当時の記録を調べてみますと、 オスのタカオ君(1959年入園)とその長女のキリーさん(1973年当時9才)と三女のリリーU世さん(1973年当時6才)、 そしてタカオ君とリリーU世さんの間に前年8月に生まれたキリコさんの4頭が飼育されていたようです。 まあこれって所謂近親交配でして、あまり感心できた事ではありませんが、でもキリンに関しては 色んな動物園でよく有る事のようですネ (この写真の小さいキリンの体色が薄いのは近親交配の影響もあるんでしょうかねぇ???)。
 その近親交配の件は兎も角として、一応この1973年時点では4頭飼育されていたそうで、 しかもこの写真でも4頭写っていますので一見つじつまは合っているかのようなのですが.... ただ1番上の写真の手前のキリンが6才にしてはちょっと小さ過ぎる気がするんですが....。
 それと実は更に記録を調べてみますと、 前年の1972年9月にタカオ君とキリーさんの間にリンコさん(1973年1月に死亡)が生まれてますし、 翌年の1974年3月にタカオ君とリリーU世さんの間にキン君が生まれてるんですよね。 だからこのキリンの写真はもしかしたら1972年か1974年の可能性も有りますネ。
 そもそもが、何故このページと次のページの写真が1973年と判断したのかと申しますと、 同じアルバムの中に私の祖母が還暦の赤いチャンチャンコを着た写真が入っていたからなのです(祖母は1913年生まれ)。 それと(次のページに写っている)私の写真がどう見ても1973年の姿だからなのです。
 だから動物の写真も絶対に1973年なのかどうかは定かではないんです。まあ2年以上の誤差は無いと思いますが。


 ところで先程のライオンやトラと違って、キリンは基本的にはおとなしい草食動物なのでこんな近くで写真が撮れたんですけど.... でも皆さん、この左の1973年当時のキリン舎を見て何か感じられませんか?? ....この柵、やたらと低いとは思いませんか!?
 こんな柵ならばキリンだったらヒョイっと跨いで出てきますよ。キリンってボーーーとした顔してますけど、 実はパワーは物凄いんですよね、キリンに蹴られてアゴの骨が砕けたライオンをTVで見た事がありますから。 もしも人間がキリンに蹴られたらひとたまりもありませんよ。
 いや〜〜〜恐い所で見てたんですネ〜〜私たちって、昔は(笑)....多くの客の中にはキリンを驚かせるたわけ者も居たでしょうし。
1996年頃のキリン舎

 でもどうやら天王寺動物園側もこの点には気付いた様で(?)、後にこの柵を高くしました(右図参照)。

 このキリン舎は1962年1月に天王寺動物園の南園の(上述の)ゾウ舎の隣に できました。キリンたちはずーーっと長らくこのキリン舎で飼育されていたのでしたが、 2000年に北園にアフリカサバンナゾーンが出来たのを機にそこに移されました
今はこの旧キリン舎は取り壊されて、(上のゾウの所で述べました)“アジアの森ゾーン” に 生まれ変わりました。



  シ マ ウ マ  




 続きましては、キリンと共に “アフリカのサバンナの顔” とも言うべきシマウマです。
 一口に “シマウマ”と申しましても、いくつかの種類に分けられますが、 天王寺動物園では昔から2003年現在までずーーっとこの写真のように (まあ1番典型的なシマウマと言ってもいい)グラントシマウマ(学名 Equus burchelli bohmi )が飼育されています。
 関西の3大動物園(と私は思っている ^_^ )のあと2つ(神戸の王子と京都市動物園)ではいずれも 2003年現在、縞が細くて多くシマウマの中で1番体の大きいグレービーシマウマ(学名 Equus grevyi )が飼育されています。 名古屋の東山動物園は確か縞の間に薄い茶色の筋が入ったチャップマンシマウマだったカナ??(忘れましたが) ....まあ兎に角、皆さんも動物園に行かれたら漠然とシマウマを見られるのでなく、 そういう体の模様の違いや体の大きさの違いなどにも気を付けて見られたらより面白く見られると思いますヨ。

 この1973年当時のシマウマたちは名前は分かりませんが、ちょっと1番下の写真をご覧いただけますでしょうか ....なにか茶色い馬が1頭写ってますよね。 これは多分、オスのトカラウマとメスのシマウマの間に生まれたホーブラだと思います。
 ホーブラなんて随分変わった名前だと思われるかも知れませんが、これはオスのウマ(horse)とメスのシマウマ(zebra)の 間の子供だからホーブラ(horbra)という訳ですネ。
 混血獣の名前ってこういう風に、オスの英名の前半部とメスの英名の後半部を合わせて出来るんです。 1960年頃に阪神パークで生まれたレオポンもオスのヒョウ(leopard)とメスのライオン(lion)の 間に生まれたからレオポン(leopon)という訳ですし、上の「ライオン&トラ」の所で述べましたが、 オスのライオン(lion)とメスのトラ(tiger)の間に生まれるとライガー(liger)で、その逆だとタイゴン(tigon)という訳ですネ。

 このシマウマ放飼舎は上に述べましたライオン・トラ放飼舎と同じ1963年に、 ライオン放飼舎の(観覧路を隔てた)真向かいに出来ました。 いつも真正面にライオンが居て、シマウマたちはどんな気分だったんでしょうネ?
 長年の間、シマウマたちはこの場所でこの形で飼育され多くの繁殖もしてきましたが、 2000年に(上のキリンの所で述べました)アフリカサバンナゾーンが出来たのを機に、 キリンやエランド、ダチョウたちと共にそこに移されました。 2003年現在このシマウマ放飼舎跡は広場として入園者達に開放されています。
 さて、そのサバンナゾーンに移ったシマウマたちですが、なかなかのトラブルメーカーの様で、 自分達よりもずっと体の大きなキリンのメスたちを追っかけたりして、 我が物顔に振舞っているそうですって。



PART2 へ
カバ、サイ、ラクダ、そして恐竜(!?)....など