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ラブレター フロム ・・・・・・(リレー)

第9話 / 琥珀色の誘惑


投稿者名:おやぢ
投稿日時:09/10/ 4

 パピリオと遊び遊ばれ振り振られ……でなく、振り回され保護者が収容にきたのは、カップ麺と山○養蜂所の蜂蜜の豪勢な夕食が終った頃であった。
 いつものバイパーのパトカーでなく4枚ドアの国産車のパトカーで現れたのは、遊戯という名を借りた法の目を潜った賭博で身包み剥がされた哀れな覗き神がいたためである。

「では、私たちはこれで」

 アパートの下まで見送りにでた横島に、すでに眠っているパピリオを抱えた小竜姫は笑顔で答えた。
 ちなみに大負けした覗き神は、全ての目を白くしたまま燃え尽きていた。
 飛んでいく三人を見送ると、軽く挨拶をして美智恵がパトカーの助手席に乗り込んだ。運転手は西条であるが、いっさい会話は交わさなかった。
 パトカーが遠ざかっていく。小竜姫たちもすでに見えなくなった。
 自分の部屋に戻ると、今日のあのドタバタ騒ぎがウソのように静まり返っていた。あまりの静寂のために、安堵を通り越し寂しさがあった。
 そしてここまで落ち着くと、やはり気になるのは手紙……ではなく西条のことであった。

「あのエセ紳士が……」

 小竜姫とデートもどきをしたり、柄でないことをやってみたり、パピリオと遊んですっかり忘れていたが、小竜姫や美智恵と違った態度を取るのはいつもの事として、蔑んだ目を向けつつパピリオの身の安全を確認するとは許しがたいものがあった。
 シロの白が見えた時にはドキリとして、ロリやないんやーーーー!!と泣き叫ぶことはあっても、さすがにパピリオ相手には思うワケもない。それにもまして、愛した女の妹なのである。歳月を重ねれば分からないでもないが、今の段階では色々な意味でありえないことであった。
 西条としては昼間の事で釘を刺したつもりであったのだが、そうは絶対に取らないのが横島という人物である。
 
「とりあえず、礼だけは返しておかないとな……」

 雇い主と同じような思考になってしまっているのは、仕方のないことなのかもしれなかった。
 右手で二つの瑠璃色の珠を転がした。その珠には『模』の文字が浮かんでいた。













 美智恵を家まで送り届け日本支部に車を換えに戻った西条は、ドライブモードにしていた携帯電話を確認した。

「名前が出ていない……いたずらメールか?」

 件名は『メアド変更しました』、アドレスを見てみると、『rei_mikamika-427@○○○○○.co.jp』となっていた。

「令子ちゃんか?」

 覚えのある単語が重なっていたアドレスにそう思い、メールを開けた。

【アドレス変更しました、登録お願いします。 PS.今日飲みにいきませんか? ○時にア○タ前で待ってます】

 文面を見てニヤリと笑うと、携帯電話を閉じポケットに入れた。





 車でなく歩いて向かった。
 紳士を自認している西条らしく20分前にはすでにアル○前に到着した。この時間はまだ人も多く、同じように待ち合わせしている人で溢れている。
 
「すいません。お待たせして」

 待ち合わせ10分前に待ち人が現れた。

「いや、僕も今来たとこ……」

 振り向くと、合コンで知り合ったOLであった。

「え!?」

 女性はにこにこと嬉しそうに笑っていた。

「ちゃんと連絡くれたんですね。全然メールしてくれないから、遊びだと思ってました」

 もちろん遊びである。西条としては、来る者は拒まず去る者は都合によっては追わず、必要以上に深みに入らない、を信条としているために遊びではないと思っているのだが、一般から見れば十分な遊びであった。

「すいません。お待たせして」

 品があり色気のある女性が近づいてきた。左手の薬指には銀のリングが嵌っていた。

「あら、この方は?」

 人妻らしき女性が、OL風な女性を見ると眉を歪めた。お互いに静かな言葉で、牽制を始める。周りに人が大勢いるための配慮であるが、この人数だと微妙な空気を察する人がいてもおかしくはない。他人の不幸は密の味なのだ。
 この場を取り繕おうと考えてみるものの、いい案が浮かぶはずもない。所謂“修羅場”という場面になりつつあるこの現状。男としては最低な場面だ。しかもなぜこのような事になったのか、原因がまるで分からないのだ。

「僕は君たちとは約束した覚えはないのだが」

 と、非人道的な態度を取って嫌われても構わないと思えば惨事は回避できたといえよう。だが西条は似非といわれてはいるが『紳士』なのである。フェミニンな人といえるかもしれないが、八方美人ともいえる。

「主任……なにやっているんです?」

 受付嬢の外はねの方が、蔑んだ目を西条に向けた。超能力者でなくとも、一目で理解はできる。あたふたとしている男の目の前でドス黒いオーラを飛ばしながら牽制しあう女性二人、浮気現場を押さえられたというしかなかった。

「こ、これはだね」

 脳をフル回転させるが、全てに角を立てずに言い訳しようとは無理な話であった。自分を語ったと言い切れればよいのだが、その自分も女性のメールで呼び出されているのだ。他の女性の誘いに乗っているのだから、言い訳にすらならない。

「人誘っておいてトリプルブッキングですか……」

 外はねさんのこの言葉により、OLと既婚者の争いが止み、黒いオーラが西条の方に向けられた。








「ケッケッケッケッケッケ、自業自得じゃ、似非紳士が」

 道路を挟んだ向かい側で横島は、修羅場を見学しながらほくそえんだ。
 作戦はこうだ。西条の携帯電話を『模』の文珠でコピーしたのだ。そして西条自身を模し数人の女性と連絡を取り、無料サイト並のメールを本人に送り呼び出したのだ。メールには名前などは出していない。それっぽいアドレスにして送っただけなのだ。

「ふ〜ん、なるほどね」

 耳元で声がした。
 驚いて振り向くと、受付嬢の内はねの方が真後ろに立っていた。
 
(ヤバい! この人テレパシストだったよな)

 自分の悪行を曝され、今度は西条だけでなく知り合いから袋叩きにあわされてしまう。逃げようと身構えたが、女性はそのままにっこり笑うと横島の隣に並んだ。

「ねぇねぇ、その文珠ってどんなの?」
「え? 責めないんスか?」

 批難轟々どころか騙しに使った道具のことに興味を示していた。

「責める? 私が? なんで?」
「いやだって」

 視線を正面の修羅場へと向けた。女性同士の争いではなく、西条を口と手を使い攻めまくっている。おそらく明日は、痣をつけての出勤となるであろう。

「あぁ、あれ。別にいいんじゃない? 実際いつバレてもおかしくないんだし、傷が浅いうちに気づいた方がいいのよ」

 人目を憚らぬ暴行眺めると、鼻で笑った。

「私を誘うときは、必ず対霊・対ESP仕様の部屋でしか誘わないんだから。それだけで何考えているか分かるわよ」
「嫌いなんスか?」
「いっちばん嫌いなタイプ。どこがとはいえないけど、なんとなく?」

 分かるような気がした。尤も横島の場合は、前世の魂が否定しているといっても過言ではない。
 
「それはともかく、さっきの続き。ねぇ文珠ってなんなの?」
「あぁ文珠っすか。こんなのです」

 霊力を集めると、指先で文珠を作ってみせた。

「これがそうなのね……スゴいわね」

 手渡された文珠をいろいろな角度で眺めてみた。

「んな事ぁ〜ないですよ。ESPの方がスゴいっすよ」

 苦笑しながらそういうと、内はねの女性は目を丸くするとこちらをじっと見た。

「な、なんスか?」
「あなたって、ほんっっっっっっっとに裏表の無い人なのね」

 今度は横島が目を丸くした。

「あ、そーか。テレパシー」

 にっこりと笑うと頷いた。

「あそこにいるとね、いろんな人が来るのよ。官僚や警察のお偉いさん、GS協会の人とかもね。澄ました顔して丁寧な言葉を使うけど、頭の中ではロクなこと考えていないわ。謙遜してみせてるクセに、君たちとは違うんだってね」

 自分が一番信じられない横島としては、本当に本気で謙遜していた。。潜在能力としてはGS協会の中でも1、2を争っていても、それに見合う扱いを受けていないために自分がスゴいと思ったことはないのである。
 尤もお調子者であるために、誉めたくとも誉められないという悲しき現状も事実であった。

「奈津子は……受付に一緒にいた子ね、あの子は君のことをあまりよく思わなかったみたいだけど、私はそうじゃないからね。あの子はクレヤボヤンスだから、“見える”ことが重要だと思ってしまうのよ。悪く思わないでね」
「奈津子っていうんだ、あの人」

 奈津子と呼ばれた外はねさんは、丁度西条にビンタをかましていた。

「まさか……そのことをいうためにわざわざ……横島感激ーーーーっ!!!」

 飛び掛ろうとするために足の溜めを作った瞬間に、額をぽんと押されて後ろの転げた。

「ほんと、嘘の無い人ね」

 襲い掛かることを拒否はしても、完全に嫌がってはいなかった。

「物事には何事も順番ってものがあるでしょ?」

 にっこりと笑うと、携帯電話を手にした。

「赤外線使える?」
「あ、はい」

 横島も携帯電話を取り出すと、メアドと電話番号を交換した。

「ほほぉ〜……やるわねアンタ。美人受付嬢のナンパに成功したワケ?」

 聞き覚えのある声にどきりとすると、ゆっくりと振り向いた。
 黒い髪に褐色の肌、そしてナイスバディの同業者、小笠原エミであった。

「こんばんわ、小笠原さん」
「確か野分さんだったわね。あんたも物好きね、こんなのに引っ掛って」

 横島を一瞥すると、野分に目を向けた。

「そうですね。出し抜くのは得意ですから」

 にっこりと笑ってみせると、エミは頬を引きつらせた。

(しまった、この子テレパシストだったワケ……オタク、余計なこと言うんじゃないわよ)

 睨みを効かせると、野分は軽く頷いてみせた。

「まぁいいわ……で、アレはなにやってるの?」

 罵声を浴びせかけていたのが、乱闘へと変わったようである。黒山の人だかりができていた。

「主任がトリプルブッキングやったみたいですよ」
「ふ〜ん」

 西条がそういうミスをするワケはない。そしてその現場にこの二人……エミはこれを仕掛けたのが横島であると判断した。

「まぁいいクスリなワケ。たまにはいいんじゃない?」

 鼻で笑いながら横島の方を向いた。

「ところでアンタ。ナンパに成功したところ悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれない?」

 横島は思わず顔を引きつらせた。
 せっかくお知り合いになってこれから親密になれるかもしれないのに。それにも増して、手紙の君を探さなくてはいけないのだ。ピートの追っかけであるエミは最初からアウト・オブ・眼中である。

「いや、俺はその……」

 口篭るとエミから数歩下がった。肩をぽんと押された。野分であった。

「私はこれから奈津子の愚痴聞かなくちゃいけないだろから、今度ゆっくり話しましょ。これ借りるわね」
「あぁ〜〜〜オネーさまぁ〜〜〜〜〜」
 
 手を伸ばす横島を尻目に、野分は乱闘現場へと向かった。現場に文珠を放ると、バケツをひっくり返したような水が振ってきた。

「ムチャクチャやるなぁ〜……」
「さすがスカウトされるだけはあるワケ」

 エミの言葉に思わず首を傾げた。

「人前で乱闘やるほど皆血が上ってるワケ。頭冷すには丁度いいし、なにより携帯がパーになるワケ」

 言われてみれば確かにそうである。証拠は全員の携帯電話に残っていたのだ。データが飛んでしまえば、横島の仕業をバレることはない。電話会社に頼めばどうにかなるかもしれないが、痴話喧嘩でそこまでやることは考えられない。
 ずぶ濡れの奈津子の腕を引っ張りこちらを振り向き、野分は軽く手を振ると雑踏の中に消えていった。










 ボロボロの濡れ雑巾の西条を○ルタ前に放置したまま、エミは横島をホテルのバーに誘った。
 ホテルの前で一発、エレベーターの中で一発、そしてバーの入口で一発。拳による突っ込みが入っていた。もちろんホテルということで暴走した横島を静めるためである。

「オタクさ、ホテルと聞くとそういう発想するの止めるワケ」
「いや、そうはいいましても健康な男子としましては」

 夜景の見えるカウンターに並んで座ると、横島は落ち着かない様子で辺りを見渡した。

「みっともないから落ち着くワケ」

 軽く頭をこずかれた。

「人に話を聞かれたくないから、ここにしたのよ。他意があるワケじゃないわ」
「鯛?」
「他・意! 他の意見ってこと、国語くらい勉強しとくワケ」

 バーテンダーが透明な液体の入ったカクテルグラスをエミの前に差し出した。横島の前にはロンググラスが差し出された。中にはカットされたライムが入っていた。

「オタク、令子に鍛えられていける口でしょ?」
「飲めんとはいいませんが……」

 いちおう未成年だといいたいところであったが、場の雰囲気を崩すほど野暮ではなかった。

「あ、これ美味い」

 さっぱりとした飲み口のジントニックに、思わず唇を舐めた。

「バカ飲みするだけが酒飲みじゃないワケ」

 誰のことを指しているのかは、すぐに理解できたがあえて触れないことにした。

「ところでオタク、さっきの受付の子なんだけど……あれは止めといた方がいいわけ」

 口元まで運んでいたグラスが止まった。

「なんでですか? 珍しく、ほんっっっっっっっっっとに珍しく気にいってもらえたのに」

 グラスを握り潰すほどに力が入っていた。

「あれはダメよ、オタクの手には負えないわ。あそこの受付ならもう一人の方がオタクには似合うワケ」
「いや、そっちはすでに嫌われているみたいだし」
「なら諦めることね。というよりさ、西条さんの目と鼻の先でそういう事やらない方がいいんじゃない? 敵に塩を送るようなものよ」
「は? 言ってる意味が分かりませんが?」

 首を傾げると、エミは失笑してグラスに口をつけた。

「分からないなら分からないでいいワケ」
「意味わかんねぇし」

 口を尖らせながらグラスに口をつけた。

「だからガキだって言われるのよ。少しは成長した姿を見せようとは思わないワケ?」
「成長ねぇ……なんか得することあります?」
「そう考えている時点でガキなのよ」
「どーせ拗ねてボロアパートで膝抱えてエロ本読んでるガキですよ」
「あ〜……簡単に想像できるわね」
「これもう一杯ください! with スピリタスで!!」

 棒泣しながらグラスを差し出した。
 スピリタス……それはアルコール96度を誇る世界最強の酒である。

「バカな飲み方しないの。こっちにはテイラー、××年で」

 横島のグラスを制すと、エミはバーテンダーに向かった。

「それを with スピリタスで!!」
「しつこい!!」

 今日4度目の拳の突っ込みが入った。

「それで私は……アルマセニスタ・アモンティリャードありますか?」
「フイノ・デ・ヘレスがございますが、よろしいでしょうか?」

 エミがにっこりと微笑むと、バーテンダーはその微笑みに応えるかのように、ほんの僅かに口元を緩めた。
 ワイングラスに赤いルビー色の液体が注がれ、横島の前に差し出された。グラスを揺する事も、香りを楽しむ事もせずに即座にグラスに口をつけた。

「うわっ甘っ!」

 横島の手にしたグラスよりも深い琥珀色の液体が入ったノージンググラスを口に運びながら、エミは笑いを堪えていた。バーテンダーは無言のまま背中を向けていた。

「どうかしました?」
「いや、べ〜つに」

 そういいつつも、目元が思いっきり緩んでいた。 

「ところでさ、手紙のことなんだけど」

 赤い液体が鼻から噴出した。ちなみに鼻血ではない。アルコールが鼻から抜けるのは初めての感覚である。とてつもなく痛かった。
 痛む鼻を押さえつつも、頭の中はあの手紙がぐるぐると回り出した。ピートという本命がいるためにそれだけは絶対にないと思っていたのだ。
 だがここでいつものノリをしてしまうとどうなるか? そういえば先ほどからずっと「ガキ」という言葉を連呼していた。

(そうか! 予備知識を与えてくれていたのか。ここは冷静にいくべきという事か)

 鼻血のように垂れてきたワインをおしぼりで拭うと、気づかれないように息をついた。

「手紙って、例のピンク色のやつですか」

 横島にとっては変化球を投げてみたつもりであるが、どう聞いても直球ど真ん中である

「そうそう、あの赤ともピンクともつかない色のやつ……」

 この電子メール時代に滅多にない手紙。しかも色が一致。
 間違い無い。あの手紙はエミからである。
 両手を大きく広げると、飛びつく姿勢をとった。
 予定では先だが、今のシチュだとすでにOK! 誰も邪魔するものはいない!!

「こんな手紙1つで呼び出すなんて、協会も何様のつもりなんだか・・・・・・」

 抱きつこうとした刹那、エミの手に握られた手紙を見た横島は一瞬で己の勘違いに気づいた。己に送られてきた手紙とは、似てもにつかない事務用便せんがエミの手には握られていた。
 強引な制動に行き場をなくした両腕は、自分を抱きしめるとそのままイスから落下した。

「なにやってんのよ? もう酔ったの?」
「へ? な、何なんですその手紙は・・・・・」

 仰向けに転がった横島は、震える指先で薄桃色の便せんを指さした。
 彼の鼻からはワインでなく普通に鼻血が流れていた。もろに顔面から落ちたようである。

「協会からの招集状よ! 赤紙で寄こすなんて召集令状じゃないのよ、まったく協会も何考えているんだか」
「ま、紛らわしい手紙だすんじゃねぇぇぇぇっ!!」

 心身共に受けたド派手な肩すかしに、鼻血と共に血涙が溢れ出た。
 どうやら事務所宛にGS協会から召集状がきていたようである。もちろんそういう事務的なことは令子が受け持っており、半強制とはいえ安いギャラに応じるとは到底思えなかった。
 エミと横島のGS協会に対する愚痴はしばらく続き、その間に横島はワインを1本空けてしまった。

「あんた空けちゃったの? よく飲むわね」
「美神さんほどじゃないっす」

 返事がなかった。
 エミの方を見ると、頬杖をついて目の前に広がる夜景に目を向けていた。

「ガキ……」
「へ?」

 視線だけを横島に向けると、呟きが意図するものに気づかずぽかんと口を開け首を傾げていた。
 呆れと諦めが入り交じった溜息を吐き出し、エミは名前が出た女について口にした。

「まあ、いいわ……あれは単なるバカよ」

 何度か一緒に飲んだときのことを思い出した。水を飲むかのようにウィスキーやブランデーのボトルを空けてしまうのだ。横島がワインのボトルを空けるくらいは、可愛いといっても過言ではなかった。

「じっくり味わって飲みなさいよ、もったいない」
「もったいないって、金持ってるくせに」
「お金の問題じゃないワケ。お酒っていうのは、こうやって市場にでるまでには何年もかかるのよ。あんたが飲んだワインだって十年は寝ていたんだからね。雑に扱うと作った人に申し訳ないワケ」

 横島は関心したかのようにエミの顔を眺めた。

「な、なによ」
「いや、エミさんがそんなこというなんて意外だなぁ〜と」
「惚れた?」
「それはもうずっと前から」
「はい、ウソね」

 間髪入れず答えると顔を背けた。あまりの即答に横島は思わず額をカウンターの上に打ち付けた。
 そのあまりのお約束な行動に、エミは悪戯っぽく笑った。

「ハネムーンを。カルバドスをミードに変えて」

 バーテンダーは頷くと、シェイカーの中に氷を入れた。

「ハネムーンね……嫌味な名前だなぁ〜、俺には無縁な名前だ」
「でしょうね。だからせめてカクテルくらいは飲ませてあげようという……なんて優しいワケ、アタシって」

 悦に入っているエミを尻目に、置かれたグラスに口をつけた。




 2時間ほど飲み続けると、さすがに酔いが回ってきたようで横島は頭がフラついていた。

「さすがに……眠っ……」

 目が閉じかけ船を漕ぎ出していた。

「大丈夫なワケ?」
「大丈夫なよーなそうでないよーな」
「寝ていく?」
「今寝ていいのだったら……寝る」

 普段だったら飛びつきそうな科白であるが、酔いと眠さが煩悩より勝ったようである。

「んじゃ、これにサインして」

 宿泊カードの数倍ある紙とペンが出された。

「ここに名前ね」

 いわれるままに自分の名前を書いていく。



 横島



 忠の字の中を書いているときに、急に目が開かれた。

「なんすかこれは!!!! 事務所の移籍願じゃないですか!!!」
「ちっ!気づかれたか」
「エ○ア88の神崎っすか、あんたは!!!!!!」

 酔いと眠気が一気に覚めてしまったようである。

「悪質過ぎるぞ、あんた!!!」
「気にしない気にしない。令子だって似たようなことやっているじゃないの」

 言葉に詰まった。
 令子はさすがにこういう手は使わない。使わないのだが、“似たような”と言われると否定できない。いやむしろもっと悪辣な手を平気な顔で使うことさえある。だから声を大にしてはいえないのだ。

「ほら、否定しないし。それにオタク、令子のところは元を取るためにいるようなもんでしょ?」

 これまた否定できない。
 確かにそれだけではない。それだけではないのだが、それが五割から六割五分、いや時と場合によっては九割七分九厘四毛くらいは示すので否定できないのである。

「少しくらいは元取れたワケ?」
「いや全然」

 刹那の時間も掛けずに即答した。
 脳ではなく、脊髄反射で答えたようなものである。

「だったら別にいいワケ」

 理攻めできている。ほとんど屁理屈に近いものではあるのだが、否定できないという悲しい現実が横島を苦しめた。そして桃色の脳細胞がある答えに辿り着いた。

「とりあえず……その『乳』揉ませてくれるならば考えないこともない」

 グラスを磨いていたバーテンダーが噴出した。ホテルのバーテンダーとしては非常に珍しく、かなり狼狽したようだった。
 千に一つ、いや万に一つ、いやいや億に一つもない可能性であった。

「揉ませるかー!!」でこの話は終わり。それほどまでにエミに関しては、自信があった……彼女にはまったくモテていないことに。

「揉みたきゃ揉めば? アタシは令子みたいにセコくないワケ」
「はい。顔面痛打で『させるかー!』で……で??」
「だから、触りたければ触ればいいって言ってるワケ」

 頭の線が切れそうになった。これは想定していない。

「んじゃ遠慮なく!!!!!」

 両手をわきわきと動かすと、エミに向かって飛び掛った。

「その代わり、移籍は絶対してもらうからね」

 器用に空中で止まると、そのまま重力に負けて落下した。

「考えないこともないって言ったじゃないスか。考えるだけで乳揉みの条件をだしたんスよ。あんたセコ過ぎやーー!!」
「セコくないわよ、安売りしないワケ。手ぇつけてタダで済まそうなんて甘いわよ」
「まるで通販の『いざとなったら適当な理由つけて返品不可』じゃないっすか! PL法で訴えますよ!」
「セクハラどころか強制猥褻で訴えられないだけ、マシと思うワケ!!!」

 もっともである。

「ううううううううう……結局、俺の体だけが目当てなんだ」
「あ〜、表現微妙に違うけど、そうともいうわね」
「バーテンさん!!!! 涙忘れるカクテルを!!! with スピリタスで!!」

 バーテンダーの視線が横島でなく、エミの方に向けられた。エミは苦笑して軽く頭を下げていた。奥で別の客を相手にしていた若手のバーテンダーを呼ぶと、「表、クローズにしてきてくれ」と囁いた。
 今夜はこれ以上の営業は不可能だと判断したようである。















 ボケと突っ込みによる狂乱の宴は、閉店時間に辿り着く前にバーの酒をすべて空にすることで終わりを告げた。
 ベテランバーテンダーの判断は正しかったようである。
 嵐が去ったかのように静けさを取り戻した店内で、バーテンダーは心底疲れたような表情をみせていた。

「あれだけ無駄に飲んで騒いだのは、長髪の男性を潰した亜麻色の髪をした女性と彼だけだ……







……頼むから二度と来るな」

 そう呟きながら箒を動かす彼の足下には、夥しい数の書きかけの移籍願が散乱していたという。


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