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雇われ式神使い

第六鬼 式神使いの誘拐事件


投稿者名:双琴
投稿日時:07/ 7/ 3




 廃業したホテルが何年も取り壊されずに放置される事は珍しくない。建物が大きくなるほど、取り壊すだけで膨大な費用がかさむからだ。
 そして、その誰もいなくなった巨大な建物は幽霊の寝床になりやすく、建物を取り壊す時の障害になる事がある。そうやって居心地のいい場所に住み着いた幽霊は、なかなか出て行こうとしないからだ。中には悪霊となって暴れ出す者もいる。
 そこでGSの出番となる。
 これでもいっぱしのGSの冥子は、依頼を受けて不気味な幽霊ホテルの廊下を歩いていた。
 すぐ隣には、全身を真っ黒な体毛に覆われた式神が大口を開けて悪霊を吸い込んでいる。この大きな体の式神はバサラだ。

「まだ食べられそう?」
「ンモー」

 バサラの胃袋にも限界がある。次々と悪霊が湧いて出てくるので、バサラの様子に注意を払いながら強い霊気を感じる方へと急ぐ。

 宴会場に入った冥子は精神を研ぎ澄まして周囲を警戒する。霊能力だけは超一流の冥子は霊気を敏感に察知できた。

 強い霊気はすぐそばから感じられる。
 静寂を破って、悪霊が真上から襲い掛かる。
 幽霊なので天井を音も無くすり抜けてくる。
 巨大な髑髏だけの姿の悪霊が牙を剥く。

「死ねええッ!! ここはオレの縄張りだあッ!!」
「――エッ!?」

 やはり霊能力だけでは太刀打ちできない。易々と間合いに入り込まれ、ピンチになっても上を見て棒立ちしているだけだ。

「危ない!」

 いつもの暴走が始まるかと思われた時、冥子は軽い浮遊感と共に危機を回避した。
 悪霊は冥子が立っていた床の畳を食い破り、そのまま身を隠す。

「大丈夫かい?」

 一瞬の事で呆然としていた冥子だが、声を掛けられて我に返る。
 その声は知らない男のもので、その男に抱きかかえられていた。

「あの〜、降ろしてくれませんか〜?」
「これは失礼」

 自分の足で立った冥子は改めて男を見る。
 第一印象は、ひょろ長い体格で顔のきれいな男性だ。細い眉、色白の肌、落ち着いた目つき。同じ美形でも、鬼道とは違い女性的な感じだ。
 どうしてこんな場所にいるのかと冥子は疑いもしなかった。
 礼を言う間もなく、男は懐からインクの瓶を取り出し、畳みに魔法陣のようなものを指でスラスラと書き始める。
 そして、あっという間に慣れた手つきで書き終える。

「この結界の中にいれば安全だ。早く入って」
「う、うん」

 冥子は言われるままに男が張った結界に入る。その直後、再び悪霊が床をすり抜けて襲ってくる。

「ガァッ!? 何だ!?」

 突進してきた悪霊が二人の目前で壁にぶつかったように止まる。最初は怖がっていた冥子も、その効果の大きさに目を輝かせる。

「すごい、すご〜い。あなたもGSなの〜?」
「残念だけど違うんだ。だから、僕ができるのはここまで。後は任せたよ」
「は〜い。アンチラちゃん、お願いね〜」

 しきりに感心する冥子に仕事を思い出させる。元気よく返事をした冥子はアンチラを召喚する。
 出てきたのはキツネにウサギより長い耳を付けたような式神だ。
 結界の外に出たアンチラは高速で跳びはね、動きを止めた悪霊を滅多切りにする。親玉が退治され、残った悪霊共は霧散して逃げていった

 仕事を終えて式神を戻した冥子は言いそびれていたお礼を言う。

「助かったわ〜。どうもありがとう〜」
「どういたしまして」
「私はGSの六道冥子よ〜。よかったら、名前を聞かせてくれないかしら〜」
「僕は貝塚春雄」
「ハルオさんね〜。さっきの結界は見事だったわ〜。どこかでGSの見習いでもやってるの〜?」
「GSとは関係してないよ」
「じゃあ、何をしている人なの〜?」
「それは秘密。まぁ、ろくでもない職業さ」

 適当な話をしながら、二人はホテルの出口に向かって歩いた。

 ホテルを出た所にはこの仕事の依頼人が待っていた。冥子を見つけて何故か慌てて駆け寄ってくる。

「まさか、もう終わったんですか?」

 変な聞き方をされ、冥子は釈然としないながらも答える。

「ええ、ホテルの除霊は終わったわ〜」
「そんな!」

 依頼を果たしたというのに、依頼人は不満げな顔を見せる。そして、ブチブチと愚痴を漏らす。

「どうしていつも通りにやってくれないんだ。このホテルなら壊してもらってもよかったんですよ。話が違うじゃないか……」

 依頼人は冥子が暴走してくれるのを期待していたのだ。そうすれば、ホテルが瓦礫の山に変わり、解体費用が削減できる。
 鬼道が除霊に関わる前は暴走するのが当たり前だったので、冥子の知名度がよくない方向で高かった。大方、依頼人は噂で聞いたのだろう。
 うまく仕事をこなせたと思っていたのに、感謝されるどころか文句を言われ、冥子は何も言えずに俯く。

「それじゃ、ご苦労様でした。依頼料はしっかり振り込んでおきますね。では、また」

 依頼人は一方的に話を終わらせて立ち去る。その言動は刺々しく、不快感を隠そうともしなかった。
 俯く冥子の足下に涙が落ちる。相手が理不尽なのは分かっている。でも、悲しくなるのは止められない。こんな事を言われる原因が弱い自分にあるのだから、尚更悲しくなる。
 後ろで見ていた春雄が冥子の前に申し訳なさそうに歩み出た。

「もしかして、僕は余計な事をしちゃったのかな」

 それを聞いた冥子は慌てて涙を手で拭い、小さく何度も首を横に振る。

「ハルオさんのおかげで仕事は完璧だったわ〜。ごめんなさい。私が泣くのはおかしいよね?」

 気にしていないのを見せようと、冥子は無理に笑顔を作ろうとする。

「ここで会ったのも何かの縁だと思うんだ。君を食事に誘ってもいいかい?」
「そうね〜。お礼もしたいし、いいわよ〜」

 助けてもらった手前、無碍に誘いを断れない。冥子は誘いに乗り、春雄についていった。






 親に見捨てられた鬼道は一人暮らしをしている。名門の六道女学院で教師をしているので、収入は人並み以上ある。だから、それなりのマンションで不自由無く暮らしている。

 今日も学校の仕事を終えた鬼道は、寄り道もせずに自宅へ帰る。
 日も落ちてすっかり暗くなった街中を車で通り抜け、地下の駐車場に車を停める。
 エレベーターに乗り、四階のボタンを押す。エレベーターを降り、自室のオートロックを開錠する。

「あれ? 灯りを消し忘れとったか?」

 ドアを開けた鬼道は奥が明るい事に気が付いた。玄関に身に覚えのない女物の靴が並べてあり、鬼道は余計に混乱する。
 空き巣かもしれないので、万が一に備えて忍び足で中に上がる。物音のするキッチンを静かに覗いた鬼道は目を見開いた。

「貴子はん! 何してはるの!?」

 キッチンでは赤いエプロンを着た貴子が歌いながらおたまで鍋を掻き混ぜていた。
 コンロに掛けられた鍋からは湯気が立ち、いい匂いがお腹を刺激する。
 鬼道の帰りを知り、おたまを置いた貴子が笑顔で迎える。

「鬼道様、おかえりなさいませ」
「あぁ……ただいま」

 貴子が優雅な仕草でお辞儀をするので、つられて挨拶をした鬼道は慌てて首をふる。

「――って、ちゃうわ! どないして入りはったん? オートロックやから鍵はしっかり掛かっとったはずや」
「それでしたら、管理人さんに鬼道様の婚約者だと言いましたら、すぐに通してくださいましたわ」
「えらいでまかせは勘弁してや……」

 想像の上を行く返答に鬼道は眩暈を覚えた。やっと冥子の気持ちが鬼道に向いてきたのに、変な噂で台無しにされてはたまらない。
 週末は冥子とデートをするのが当たり前になっていた。それでも、いまだにキスもできてなかったが……。
 鬼道の心中を知ってか知らずか、貴子は嬉しそうに反論する。

「でまかせと言うほどでもございませんわよ。鬼道様となら、結婚を前提にお付き合いしてもよろしいと思っていますのよ」

 相変わらずな貴子の直球な言葉は、本心からなのか判断に苦しむ。
 火に油を注いだ形になってしまい、鬼道は何を言っても無駄だと悟った。彼は呆れた目でテーブルの料理を見回す。

「それはえーけど、この料理はなんや?」
「鬼道様が一人暮らしをなさっているとお聞きしましたので、この前のお礼をしようと食事を用意しに参りました」

 お礼と聞いた鬼道はそんなに邪険にできない。貴子と会うのはあの神社で黒鬼から逃がして以来だった。

「それはおおきに。もう食べられるの?」
「はい、あとは盛り付けだけですわ。すぐお召し上がりになります?」
「そうさせてもらうわ」

 ちょうど仕事帰りで腹ぺこだった鬼道は早速、貴子の作った料理をいただくことにした。食器を並べ始めたのを見て、楽な服装に着替えようとキッチンを後にした。



「こちらの席へどうぞ」

 貴子はレストランの接客のように椅子を引いて鬼道を席に座らせる。
 ワインのボトルを開け、テーブルのワイングラスにそっと注ぎ込む。
 赤い水が甘い香りを発する中、鬼道はある事に気付く。
 ワイングラス、ナイフ、スプーン、フォーク、皿、これらは全て貴子が持ち込んだ物で、鬼道の席にしか用意されてない。
 テーブルには一組の食器しか置いてなかった。貴子はエプロンを着たまま席に着いてない。

「貴子はんの分は?」
「今日はお礼ですから、私は給仕をさせていただきます」

 お金持ちでもない鬼道は人に世話をさせる事に慣れていない。それに、いくらお礼でも、料理を作ってもらった上に自分だけ食べるのは気が引けた。
 テーブルに手を着いて席を立ち、食器棚に向かう。

「鬼道様?」
「一緒に食べようや。ろくな食器もあらへんけど我慢してな」
「我慢なんてそんな…」

 鬼道がさっさと食器を用意するので、貴子も一緒に食事を取る事にする。

「では、鬼道様がそうおっしゃるのなら」

 貴子はもう一人分の盛り付けをし、エプロンを脱ぐ。向かいの席に着いた貴子の前にビールを飲むようなコップが置かれる。ワイングラスなんてしゃれた物は鬼道の部屋に無かった。

「ワインの味は変わらへんやろ」

 鬼道は知らないが、この持ち込まれたワインはかなりの年代物だった。それを礼儀作法もなくコップになみなみと注ぐ姿がおかしくて貴子は微笑む。

「そうですわね」

 そう言って口に運んだワインは、今までに無く新鮮な味わいだった。

「これもおいしいな」
「お気に召したようでなによりですわ」

 ご馳走をするためにわざわざ出向いてきたのだから当然かもしれないが、貴子の料理の腕前はなかなかのものだった。
 舌の肥えていない鬼道はどれも「おいしい」としか表現できない。それでも、鬼道が黙々と食べるのを見ているだけで貴子は満足だった。
 和やかな雰囲気で食事が進む中、貴子が頃合を見て話を切り出す。

「あの…失礼ですが、鬼道様はどうして教師を? それだけのお力があれば、GSとして独立なさっても十分に通用すると思いますが……」

 GSは実力主義の厳しい世界だが、やっていける力さえあれば一財産稼げる業種だ。
 鬼道は式神を使うので、除霊の際の経費も少なくてすむ。能力から見ても教師よりGSの方が向いている。貴子が疑問に思うのも当然だった。
 鬼道は本当の理由を話す訳にもいかないので適当にごまかす。

「買い被りすぎや。ボクにそんな技量はあらへんよ」
「そんなことはありません。鬼道様なら必ず成功しますわ」

 へりくだる鬼道を見て貴子が意気込んで否定する。そして、ここぞとばかりにフォークを置いて誘いを掛ける。

「自信がお有りにならないのなら、私の除霊事務所へ来ませんこと? そこでGSとしての先の目処が立ったら、いつ独立をなさってもかまいませんわ。その際の資金も全額こちらが負担することを約束します」

 提示された破格の待遇に鬼道は唖然となる。そして、都合がよすぎる条件に、裏が無いのかと勘繰ってしまう。
 貴子は期待を篭めた目で返事を促す。

「いかがです?」
「これ以上無いくらいの申し出やけど、そこまでされる覚えがあらへん。気持ちだけありがたく受け取っとくわ」

 断られた貴子は諦められずにもう一度尋ねる。

「そちらに覚えが無くても、こちらにはありますわ。私の鬼道様への好意が理由ではいけませんの?」

 貴子は真っ直ぐに相手の目を見据える。実直な言葉が鬼道を惑わせ、この好意は本物なのでは、と思わせる。

「あかんことはないけど……」
「ではッ」

 言い淀んだ所で間髪入れずに貴子が身を乗り出す。鬼道はその期待の眼差しをどうにか跳ね除けて正面から見る。

「まだボクと貴子はんは会うたばかりや。そういうのはもっと親しい仲になってからやと思うんや」

 再び断られ、貴子は視線を落とし、乗り出した身を引く。

「無茶なお願いをしてごめんなさいね」
「ボクこそ、せっかくの親切をふいにして悪いな」
「でも、今の話は覚えておいてください。だって、これから親しくなればいいのですから」

 しかし、貴子の立ち直りは早かった。早くも挑戦的な視線を向ける。その前向きな態度に感心し、鬼道は笑顔を作る。

「そうやな」
「はい」

 貴子も笑顔で返事をしてフォークを手に取る。再び、穏やかな空気が流れ、二人の食は進んだ。



 夕食を食べ終わった後、貴子は後片付けをしておとなしく帰っていった。静かになった部屋で、鬼道は独り言を呟く。

「女の人の手料理なんて久しぶりやったわ。にしても、帰ってきた時はびっくりしたで……」

 貴子の訪問で久々に家庭を感じた鬼道は、慣れているはずの一人ぼっちが心細く感じる。
 鬼道の両親は早くに離婚し、更に親子関係も絶縁状態なので、実は結構な孤独の身だ。
 急な寂しさに襲われた時、鬼道の影から式神が飛び出す。

「呼んだか?」

 目の前に黒鬼が腕組みをして現れる。鬼道は勝手に出てきた式神を叱り付ける。

「呼んでぇへんわ!」
「そうか? 呼ばれたような気がしたのだが……」
「ええから、はよ戻りぃ!!」

 怒鳴られた黒鬼は首を捻りながら影に消える。
 鬼道の声は怒っていても、顔はそんなに怒っていない。おかげで少しは気が紛れたのだった。



 鬼道は風呂に入って一日の疲れを流し、寝る前のくつろぎの時間を本を読んで過ごしていた。
 時計を見て本を閉じた時、携帯電話の着信音がうるさく鳴り始めた。
 睡眠への準備を終えようとしていた鬼道は、嫌々ながらに電話を手に取る。ディスプレイに表示された相手は紀黄泉だった。

「……もしもし」
「あ、政樹ちゃん? そっちにうちの冥子がお邪魔してないかしら〜……」

 耳に持ってきたスピーカーから、いきなり理解に苦しむ質問が飛ぶ。名家のお嬢さまの冥子が、こんな時間に男の所に来ているなんてありえない。
 冥子との関係に神経質になっていた鬼道はそんな事を真っ先に考えたが、すぐにその質問の意味を理解する。

「連絡が取れへんの?」

 聞き返されたとたん、紀黄泉は黙ってしまった。冥子に何かあったと感じた鬼道の表情が厳しくなる。

「そうなんやね? ボクも今から冥子はんを探してみるわ」
「い、いいのよ。そんな大げさな事じゃないから心配しなくて……」

 鬼道が探しに向かうのを引き止めるように、紀黄泉が慌てて口を開く。その様子から嘘を言っているのが丸分かりだ。

「とにかく、ボクは冥子はんを探すから、そっちで見つかったら連絡頼むわ」
「待って、切らないで〜……!!」

 一方的に話して終わろうとした時、紀黄泉が大きな声で呼びかけた。鬼道は降ろしかけた携帯電話を耳に当て直す。

「なんどす?」

 少し間を置いた後、紀黄泉が急に真面目な声に変わる。

「……ここでは話せないの。今からうちの屋敷に来てちょうだい」

 何か重大な事態になっているのが確実になり、鬼道はゆっくりと携帯電話を机に置く。そして、急いで服を着替えて外出の準備をする。車の鍵を乱暴に掴み取り、玄関に向かった。






 六道家の屋敷に到着した鬼道は門番の防犯カメラに門を開けてもらう。広い庭を車で通り抜け、屋敷の玄関前に辿り着く。
 そして、使用人に案内されながら、ここが日本とは思えないほど広い洋式の屋敷内を歩く。
 ここに来るたびに鬼道は住む世界の違いを思い知る。と同時に、その地位と権力を渇望している自分を垣間見る。
 鬼道は父から毎日のように鬼道家の再建と六道家への復讐を言われて育った。幼い頃から刷り込まれた精神は簡単に消えない。
 案内された部屋は応接室ではなくリビングだった。使い込まれた家具や写真立てが生活臭を漂わせている。
 そこで待っていたのは冥子の両親だった。紀黄泉の隣に、こちらも和服の父親が見える。鬼道とは初対面だった。
 どじょう髭のその面は、威厳があるように見えて間抜けのようでもある。
 とりあえずは冥子の父親なので、粗相の無いようにお辞儀をする。

「鬼道政樹どす。理事長はんと冥子はんにはいつもお世話に――」
「挨拶はいらん。お前の事はよく知っているぞ。あの鬼道のせがれだからな。私は六道健太郎。よく覚えておけ」

 挨拶に口を挟まれ、鬼道は言葉に詰まる。険悪な空気が流れかけた時、紀黄泉が苦笑しながら間に入る。

「ごめんなさいね〜。この人ったら、政樹ちゃんに冥子を取られて拗ねてるのよ〜。近頃、冥子が政樹ちゃんのことばかり話すから〜」
「母さん、余計な事は言わなくていい」

 図星だったのだろう。健太郎は顔を赤くして恥ずかしがる。
 苦労を知らない冥子を見ていれば分かるが、健太郎は娘を溺愛している。鬼道を敵視するのも無理はない。
 みっともない姿を見せた健太郎はすぐに咳払いをし、真面目な顔に戻す。

「正樹君、驚かないで聞いて欲しい」

 突然、深刻そうに前置きをしたが、この流れだとそんなに大層な事は言わないだろうと鬼道は決め付ける。そして、健太郎がおもむろに口を開く。

「娘が誘拐された」

 しかし、鬼道の考えは間違いだった。誘拐事件だなんてとんでもない事態に陥っていたのだ。
 驚いて唖然としていた鬼道だが、激情に突き動かされてまくし立てる。

「いつ誘拐されたんや!? どこで? 誰が? 要求は? 無事なんか?」
「落ち着きたまえ!」

 興奮して掴み掛かる鬼道を一喝する。

「……すんまへん」

 我を取り戻した鬼道は手を離して離れ、非礼を詫びる。そして、らしくない行動を胸の内で自嘲する。まさか冥子の事でこうも感情的になるとは思ってもなかった。
 開いた襟を直して健太郎が詳しく話す。

「誘拐犯から電話があってな。冥子は無事らしい。悪質ないたずらの可能性も考えて、娘の知り合いに電話で確認していたところだ。心配してくれる友人はいたが、娘を捜そうとしたのは君だけだったよ……」

 紀黄泉と健太郎は冥子の知人を洗い出す事で、その交流の希薄さを改めて実感していた。
 社交上の知り合いの数は一般人のそれとは比較にもならない。だが、友達と言えるほどのものは片手で足りる数しかなかった。これもこの家に生まれたせいだと思うと、親の二人は冥子が不憫に思えて仕方がなかった。

「犯人の要求は一週間以内に指定した口座に金を振り込む事。その額は日本円で五百億。無理ばかり言いよる」
「要求は呑まれへんの?」
「無論、娘の命には代えられん。だが、額が大きすぎるのだ」

 身代金を支払えないような言い方に鬼道が噛み付く。

「その額やったら、ここのグループの総資産から見れば少ないはずや!」
「そんな単純なものではないんだよ。その資産のほとんどが何かしらの経営に当てられている。どこにあるお金もただ寝かせてあるだけじゃない。短期間で五百億ものフリーマネーを捻出するのは至難の業なんだ。犯人は本当に金が目当てなのかと疑いたくなるよ」

 五百億円もの大金を一週間で用意するのは難しそうだった。
 少し考えれば分かるが、そんな大金を遊ばせておく人は稀だ。普通は何かに投資したり、事業を始めたりする。そうなると、もうそのお金は無闇に使えない。
 その事は鬼道も承知していたはずなのだが、言わずにはいられなかった。
 嫌でも納得するしかない鬼道は歯噛みしながら別の質問をする。

「警察は知ってはるの?」
「まだだ。用意できるかは別として、こちらに金を払う意思はあるんだ。相手を刺激しても意味がないからな」
「冥子はんが閉じ込められとる場所は分からんの?」
「それが分かれば苦労せん」

 鬼道は場所探しで思い当たる事があった。

「貴子はんなら分かるかもしれん。よう当たる占いをしはるんや」

 しかし、健太郎は首を横に振る。

「その類も試した。どうやら探知されないよう、呪的結界でガードしているようだな」
「やったら、どないしたらええのや……」

 万策尽きた感が漂い、場を沈黙が支配する。
 その重苦しい空気に押し潰されたのか、それまで気丈に振舞っていた紀黄泉が泣き崩れる。

「――ああっ…冥子は…私の冥子はどこにいるのぉっ……!!」

 嗚咽する紀黄泉は何故か鬼道の胸に泣きついていた。鬼道は困って健太郎をちらりと見る。

「あー、理事長はん……相手を間違ってへんか?」
「政樹君、私から母さんまで奪おうというのかね……!!」

 紀黄泉の行動であらぬ誤解を招き、鬼道は冷や汗をかく。
 冥子をさらわれたこの状況で、喧嘩をしている場合ではない。
 六道の最大権力者がこれなので、先行きに不安を覚える鬼道だった。






 何もできないまま時間だけが浪費されていく。
 誘拐犯からの接触がないかぎり、交渉の余地もない。
 部屋の古い置時計を見るたびに、焦燥感が増すばかりだ。
 今この時、攫われた冥子はどうしているのだろうか。何もされていないだろうか。本当に生きているのだろうか。
 焦りが思考を悪い方へと傾ける。
 水を飲むのも忘れるような重苦しい空気がずっと支配していた。
 そんな中、待つのに疲れた鬼道が痺れを切らしたように口を開く。

「じっとしとるのも飽きたわ。無駄やろうけど、冥子はんを捜させてもらうよ」

 それを聞いた健太郎がじろりと言い聞かせるように睨み付ける。

「気持ちは分かるから止めはせん。だが、くれぐれも軽率な行動だけは慎むんだぞ。監視されているかもしれん」
「気ぃ付けるわ」

 ここにいた方が最新の情報を手に入れやすいのだが、鬼道は冥子を捜すために屋敷を後にした。



 真夜中の道路を走る鬼道は適当な場所で車を停める。車の通りがほとんど無いので、道路の脇に駐車してから降りる。路上に立つ鬼道は黒鬼を呼ぶ。

「黒鬼、出てきぃ」

 足下から黒い塊が浮き出てくる。
 街灯の薄暗い灯りだけでは、全身が黒い黒鬼は大きな人影にしか見えない。「何用だ?」と低い声が鬼道に用件を尋ねる。
 鬼道は当ても無く屋敷を飛び出したのではなかった。ここでその「当て」が正解かどうかを確かめてみる。

「お前はまだ冥子はんの式神やったな?」
「当然だ。うぬの物であるはずがない」
「なら、冥子はんの居場所が何処か分からへんか?」

 式神使いと式神の関係は一心同体に近い。式神が攻撃を受ければ、その主も痛みを覚える。
 それは、何らかの形で式神使いと式神が繋がっているのを表している。と言う事は、黒鬼は今も冥子と繋がっているはずだ。
 鬼道はその繋がりを辿って冥子を捜す事を思いついたのだった。
 屋敷で考えに至った鬼道は六道家に恩を売るチャンスだと思い、一人で捜索に出たのだ。
 これでいける確信の無い鬼道は、やや硬い表情で返事を待つ。
 黒鬼が顎を撫で、少し考えながら答える。

「冥子殿に我を返す気にでもなったか? それが賢明な判断だと思うぞ」

 勝手な解釈をされ、肩透かしを食らった鬼道は声を張り上げて状況を説明する。

「ちゃうわ! 冥子はんが攫われはったんや。場所が分かるんか、分からんのか、どっちや?」
「それを早く言え。場所なら分かる。付いてこい」
「ちょい待ちぃや!」

 走り始めた黒鬼を車で追いかける。そのスピードは自動車に引けを取らない。
 事は鬼道の思惑通りに進んでいた。



 信号無視を繰り返し、速度制限やその他の道路交通法を違反し放題し、警察に捕まったら確実に懲役ものになるような恐ろしいドライブの末、鬼道の車はようやく停止した。
 黒鬼を追いかけるので必死だったが、今あの運転を振り返るとぞっとする。車が無傷なのが奇跡に思えた。
 大きな事故は起きなかったようだが、後で警察がお尋ねに来ないのを祈るばかりだ。

 車から降りて周りを見渡す。ここは住宅地から離れた郊外で、街灯もまばらな静かな場所だった。立ち止まって前を見ている黒鬼に近付く。

「ここなんか?」
「うむ。間違いないだろう」

 黒鬼が見る先には何かの工場が建っている。幾つもの建物がある結構な大きさだが、入り口の門は太い鎖で厳重に閉ざされている。どうやら稼動してない工場らしく、敷地内は真っ暗だ。
 潜入する前に鬼道が念を押す。

「冥子はんが人質に捕られとる。静かに接近して奇襲でいくで」

 黒鬼は返事もしないで門を飛び越える。鬼道も急いで後を追った。



 冥子が監禁されている建物は黒鬼がすぐに見つけた。その建物から僅かだが灯りが漏れている。
 鬼道は黒鬼を制して入り口の隙間から中を覗く。そこには犯人の春雄と冥子が建物の中心にいるのが見えた。
 春雄はナイフをお手玉のようにして弄んでいる。冥子は床で横になっていて眠っているようだ。
 突入の作戦を話し合おうとした時、中から声が聞こえてくる。

「そこのこそ泥お二人さん。大人しく入ってくるんだ。さもないと、この子の命は保障しないよ」

 不覚にも、二人は接近を察知されていた。早くも窮地に追いやられ、嫌な汗が一気に噴き出す。
 ナイフが冥子の首元に突き付けられているのを見ては、春雄の言いなりになるしかない。鬼道は抵抗を諦めて入り口の扉を開けた。
 そして、両手を上げて降参のポーズをしながら中に入る。

「なんでボクらのことが分かりはったん?」
「結界だよ。侵入者がいると困るからね。霊波の僅かな乱れも見逃さないよう、この周りには特殊な結界が張り巡らされている」

 鬼道は春雄が霊能力に精通している事を失念していた。オカルトの力で居場所を特定できなかった相手なのだ。常識が通用する訳が無い。

「今度はこちらが質問するよ。どうやってここを突き止めた? 僕の結界はそう簡単に破れるものじゃないと思うんだ」

 春雄の言っている事は高慢ではなかった。鬼道は言われるまで、自分が結界の中に入っている事に気が付かなかった。かなりの結界の使い手だと容易に推測できる。
 隠しても意味が無いので、鬼道は黒鬼を親指で指して質問に答える。

「こいつは冥子はんの式神なんや。主人の居場所はこいつに聞けば分かる」
「そうだったのか。僕はてっきり君の物だとばかり思っていたよ。鬼道政樹――六道女学院で教師を勤める傍ら、六道冥子の助手もしている式神使い。どう? 良く調べてあるだろう?」

 わざとらしく驚いて見せた後、鬼道のプロフィールを得意げになって話す。この誘拐事件はかなり周到な下見と計画を練った上で実行されたのが分かる。
 厄介な相手だと思い知らされた鬼道は、ひとまず冥子の様子を聞く。工場内は広く、ここからでは冥子の生死は確認できない。

「おい、それはええけど、冥子はんは無事なんやろな? 死んどったりしたら、この場でお前を始末したるで」

 鬼道は殺気の篭った目で睨む。

「それは安心してほしい。眠らせてあるだけだよ。彼女の式神に暴れられるのだけは避けたいからね」

 そう言った後、怯まず睨み返す。

「こう見えても僕は仕事にプライドを持っている。だから、約束を守ってくれさえすれば、こちらも余計な殺生はしない。だが、君たちは約束を破った。本来なら、もう殺していてもおかしくないんだよ?」

 身勝手な理屈を垂れる春雄に鬼道は本気で殺意を覚える。その視線だけで人を殺せそうだ。睨み合いに負けた春雄は鬼道を宥めに入る。

「そんなに怖い顔しないでよ。僕は心が広いから、まだ取引は継続中だ。君も人質になれば問題無し。そう言うことで、その式神を引っ込めてくれないかな」

 春雄は新たな取引を持ちかけてきた。鬼道が大人しく人質に加われば、この事は水に流してくれると言う。
 ぎりぎりの選択を迫られ、必死に考えをまとめる。ここで取引を受け入れれば、冥子と同じように眠らされてしまうだろう。そうなれば、自分で身を守る術が無くなる。人質になった所で命の保証は無い。
 しかし、この切迫した状況が判断を狂わせているのかもしれないが、この誘拐犯は信用できるような気もする。六道家は身代金を払う意思があるようだし、分の悪い賭けはしない方が得策に思える。
 結論を出した鬼道が渋々と口を開く。

「……黒鬼、戻るんや」

 現実的な答えを出した鬼道に、春雄は賞賛の意を込めて微笑みを送る。だが、事はうまく運ばない。

「断る!!」

 大きな声が広い工場内に響き渡る。ここにきて、黒鬼が鬼道に反抗したのだ。
 土壇場でアクシデントに見舞われた鬼道は凄い剣幕で命令する。

「ええから戻れッ!! お前には冥子はんの姿が見えへんのか!?」
「そんな事は百も承知! だが、敵の言いなりになるのだけは我慢できぬ!」
「主人の命が懸かっとるんやぞ!?」
「こんな所で死ぬようなら、それは我の主に非ず!!」

 黒鬼が異常とも思える自尊心を露にする。それは鬼道に扱える代物ではなかった。
 鬼道は式神を支配できない己の非力さに歯噛みする。腸が煮えくり返り、擦れ合う歯がギチギチと鈍い音を立てる。
 そのやり取りを見ていた春雄が呆れたように溜め息をつく。

「あ〜あぁ……せっかくこちらが大きく譲歩したのに、交渉決裂だね。代償は高くつくよ」

 それは取引の終わりを告げるものだった。言い争っていた鬼道ははっと冥子に目を向ける。
 そこでは、何も知らずに眠る冥子の真上から、今にもナイフが振り下ろされようとしていた。

「させぬ!!」

 気が付いた黒鬼がそれを阻止しようと猛然とダッシュする。強靭な脚で蹴られたコンクリートの床がひび割れる。
 しかし、黒鬼が前に進むことはなかった。
 見えない壁が黒鬼の動きを止めていた。
 結界に捕らえられたのだ。

「ぐぬ……この程度の結界ッ!」
「やめときなって。用意周到に張っておいたんだから」

 黒鬼が力ずくで壁を崩そうとするが、動きは止まったままだ。
 その超人的な力を以ってしても、時間をかけて張られた結界は破れなかった。
 春雄は楽しげに、結界にもがく鬼を見る。
 反面、鬼道の表情は強張っていた。
 黒鬼が抵抗できない結界を、鬼道がどうにかできるとは思えない。
 このままでは冥子が一突きにされるのは明白だ。
 そう悟った鬼道の胸は、瞬時にして悔恨の念で埋め尽くされる。
 屋敷を出た時から後悔はしないと決めていたのに、いざ絶望的な立場になると、そうは簡単に割り切れない。
 そして、夢も野望も何もかもが終わるような気がした。
 だが、そうは簡単に諦められない。

「――夜叉丸!!」

 ありったけの大声で夜叉丸を呼び出し、黒鬼に遅れて鬼道も助けに走る。無駄だと分かっていても足掻かずにはいられない。
 そして、無駄に終わった。
 春雄の顔に鮮血が飛び散る。
 冥子の死を間近に見た鬼道の心臓が瞬間的に止まった。
 動き出した心臓は全身に沸騰したように熱い血液を送り出す。

「絶対ええに生きて返さへんッ!!」

 逆上した鬼道は憤怒の形相で壁に体当たりした。
 だが、それは早とちりだった。
 春雄が苦痛に顔をしかめる。
 血が噴き出しているのは春雄の腕からだった。
 どこから飛んできたのか、小さなナイフが突き刺さっている。
 春雄は痛みを堪えて鬼道達を見た。

「まったく……六道は怖いねぇ――」

 そう呟くと春雄の足下が光りだし、瞬く間に姿を消した。
 春雄が消えた場所には幾何学的な模様だけが残された。
 初めから脱出用の転移結界が仕込んであったのだ。
 逃げ道もしっかりと確保されていた。
 春雄が消えた場所には、冥子が残されていた。
 幸いな事に、あの中では冥子まで連れては行けなかったのだ。
 寝かされている床にも結界陣が書き込まれている。この結界が冥子の自由を奪っていた。
 鬼道が駆け寄り、寝ている冥子を結界から引きずり出す。すると、眠っていたのが嘘のようにぱっちりと目を開いた。

「あ、マーくんだ……」

 呟いた冥子は体を起こし、怪訝な顔で辺りを見回す。

「ここはどこ〜? 確か、お仕事をして帰る途中だったのに〜」

 どうやら誘拐された事を知らないようだった。無事を確認した鬼道は胸を撫で下ろす。
 冥子はしきりに不思議がっていたが、鬼道は何も言わないことにした。無駄に不安にさせても意味が無い。
 冥子を無事に確保して安心したいところだが、何者かが投げたナイフの事がある。周囲に気を配っていると、工場の入り口から足音が聞こえてきた。冥子がそっちに手を振る。

「フミさん、お迎えに来てくれたんだ〜」

 靴音を響かせて近づいて来るのは六道家のメイドであるフミだった。
 だが、普段と様子が違う。メイド服は着ておらず、まるでスパイ映画の工作員のような格好をしている。肌に密着したズボンのベルトには、ナイフやライトやその他にも一般人には何に使うのか分からない道具が見える。明らかに表の世界の姿ではない。
 その姿に圧倒されて突っ立っている鬼道の前へツカツカと歩み寄る。
 そして、口を開く前に手を振り上げ、乾いた破裂音が響き渡った。

「な、何をするの――っ!?」

 驚いた冥子が声を荒げて批難する。現れて早々、フミは鬼道を引っ叩いたのだ。その平手打ちは手加減無く、唇から血が滴る。

「お嬢さまには関係ありません。これは私と鬼道さまのお話です」

 フミはキッと見据えて冥子を黙らせる。こうされては蛇に睨まれた蛙のようになるしかない。怒ったフミには敵わなかった。
 フミは鬼道に厳しい視線を向ける。

「旦那さまの命で尾行させていただきました。悪く思わないでください。でも、間違いではなかったようです。あなたには失望しました」

 そう責め立てるフミの瞳には憎悪さえ浮かんで見える。それだけ冥子を大切に想っていた。
 血も拭わないままの鬼道は何も言い返せない。
 あれだけやるなと言われていた独断行動をしでかし、最後はフミに助けられたのだ。
 結果的に冥子が助かったとはいえ、危ないところだった。
 そして、屋敷を出る前の健太郎の言葉を思い返す。「監視」とはこの事だったのだ。あれは鬼道への警告だったのだ。
 全てを理解した鬼道は失態に打ちひしがれる。

「この事は旦那さまに報告させていただきます」

 死刑宣告と同じ言葉を吐き捨てた後、冥子の腕を取った。

「さ、お嬢さま、私とお屋敷に戻りましょう。旦那さまと奥さまが一刻も早いお帰りをお待ちしております」
「マーくんは〜?」
「鬼道さまはご自分のお車でいらっしゃってます」
「それじゃ〜、マーくん、またね〜」

 腕を離してもらえそうにないので、冥子は渋々という感じで手を振る。
 返事もしないで呆然と立っている鬼道には何も聞こえてなかった。




 第六鬼 終


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