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VISITORS FROM THE ABYSS

強敵


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:06/10/ 3




 注:今回より前回までのあらすじを書き加える事にしました。本編はあらすじの下から始まります





 〜ここまでのあらすじ〜


 絶海の孤島アルマスで行方不明になったワルキューレ率いる部隊を捜索するため、ベスパとジークフリードの二人が派遣された。だが、現地には昆虫に似た謎の生物群『デュナミス』や怪しげな兵器を使用している軍隊の姿が。
 調査中にドクターカオスのアンドロイド・マリアが襲われている現場に遭遇した二人は、大破したマリアのメモリを保護する。ところが深い谷の底より這い出してきたデュナミスの群れと軍隊が激突。さらに人間兵士に『シュバリエ(騎士)』と恐れられている上位個体のデュナミスが飛来する。
 ベスパは突然シュバリエに襲われ、その霊力のほとんどを奪い取られて谷底に落下。ジークフリードもベスパを庇い、全身を食われて休眠状態に。
 霊力を失ったベスパは人間と同じくらいの力しか残っておらず、副作用で視力も失ってしまう。マリアと感覚を共有する事で視力の問題を解決したベスパは、この島から脱出するべくサバイバルを開始するが、アルマス島の各地ではベスパの能力を分け与えられた強力なデュナミス達が行く手を塞ぐ。圧倒的不利な状況の中、ベスパは生き延びることが出来るのか――。




 第4話終了時のベスパの能力


     霊波砲:回復(威力弱)
    飛行能力:消失
    物質透過:消失
    妖毒生成:回復(威力弱)
    身体能力:大幅に低下
 物理・霊的耐性:大幅に低下
    温度耐性:消失




















 どこまでも広がる青。見渡す限りの海と空が広がる水平線の向こうから、アルマスへ向けて飛来するものがあった。鋼鉄の機体に二つのローターを持つ大型の輸送ヘリコプターである。空を裂く音を上げながら海上を進むヘリは、島より10キロ程度離れた場所で停止して海面近くに降下し始めた。限界まで海面に近づくとヘリの機体後方にあるハッチが開き、一台のジェットスキーが滑り出して着水した。スラリとした流麗な手足でそれに跨る人物は、黒いラバー素材のような下地にプロテクターを組み合わせたスーツに身を包む。頭部を完全に覆い隠す同色のヘルメットを被り、偏光バイザーによって顔は見えないため外見で誰であるのか判断することはできない。
 スーツの人物がハッチ際に立つ迷彩服の男に向かってサインを出すと、ヘリは速やかに上昇し、その場から引き返していった。海上に残ったスーツの人物が双眼鏡でアルマスの様子を覗っていると、島の方角から哨戒船艇が姿を現す。スピーカーから複数の言語で警告が発せられていたが、スーツの人物はまるで聞こえていないかのようにアクセルを全開にし、島へ向かって一直線に走り出した。哨戒船艇の乗組員がそれを確認すると、数人乗りの小型ボートが降ろされ、ジェットスキーの追跡を開始する。ボートには複数の武装した人員と、鈍く光る銃火器が搭載されていた――。








 入り江の波は穏やかであった。他に船舶の姿はなく静まりかえっていたが、その方がベスパにとっては都合が良い。普段からこのようにして街との移動に使っていたであろうボートも調子が良く、海上にはデュナミスの姿も見あたらない。この調子なら対岸に見える街に辿り着くまで問題は起こらないだろう――ベスパは潮風に髪をなびかせ、わずかに目線を外海に向けた。


「ん? あれは――」


 入り江の外、水平線の彼方から何かが近づいてくる。耳をつんざく音を発しながら海上を疾走するふたつの影。海上ををジグザクに進むジェットスキーに、武装したボートが銃弾を浴びせている。その追いかけっこは、ベスパのボートめがけて接近しつつあった。


「うわっ!?」


 流れ弾が頭上をかすめ、ベスパは慌てて船底に伏せる。能力が落ちている今の身体では、どんなダメージを受けてしまうかわかったものではない。飛来する銃弾をやり過ごしてから顔を上げて周囲の様子を覗うと、水飛沫を巻き上げながらジェットスキーが駆け抜けていく瞬間だった。それに跨る奇妙なスーツの人物を目の当たりにしたとき、ざわつく様な感覚が全身を駆け巡る。
 黒いヘルメットの奥に隠された表情を読み取ることは出来なかったが、射抜かれるような視線を確かに感じた。反射的にその姿を目で追ってしまったが、誰なのかを確かめる間もなくジェットスキーは遠ざかってしまい、あっという間に小さくなっていった。その後を、武装ボートが機銃を乱射しながら追っていく。


「マリア!」

『スキャンレンジ・オーバー。距離が・離れすぎています。ジェットスキー搭乗者のデータを・充分に・収拾できませんでした』

「ボートの連中は?」

『武装パターン・及びエンブレムが・既存データと一致。製薬会社サン・レオン私兵である確率89パーセント』

「……ぼんやりしてる場合じゃなさそうね」


 スーツの人物のことを意識の隅にしまい込むと、ベスパは目的地であるアヴィニオンの港を見据える。武装ボートがベスパを見落としたのか相手にしなかったのかは分からないが、自分も連中にとっては単なる侵入者であり、いつ襲われても不思議ではない。海の上ではいくら足掻いても身を隠す場所はないのだ。ジェットスキーと武装ボートはベスパの視線の先――港の方角に向かっているようで、このまま進めばトラブルは避けられそうもない。だが、ここで追っ手がかかるよりはマシだろうとベスパは舵を取った。




 港には数多くのボートが停泊していたが、大型の船や人の姿はどこにも見あたらなかった。昼間だというのに港内は不気味に静まりかえっている。港を進んでいくと、前方に桟橋が見えた。そこには銃弾で穴だらけになったジェットスキーと武装したボートが泊まっているが、人の姿も気配もない。桟橋に降り立ったベスパは、感覚を研ぎ澄まして周囲を警戒しながら歩き始めた。
 港に入ってすぐ、倉庫街へと向かったベスパは銃声と悲鳴を聞いた。音がした方へ向かうと、倉庫の壁やコンテナに無数の穴が開いていることに気付いた。大きさから見て銃によって開いた穴だろう。このあたりで戦闘があったのだろうが、どうも様子がおかしい。流れ弾が当たったと言うより、壁に向かって銃を乱射したように見える。そして、さっきの物音を最後に人の気配がぷつりと消えて何も感じられない。壁をなぞるように進んでいくと、大型のコンテナが積み上げられた区画に差し掛かる。規則正しく間隔を空けて並ぶその先に足を踏み入れると、中ほどにある角の手前でベスパの触覚がピクリと動いた。


(血の匂いだ……)


 むせるような、鉄によく似た生暖かい匂い。ベスパの触覚は、敏感にそれを感じ取って匂いの漂ってくる方向を探り出していた。コンテナに背を当てて角を覗き込むと、その先にある光景を見て素早く身構えた。兵士と思われる人間が数人、血溜まりの中で倒れていたのだ。周囲を見回し感覚を集中してみたが、誰かが潜んでいる気配は感じられない。もう一度倒れている人間に目をやると、ある者は前のめりに倒れ、ある者は壁にもたれ掛かったまま――いずれも例外なく絶命していた。その服装と手にしている武器から、先程の武装ボートの乗組員であると確認できたが、ジェットスキーに乗っていたスーツの人物の姿は見あたらなかった。
 ベスパは死体に近づくとまずは使えそうな武器を探し始めた。名称や詳しい使い方についてはマリアが解説してくれたので、いざというときに使い方を誤る心配は無い。拳銃はグロック、アサルトライフルはFA−MASというもので、現状では頼りになる武器であるという。他に手榴弾を数発とアーミーナイフを拝借して身に着けた。中にはべっとりと血が付いている物もあったが、それを気味悪がっているようでは魔族失格だろう。装備を終えると、奇妙な死体の傷口をじっくりと観察することにした。


『――死因は・出血多量による・ショック死です。鋭利な刃物で・頸動脈を・切断されています』

「あっちの蜂の巣になってるのは?」

『同士討ちによる・被弾と推測します。直接の死因は・腹部を貫通する・裂傷です』

「こっちは心臓を一突き。素人の技じゃないね……あいつがやったのか」


 ざっと見て分かったことは、どの死体も刃物のようなもので正確に急所を切り裂かれており、ろくに抵抗もしないうちに殺されているということだった。得体の知れない何者かが近くに潜んでいることは間違いない。ベスパは入り江で感じた射抜かれるような視線の主――謎のスーツに身を包む人物のことを思い出していた。


「それにしてもこの死に方、まるで――」


 目の前で事切れている兵士の表情は凍りつき、見開かれたままの瞳は絶望に染まっている。どんな恐怖を味わえばこんな表情になるのか。いずれにせよ油断は出来ない。警戒を強めるようマリアに呼びかけようとしたとき、それをかき消すような声が心に響き渡った。


『動体反応を・感知。近距離です!』

「近距離ったって、誰も――」


 周囲を見回したベスパは、はっとして顔を上げた。コンテナの上、太陽を背にするように何者かがこちらを見下ろしている。だが、ベスパには分かっていた。この鋭い視線はさっき感じたものと同じ――つまり、スーツの人物である。先程とは比べものにならないほどの威圧感を放つスーツの人物は、ゆっくりとベスパを指して言った。


「お前が殺したのか」

「なっ――!?」


 低く機械的な、電子的に変調された声だった。わずかに首が動き、ヘルメットのバイザーに兵士の死体が映り込む。それをじっと見つめたまま――偏光素材のバイザーは、外側から人物の表情を完全に隠しているが――スーツの人物はさらに続けた。


「お前がやったのかと聞いている」

「……何者だ!」

「答えになっていない」

「ふん、物を尋ねる態度とは思えないね」

「まあいい、いずれ分かる。だが――」


 スーツの人物は左腕に取り付けてあったグリップのような物を掴むと、真っ直ぐに引き抜く。滑り止めの溝が刻まれた漆黒の柄であった。


(魔物退治の武器だ……こいつ――!)

「魔族がこの事件を引き起こしているのなら、報いは受けてもらう」

「!?」


 グリップの先が伸びて剣のようになり、刀身が青白く輝いた。霊力を帯びたオーラの光である。スーツの人物は音もなく跳躍すると、落下する勢いに任せてベスパに斬りかかった。後ろに飛び退いたベスパを追うように切り上げ、なぎ払う連続攻撃が続く。
 その剣技は素早く正確で隙がない。狭い路地で逃げ場もなく、ベスパはあっという間に追いつめられてしまう。とっさに拳銃に手をかけようとしたが、指が届く前に切っ先が喉元に突き付けられた。


「魔族のお前が人間の武器に頼るとはどういうことだ?」

「なぜ私が魔族だと知ってるんだ!」

「……質問を質問で返すな。話にならない」

「くっ……」


 さらに切っ先を押し込まれ、ベスパの額に冷たいものが流れ落ちる。感情の読み取れないヘルメット。抑揚が無く、変調された声。全てが隠蔽されたこの相手が、容赦などという甘い感情を持ち合わせているとは到底思えなかった。


「もう一度聞く。この事件を引き起こしたのは魔族なのか?」

「それが知りたくて私はここに来たんだよ」

「ならば、これは行きがけの駄賃というわけか」

「黙れ! さっきから好き勝手いいやがって!」

「……」

「任務なら殺すさ。けど、弱い奴をいたぶる趣味はないし、口うるさい仲間がいるんで今は手を出さないことにしてるのさ。信じる信じないは勝手だけどね」

「では誰がやったというのだ?」

「ふん……お前じゃないのか」


 喉元に光る切っ先を突き付けられてなお、怖じた態度を欠片も見せることなくベスパは言葉を返していた。その時、スーツの人物の背後、コンテナの壁から何かが伸びてくるのを。


(な、なんだ!?)


 緑色をした植物の茎にも見えたが、それは先端に五本の指が蠢く細長い腕だった。手首を支点とするように腕と同じ長さの湾曲した刃物が弧を描いて開くと、滑るようにこちらに向かってきた。


「おい、後ろ――!」


 刃の餌食となってしまう寸前にスーツの人物は跳躍し、後方宙返りで刃と反対側のコンテナの上に立つ。ベスパも間一髪地面に伏せて難を逃れ、転がりながら間合いを取った。


(危なかった……あと少しで首と胴がサヨナラするところだったよ)


 通り過ぎた刃はぴたりと止まり、腕に折りたたまれて壁の中へ沈むように消えていく。そして入れ替わるように、逆三角形をした緑色の頭が飛び出した。甲殻に覆われ複眼を持つ、カマキリによく似た昆虫の顔であった。


「デュナミス! やっぱりここにもいたのか!」


「……見たことのない妖怪だ。名前も初めて耳にする」


 ギチギチと鋭いアゴを鳴らす怪物を見下ろすと、スーツの人物は腰のベルトに固定していたボウガンを取り外して矢をつがえる。発射された矢が命中する直前に頭は引っ込み、コンテナの鉄板に突き刺さっただけだったが。それに怒ったのか、這い上がるように怪物はコンテナの上に姿を現した。
 手足が二本ずつあるという点は人間と同じだが、それ意外に共通点など見いだせないおぞましい怪物だった。甲殻に包まれた緑色の全身には血管のような筋が幾重にも走り、嫌悪感を抱かせる。複眼には瞳孔のような黒い点があり、猫の目のように大きさを変えながら獲物を見つめる。カマキリによく似た特徴を持つ怪物は四つん這いに低く構え、細長い手足を風に揺れる枝のようにゆらゆらと動かしていた。
 オーラの輝きを放つ刃――神通棍が怪物に向けられたとき、激しい音が耳を貫いた。
 カマキリ型の怪物は電光石火の速さで反対側のコンテナに飛び、両腕の鎌を振り下ろす。間一髪で刃を神通棍で受け止めたものの、スーツの人物は数メートル先まで弾き飛ばされコンテナの鉄板の上を転がっていた。


(速い……それにパワーもかなりのもんだわ)


 ベスパはこめかみに人差し指と中指を当て、マリアに分析の合図を送る。合図のある前からも情報を集めていたマリアは、素早く結果を視界に表示して答えた。


『イエス、分析結果を・表示します』






 ――エネルゲイア・マンティスタイプ――


 細胞組織・霊波解析の結果、デュナミス進化形態エネルゲイアと確認。
 ターゲットの体内から、喪失した霊力と同質の波動を感知。その影響を受けて体質が変化。
 位相を変位させることが可能となり、次元の狭間へと自在に行き来しているようです。
 これにより透明化して姿を消したり、障害物の影響を受けず移動する能力を持っています。
 装甲・体格は貧弱ですが両腕に可動式の鎌状ブレードを持ち、発達した筋肉組織により驚異的な瞬発力と腕力を兼ね備えています。
 非常に優秀な隠密性と高い攻撃力により、現時点での能力差による驚異レベルは最高位に属しています。






『現在の武装・能力では、ターゲットの撃破は・非常に困難。戦闘を・回避することを・推奨します』

「壁抜けカマキリか……厄介だね。あっちのスーツ野郎は?」

『全身を覆う・特殊ステルス素材により、充分に・情報が収集できません。スーツを覆う・プロテクターに・分離機構あり。内部の構造は・不明。武装は・神通棍二本・霊体ボウガン、破魔札の・ホルダーを確認。データを・総合した結果・ターゲットが・ゴーストスイーパーである可能性・98パーセント。詳細な・能力については・不明ですが、戦闘データにより・高い格闘能力を・持っていると思われます』

「やっぱり悪魔払いか……」

『個体識別のため、ターゲットを・ベルナール・と呼称します』

「アンタの趣味? そのネーミング」

『質問の・意味を・理解できませんが』

「まあいいわ。ところで……この先どうしたらいいと思ってる?」

『二体・同時に・相手をするのは、自殺行為です。速やかに・距離を取り――』

「逃げるが勝ち、だね」

『イエス、ミス・ベスパ』


 幸いなことに、カマキリ型の怪物もベルナールと名付けられた人物もコンテナの上にいるため、間合いが開いている。このチャンスに出来るだけ離れてしまおうと、ベスパはその場から全力で駆け出した。
 コンテナの積み上げられている区画から抜け出したベスパは、西に向かって走り続けた。倉庫街をその方角に抜ければ、目的地であるアルマス最大の街アヴィニオンがある。数百メートルを全力疾走し続けたベスパは、大通りの倉庫脇に置いてあるドラム缶の陰に身を滑らせて座り込んだ。


『心拍数・体温上昇。呼吸が乱れています。休息を取り、コンディションを・整えることを・推奨します』

「はあ、はあ……今やってるでしょ。意外ととぼけてるわね、あんた」

『サンキュー、ミス・ベスパ』

「褒めてないっての! ったく……」


 ここまでの戦いでいくらか霊力と能力を取り戻してはいたが、それでも万全の体調の時に比べれば遙かに低下したままである。地べたを走ることしか出来ず、この程度で息が上がってしまう身体。そして人間の武器に頼らなくては戦うことすら出来ない事実。それを噛みしめ、呪うようにベスパは空を仰ぐ。太陽は高く、燦然と輝いていた。


『――エネルゲイア反応・接近! 一直線に・こちらを・目指しています』

「くそっ、やっぱり追いかけて来たか!」


 吐き捨てるように呟いたベスパはFA−MASを構え、ドラム缶の陰から周囲を見回した。しかし、見える範囲に動くものは確認できない。


「何も見えないよ!」

『イエローゾーンに・クリーチャー・侵入。さらに・接近を・続けています。反応を・レーダーサイトに表示』


 マリアの言う通り、視界の隅に表示された円形のレーダーサイトには敵の反応である赤い点が映っている。ベスパに向かって真っ直ぐ追いかけて来ているのも確かなようだ。ところが、いくら目を凝らして見つめても誰もいない。建ち並ぶ倉庫と、人影の見あたらない道路だけである。反応はさらに近づいてくるが、やはり視界には何も見えない。ベスパは張り詰めた空気の中で、マリアが見せてくれた分析結果のことを思い出してハッとした。


(そうか、透明化して周囲に溶け込んでるんだ。ちくしょう、どこだ――!)


 流れ落ちる冷たい汗。ベスパは魔族であり、気配や霊気を察知する事にかけては人間などより遙かに発達している。能力を失う前であれば、目に見えない程度で姿をくらますなど子供だましの技であり無意味であった。しかし視力を失った影響か、それらを察知する霊感も大きく失われてしまっているらしい。マリアがレーダーを表示している事実から、厳密に言えば存在を察知してはいるものの、感覚にフィードバックされていないということだろうか。人間と同程度の脆弱な能力、そして感覚――こんな絶望を感じながらあの兵士達は死んでいったのかと、ベスパは思った。


『クリーチャー・レッドゾーンに到達! 所持武装の・射程範囲内です!』

「わかってる!」


 怒気混じりの声で答えたものの、どこから迫ってくるのか見当も付かない。赤い点はすでにベスパと重なる位置に迫り、なお続く沈黙が余計に苛立ちを掻き立てた。


「コソコソ隠れてないで出てこい、このクサレ○○○○野郎!」


 限界に達したベスパはついに、声を張り上げて立ち上がり銃を乱射した。弾は倉庫の壁に穴を空け、窓ガラスを割り、ゴミ箱の中身をぶちまける。それを嘲笑うように、沈黙が再び周囲を包み込む。流れ落ちる汗もそのままに視線を動かしていると、左前方に立つ電柱が、ぐらりとしなって火花を散らした。何かが素早く宙を舞い、背後の倉庫に飛び移る。そこには姿の見えぬ怪物の手形と足跡がくっきりとめり込んでいた。


(しまった――!)


 反射的に身を翻そうとしたのと、身体の芯にに熱さを伴う衝撃が走ったのはほぼ同時だった。
 壁から落下してきた何かが、ベスパの背後から右胸部分を貫いていた。次第にそれは色を変え、細長い手足をした緑色の怪物がその場に現れた。ベスパの胸を突き破ったものは怪物の右腕から伸びる鎌であり、刃の先から紫色の血がしたたり落ちていく。


「がはっ……!?」


 喉の奥から生暖かいものが逆流し、溢れた。激痛に意識が痺れ呼吸ができない――そんな感覚を確かめる間もなく、首を刈り取るべく振り上げられた刃の影をベスパは見た。声にならぬうめきを発しながら、倒れ込むようにして刃を強引に抜くと、次の瞬間には頭上を鋭い刃が一文字になぎ払っていた。間一髪で難を逃れ地面に倒れ込んだベスパは、大量の血を吐いて咳き込んでいた。背中と胸の傷口からも血は流れて地面に滲み、普通の人間なら致死量に達するほどの出血である。
 それでもなお、ベスパの命の炎は消えていなかった。刺される直前に身体を捻ったおかげで急所への一撃は免れていたし、魔族の身体はまだ無理が利く。とはいえ、深手を負ってしまったのは紛れもない事実であり、全身の力が急激に失われていくのを感じる。
 カマキリの怪物は手応えがなかったことに首を傾げ、ベスパを見下ろしている。いつでも殺せると感じての余裕か、仕留められなかったことに警戒しているのか。その気配を背中に感じながらベスパは上体を起こし、震える手でFA−MASのグリップを握りしめた。


「うあああッ!」


 絞り出すような雄叫びを上げ、ベスパは地面に転がったまま振り向きトリガーを引く。絶え間なく放たれる銃声は空を、静寂を切り裂く。だが、彼女に迫る死の影を射抜くことはできないでいた。銃弾を刃に受けてカマキリの怪物はわずかに後退したが、位相を変化させ存在を次元の狭間にずらすと、弾丸は身体を通り抜けて背後の壁に穴を空けるだけだった。
 物質を通り抜ける能力を持つということは、物理的な打撃もほぼ通用しなくなると言うことである。異次元にずれた相手に打撃を与えるには霊波による攻撃が有効となるが、出力の落ちたベスパの霊波砲では満足にダメージを与えられるかどうかも疑わしい。マリアが言ったように、現在の能力で相手をするにはあまりにも分が悪すぎる相手であった。


(くそったれ……!)


 トリガーにかかる指を離すと、脂汗を滲ませながらベスパは敵を睨む。再び実体化したカマキリの怪物は顎を鳴らし、不気味に光る複眼に獲物を映し込みながらゆっくりと近づいてくる。


「どいつもこいつもギチギチと――同じ虫の化身でも品がないんだよお前達は。二本足で立てるんなら何か喋ってみろっての」

「……」


 苦し紛れに毒づいたベスパの言葉が、怪物の足を止めた。膝を折ったままのベスパを見下ろしながら、カマキリの怪物は首をグルリと傾げた。


「コ……ロス――」

「ほ、ホントに喋った――!?」


 しゃがれたような、枯れ木が擦り合わさったような気味の悪い響きを持つ声。それはナイフのように鋭い怪物の顎から、確かに発せられていた。


「バリオンモ、ハイペロンモ消サレタ……」

「何だって?」

「我ガ名ハでるた。コレイジョウ邪魔ハサセヌ」

「こ、言葉が通じるなら答えな……人間はともかく、私らまで手当たり次第に襲うのは何故だ! お前らが同じ魔族だとしても、正規軍に手を出せばどうなるか――!」

「知ランナ……我ラハ大イナル意志ニ従ウノミ。ソノヨウニ生マレツイテイル」


 淡々と答えられたその言葉を聞いてベスパは悟った。カマキリ型の怪物――自らを『デルタ』と名乗った――を含む全てのデュナミスは、何らかの目的のためだけに行動する使い魔と同じであると。彼らの意志を決めるのはそれを統べる者であり、その手足となって働く者といくら言葉を交わしても無意味である。彼らは与えられた使命に忠実に従い、死や滅びを恐れることなく行動するだろう。その事はかつてアシュタロスの使い魔であったベスパ自身がよく知っている。


「貴様ハ生カシテオケヌ。死ネ――」


 デルタは右手首を返し鎌を伸ばすと、ベスパの首筋に当てる。このまま刃を引けば、ベスパの首は切り落とされてしまうだろう。だが、彼女は動じることなく刃に目を落とすと、唇に弧を描いた。


「……なるほど。悪いクセってのは誰にでもあるんだね」

「?」

「殺る時はさっさと殺りな。そうやって油断してるから、足元を掬われるんだよ!」


 左手で素早く鎌を掴み、同時に右掌をデルタの腹部に突き当てたベスパは、ありったけの霊波を撃ち込んだ。霊力が半分以下に落ちたままの状態では、さしたるダメージにはなっていない。だが、その中に含まれる妖毒はデルタの身体を駆け巡り、霊力の循環を掻き乱す。手足を麻痺させて動きを止めるには充分な効果であった。


「ヴ……ギ……ギギ……ッ!」


 ベスパがふらつく足取りで立ち上がると、それだけで激痛が走り目眩がする。必死に意識を保ちながら手榴弾を手に取ると、ピンを引き抜いてデルタの足元に転がした。


「うぐっ……と、とりあえず刺してくれた礼だ。受け取りな」


 口腔に溜まった血を吐き捨てると、ベスパは背を向けて走り出す。背後から破裂音が聞こえても、気にせず走り続けた。あの怪物が手榴弾程度で倒れる事はないだろうし、妖毒もどれだけ持続するのか解らないからだ。
 傷口を庇うようにしばらく進むと、倉庫の前にトラックが駐めてあるのが目に映る。迷わず運転席に滑り込んだベスパは、挿しっぱなしになっていたキーでエンジンを始動した。振動が傷口に響くが、気にしてはいられない。
 市街地のある西へ向けてトラックを走らせ、カーブを抜けて倉庫街から街へ抜けようとしていたとき、脇の細い路地から影が飛び出し立ち塞がった。


(もう追いついてきた――!)


 両腕を大きく広げ、鎌状の刃を構えているのはカマキリの怪物、デルタであった。手榴弾のダメージもほとんど見あたらず、頼みの妖毒もやはり足止め程度にしかならなかったようだ。
 トラックは充分に速度が乗っており、もはやブレーキを踏んでも接触は避けられない。普通の相手ならそのまま跳ね飛ばすのも悪くないが、相手は物質をすり抜ける難敵である。効果が無いばかりか、そのまま車に取り付かれて無防備なところを襲われる可能性が非常に高い。車を捨てて戦いを挑んだとしても、今度こそ殺されてしまうだけだろう。選択を迫られたベスパは、胸の内にある矜持に従いアクセルを床一杯に踏み込む。
 デルタが激突、フロント部分に貼り付けたままトラックは走り続ける。かなりの衝撃があったはずだが、この程度で諦めるような易しい相手ではなかった。フロントガラスに頭を突っ込んで中を覗くと、運転席に座るベスパに噛み付こうとする。身体を反らしてそれを避けてはいたが、逃げ場はない。差し迫った運命に最後まで抗おうと、ベスパは知らず叫んでいた。
 首を引っ込めたデルタは、代わって鎌を振り上げた。両脚を車にめり込ませるようにしているため、両手を離しても振り落とされることはない。最初の一撃でフロントガラスを破壊すると、無防備なベスパめがけて刃を突き出してきた。無数の突きを避けきれず、とうとうハンドルを握る腕が串刺しにされ、そのままシートに縫い止めるように固定された。空いている側の鎌が振り上げられ、最後の止めを刺すべくベスパの首を狙う。それは太陽の光を反射し、断頭台の刃にも似た無慈悲な輝きを放っていた
 ――自分は運命に負けたのだ。精一杯戦ったつもりだが、及ばなかった。ジークは許してくれるだろうか?
 意識が尽きかけ、朦朧とした中でベスパは仲間に詫びた。全てのものがスローモーションに見える。窓の外でゆっくりと流れていく風景。ふと目をやった遙か前方、倉庫の屋根の上に誰かが立っているのが見えた気がした。はっきりとは見えなかったが、どこかで見たような覚えのある姿。その人物はこちらを見下ろし、ボウガンを構えていた。


「ギャッ!?」


 しわがれたような気味の悪い悲鳴が聞こえた。視線を戻すと、デルタの振り上げた腕に矢が突き刺さっていた。それは魔を退け払うと言われる銀の矢。何が起こったのかベスパにはよく見えてはいなかったが、痛みにもがく怪物を見た瞬間、身体が矢のように動いた。腕を貫く刃を引き抜いて身を乗り出すと、全力を込めた鉄拳をデルタの顔面に叩き込んだ。集中力が切れたデルタは足を踏み外し、車から滑り落ちた。太いタイヤに二度も轢かれながら道路の上を転がり、その姿は見えなくなっていった。


「な、なんか良く解らないけど……助かった……」

『アルマス市街地に・侵入しました。ミス・ベスパの・ダメージ甚大。安全な・場所の確保・及び、早急な治療と・休息が必要です』

「はあ、はあ……ちょっと血を流しすぎたわ……さすがに、もうダメ……」


 戦いを切り抜けたことで緊張の糸が切れたのか、ベスパの意識はぷつりと途切れた。制御を失ったトラックは大通りを左右に蛇行し、電柱にぶつかって止まる。運転席ではおびただしい血を流したベスパが、ハンドルに突っ伏したまま動かなくなっていた。
 しばらくして、トラックの後方から大通りを歩いて近づいてくる人影があった。奇妙なスーツを身に纏う『ベルナール』と名付けられた正体不明の人物である。ベルナールは運転席を覗き込んで様子を確かめると、ひしゃげたドアをこじ開ける。そして、バイザーに映り込むベスパに手を伸ばした。




 


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