椎名作品二次創作小説投稿広場


上を向いて歩こう 顔が赤いのがばれないように

ダンシング・フール


投稿者名:由李
投稿日時:05/11/28

 学園祭潜入ミッションから約一週間後。僕はまたいつもの日常を送っていた。
今日は教会に訪れる人の対応だけで一日が過ぎようとしていた。唐巣神父はとっくの昔に破門されている神父なのだが、多額のお布施をもらってのうのうと神の使い気取りの求職者よりも、よっぽど神に愛されている人だと思う。唐巣神父をしたい、教会に訪れる人は毎日後を絶たない。
 三時を過ぎた頃、教会の奥の部屋で遅い昼食(バラ)をとっていた僕に唐巣神父が笑いながら近づいてきた。いつもの爽やかな紳士の笑いとは違い、ニヤニヤという擬態語が似合いそうな笑いかた。

「ピートくん。ガールフレンドがみえてるよ。早く行ってあげなさい」

 なるほど。そういうことか。にしても唐巣神父と面識が無く、僕が住み込みで唐巣神父の手伝いをしている教会まで来る女の子の知り合いなど、僕には検討もつかなかった。
 扉を開けて教会の礼拝堂に出ると、教壇の前に一人の女の子が立っていた。赤毛のベリーショート。唇と鼻にピアスが一つずつ、両耳のピアスを合わせると二桁を超える。服装はクラシカルなオフィサージャケットにショートパンツ。胸元の銀のネックレスはロザリオかと思ったが、逆十字にパンクヘアーのキリストが逆立ちで磔にされているという大したセンスの代物。教会に来るには考えられないアクセサリーだ。だがそのことよりもまずキッドが僕を訪ねて教会に現れたというのが先に僕に衝撃を与えた。一体何を考えているんだ?

「ひゅーひゅー!熱いねお二人さん!」

 ……この人も何を考えているんだ。というかこんなキャラだったか?



ダンシング・フール



 冬の風がコンクリートのジャングルを駆け回る。街にはまだ先のことだというのに、クリスマスムードがほのかに漂っていた。乾いた冬空の下、街の中を女の子と二人っきりであてもなく歩く。これはデートだろう。間違いなく僕は今女の子とデートをしているんだ。
 僕の隣を歩いているキッドをちらっと見る。この前の文化祭の時以来だが、特に何も変わってはいない。それはそうだ。ほんの一週間で人が変わっていたら親戚は会うたんびに誰が誰なのか聞かなければならない。



**



 僕たちは特に行く当てもなく歩いていたのだが、いつの間にか周りの情景が変わっていることに気付く。周りには所狭しと安っぽいホテルが立ち並び、ホテルの名前で個性を出そうとしているのか、普通のホテルではありえないような名前の看板がずらっと並んでいた。ここは心と体を繋げる場所、ホテル街だ。このホテルに入る男女(違うパターンってあるのか?想像しないようにしよう)はこの中で行うのは大概が同じ行為だ。
 慌てて引き返そうとしたが、前も後ろもホテルだらけだ。突き抜けたほうが早いかもしれないが、どうしたものか。キッドを見ると別段変わった様子も無く僕の横を歩いていた。ひょっとしたら気付いてないのかもしれない。そうやって安心したのも束の間、僕の心臓が跳ね上がるようなことをキッドが言った。

「ねえ、どこに入る?」

 そうだなあ。あの出来損ないの中世ヨーロッパ風のホテルにしようか。なんて言えるか!

「ぼ、僕は別にっ、早くここを抜けよう」

 歩みを速め一歩分前に出て、キッドに顔が見えないようにした。顔が熱い。風邪で熱を出したときとはまた違う種類の熱。

「まーまー。照れちゃってかわいいわね」

 キッドは実にあっけらかんとしていた。キッドは普段こういう場所に来るのだろうか?僕にはこのコケティッシュな女の子が男と手を繋いでホテルに入る画が全く想像できなかった。
 話を変えるために、僕が聞こうと思っていたことを質問した。

「チェルケッティー・キッド・ブラドー。君は一体何者なんだ」
「あ、やっぱあの時聞こえてたんだ」

 キッドがけらけらと笑う。僕は真剣な目でキッドを見返す。

「教えない。あなたに教えるのはまだ名前だけ。なんなら女の子の仕組みでも教えようか?」

 僕が何も言えないでいるとキッドはまた笑った。よく笑う女の子だ。それとも僕の馬鹿正直な顔の反応がそんなに面白いのか。ああ横島さんみたいな反応が出来てたらどんなに楽なことか。

「あの……ピートさん?」

 僕は体が飛び上がりそうになった。いつの間にかホテル街を抜けていた僕たちは商店街の手前まで来ていた。そこで僕はよりによって知り合いに会ってしまった。わかりやすく説明しよう。僕は女の子と並んでホテル街から出てくるのを知り合いに見られてしまったのだ。愛子さんの時といい、なんでこうもついてないんだ。
 この間の悪い知り合い――この前の学園祭潜入ミッションで会った時以来だったおキヌちゃん――は僕の様子に言葉も出ないようだ。僕は必死で言い訳を考えたさ。

「ちちちち、違うんだおキヌちゃん!何がどう違うのか僕にもよくわからないけど……とにかく違うんだ!」

 でも僕の頭じゃこれが精一杯だったよ。あわてて弁解(と言えるものかどうかわからないが)したのだが、おキヌちゃんは既に石化している。ここは僕も石化しとこうか。

「すごくよかったよ、ピート」

 追い討ちをかけるように意味深な言葉と共に僕の右腕にすりよってくるキッド。おキヌちゃんはそれを見て三歩後ろに下がった。今度は僕が完全に石化した。

「えと、美神さんが捜していたから、今日の夜にでも事務所に顔を出してください。邪魔してすみませんでした!それじゃ!」

 まくし立てるように早口にそれだけ言うと、買い物帰りなのか、スーパーの袋を揺らしながら駆けていった。キッドはおキヌちゃんの反応にお腹を抑えて笑っている。僕はからからに乾いた唇を震わしながらキッドを睨みつけた。キッドは僕が睨みつけても知らん顔でまだ笑っていた。
 ピピピピ
単調な電子音が聞こえ、キッドがポケットから薄型の携帯電話を取り出した。ちょっと古い型で、通話とメール機能以外にはあまりバラエティーの無いやつ。
 その後電話が終わると「用事が入ったからまた今度ね」と言ってキッドは商店街に消えた。僕は人ごみの中にキッドが吸い込まれるまでずっと石化していた。
僕の初めてのデートは、右腕に甘い香水の香りと、おキヌちゃんのあらぬ誤解だけを残して終わりましたとさ。めでたしめでたし。なぜだー!?



**



 教会に帰る頃には既に空は赤く染まっていた。唐巣神父はどこかに出かけているのか、教会はもぬけの殻だった。盗られるものなど何一つ置いてないにしても、これは無用心だ。もしキリストを信仰している泥棒がいたら聖書をかたっぱしから盗まれてしまうではないか。
 少しの身支度で済ませ、美神さんの事務所に行くために教会を出る。教会の扉に鍵をかけるが、ふと思いなおし、また鍵を外した。泥棒だって聖書を読む権利くらいある。神は誰に対しても平等なのだ。



**



 事務所についた僕は美神さんのいる二階へと上がった。そこには既に退院した横島さんとおキヌちゃんもいた。驚いたことに唐巣神父もいるではないか。そして普段この事務所にはいないであろう人種の人も。その人は知らない人が見たらまるで公園に寝泊りしている浮浪者に見えてしまうだろうが、僕にはとても馴染み深い人だ。

「ピートくん。大変なことが起こってしまったんだよ!」
「トッティさんお久しぶりです。でも一体何が起こったっていうんです?」

 トッティさんは故郷のブラドー島での、数少ないバンパイアハーフの一人だ。子供の頃から何かと面倒を見てもらっている。そのトッティさんは随分後退した額にうっすら汗を浮かべている。何があったのだろうか。にしても随分進行したなあ。額と頭皮の区別がつかない。
僕の疑問には唐巣神父が代わりに答えてくれた。

「ブラドー伯爵が……蘇ったんだ」

 正直な話、一瞬何を言っているのかわからなかった。それ程唐巣神父の言ったことは僕に強い衝撃を与えたのだ。



**



「あの後棺おけに入れて封をしただけだったから、自力で蘇ったかもしれないけど、たぶん何者かの手引きがあるわ。私たちが細心の注意を払った封印だもの」

 美神さんが気だるそうに説明する。それは事態が大変面倒なことになっているという証拠でもある。

「私は確かに見たんだ!誰かが掘り起こした跡があって、中をのぞくと棺おけが開いていた。中には誰も入ってはいなかったよ」
「ブラドー島の皆は?」
「幸い誰も被害を受けてはいない。ただしブラドー伯爵もどこにいるかわからない」

 トッティさんは服の端で額の汗を拭った。いや、ひょっとしたら頭皮の脂かもしれない。
 美神さんが机の上に無造作に置いてあった資料の内の一枚を僕に手渡した。それは国際便の乗客名簿。イタリアから日本への飛行機に乗っていた乗客の名前がリストアップされたものだ。赤印でマークされた場所を見て、僕は息を呑んだ。

「まあ、頭の程度は復活前と一緒ね。堂々と本名で飛行機に乗り込んでいたわ」

 赤いペンで囲まれた場所にははっきりと、『デルベッキオ・ド・ブラドー』の文字。僕の実の父親の名前だ。
 ブラドーが復活し、そして現在日本にいる。そのことはさらなる衝撃を僕に与えたのだが、同時にどこか違和感を感じた。しかし何がおかしいのかわからない。

「でもあいつが公共交通機関を使えるとは思えないんすけどねー」

 横島さんがそう思うのも仕方ない話だ。僕のくそ親父は世界でもトップクラスの世間知らず。タクシーすらまともに使えないだろう。いや自転車にすら乗れないかもしれない。しかしそれだけでは僕の違和感の正体はわからなかった。

「大体なんでまた日本に?」
「そこなのよ。やっぱり誰か手引きしている者がいるとみて間違いないわ。ブラドーが仲間を増やす前になんとかしなくちゃ」
「『時はカミナリ』、ですからね。それで、その、報酬なんですけども……」

 トッティさんの大柄な体が急に小さくなる。バンパイアハーフのトッティさんは故郷の皆への仕送りできりきり舞いだろう。美神さんが満足する報酬など払えるはずもない。
 そして一応突っ込んでおくがそれを言うなら「時は金なり」であろう。いやカミナリでもわかるような気もするが。

「今回だけは報酬はなしでいいわ。元々私たちが請け負っていた仕事だし、ブラドーが蘇ったのは私たちのせいでもあるしね」
「それはありがたい!」

 美神さんはブラドーが復活したことを気にしているのだろうか、珍しいことに報酬はいらないそうだ。お金にがめついこの人にとってこれはかなり珍しいことである。

「助かりました。『貧乏金なし』、なもんですから」

 『貧乏暇なし』の間違いだろう。貧乏に金が無いのは当たり前だ。例え『貧乏暇なし』でも使いどころは違うけどね。
 とりあえずトッティさんは唐巣神父の教会で寝泊りすることとなり、その日は一時解散した。帰り際にトッティさんから故郷の皆の話を聞いた。懐かしい思い出に思いをはせながらも、頭の片隅ではブラドーのことを考えていた。そして、キッドのことも。ブラドーの名前を持つキッド。そしてブラドーの復活。これは偶然なのか?違う。
 明日事務所に行く前に、六道女学院に行くことを決めた。



**



 三時半を過ぎ、空の太陽が地面に向かって急降下してくる時間帯。下校時間の六道女学院の校門前で、キッドをひたすら待つ。校舎を出る女の子が僕を見て顔を染めたり、ぼーっとしたりするのはいつものことだ。ただ僕を見て走って逃げたり、僕をちらちらと見ながらひそひそ話をする女の子もいた。これはあの学園祭での悲惨な事件が関係していると思われる。そんなに人を変態扱いしたいのなら、今すぐ上半身裸になってドジョウすくいでも踊ってやろうか。
 堪えがたい視線にとうとう帰ろうとした時、校門からトロとチェリーが並んで歩いてくるのが見えた。僕を発見するとトロは鋭く睨みつけてきた。反対にチェリーはあどけない笑顔で小さく手を振ってくれた。僕は二人に歩み寄り、キッドのことを尋ねた。

「キッドなら今日は早退したって聞いたわ。何あんた。変態の次はストーカー?」
「違うよねー。キッドちゃんの追っかけだもんねー」

 一応言っておくが僕は決して変態でもストーカーでもキッドの追っかけでもない。
キッドがいないとわかると、僕は二人に簡単に挨拶しただけで済まし事務所へと向かった。キッドのことは美神さんにはまだふせておくつもりだ。



**



 事務所の二階では空港の監視テープ鑑賞会が行われていた。青いフィルターを通したような画面に映っているのは間違いなく僕の親父、ブラドー伯爵だ。そしてそのテープにはブラドーと空港で立ち話している謎の人物も映し出されていた。そいつは頭からパーカーのフードを被り、男なのか女なのかもわからない。

「くそ、こいつ空港のカメラの位置を知りつくしているわよ。こいつが手引きしていたと見て間違いないわね」

 画面を睨みつけるように見ていた美神さんはそう呟いた。おキヌちゃんは僕が来たことを知るとぱっと僕から目を逸らした。わかるかい僕の気持ちが。今僕は結構ハードな傷を心に負ったんだよ。これもあのキッドのせいだ。
 画面に映っている二人は話が終わったのか、空港を出るところだった。画面が空港の入り口に切り替わる。空港を出る直前、フードを被っているやつがカメラに向かって中指を立てた。ちゃんと顔は見えない角度で、だ。

「こいつ舐めきっているわね!絶対探し出して極楽よりも居心地の悪いところに送ってやるわ!」

 僕はフードを被っている者にアリューシャン海溝よりも少し浅いくらいの同情を送った。美神さんに狙われるなんて、不運なやつ。



**



 この夜、事件は大きく動いた。街中で吸血鬼に操られた人たちが暴動を起こすという事件が起こったのだ。このことによりオカルトGメンが動き出し、暴動を鎮圧したのだが、一部の一般人はどこかへ消えたらしい。
僕は一旦教会に戻っていたのだが、再び唐巣神父と一緒に事務所へと行くことになった。トッティさんは教会で留守番だ。捜査には参加しないらしい。



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 事務所には日本トップレベルのGSたちが揃っていた。普段の事務所メンバーである、美神さんと横島さんとおキヌちゃん。美神さんの友達(ライバルと言ったほうがいいのかな)のエミさん。ドクターカオスとマリアに、タイガーや雪之丞の姿も。雪之丞の格好から見て旅行に行くところを無理矢理事務所に連れてこられたみたいだ。まだ状況を把握していない顔をしている。
オカルトGメンの西条さんもいて、皆に資料を手渡していた。僕も資料を受け取る。先の暴動のことと、ブラドーのこと。吸血鬼の能力や特性なども書いてあったが、今更説明されなくとも皆知っていることだろう。

「ピート。聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

 美神さんが射抜くような視線を送ってくる。皆の視線も僕に集まってきた。別にやましいことなどないので、「いいですよ」と返した。

「六道女学院に留学してきたバンパイアハーフがいるらしいわね。しかもあなたと深い仲の」

 やましいことがないなんてとんでもない!皆の視線が僕に突き刺さる。心臓がエイトビートのリズムを刻みはじめた。
 バンパイアというのは横島さんから聞いたのだろう。そして僕と深い仲というのはおキヌちゃんから。最悪だ。誤解をまねくのも仕方ない。
僕は平静を装ったが、美神さんは僕が何か隠していると感じたらしい。どんどん突っ込んで聞いてくる。下は僕が言ったことをまとめたものだ。

「学園祭で知り合って、その帰りに偶然その子とあって、その子がバンパイアハーフだと知ったんです。その後急に教会に訪ねてきて、散歩でもしようと言いました。別にそれ以上の仲ではありません。特徴は顔のピアスと、短い赤毛です。名前はキッド。それ以上は知りません」

 以上。そこまで言うと美神さんの僕を怪しむ視線は消えた。しかし僕は美神さんと西条さんがそっと目配せするのを見ていた。
 僕は西条さんが今後の説明をしている時、頭では全く違うことが渦巻いていた。あのフードを被った者はキッドなのだろうか。僕はそれを確かめないといけない。誰かに任せてなんていられない。僕自身の手で、だ。
 明日また六道女学院に行くことに決めた。ブラドーの名前をもつということは、ぎりぎりまでふせておこう。



**



 六道女学院の前で、今日も張り込みをする。空はどんよりと曇っていて、街を覆い尽くしていた。厚い雲によって低くなった空は何やら息苦しい。

「あ、今日もいるー」
「げっ、本当だ。キッド。ご指名よ」

 校門からトロとチェリーが出てきて、その後を追うようにキッドが現れた。トロは昨日と同じで、僕を殺気立った目で睨みつけていた。僕に恨みでもあるのか。
キッドは僕を発見すると近づいてきた。そして耳に顔を近づけ、そっと耳打ちをする。

「後ろを見ないで。誰かつけてきてるわよ」

 やはり僕は怪しまれているのだろう。大方西条さんの部下のオカルトGメンの誰かだ。
 キッドはトロとチェリーを見送り、僕と一緒に歩き出した。学校の角を曲がったところで、僕たちは霧となって追跡者をまいた。



**



 いつかの橋の上で、僕たちは遠く広がる海を見ていた。空は依然どんよりとしていて、雪でもふりそうだった。

「ブラドーのことは知ってるかい?」

 僕は本題を切り出した。キッドは特に怪しい素振りも見せずに、「よく知ってるわ」と僕に返した。

「だって、私の親代わりだもの」

 僕ははっと息を呑んだ。ブラドーの名前をもつバンパイアなのだから、ブラドーと何かしらの関係があるのは当然だ。しかし親代わりというのはどういうことなのだろう。
 僕はブラドーが今日本にいることを伝えた。キッドは目を丸くして驚いていた。どうやら何も知らなかったようだ。

「私は何も関係してないわよ。あの人には随分お世話になったけど、今更世界征服なんて子供でも考え付かないもの」

 僕はその言葉にほっと胸を撫で下ろした。キッドがブランドーの馬鹿げた夢に加担していなくてよかった。
 僕たちはその後たわいのない話に花を咲かせた。学校のことや友達のこと。チェリーが開業しているGSの仕事を手伝ったときや、遠足のときにニトログリセリンが爆発したときの話。僕も今まで起こった事件の話をしてやった。キッドは僕の話を時折相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。たまに下ネタに近いことを言って僕の顔を赤くさせることもあったが。
 話が途切れ沈黙が流れた。教えてくれるかどうか微妙だったが、僕はブラドーとキッドの関係を聞こうと足元に落としていた視線をキッドに向けた。途端に心臓がびくっと跳ねる。キッドの顔は極めて至近距離に、僕の真横にあった。ピアスは前にデートしたときと変わらない場所に、変わらない数が光っていた。
 どんどんキッドの顔が接近してくる。もう目と鼻の先だ。キッドの吐息が僕の鼻先をかすめる。

「日本にあなたがいて本当によかったわ。ようやく仲間をみつけた気がしたの」

 キッドの言葉は僕の片方の耳に入り片方の耳から出て行った。僕はこの急な展開をまるでスクリーンの前の観客のようにして見ていた。脳のキャパシティーが状況に追いつかない。だがこの売れない映画の主人公は僕とキッドだ。曇り空の下で至近距離で見詰め合う男女。金髪と赤毛のバンパイアは愛を交し合う。タイトルを考えたが、安っぽいラブホテルの看板のほうがよっぽどセンスがいい気がした。

「どんな用事にしろ、あなたが私を訪ねてきてくれるなんて嬉しかったわ」

 もうすぐ鼻と鼻がぶつかりそうだ。僕の視覚はキッドで一杯で、他のものは何も映してはいなかった。

「一回くらい、いいでしょ」

 キッドが目を閉じて僕との距離をその瞬間ゼロにした。僕はキッドがそっと唇を重ねるのを混乱した頭と体で受け止めた。
 キッドの左目と鼻の間で泳いでいた目を閉じてキッドが離れるのを待つ。女の子とこんなことをしたのは生まれて初めてだ。しかもこんな急展開は恋愛映画でもないことだろう。それでも僕はキッドを受け入れてしまった。バンパイアは孤独な夜行性生物なのだ。光に憧れるのも無理はないだろう。
この出来損ないの恋愛映画のキャッチコピーはこうだ。学園祭で出会った二人のバンパイアは恋に落ちました。やっぱりラブホテルの看板のほうがセンスがいい。
 がりっ、と何かを噛む音が聞こえた。漬物を勢いよく噛み砕いた時のあの音。
 目をあけると既にキッドは顔を離していた。口から一筋の血が垂れている。僕が下唇を噛まれたと気付いた時には、既にキッドの魔力に自由を無くしていた後だった。

「ま、騙されるほうが悪いって言葉もあるしね」

 キッドは今まで見せたことのない妖艶な顔を見せていた。恋愛映画からホラー映画に。やっぱりこの物語は出来損ないだ。


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