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第三の試練!

〜呪術師、先客ヲ知ル〜


投稿者名:ヨコシマン
投稿日時:05/10/ 7

「横島クン!」

 病室のドアが開き、先ず令子が、続いて美智恵が飛び込むようにして病室内に侵入した。そのまま素早く令子が横島の傍らに付くと、慌しく男の顔を覗き込む。横島の肉体は不思議な明滅を繰り返していた。

「・・・! 令子、上!」

 その様子を一歩引いた位置から見ていた美智恵の声が響く。声に反応して令子が上を咄嗟に見上げると、天井から光の柱がゆっくりと横島に向かって降りてくるのが彼女の瞳に映った。

「何?! これ!?」

 反射的にその光から半歩後退ると、令子は驚愕の表情でその光の柱を見詰めて動かなくなった。
 それを見ていた美智恵が、何かを思いついたように病室を飛び出すと、足早にモニタールームへと向かった。

「状況を報告!」

 モニタールームの扉を開けるや否や、美智恵の声が動揺しているスタッフを叱咤するように発せられた。
 部下の一人が彼女の姿に気が付くと、すばやくデータを手渡しながら緊張した面持ちで状況をつぶさに伝える。

「先程突然サンプルの肉体が発光し始め、同時にサンプルに施されていた法術が解除され始めました。」
「記録は?」
「発光開始からすべてログを取っています。」
「よし。術が解かれる過程を見れば、大体の部分は解析できるわね。上出来だわ。」

 部下の報告を手短に聞きながら、美智恵は部下に軽く労いの言葉を掛けた。
 横島に掛けられた法術、完治している肉体、抜き取られた霊魂、そして先程令子が持っていた不思議な羽根。あれは確か孔雀のものだったはずだ。
 もう間違いない、“それ”こそが令子と横島の今回の件に関与している第三者だろう。

「あの光の柱を解析できる?」

 美智恵は更に確信を求めて、部下にそう問い掛けた。

「・・・仏教系の波動をキャッチ、霊力レベルは測定不能です!」

 複雑な計器の前で忙しく指先を走らせながら、別のスタッフが即座に返答を返す。それを聞いた美智恵は小さく頷くと、視線を再びモニターへと移した。
 緊張の表情を崩さぬまま、美智恵はモニター越しに病室内の二人を見る。すでに彼女の中では、僅かな希望は確信へと変わっていた。
 そう、必ず横島は生き返る、と。

「サンプルに異変! 光の柱を通って霊体が高速接近中!」

 スタッフの一人が動揺した口調で報告を行う。その表情は明らかに、信じられない、と物語っている。

「馬鹿を言うな。この施設に外部から霊体が侵入する事はまず不可能だぞ!」

 報告を聞いた別のスタッフが、やや語気を強めて反論を返した。この施設は地上の霊的拠点の中でもトップレベルのセキュリティを誇るのだから、彼がそう反論したくなるのも無理は無い。

「いいのよ。これは特別な力なんだから。」

 動揺を大きくさせないように、すばやく美智恵が興奮気味のスタッフを右手で軽く制した。
 もう間違いない。横島の霊魂がここに向かって来ている。それもこの施設のセキュリティを軽々と通す、妙神山よりも上位の力を使って。
 美智恵がそう考えながらモニターに再度目を移したとき、横島の肉体に強い光が光の柱を通して飛び込んだ。その光は横島の肉体に入った瞬間、強烈な光を放ち、病室は勿論、モニタールームさえも巻き込んでその場に居た全員の視界を奪った。











「・・・クン! 横島クン?!」

 誰かが呼んでいる。聞きなれた、綺麗な声が、自分を呼んでいる。
 横島は呼ばれるままに、うっすらと両目を開けた。
 目を大きく開けて、こちらを真剣な表情で見ながら横島を呼んでいたのは令子だった。その瞳にはうっすらと、涙のようなものが浮かんでいるように見えた。

「あ・・・! 気が付いた! 分かる? 横島クン!」

 横島が自分の呼びかけに反応し、薄く目を開けたのを見た令子の表情がぱっと明るくなる。同時に慌てて両目の涙を恥ずかしそうに拭った。

(・・・これはどういう状況だ・・・? 美神さんが俺の布団で俺の枕元を覗き込んで、涙を浮かべて俺の名を呼ぶ・・・。)

 その令子の姿と表情を見て、今ひとつ整理できない思考の中で横島は一つの結論を下した。

「これはつまり、美神さんの逆夜這いって事でファイナルアンサーっすね!? わかりました、もう何も言いません! ごっつあんです!!」

 叫ぶのと同時に横島が令子を抱き寄せ、その胸元に自分の顔を思いっきり押し付けた。

「きゃ・・・! ちょ、ちょっと横島クン?!」
「わはははははは! 素晴らしい! 素晴らしいぞこの感触! どうせ夢オチなんだからこの際思いっきり色々したるー!」
「ちょ、や、止めなさい、こらっ、だっ、やっ・・・。」

 唐突に虚を衝かれた令子がなすすべも無く、顔を真っ赤にしてろれつの回ってない言葉を繰り返す。だがそれも僅か数十秒だけの間だ。
 ベッドの上で横島に抱きしめられた姿勢のままで、美神は左腕を横島の首に回して後頭部をそっと支えると、笑顔でそっと彼の頭部を自分の胸元から引き離した。

「ねえ、横島クン? い・い・か・げ・ん・に、目を・・・覚まさんかー!」

 そのままの姿勢で残った右拳を横島の脇腹にめり込ませると、反射的に横島の両腕の拘束を外してすばやく腹部に馬乗りになった。

「げふぁ! あ・・・ああっ! い、痛い! ってことは・・・、だ、騙されたー!」

 何に騙されたのか、と問い質したい所ではあるが、今は止めておこう。それよりも問題なのは、マウントポジションをとって般若の形相をしている彼女の方だ。

「あああっ・・・! いまだかつてマウントからの折檻だけは無かったのにっ・・・! 今度こそ死んでしまう!」

 未体験の恐怖が横島の全身を駆け巡る。それほどに今の令子からは怒りと殺気が満ちていた。

「どう・・・。少しは今の状況を思い出してきた・・・?」

 ゆっくりと指の骨を鳴らし、殺意の波動をびんびんに撒き散らしながら令子が問い掛ける。
 そう問われて、横島はようやく自分が置かれている状況を理解し始めた。

「あ・・・、そうだ・・・。俺、確か大蛇に・・・?!」

 そう呟くと、横島はベッドに横たわったままの姿勢で周囲を見回した。いつもの小汚い自分のアパートではない。どこかの病院だろうか。
 一通り見回して、もう一度腹の上の令子に視線を戻すと、彼女が再び問いかけた。

「・・・思い出した?」
「・・・はい。何とか、帰ってきました。」

 その言葉を聞いた瞬間から、先程の怒りと殺意はもう彼女の表情には無く、今度は悲しみがうっすらと滲んでいる。
 令子はじっと横島の目を見詰めると、下唇を噛んで右手を振り上げた。

 ポカン

 横島の顔を令子の拳が軽く叩く。

「・・・え?」

 普段よりも全然力のないその拳に、横島は頬を押さえながら呆然と令子の顔を見詰めた。心なしか、その肩は震えていた。

「あ・・・アンタに今度こそは・・・ちゃんと謝ろうって・・・。もし帰ってきたら、ちゃんと謝ろうって思ってたのに・・・。
 “助けてくれてありがとう”って、そう言おうと・・・思ってたのに・・・! 何でアンタはそうやってふざけて・・・!」

 消え入りそうな声でそう言いながら、何度も何度も力なく横島の胸を令子が叩く。
 横島はその令子の両手を軽く捕まえると、ゆっくりと上半身を起こした。

「ゴメン・・・。美神さん。ただいま帰りました。」

 まるで幼子をあやす様に、令子の顔を優しく見詰めて横島が微笑んだ。
 すると、己の両腕を掴む横島の手を振り解こうとしていた令子の動きがピタリと止まり、俯いた彼女の瞳からはぼろぼろと涙が溢れだした。

「・・・もっと早く・・・帰ってきなさいよ。バカ・・・。」

 そっと横島の胸元に額を付けると、令子が涙声で訴えた。

「・・・すんません、美神さん。」

 無意識に横島は令子の髪を撫でながら、そっと囁いた。











(あらあら、今日は随分素直だわね。)

 モニター越しに二人の姿を眺めながら、美智恵は我が娘の意外な素直さに頬を緩めた。こういう時じゃなきゃ素直になれないなんて、難儀な娘だわ、と微笑が思わず苦笑いに変わる。
 横島の蘇生と同時に、今度は生命維持やその他のデータ処理に追われ慌しくなったモニタールームの中で、美智恵は通常勤務に戻っている西条に電話で連絡をつけると、受話器を持ったままスタッフの方に問い掛けた。

「どう? ログ・・・取れた?」

 横島に掛けられていた法術の解除時に取っていた記録の事だ。

「すみません、殆どは記録できたのですが・・・。最後のあの閃光の部分だけログが飛んでいます。」

 美智恵に問い掛けられたスタッフの一人が、申し訳なさそうに答えた。彼の後ろで別の女性スタッフが必死にログの解析を行っているが、やはりあの閃光に包まれた時のデータだけが綺麗に消去されているらしく、何度も首を傾げる仕草をしているのが美智恵からも見て取れる。

「そう。ま、仕方ないわね。流石に一番美味しい所は教えてもらえない、か。」

 美智恵は少し悔しそうな口調でそう呟いたが、その表情は言葉通りではなく、むしろ楽しそうな印象さえ感じる。

「あ、そうだ。西条君は仕事が片付き次第こっちに来るそうよ。そしたら後の事は任せるわね。」

 ここ暫くは殆ど見せなかった朗らかな笑顔。その柔らかな空気が他のスタッフの緊張を一気に解きほぐし、室内は明るい雰囲気に包まれた。
 そんなスタッフの表情を眺めて小さく頷いた美智恵は、先程からその手に握られている受話器に目をやった。

「あら、いけない。ご両親やおキヌちゃん達にも伝えないと。」

 プッシュボタンを押す指が心なしか軽い。受話器越しの相手がどんな顔で喜ぶのかを想像しながら、美智恵は鼻歌交じりに相手が電話に出るのを待つ。
 先ずは横島の両親に連絡をつけると、美智恵は続けて令子の事務所の番号を押した。

「あ、おキヌちゃん? 美智恵です。ええ。そう。いい知らせよ。」

 自分でも声が弾むのを抑えられないのを自覚しながら、横島の蘇生をおキヌに告げる。受話器越しのおキヌの声が、喜びのあまり詰まってしまったのだろうか、何を言っているのか良く聞き取れずに美智恵は思わず苦笑いした。

「ほら、落ち着いて。大丈夫? ちょっと深呼吸しなさい、ね。
 それでね、まだ検査とか結構残っているから、あと三、四日は掛かると思うの。ええ。もう少し待ってて欲しいって皆に伝えて頂戴。
・ ・・うん、そうね。帰ってきたら思いっきり美味しい料理でも作ってあげなさい。きっと喜ぶわ。」

 まるで小さな子供をなだめるように、美智恵は一言一言ゆっくりとおキヌに話しかける。そんな時ふと、スタッフの一人が美智恵にジェスチャーで何事か訴えている事に気が付いた。

「・・・どうしたの?」

 受話器を掌で押さえ、おキヌに聞こえないように配慮しながら、怪訝な表情を作って美智恵がスタッフに聞き返す。スタッフの男は気まずそうな表情で美智恵に耳打ちした。

「実はその・・・、美神顧問の娘さんが・・・何と言うか、暴れておりまして・・・。」
「はあ?」
「いや、どうも女性の医療スタッフに横島君がセクハラをした事が原因のようなんですが・・・。」
「あー、そう。・・・あはは・・・はぁ。」

 美智恵の綺麗な顔が軽く引きつる。いつもの事と言えばいつもの事と言えなくも無い。むしろある意味これは喜ばしい事なのかも知れない。美智恵は敢えてモニターを見ようとはせず、諦めたような何かを悟ってしまったような、なんとも言えない表情をして見せた。

「そのうち横島君が動かなくなって終わると思うから、放って置いて。」
「わ、分かりました。」

 本当に良いのですか、とスタッフの男は目で念を押すと、頭を掻きながら自分の仕事に戻っていった。美智恵はその後ろ姿を溜息混じりに見送ると、おキヌとの電話の最中であった事を思い出した。

「ああ、ゴメンね、おキヌちゃん。え? あ、いや違うのよ。大丈夫、なんでもないわ。」

 電話の向こうから、おキヌが不安げな声を出す。無理も無い、この状況で電話を今のように中断すれば、何かあったかと思うのが普通というものだ。
 美智恵が何とかおキヌをなだめている間にも、後ろのスタッフたちの声が切れ切れに耳に飛び込んでくる。

「おお! すげえな、俺・・・踵落しって初めて見たよ。」
「うわー、直撃かよ・・・。」
「おいおい、あれ喰らってまだ動けるのか?! しかもまだセクハラ続行しようとは・・・ある意味漢だな・・・。」

 なんともきな臭い会話ではありませんか。美智恵も思わずそちらの会話に意識を奪われ、おキヌの声を何度か聞き逃してしまった。

「え、あ、ゴメンなさい。いや、だからそうじゃないのよ。え? そんな事ないわよ。大丈夫だってば。」

 何があったのか問い質そうとする今日のおキヌはかなりしつこい。とはいえ、あんなタイミングで何度も会話を中断すれば、それもまあ仕方が無いといえば仕方が無いのだけれど。
 そうこうしている内に、モニターに決定的な映像が流れたらしい。男性陣のざわめきが一際大きくなった。

「決まったな・・・。」
「俺、“血の海”って表現を生まれて初めて正しく使えそうだ。」
「何で生きてんのかなぁ、あれで。」

 美智恵には、その光景が目を閉じても浮かんでくるような気がした。モニターを見るまでもないだろう。おまけに受話器からはかなり苛立った口調でおキヌが必死に問い立てている。
 観念したように大きく息を吐くと、美智恵は投げ遣り気味に受話器を持ち直した。

「あ、おキヌちゃん? 横島君たった今また入院する事になりそうだから。ウチの令子のせいで。うん、そう。いつもの。」

 手短且つ投げ遣りにおキヌに要件を告げ、美智恵は受話器を一旦置いた。続いて大きく深呼吸して、そのまま再び受話器を取り直すと、先程とは一転重苦しい表情を作る。

「さて、横島君のご両親にも・・・もう一度連絡しなくちゃね・・・。」

 心なしか、プッシュボタンを押す指が重い。受話器の向こうの相手がどんな表情を浮かべるのか想像すると、なんとも心苦しい。先程横島の無事を知らせたばかりだというのに、今また時を移さず今度は入院の知らせをしなければならないとは。美智恵は軽い頭痛を覚えつつ、眉をひそめて天井を仰いだ。
 まあ、正直な話“この手の怪我”の場合、横島君の事だから恐らくは一日もすれば退院してしまうのではないだろうか。そんな考えがふと、美智恵の思考を横切った。
 しかし、だからと言って見なかった事として白を切ってしまってもいいものか。何と言うか、人として。美智恵は受話器を持ったまま同じような問答をぐるぐると心の中で繰り返しながら、悶々として立っていた。
 率直に言ってしまえば、いくら大人で分別のある美智恵だって、こんな内容の電話なんかしたくはないのだ。出来れば誤魔化したいと考えるのは致し方ない事だと言えよう。実際の所、彼女の心はすでに八割方、この事実をもみ消すか、もしくは事実より軽く彼の両親に報告する方向で固まりつつあった。
 そんな折、後方で作業中のスタッフが発した言葉が美智恵の耳に滑り込んできた。

「おい、やばいよ! 心拍数低下! 生命維持装置急いで!」
「あのセクハラ君も凄いけど、顧問の娘さんもやりすぎだろ・・・。」
「しっかし、耐久力高い少年ですね。普通なら死んでますよ?」










「ちょっとー、なんでこんな訳の分からないノイズが走るのー? 仕事にならないじゃ・・・。」

 美智恵の傍でセンサーと睨めっこしていた女性スタッフの一人による、軽い苛付きが含まれたその独り言が最後まで発せられる事は無かった。
 先程から霊波計のログに走る奇怪なノイズ。それが彼女の作業をたびたび妨害していたのだ。しかも、最初のうちはそのノイズも極僅かな物であったのに、今ではログの霊波形を見ているのか、ノイズを見ているのか分からなくなる程にまで悪化している。彼女の苛立ちは頂点に達していた。
 それらの過程を踏まえて発せられた彼女の言葉は、前述の通り最後まで声として放たれる事は無かったのだ。
 何故か。彼女は発言の途中でその原因を知ったからだ。
 モニターから視線を外し、腹立たしさを言葉に換えて辺りを見回した彼女の瞳に、全身から何やら怪しげなオーラのようなものを発しながら、無言で受話器を握り砕く美智恵が映っていたのだから。

「れ〜い〜こ〜!」

 その女性スタッフは、美智恵が先程まで受話器だった物を握り締めながら、誰にも聞こえない程の小さい声で静かにそう呟いていたのを、確かにその耳で聞いたそうである。












「はー、そんな事があったワケ。」

 パラソルの下に置かれた白いテーブルに腰掛けたエミが、呆れたような声を出しながら手元にあるアイスティーを一口飲んだ。時折吹く海からの風を心地よさそうに受けながら、エミの黒髪が優雅に踊る。
 相変わらず強い陽射しとは対照的に、風は意外と涼やかである事こそが、九月の残暑ももう終わりが近い事を暗示しているようだ。
 エミはテーブル越しに座っている令子に視線を送る事無く、目を細めて夏の終わりの海を黙って見ていた。

「まあねー。正直さー、今回はちょっと考えさせられちゃって・・・。」

 そう呟いた令子の亜麻色の髪が、エミの黒髪と息を合わせるかのように海風と踊る。令子とエミはそれ以上何も言わずに、暫くの間ただ黙って波音を聞き続けていた。

「へえ、珍しい事もあるもんね。あんたでも考えさせられる事あんの?」

 エミはニヤニヤと意地悪そうな笑顔を浮かばせながら、もう一口アイスティーを飲んだ。混じりけの無い透明度の高い氷が、グラスの中でカランと小さく音を立てる。エミは海風で乱れた髪を軽く押さえながら、そのままの表情で令子の反応を待った。

「・・・まーね。」

 そんなエミの冷やかしに令子は全く反応する事無く、手元にあるアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、面倒臭そうに返事を返してきた。

「・・・あれ?」

 エミにとって令子のこの反応は正直意外であった。普段ならこのような一言から口論となり、訳の分からないうちに意地の張り合いに発展していくのがパターンだったからだ。
 大体、なぜ今、令子とこんな所でお茶を飲んでいるのか。エミは今更ながらに少し不思議に思う。
 そもそも、今日は突然臨時休業した令子の事務所の様子見をしに来たはずだった。エミ本人の言葉を代弁すれば、『おキヌちゃんの様子が心配だったから』という事らしいが。
 二週間前、いきなり美神令子除霊事務所が臨時休業し、それきり令子と連絡がつかなくなった。始めの内は、大方仕事で大ポカやらかしてその後始末か、はたまた税務署でも入って追徴金を根こそぎ持ってかれたのかしら、とエミは内心ほくそえんでいたのだが。そんなエミが事態の異常さを感じ取ったのは、たまたま電話に出たおキヌの様子がおかしかったからだ。
 実はエミは一週間前にも一度、令子の事務所に顔を出している。電話したときのおキヌの様子に、えもいわれぬ不安を感じてしまった故である。
 シロもおキヌも、タマモさえあからさまにおかしいのに、それでも一切事情を話そうとしなかった彼女らに、エミは首を傾げながらもその時は引き下がったが、改めてこうして令子から事情を聞いてみれば成る程、納得せざるを得ない。
 あの施設をどんな事情であれ、個人の為に使っている事を公に出来るはずも無いし、また新法術の解析と言う観点から見ても極秘にすべき事態であったであろう事は、エミにも充分に理解出来るところだ。

「で、でもさー、結果オーライだったんだから、別にいいんじゃない?」

 令子の思わぬ反応に面食らったエミが、取り繕うように笑顔を作るとそう言った。

「・・・これからはさ、結果オーライってのはちょっと・・・ね。」

 相変わらずグラスの中身をかき混ぜながら、令子は視線を落としたままエミに返事を返した。

「・・・・・・。」

 相変わらずノリの悪い令子を眺めながら、エミはなんとなく目の前のライバルが何を考えているのか、分かったような気がした。
 それは“責任”と“覚悟”だろう。組織の上に立って、部下を率いていく上で決して目をそむけてはいけない要素の一つだ。ましてやGSと言う危険な業種であれば、尚の事その意識を要求される。
 無論、令子にそれが今まで備わっていなかったとは言わない。だが充分であったか、と問われれば即座に肯定も出来ない。
 同世代で、同じように独立開業しているエミにとって、令子の気持は痛いくらい理解できるのだ。

(・・・まあ、私は肉の壁とか平気でやるけどね・・・。)

 心の中で呟きながら、エミは暗く沈んでいる令子を眺めて残っていたアイスティーを飲み干した。
 エミの名誉の為に断っておくが、彼女が当時使用していた『肉の壁』はあくまでも対象の悪霊の攻撃力を見極めた上での使用だと思って頂きたい。勿論、相手の攻撃力が“想定外”だったケースも過去割とあった事も述べておく。

「あー、じゃあさ、アンタ今度の奈落組の仕事・・・キャンセルするワケ?」

 暫くの沈黙の後、その空気に堪えきれなくなったエミが雰囲気を変えようと話しかけた。

「んー。どうしよっかなー。」

 相変わらずやる気無さそうに、ストローを口に咥えて令子が生返事を返す。
 奈落組の仕事とは、かつて幾度かに渡ってエミと令子の間で争われていた、通常の除霊とは少々趣を異にする霊能力勝負の事を指す。
 霊能力勝負と言っても、別に競技の様に審判やルールがあるスポーツのような代物ではない。この勝負は元々公安からの依頼で、呪術を用いて広域指定暴力団等の幹部を脅し、真偽などお構いなしに不利な自白を強要させる仕事をエミが請けた事から始まる。
 当然ながらその攻撃から身を守る為には、その呪いの対象者である暴力団幹部も霊能力者を雇うしか対抗策はないのだが、いかんせんエミの呪術師としての腕前が日本でも右に出るもの無しの実力故に、大抵のGSでは全く歯が立たないのが実情である。勿論、エミに対抗しうる力を持つGSが日本にも何人かいる事はいるのだが、彼ら依頼者の職業が職業だけに、基本的に非協力的な者が殆どだったりする。
 そうなると彼ら対象者には二つの道のみが残される。大人しく公安に言われたままの自白をしてお縄になるか、それとも目の飛び出るような高額を支払ってでも、小笠原エミに対抗し、尚且つ闇に生きる彼等の依頼を受けてくれるもう一人の世界最高峰GSを雇うか。
 無論、彼ら裏社会の者たちは泣く泣く後者を選択するしか無い。結果、エミと令子の壮絶な霊能力勝負と相成る訳である。
 今の所、彼女らの戦績はほぼ五分五分といった所なのだが、同じ相手に二連敗した時点でGS業界では完全敗北扱いとして見られるので、お互いに勝敗には恐ろしく拘っていた。
 もっとも大元の依頼者である公安にとっては、どちらが勝とうと結果的に暴力団組織の弱体化を測れるので、彼女たちには互角のままでいてくれた方が都合が良いのかも知れないが。

(・・・うわ。コイツかなり重症だわ・・・。)

 本来ならば、目の色を変えて突っかかってくる筈の令子のこの無気力な態度に、エミは驚きを通り越して呆れてしまった。

「ま、こっちは別に構わないけどね・・・。あ! ちょっと待ってよ?!」

 相手をするのが面倒になってきたエミは、視線を令子から外して海を見ていたが、何かを思いついたのか突然大きな声を出して再び令子に向き直った。
 突然の大声にきょとんとした顔で向かいの女の顔を眺める令子に向かって、エミは満面の笑みを見せつけた。

「これって不戦勝ってことよね? てことはアンタ・・・これで二連敗じゃない?!」

 二連敗。先程も述べたが、GS業界におけるこの手の仕事で同じ相手に二度連続して負ける事は、業界内で著しく信頼度を低下させる事を意味している。
 すなわち、今後エミが同じように自白強要の依頼を受けた場合に、対抗策として令子に依頼が来ることは当分無い、という事になる。
 かつて令子もエミに対して『これであの女も失業』と言う意の発言をしていた事があるが、流石にその一敗でいきなり失業する事はあり得ない。だが、長いスパンで考えれば、事業としてやっていく上でのダメージは計り知れない物になるのは間違い無い所だろう。

「・・・・・・。」

 ストローを咥えたまま、令子は喜び勇むエミの顔を眺めつつ、それでもいまいちノリの悪い表情で無言を貫いている。

「まあねえ、前回は結局私が勝利を収めたワケだし、これでついに長年の勝負に決着が付けられるワケ。」

 令子の顔の前で、ストローがゆっくりと揺れ始め、同時に彼女の眉間に若干のしわが作られた。

「今回は不戦勝ってのがちょっと気に入らないけど、まあ、実際ガチンコでやっても同じ結果になってたと思うし。」

 空になったエミのアイスティーのグラスを下げに来たウェイターが、令子の顔を見て恐怖と驚愕の入り混じった表情を作り、そして一瞬小さく跳ねた。

「これで貴女とこの業界で会うのも最後って思うと・・・ちょっと寂しいけど、私達良い友達でいましょうね。」

 大気が震えています。原因不明の放電現象らしき物も確認できます。他のお客さんは皆怯えています。

「あ、私銀座のクラブにいい知り合いいるからさ、再就職は任せて欲しいワケ。アンタならまだギリギリ“若い子”で通るわよ。」

 レジカウンターの後ろでは、店員たちが警察を呼ぶべきか真剣に相談しています。

「じゃ、その気になったら連絡頂戴。あ、ここの払いは私が済ましておくワケ。遠慮したら駄目よ? もうじき定収入無くなるんだから。」

 エミは笑顔でそう言い捨てると、颯爽と伝票を取ってテーブルから立ち上がった。わざわざ令子の横を掠めるように通り過ぎながら、それ以上何も言わずにレジへと向かい、怯える店員にも笑顔を振りまきながら雑踏に消えていった。

「・・・・・・あ、おキヌちゃん? ちょっと皆を事務所に集めてもらえる? ・・・そうよ、仕事再開よ。」

 おもむろにバッグの中から携帯電話を取り出すと、ゆっくりと、静かに、令子は電話に出たおキヌに対してそう告げた。

 ちなみに、そのときの令子の事は“臨海に般若現る”という都市伝説になったとかならないとか。









「お帰りんしゃい、エミさん。」

 エミがオフィスのドアを開けると、アシスタント兼弟子のタイガーが挨拶と共に出迎えた。エミがその挨拶に答えながら何気なく視線を下に送ると、弟子の右手に受話器が握られているのが見える。

「・・・あ、今公安から連絡が来ましたケン。奈落組は結局美神さんを雇ったそうですノー。」

 エミの視線に気が付いたタイガーが、僅かに顔を緩ませながら電話の用件を師匠に告げた。
 タイガーも、美神が今回の仕事をキャンセルするかもしれない事を人づてにだが聞いていた。そして、師匠であるエミが最近いまいち調子が出てない事も同時に感じていたのだ。
 そんなエミが今日、一体何処で何をしていたのか自分は知らない。だが、間違いなくこの電話の理由はエミが何らかのアクションを起こしたからに違いない。タイガーは心の中でそんな推測をしながら、エミのそういう普段見せない可愛らしさに思わずにやけてしまうのを堪えられなかった。

「・・・ふーん、あっそ。別に不戦勝でも良かったのに。」

 どうでもいい、と言わんばかりの表情でタイガーの報告を聞き流したエミは、そのまま所長室へと歩き出す。しかしその態度とは裏腹に、彼女の全身からもう抑えきれないといった感じで霊力が滲み出てきているのを、タイガーは確かに感じた。

(素直なのか素直じゃないのか・・・。お互い苦労しますノー、横島サン。)

 去っていく上司の後ろ姿を見送りながら、タイガーは苦笑いしてそんな事を思った。
 そうして暫くの間、タイガーは今度の依頼に向けての準備に追われてせわしく動いていると、ふとエミが所長室から出てくる姿が目に映った。

「・・・? まだ準備は出来てませんが・・・もう始めるんですかノー?」

 思わぬエミの動きに戸惑いながら、タイガーは思わず時計を見た。予定していた呪術の施行時間にはまだまだ時間がある。

「ちょっとタイガー、悪いんだけど藁人形取ってくれない?」

 きょろきょろと時計とエミを交互に見ていたタイガーの思惑を無視した形で、エミはこれまたタイガーが予測し得ない要求をしてきた。
 藁人形など何に使うのだろう、とタイガーは上司の言動をいぶかしみつつも、背後の棚にストックしてある藁人形をエミに手渡した。

「藁人形なんか何に使うんですかノー?」

 先程からずっと思っていた疑問が思わず口をつく。それもそのはず、藁人形による呪術は対象者が肌身離さず所持している物か、体の一部を入手した場合には強力な効果を発揮するが、何も触媒の無い状態で用いても殆ど効果を期待出来ないと言って良い。少なくとも、今回の依頼においては間違いなく必要としないアイテムのはずだ。

「ふっ、タイガー。これ何だと思う?」

 そんなタイガーの疑問に答えるべく、エミは白い歯を見せながら何か細長い糸の様なものを、指で摘んで弟子の眼前にちらつかせた。

「・・・髪の・・・毛ですかノー?」

 それは一瞬見ただけでは見失ってしまいそうな程細長く、そして蛍光灯の光をうっすらと反射していた。その髪の毛がいまいち見えにくい理由は、その色が黒ではなく、淡い栗色をしているからだ。

「あ・・・! ま、まさか・・・?!」

 暫くその髪をぼんやりと眺めていたタイガーの表情が、唐突に何かを閃いたかのように変わった。

「そうよ! あの令子の髪の毛なワケ! あっはっはっはっは!」

 タイガーの驚愕の表情に満足したのか、エミは高らかに宣言し、そしてさも愉快そうに笑った。

「しかし、令子のやつも本当に腐抜けたわねー。私にすれ違いざまに毛を抜かれた事に気が付かないなんて。」

 心から優越感に浸っているのか、エミはニヤニヤとその髪を眺めながら一人悦に入る。この髪の毛が手に入った事で、これから可能となる呪術を想像するだけで、気を失いそうな程の歓喜が足元から湧き上がってくるようだ。

「・・・ま、まさかエミさん・・・、それで美神さんを・・・。」

 軽く別世界へ旅立っているエミに、タイガーは恐る恐る聞いてみた。髪の毛を手に入れてしまった以上、物騒な話ではあるが呪殺すら不可能ではないのだから。
 この人なら本気でやりかねない。タイガーはなにか言い知れぬものが背中を走るのを覚えた。
 そんなタイガーの怯えた表情に気が付いたのか、エミは慣れた手つきで令子の髪を藁人形にセットしながら笑った。

「馬鹿ね、いくらなんでもそこまではしないわよ。大体さ、令子を本気で殺そうと思ったらこんな方法選ばないわ。
 あれでも一応は私と肩を並べるGSだからね。ちゃんとその手の呪詛対策はしてるってワケ。」

 なるほど、とタイガーは思わず頷いた。しかし相手が防御すると分かっていて、それでもその呪いを行おうとするのは何故か。少々合点のいかないエミの言動のような気がする。
 そんなタイガーの心理を読み取ったのか、エミはもう一度、今度はニヤリと白い歯を見せてほくそえんだ。

「確かに令子は防御をしてるけどね、流石に髪の毛がこっちにある以上、ある程度のダメージは間違いなく与えられるワケ。
 例えば・・・人形の右腕を折れば向こうは右腕を捻挫する、とかね。」

 つまり、霊能力勝負の前に先制攻撃をしてしまおうと言う訳だ。タイガーはエミの抜け目の無さに思わず苦笑いした。ただ、一概にそのやり方が卑怯だとは言えない。これから真剣勝負する敵に、迂闊にも髪の毛を取られる方が間抜けなのだ。タイガーはエミのビジネスに対するシビアな面を垣間見た気がした。

「それで・・・、一体どこを・・・?」

 さて狙うとすれば腕か、それとも足か。首とか頭はいくら万全の防御だとしても、下手をすると死んでしまう可能性がある。この後の霊能力勝負でこちら側が有利になるようにするにはどの部分がもっとも有効かを、タイガーなりにいろいろと考えていた。

「あ、そーれ。」

 コン、と室内に木槌が奏でる品の良い音が響いた。一人あれこれと思案していたタイガーがふと、その音に気が付き視線を音の方向に向けてみると、エミが楽しそうに藁人形に五寸釘をさくっと打ち付けた姿が飛び込んできた。

「おわぁー! え、エミさん!? そ、そこは心の臓なんじゃないんかノー!」

 殺す気満々じゃねえか、と目を白黒させながらタイガーが叫んだ。藁人形の胸部の中心から僅かに左、五寸釘は見事なまでに深々と突き刺さっている。

「ダーイジョウブ、大丈夫。ちょっと心不全とか心筋梗塞になるだけだって。」

 動揺するタイガーとは対照的に、エミが朗らかにタイガーに笑いかけた。真面目な話、心不全も心筋梗塞も『ちょっと』どころの病ではないはずだが。

(怖い・・・、この人は怖い人ジャー!)

 分かってはいた。分かってはいたが、タイガーは今日改めて再認識した。己の上司が美神令子と対等に張り合える存在だという事を。












 ぞくり、とえもいわれぬ悪寒がエミの背中にそっと触れた。冷たく、吐き気を催すその感触。
 それは何本もの目に見えない触手となってまとわりつき、ゆっくりとエミの体から自由を奪う。

(・・・っ!? 動け・・・ない?!)

 背後にあるのは今まさに打ち付けたばかりの藁人形しかないはず。自分が仕掛けた呪詛が失敗したとは考えられない。エミは喉元まで迫った見えない何かを己の霊波でなんとか押さえ込みながら、静かにタイガーを見た。

「・・・? エミさん、なんか・・・。」

 たった今まで愉快そうに笑っていたエミが突然、表情を強張らせた事でタイガーにもその異変は伝わった。元々本能的な感覚が非常に優れている彼は、エミの周りに何か良くないものがいる事を瞬時に察したのだ。

「姿を現しんしゃい!」

 すばやくタイガーが己の能力を開放し、精神感応でその見えない何かを映し出す。
 蛇だ。令子の藁人形から生えた何匹もの蛇が、エミの全身に絡み付いていた。いや、正確には蛇の形を作った陰の気のような物と言った方が良いか。
 タイガーはエミの喉元まで這い上がっているその蛇に一瞬目を見開いて動きを止めたが、素早く気を取り直すと仕事の準備の為に手元にあった破魔札を投げつけた。
 ギッ、と悲鳴のような呻き声のような、とにかく不快な声を発して陰の蛇が破魔札を避けるように動く。エミはその一瞬を見逃さず、気合と共に蛇の拘束から逃れタイガーのいる方向へ転がるように飛んだ。

「我に仇なす忌まわしき呪よ、我が肉体に触れるを禁ずる!」

 床の上を転がりながら体勢を整えたエミが素早く印を結ぶと、事務所内のあらゆる場所から白い靄のようなものが滲み出し、陰の蛇と藁人形を押しつぶすように包み込んだ。

「な、なんですかいノー、コイツは?!」

 小さな悲鳴を上げながら、白い靄に押し潰されて陰の蛇が消えていく。その光景を眺めながらタイガーはそう呟いた。

「・・・これが私の“防御”ってワケ。事務所内ならどんな呪詛も私を攻撃できないわ。」

 エミが髪の毛を整えながら、タイガーの疑問に淡々と答える。エミはこういった不測の攻撃にも常に対応できるように、あらかじめ事務所内に守りの呪を仕込んでいたのだろう。

(・・・でも、防御呪術を突破して私に触れる程の術者がいるなんて・・・。)

 それは到底信じられない事だった。いや、信じたくないといった方が良いか。エミにとってこれはある意味屈辱でさえあったからだ。

「み、美神さんも物凄い霊的防御しますノー。びっくりして心臓が止まりそうでしたケン。」
「違うわ。令子じゃない。アレが令子から発せられたのは間違いないけど。」

 タイガーの言葉に間髪入れずにエミが言った。その表情は攻撃を受けたとき以上に険しくなっていた。

「ど、どういう事ですかいノー?」

 エミはタイガーの言葉を無視したまま、ゆっくりと藁人形に歩み寄り、再び五寸釘と木槌を構えて今度は頭部を狙った。
 こん、と先程と同様の澄んだ木槌の音が響き、釘は何の抵抗もなく人形の頭を貫く。直後にエミは突然その場から飛び退くと、同時にタイガーに指示を飛ばした。

「タイガー! 今よ、精神感応!」

 何がなんだか分からないまま、タイガーはエミの命令に対して条件反射的に能力を発動させた。
 先程と同じように、藁人形から何匹もの黒い蛇の影が溢れ出し、それはまるで釘を打ち付けた相手を探しているかの様にゆらゆらと揺れる。

「な、なんか海草みたいですノー。」

 タイガーが思わず場違いな台詞を吐いた。ただ確かに、蛇は藁人形を根として枝葉を伸ばすように生えて、葉に位置する蛇はまるで海に浮かぶように宙を漂っていた。
 しかしエミはそんなタイガーの感想など耳に入らないといった表情で、その藁人形の少し上、天井近くをじっと凝視している。

「・・・エ、エミさん・・・?」

 自分の言葉に反応を示さないエミに少々戸惑いながら、タイガーもエミが眼で追ってる何かに視線を合わせた。
 何も無い。いや、その時までは何も無かった。
 タイガーが視線をその方向に向けてから数秒、その空間に突如亀裂が入った。とはいえ空間にひびが入ったというわけではなく、本来閉じていたものが開いたと表現すべきだろうか。
 見られていた。それは金色に鈍く光る目だ。目だけが、藁人形の少し上に浮いていた。恐ろしいほどに無機質で冷酷な、爬虫類を思わせる金の眸が、空中でこちらをじっと見詰めているのだ。

「な、なんじゃこりゃー?!」

 タイガーが喉の奥から搾り出すように叫ぶ。その隣でエミが無言のまま先程と同じ印を両手で結び、防御システムを発動させていた。
 二回目の白い靄が再び現れ、金の双眸と陰の蛇を包み込み、そして何事も無かった様に室内は普段の姿に戻った。

「い、今の蛇の目ジャー! ワッシはジャングルにいたからよく覚えてますケン!」

 忘れもしない。タイガーがかつてジャングルにいた頃、よく見ていたニシキヘビ等の大蛇の目にそっくりだった。だが、大きさの比率的に考えると、あの目の持ち主はアナコンダを遥かに越える大きさの蛇という事になるが。

「令子の奴・・・。下らないものを背負わされたわね・・・。」

 エミはタイガーの説明ですべてを理解した。何のことは無い、令子には先客がいたのだ。先程カフェで聞いたあの大蛇という先客が。
 先程現れた陰の蛇と金の眸は、つまり“人の獲物に手を出すな”という警告なのだろう。
 どの段階で呪いを掛けられたのかはエミには知る由も無いが、それ自体はそんなに重要な事ではない。問題なのは、エミが白い靄を使わなければならない程の強力な呪だという事だ。

「タイガー! すぐに出かけるわ! 用意して!」

 これ以上は実際に見て、調べなければ何も分からない。しかも事は急を要する。エミはタイガーに呪術の用意を止めさせて、外出の準備を命令した。


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