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始まりの物語

アンサー そして始まる物語


投稿者名:ゼロ
投稿日時:05/ 3/ 8

 起きると同時に美神は体に違和感を感じた。
 頭が痛い。ベッドから出てリビングに向かうと空っぽの酒瓶が目に付く。
 どうやらこの頭痛は二日酔いのようだ。それならすぐに治るだろう。
 目を覚ますためにコーヒーを濃い目に入れてそれを飲む。
 苦味が口の中に広がっていきカフェインの作用が始まる。
 自分の頭が徐々に働き出してゆくのを感じる。
 昨晩の記憶が蘇ってくる。 

「っ!?」

 再び頭痛がはしり頭を抑える。ようやく思い出してきた。 
 確か自分は横島の出向が現実味を帯びてきたので、
 横島がいなくなった場合の事務所の事を考えていて、
 でもなかなかいい考えが思い浮かばなくて、それで飲み始めたんだ。
 そのうち母親がやってきて、何か大事な話をして………

『最低1人』

 その言葉が思い浮かんでくる。
 ああ、そうか。あの時、酔っ払ったままでは気がつけなかった。
 けれど、冷静になって考えればその意味が分かる。
 それは今までの生き方を否定する事になるかもしれない。
 なるほど、だからこそ母に言われるまで考え付かなかったのか。

 深酒をしたせいか眠りが浅い。そのため早くに目が覚めた。
 時計を見るとまだ4時半だ。外は未だほの暗く、暁の訪れはなお遠い。
 
「ちょっとドライブに行ってくるわ。みんなが起きて来たら9時には戻るって伝えておいて」

『了解しました、オーナー』

 人工幽霊に告げると彼女は車のキーを手に取り事務所を出て行った。

 

 冷たい風が頬を撫でる。それがまだ覚めきらない彼女の頭をすっきりとさせた。
 まだ暗いこの時間では通りを走る車影は疎らで人影もほとんどない。
 まるで自分が道路を独り占めしているかのような錯覚。
 少し調子に乗ってアクセルを踏むとコブラのエンジンが彼女の意志に応えて唸りを上げる。
 周囲の景色があっという間に流れさり圧倒的な加速によるGが彼女の背中をシートに打ち付ける。 
 やがて時速は200kmを越える。こうなると並外れた動体視力を持つ彼女でも景色を判別出来なくなってゆく。
 超加速状態とは異なるこの高速の世界で、あやふやな色彩に包まれながら美神はコブラを目指す場所へと駆り立てた。
 



 潮騒が聞こえてくる。夜が明ければそこには視界一杯に青い海原が広がるのだろう。
 車を止めて周囲を確かめると、黒い色彩が薄れた空からは黎明の訪れを感じる。
 潮風を感じながらやがて彼女は再び思考に没頭し始めた
 何故、自分は横島の派遣を快く受け入れられないのか。
 それは今までの己の生き方を振り返ることでもあった。

 別に唐巣先生のように高潔な理想があったから、あの方針を打ち出したわけじゃない。
 アシュタロス大戦以降も除霊関係の依頼がなかなか増加しなかった。
 ただその穴を埋めようと考えただけだった。
 横島のように人外の存在と仲良くなるのに熱心だったわけでもない。
 あれは自分の現世利益を追求するための手段であった。
 そしてその目的は現状では十分に果たされていた。
 国がこちらの方針を受け継いでその見返りに十分な現世利益を与えてくれる。
 ならばこれはおいしい話のはずだ。横島も人外の存在の共存共栄を実現するためならば決して嫌々参加することはない。
 横島をオカGに派遣しても誰も損をしない。
 ならば何故自分は……… 

 考えても考えても美神の思考はそこで袋小路に迷い込む。
 彼女の知性もその方向性を見失い、とるべき指針を見出せない。
 
 美神はそこで頭を振って一旦思考を断ち切る。
 冷たい潮風がちょうど良く頭を冷やしてくれる。
 深呼吸をすると潮の匂いが飛び込んできた。

 もともと除霊そのものが好きだった。
 命をチップに慎重に行動し、全力を尽くして相手をしばき倒す!
 コストパフォーマンスを考えながら使う道具を選んで最終的に黒字を出す!
 それはスリルに溢れ、己の体と頭脳を酷使して勝ち抜く最高の娯楽でもあった。
 人外絡みの仲介の依頼が増えてもそれは変わらず、だからこそ適正のある横島に仲介を任せた事も多かった。
 これからは仲介の仕事を横島に任せて除霊に専念できるのに、
 事務所の利益もほぼ間違いなく上向くのに何故自分はそれを喜べないのだ!?




 ………もう認めざるをえないだろう。
 この気持ちをなんと表現するのかは分からない。
 けれど自分は、横島が自分の隣から手の届かない所に行くのが嫌なのだ。

 方向性を与えられずに彷徨っていた思考がようやく1つの壁を乗り越える。

 しかしそれでも美神の迷いは消えなかった。
 今までの生き方の根本にある物を捨てられなかった。

 美智恵が示唆したあの結論。
 あれなら確かに自分達と彼との絆は失われない。
 その代わり生きがいでもある除霊で稼ぐ事に支障が出る可能性が高い。
 自分の生き方を曲げてあの結論を取るのか、今認めた自分の欲求に従うのか。


 ふと目を上げて美神は水平線を眺めた。

 視界に広がる空全体が赤く染まって、わずかに出ている雲がきれいに色づいている。
 朝焼けだ。
 空気が澄んでいるせいで夕焼けよりもはっきりとは見えないが、それでもこの景色は幻想的なまでに美しい。


 昼と夜の一瞬のすきま……
 短い間しか見れないから………
 よけい美しいのね………


 一緒に夕焼けを眺めたとき、ルシオラは横島にそう告げたそうだ。

 綺麗だ。確かに言葉で言い表すのが困難なほど綺麗だ。
 けれど………自分はルシオラじゃない。
 目の前の景色にどれほどの感動を覚えても、きっと自分はルシオラと同じ感慨は得られない。
 何故なら自分の生き方は自分だけのものだからだ。 
 
 そして彼女は自らの生き方を決めた根本にあるものを見つめ直す。

 お金を稼ぐのが好きだった。いや、それは一流のGSとなって十分すぎるほどの額を稼いだ今でも変わらない。
 何故私はこれほどまでにお金を稼ぐ事に固執するのだろう?
 あまりにも単純で純粋な問いに、しかし思考が凍りつく。
 何故なんだ?どうしてそんなに稼ぐ事にこだわり続けるのだ?
  
「令子は強い子ね」

 そうだ、思い出した。
 最初はただ純粋に母親に憧れていた。
 滅多に会ってくれない父の代わりに側にいて自分を守ってくれた優しい母。
 どんな悪霊でも的確な判断と様々な道具を使いこなして調伏する凄腕のGS。
 
 記憶が過去へと巻き戻ってゆく。
 
 母の師である唐巣先生に引き取られ、彼のように信仰で霊力を引き出すことも出来ずに悲嘆した。
 唐巣のような凄腕の人間が教会から破門されて見返りなしに慈善で除霊しても、
 その功績も認められず唐巣自身が報われない境遇にいる。
 そんな社会の不条理に、それを受け入れる師の姿勢に激怒した。
 そして神通棍を手にして、初めて自分の力を自覚した時、母の死から感じてきた想いが明確な形をなしたのだ。
 この力を生かせば自分は1人でも生きてゆける、
 そしてお金を武器にすれば誰が邪魔をしてこようとも跳ね除けて自分の生きたい様に生きられるのだと。

 ……そうだ。

 だから憧れだった母の様になろうと修行を積んだのだ。
 一人前のGSになると、お金を稼ぐのに拘った。それが自分を強くするのだと信じていたからだ。

 そう、自分はこの世界で突如襲ってくる理不尽に負けたくなかったのだ。
 だからお金が欲しかった。それを武器にすればたった一人でも立ち向かえると信じていたから。
 母のように格好よく生きられると思ったから。

「まいったわね」

 思わず声をもらした。
 今、自分は1人ではない。
 事務所には騒がしい居候がいる。
 隣には一人前のGSに成長した青年がいる。
 すぐ後には幽霊時代から行動を共にしていた少女が自分を見守っていてくれる。
 それを心地よいと感じる自分がいる。それがなくならないで欲しいと思う自分がいる。
 あの時よりも求めているものが増えてしまったのだ。

 朝焼けを見て高揚した感情が治まってゆくと同時に美神の頭の中が整理されてゆく。 

 自分は常に正しい判断を下して道を選んできたわけではない。
 けれど選んできた道を最良の結果にするべく自分は常に戦いながら生きてきた。 
 それは厄介な依頼を引き受けるかどうかを判断した時に。
 二年前にアシュタロス大戦の影響で激減した依頼の穴を埋めるべくあの方針を掲げた時に。
 そして今、自らの片腕となって隣にいた青年の選択を見守る時に。
 ならば今度のことも己の心のままに、己の願いのままに決めればいい。


 ようやく自らの中で天秤が傾いた。
 美智恵の示唆した結論、それを受け入れ、それでも戦って現世利益を勝ち取ってみせる。
 そう決意すると、もう一度朝焼けを目にする。
 太陽は水平線から顔を出して既に世界からは赤い色彩が消えていた。 




 美智恵が示唆した結論、それに対する答えを説明したとき、美神は珍しく弱気だった。
 己が今まで誇りを持っていた生き様、それに多少とはいえ修正を加えるのは美神にとっても初めての経験だった。
 だからこそ、この方針を決定する前にメンバーに意見を求めたのだろう。

「これはみんなの協力がないと出来ないわ。それで、あんた達はどうしたいの?」

 そう言って彼女はメンバーの反応を窺った。

「私に危険がないならそれでもいいわよ」

 と妖狐の少女が言う。

「拙者は先生と一緒なら、例え火の中水の中へでも、でござる」

 人狼の少女は即座に返答する。

「私の答えは………決まっています」

「おキヌちゃん?」

 おキヌの声が少し震えていて、こちらを見る目には強い意志が込められている。 

「美神さんの目的は現世利益の最優先と最大追求でしたね?」

「ええ、そうだけど」

「私も美神さんを見習って現世利益を大事にしようと決心しました!
 せっかく幽霊じゃなくなったんですから、もっと横島さんに触れたいですし触れてほしいです。
 私にとって横島さんを捕られるのは、お金では換算できない現世利益の損失なんです!」

「お、おキヌちゃん」
 
 いつのまにこんなに強くなっちゃったのかしら。
 そう思いながらおキヌを見つめる美神を、彼女は力強く見つめ返して更に言い募る。

「美神さんは言っていたじゃないですか、欲しい物なら力ずくでも奪ってでも手に入れるって。
 それなのに、一番良い結果が手にはいるかもしれないのに尻込みするなんて
 危険な除霊でも降って沸いてきた理不尽でも、全部力ずくでねじ伏せてきた美神さんらしくないです!」
 
 おキヌの言葉が美神の胸に突き刺さる。その衝撃が彼女の弱気をかき消してゆく。
 それは最も近くにいて無意識のうちに家族だと認めていたおキヌの言葉だからこそ為せたのだ。
 彼のことが大好きなくせに彼女には有利にならないのに
 それでも彼女はその言葉で、素直になれない美神を立ち上がらせようとする。
 そしてそれは、美神の魂の奥底に閉じ込めていたものを蘇らせてゆく。


――――縁があった

「俺にホレろ」
「ホレさせたんなら、きちんと責任取れ!!この……この……」


――――思い出があった

「必ず人間になれ」
「もし生まれ変わって人間になれるなら、そのときはアイツと………」


――――約束があった

「また会おうな」
「今は自由にしてあげる。でも今度会ったときは逃がさないから………」


――――そして、絆があった
 
「美神さんのそばにずっといられるバカなんて俺ぐらいっすよ」
「アイツの生殺与奪は私のものなのよ!」


 その瞬間、美神の心から最後の迷いが消える。
 それは母の死の直後、1人で生きてやると決心した己の過去との決別だった。 
 美神の頭の中に彼女らしい不敵で身勝手で力強い想いが溢れてゆく。

 そうだ、安全策なんて私の性に合わない。
 博打はリスクとリターンが大きいほど燃えるのだ。
 仕事が忙しくなる?上等だ。ならば従業員をもっとこき使えばいい。
 ライバルが多い?全員蹴散らせばいいだけの話だ。
 この計画はお金になるのか?報酬は国を脅迫してでもせしめてみせる!
 あいつの3つ目の願いは千年間かけて叶った。
 ならば、これから千年間、アイツの魂は私のもんだ!
 だから、これからもずっと、あんたは私の側にいなさい!

「言ってくれるわね、おキヌちゃん。
 その通りよ。私は欲しい物は全部手に入れてみせるわ。
 覚悟しなさい、私を焚きつけたんだから」

 不敵な笑いを浮かべると美神はゆっくりと視線を動かして3人を見る。
 泣いても笑っても事務所の全員には最後まで付き合ってもらう。

「これからは、容赦しないわ。3人とも苦労してもらうわよ」

「はい。喜んで!」 
「承知でござる!」 
「……遠慮したいかも」

「それじゃあ、ママに私たちの意思を伝えるわよ!」




「お邪魔するわ、令子」

「みなさん、こんにちは」

 娘からの電話を受け美智恵は八代を連れて美神事務所にやってきた。
 電話で話す娘の声を聞いた時の印象から、悪いことにはならないだろう。
 そう思って美智恵は美神に声をかけた。

「令子、横島くんの件について話があるからって聞いたけれど、
 正式な回答は明日で良いのよ。それとも横島くんがもう結論を出したのかしら?」

「いいえ、今日はこの件に関する美神事務所の方針を聞いてもらおうと思ってね」

「それは正式な回答と思って良いのかしら?」

「もちろんよ、ママ」

 そこまで言うと美神は居住まいを正し、口調を改めて自らの決断を告げた。

「横島くんの出向要請に対して美神事務所からの正式に返答します。
 美神事務所からは横島くんのオカGへの出向について条件付きで賛同します」

「美神所長、条件とは何かしら?」

 事務的に問い返す美智恵に向かって美神は誇らしげに宣言した。
 
「はい。我が事務所としては、今回の計画は我が事務所が打ち出した『人と人外の存在の共存共栄』と深い関連があると考えました。
 よって計画成功のために彼を出向させるだけでなく、美神事務所の総力を挙げてこの計画に協力します。
 具体的には事務所の所長である私と従業員の氷室キヌ、シロ、タマモのうち、最低1人は常時彼のサポートに回るつもりです。
 この結論に関して他のメンバー全員が賛同してくれました。これは美神事務所の総意です」

「除霊絡みの依頼はどうするの、令子?」

「休むわけないじゃないの。
 この私は目の前に転がってきた現世利益は全て手に入れてみせるんだから!」 

 美神の答えに美智恵は安堵のため息を漏らした。
 娘は自分の出した謎かけを解き、最も困難で最も可能性に満ちた道を選んでくれた。
 ならばもうこちらから言うことはない。

「了解しました。それでは今後の詳細については担当の八代と話し合ってください」

 そこまで言うと美智恵は立ち上がってドアへ向かった。ノブに手をかけて振り返る。

「令子、後悔してない?」

「あったりまえでしょう!私が決めた道なんだから最高の結果にしてみせるわ!」

 胸をはる美神。微笑むおキヌ。大きく頷くシロ。クールな表情のタマモ。

 良い顔をするようになった。本当に良い女に成長してくれた。
 そんな感慨を抱きながら美智恵は少しだけこみあげてきた涙を見られぬようその場を立ち去った。


 
 美智恵が出てゆくと、部屋には静寂が立ち込める。
 秋美は何かを思案するように首を傾げていたが、やがて美神達に視線を移す。

「八代さん、どうかしたんですか?」

 秋美の挙動を不思議に思ったおキヌが尋ねると、秋美はさりげなく爆弾を投げつけてきた。

「先ほどの遣り取りを見て思ったんですが、美神さんもおキヌさんも横島さんのことが好きなんですか?」

「ちょ、ちょっといきなり何を」 
「私は、その……」

「私は横島さんが好きです。誰が相手であろうとも負けるつもりはありません」

 2人の反応を確認してひとつ頷くと、秋美は一歩前に出てその場の全員に告白した。
 そのあまりにも堂々とした宣言にその場が完全に静まりかえる。
 秋美は顔を紅くしているもののその表情には一切の迷いがない。
 ちなみにタマモはこれから先の展開を予想してこっそりと屋根裏部屋に避難している。

 緊張状態が続く中、シロは里を出るときに長老に言われた言葉を思い出していた。

『シロ、もしお主が何らかの戦いに参戦する事があるならば
 人狼族の誇りに恥じぬよう全力を持って勝利を手に入れてみせろ』

 ……なるほど、つまりこれは拙者と秋美殿や美神殿達との戦いなのですね。
 たとえ恩義のある美神殿であっても、戦いとならば話は別。
 いやむしろ、恩義のある相手だからこそ戦いの場では手を抜くことなどしない。
 全力を尽くして戦え、そして勝て!と――そういうことなのですね、長老!

 ここで退いたら自分の負けだ。本能的にそう悟ると彼女は迷いを振り切り宣言した。

「秋美殿、拙者も先生をお慕いしているでござる。
 拙者、全力を尽くして先生を手に入れてみせましょうぞ」

 シロの宣言にようやく硬直の解けた美神とおキヌが反応する。

「ほほう、それは私に対する挑戦と見ていいのね。当然覚悟はできてるんでしょうね」

「シロちゃんのお食事は明日からお肉抜きですね」

 美神がシロを睨んで威圧する。
 おキヌが笑顔のまま兵糧攻めを宣言する。

「き、汚いでござるよ、美神殿!おキヌ殿!」

「正々堂々なんて私のやり方じゃないのよ、シロ」

「私は私の武器を使って勝たせてもらいますから」

 シロの弾劾に対して全く悪びれずに2人は己のスタンスをとる。
 その3人の会話を聞いていた秋美は、半ば確信していた事を尋ねた。

「あの………つまり、皆さんもライバルだと思ってもいいのですね」

「そういうことになるわね。でも、ぽっとでの貴方に勝ち目があるなんて思わないほうがいいわよ?」

 美神は余裕の表情をして心理戦で優位に立とうとするが、秋美は笑顔でそれを迎撃する。

「あら、美神さん達は横島さんと知り合ってから数年になると聞いております。
 それでも未だにステディーな関係になってないのですから私にも勝機は十分あると思いますけど」

 痛いところを突かれて鋭い目で秋美を睨む美神、少しだけ怯むおキヌ、歯軋りするシロ。
 その場のボルテージがいっきに高まり、各々の感情が理性を凌駕しそうになった時、人工幽霊が横島の到着を告げた。




「こんにちわっす」

 いつものように軽いノリで事務所に入ってくる横島を四対の視線が出迎えた。
 何故か霊障の現場のように部屋の中には霊力が充満している。
 いくつもの修羅場を潜った彼の霊感にはアラームが最大限のボリュームで鳴り響いた。

「な、なんか取り込み中みたいっすね。出直してきます」

 後ずさりしながらそう言うと素早く身を翻す。
 しかし彼の雇用主はその反応を遥かに超えた速さで彼を呼び止めた。

「待ちなさい、横島くん。あんたに大事な知らせがあるのよ」

 横島の動きが止まる。ゆっくりと振り返って美神のほうを見る。
 緊張している横島を焦らせるように美神は彼をじっと見つめる。 

(大事な知らせ!?この針のように鋭く俺に突き刺ささる雰囲気の中で、一体何を通告するつもりなんですか!?)

 全身から噴出す冷たい汗を感じながら横島は覚悟を決めた。 

「美神さん、なんでも仰ってください」

 少し横島の顔色が悪くなったのを見て取ると、美神は上機嫌になる。
 やっぱり自分と彼との関係はこうあるべきだ。
 もう彼の魂は自分のものだと決まっているのだ。
 だから、これまでのように私の横をずっとついてきてもらうのだ。 

「横島くん、もう出向のことで悩む必要なくなったわよ」

「えっ!?・・・・・・・ま、まさか、俺、クビ・・・・・・・ですか?」

 勘違いで一気に青褪めた横島に思わず事務所のメンバー達は吹き出す。

「違うわよ。あんたの派遣は決定。それと同時に計画には私たち全員も参加することにしたから」

 あまりに唐突な展開についてゆけず横島は聞き返す。

「・・・・・・・あの、つまりどういう事になったんでしょう?」

「だからね、この計画にはあんた1人を派遣するんじゃなくて
 美神事務所全員が民間の代表として請け負うって決めたのよ」

「えっ?それじゃあ俺がオカGに出向する話は?」

「別にそれがなくなったわけじゃあないわ。
 計画には私達全員が参加するけどその間も本業は休まないからね。
 オカGのビルに臨時で美神事務所用の部屋を借りて、こっちとそっちで業務を行うってだけよ」

「それじゃあ、これから2、3年は事務所のみんなで
 プロジェクトの実施作業と本業の除霊を掛け持ちするってことですか?」

「ええ、そうなるわね。除霊とあんたのサポートと両方やることになるから
 今までより大変になるかもしれないけど、おキヌちゃんやシロも喜んで賛成してくれたわ。
 まさか、あんたは嫌とは言わないわよね?」

「もっ、もちろんっすよ!」

 ギラリと鋭い眼光で睨む美神に横島は慌てて首を縦に振る。
 すると美神は横島に近づきその顔に一枚の紙を押し付けた。

「ぶっ、って美神さん!こ、これはまさか」

「あんたにとっては念願の契約書よ。
 事務所全体で引き受けた仕事に参加してもらうんだから
 あんたも正社員でないと都合が悪いの」
 
 押し付けられた紙を見て固まる横島の問いに、
 美神は事務的に応えるもののそっぽを向きながらしゃべるその様は、
 部屋にいる他の女性達から見れば照れ隠しなのが見え見えだった。

「ほら、さっさと署名と捺印してきなさい!
 正社員になったからにはあんたには馬車馬よりも働いてもらうんだからね!」

「い、痛いっす。あ、でも痛いって事は夢じゃない!ついに俺は美神事務所の一員になったのか!」

 渡された契約書を見たまま動かない横島に痺れを切らして一発しばくと、
 漸く彼は再起動して契約書から顔を上げた。

「それじゃあ、速攻で戻ってきますから。これからもよろしくお願いします!」

 そう言うなり走り出した横島の背中には4つの視線が注がれていた。
 それらの視線は横島の姿が見えなくなると互いに交差してその場にはある種の緊迫感が発生する。
 その緊張の中でコホンと咳払いをすると美神は自らの意思を高らかに宣言した。

「とりあえず、勝負はこれからね!」

「「「負けません(ないでござる)!」」」

 それに対して3人の声が綺麗にハモる。
 同時に4つの静かな闘気と霊力が湧き上がりぶつかり合う。
 なかにはバックに炎を背負っている者までいる。

 これより神族も魔族も介入できない新たな戦いの始まりが高らかにつげられた。
 それはある物語の終わりであり、そして彼らの新たなる時の始まりであった。



(あいつら、ようやくいつもの調子が出てきたみたいね)

 屋根裏から互いに闘志を燃やしている女性達を眺めながらタマモはそんな感想をもらした。
 事務所を大混乱に追い込んだ揉め事が消えていったおかげか久々にいい気分だ。
 このまま日向ぼっこをしながら昼寝をするのもいいかもしれない。
 見上げると、もう春はすぐそこまで迫っていた。
 


               「始まりの物語」  FIN


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