そのバー・ラウンジには、一人の少女が奏でる静かな音楽が流れていた。
客はひとり。
年の頃三十代くらい、細身で長身の男がカウンター席に腰掛け、グラスを傾けている。
グランドピアノの音色が扉の開く音に遮られても、男は振り返らない。
来店した少年が、演奏する手を止め会釈する少女に片手をあげて返礼し、自分の隣に腰を下ろしても。
「…どういうつもりだよ。」
少年はおもむろに口を開く。
あまりにも不躾な質問に、男はからかうように口の端を歪める。
「いきなり何の話だ?」
「とぼけないでくれ。あの人に…横島に会ったんだろ?」
少年─刻真は、その少女のような顔に似つかわしくない鋭い表情で、男の横顔を責めるように睨む。
「何で…何でそんなことをしたんだ、パオフゥさん。」
パオフゥと呼ばれた男は、そのサングラスの下の双眸を、愉快げに細める。
「何でってなぁ…たまたま見かけたからだが。」
「そういうことじゃない! どうして、横島に俺がここに通ってることを教えたんだ!?」
声を荒げる刻真に、「冗談だ。」とパオフゥは笑って宥める。
だが、ふと真剣な表情になると。
「じゃあ聞くが、お前さんはどうして横島を、そこまで関わらせたくないんだ?」
「…横島、だけじゃない。」
睨みつけていた視線をそらし、刻真はぽつりと零す。
その態度に、やれやれと言わんばかりに鼻を鳴らして、パオフゥはグラスを持ち直す。
「…自分の復讐には、誰も関わらせたくない…か?」
パオフゥの言葉に、刻真は目を見開いて彼を見る。
その目が、どうして知っていると疑問を訴えていた。
「別に調べたわけじゃねぇ。ただな…そんな匂いがわかるんだよ。」
「匂い…?」
「…俺の名前、パオフゥの意味を知ってるか?」
ふいに、そんな事を言い出したパオフゥに、刻真は首を振る。
そんな刻真の肩を掴み、覗き込むようにしてパオフゥは言った。
「『復讐』だ。」
言葉は短かったが、その中に重過ぎる何かを感じ取り、刻真は息をのむ。
すっと、パオフゥは姿勢を元に戻し、またグラスを掴む。
「そう、俺も復讐を望んだことがある。五年かけてな、仇を討とうと躍起になった。」
「…果たしたのか?」
「いや、ダメだった。果たせそうだったが、『おせっかい焼き』に邪魔された。」
肩をすくめて皮肉めいて笑うが、どこか満足そうにも見えた。
そのままパオフゥはグラスを持ち上げ、一口呷る。
「…だがまあ、救われた気はするな。また、大事なモンも出来た。」
そう言ってまた、グラスを傾ける。
彼につきまとう自虐的なやさぐれた雰囲気は、そんな過去のため。
それでもどこか穏やかな気配は、その過去を乗り越えたためなんだと刻真は感じた。
「ようするに今回は、俺が『おせっかい焼き』ってこった。」
「パオフゥさん…でも、俺は…。」
言いよどむ刻真の前に、すっとグラスが差し出される。
見上げれば、カウンター内でグラスを拭いていたマスターが立っていた。
その出で立ちはキャプテンハットに、軍服にも似た立て襟の白い制服。
まるでマスターというより『船長』と呼ぶべきものだったが。
パオフゥが、隣から興味深そうに覗き込んでくる。
「へぇ…『ドック』か。」
「それが…このカクテルの名前? ヴィクトル?」
刻真は、ふたたび『船長』を見上げる。その真意を尋ねているのだろう。
ヴィクトルは、静かに語る。
「いつでも『港』は船を受け入れ、壊れそうになれば直してくれる。…仲間も同じだろう。」
間違った道であろうとも、仲間を信じて進めば良い。
本当に自分が駄目になりそうな時には、きっと仲間が受け入れ、正してくれるはずだから。
刻真はじっと、ヴィクトルが差し出したメッセージを見つめて。
やがて、くすっと可笑しそうに笑う。
「…俺、未成年なんだけど。」
「いいから飲め。仕事の話はそれからだ。」
パオフゥの言葉に後押しされ、刻真はくっとグラスを呷った。
その光景を眺めながらピアノを演奏していた少女が、ふと自分の傍らに目をやる。
そこにいた者とふと目が合い、どちろともなく小さく頷きあった。
◆◇◆
横島は、リビングの天井をぼんやりと眺めていた。
脳裏には、あの男とのやり取りが浮かぶ。
『お前さんが横島か。』
『刻真とは、知り合いなもんでね。』
『俺はパオフゥ。まあ、情報屋みたいな仕事をしてるわけだが。』
『アイツも相当わけありらしいがな…。楽しんでるとこ、邪魔して悪かった。』
刻真がわけありなんてのは、最初からわかりきってる。
だけど、どうしても腑に落ちないのは、自分たちに隠れて何かを調べてることだ。
どうして隠すんだ?
何か後ろ暗いことでもあるのか?
俺たちがそんなに信用できないのか?
ふと、視線を向かいに座るノースに向ける。
ノースは、熱心にテレビで教育番組なぞを見ている。
「なあ、ノース。」
「ホ? なんだヒホ?」
「…俺、何も聞かずに行かせちまったけど、あれでよかったのかな?」
小一時間ほど前、気配を殺して出て行こうとする刻真を呼び止めた。
パオフゥの名前を出したとき、刻真はひどく驚いた様子を見せた。
その後見せたのは…見ているこちらが痛々しいほどの、拒絶の表情だった。
だから、横島は言った。
『行ってこいよ、何も聞かねーから。お前は仲間だから…何も聞かねー。』
そして、そのまま刻真は「朝までには戻る」とだけ残して出て行った。
だが、横島はどうにも気になっていた。
不思議な話だが、出会ってから数日しか経っていないのに、刻真には妙な親しみを感じていた。
その刻真が何かを抱え込んでいる様子なのに、何も聞かないでいいのだろうかと。
だが、ノースはにっこりと、何故か嬉しげに笑う。
「あれでよかったヒホ。コクマはいつも寂しそうだから…あれでよかったんだヒホ。」
「…そっか。」
横島も笑みを浮かべる。
今日のこと、隊長たちには…まだ、もう少しだけ黙っていよう。
そこまで考えて、ふと夏子のことにまで思い至り、横島はまた思案顔に戻る。
夏子に告白されて、動揺しながらも何かを答えようとして。
「……俺は…。」
自分はあの時、なんと告げるつもりだったのだろう。
言いかけた言葉をぽつりと呟いて考えてみるが、その答えはわからずじまいだった。
◆◇◆
真っ暗な部屋のベッドの上。
夏子は顔を埋めるようにして、膝を抱えて座っていた。
「…告白は…した。けど…。」
『だから言ったでしょう? 彼はあなたを振り向くことはないって。』
夏子の呟きを嘲笑うような声が響く。
その声を拒絶するように、夏子は激しく首を振る。
「違う! 横島はきっと…いきなりやったから戸惑っただけや…。」
『何が違うの? あなただって見たでしょう? あなたが彼女と同じ台詞を言ったときの彼を。』
「…やめて。」
『返事を伸ばしたのは、彼が気持ちを整理するための猶予? それとも怖かっただけ?』
「やめぇ…!」
『わかっているんでしょう? 彼の中の彼女には敵わない…。』
「うるさいッ!!」
ほとんど悲鳴のように叫んで、そばの枕を掴みあげ投げる。
壁にたたきつけられた枕が、とさっという音をたてて床に落ちた。
夏子の息は荒く、体は震えていた。
『…辛いのね。私と同じ…。』
いまだ聞こえてくる声は、さきほどまでとはうって変わって痛ましげだ。
気遣うような囁きに夏子は耳を塞ぐが、それでも声は聞こえ続ける。
『願いなさい。彼はあなたのものよ─…。』
「…ゃあ…横島ァ…ッ!!」
耐えるように耳を塞ぎながら、夏子の声は助けを求めるように震えていた。
己が内より聞こえてくる、その声に。
(慌てた様子で作者登場)
えー…あとがきを頼んだパオフゥが帰ってしまったので、急遽あとがきをつとめます作者です。
今回は、GSキャラがそれほど出せませんでした。むぅ。
登場人物のパオフゥは『ペルソナ2〜罰』から、ヴィクトルは『デビルサマナー』からという女神転生シリーズのキャラです。
パオフゥの過去についてはこれ以降触れることはありません。女神転生のSSではないので。
とりあえず、何かあったっぽい、やさぐれ男とだけ理解してくださればいいかと(笑)
では、また次回〜。 (詠夢)
女神転生を知らないせいでしょうか刻真とパオフォの会話がいままでに比べ薄く感じてしまいました。
パオフォのキャラがいまいちつかみにくいです。
まあ自分の読解力が乏しいのもあるのですがそう感じましたので。
それで今回は刻真と横島、夏子の心理描写っていったところでしょうか?
それぞれが抱える悩みや憎しみ、苦しみ、悲しみがひしひしと伝わってきました。
今の夏子の状態は気になりますね。これが深刻化する前に横島は夏子の問題に気づくのでしょうか?
できれば夏子にはあまり苦しんでほしくないです。
まあそれだと話が進まなくなる可能性が高いので困ったところです。
それでは次回も楽しみにしてますのでがんばってください。 (夜叉姫)
それでは次回も楽しみにしてます。 (むじな)
パオが出てきましたねぇ。彼の話からするとこれは罰よりなのかな?(そもそも罪は最後あんなんですし) (無貌の仮面)
夜叉姫 様:
確かにちょっと薄味だったかもしれません。
刻真の場合、あまり語らせすぎると後の展開が読まれてしまいそうで…。
夏子は結構辛い目にあわせることになる予定です。
関西弁の女の子キャラって、結構好きなんですけど。特に夏子は私の趣味入ってますので(笑)
むじな 様:
今作の肝は、どれだけ苦悩して、どうやってそれを乗り越えるかにありますので、横島も当然辛い目にあいます。
私自身、自問自答しながら書いていく形ですので、楽しみにしていてください!
無貌の仮面 様:
パオが出ているので罰よりです。
まあ、あまりメガテン世界での事件は考えないようにしているのですが、キャラの性格を固定化させるために事件後という形にはしています。
パオを出張らせる気はないのですが、要所要所で出てきそうな気配も(汗) (詠夢)
とにもかくにも、女神転生を知らない読者にとってはムズい話なので。
あと、夏子も原作でそんなに描かれてるキャラじゃないからオリキャラに近い存在だし、彼女の人物像をもう少し書いたほうがいいように感じました。 (みずいろ)