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山の上と下

幕間 美しき月と流れる雲


投稿者名:よりみち
投稿日時:05/ 1/29

山の上と下 幕間 美しき月と流れる雲

満月に少し間があるとはいえ、美しく輝く月が流れる雲を照らし出している。その明るさは、狸が出てきて腹鼓の一つも叩こうかというところである。
 しかし、森の中では、そんな風情のある夜を拒絶するように、二つの影の間で戦いが演じられていた。

 影の一方は、月光に浮かぶ姿形こそ人−長い髪にしなやかな四肢、胸と尻の適度なふくらみと、女性の外見を持つ−だが、その動きは”人”のそれではない。
 その跳躍力は、軽く三・四間(約5〜7m)に及び、地と木、あるいは、木と木の間を猿(ましら)のように跳び移る動きを見せている。

 その動きだけなら、優れた体術を持つ忍者ならできる技かもしれない。
 けれども、木の幹や枝に掌や足先を軽く添えたように見えるだけで、重力に逆らい体を支えるとなると、人間業(わざ)ではない。まして、掌から糸や網が吹き出すとなれば、影が人外のたぐい−妖怪であることは明らかである。

対する影は、巡礼のような動きやすい服装を身に付けた(人の)女性。
妖怪と平然と対峙している様子から、妖怪や人外を相手に戦うことを生業(なりわい:仕事)とする除霊師か、それに類する者であることが判る。
 剣のように構えた金剛杖は霊力が込められ薄く光を放ち、破魔札と呼ばれる対魔物用呪符の扱いにも熟練の技を見せる。
 それらを駆使し、妖怪と互角の戦いを続けている。


「まったく、しつこいねぇ。このアタシを退治できる思っているのかい!」
二間半(約4.5m)ほどの高さの枝に乗った妖怪−ヤツメは、除霊師を見下ろす。

 それに対し、除霊師は冷ややかに見上げるだけで、その言葉を受け流す。その姿に隙はなく、熟練した狩人が持つような威圧が漂う。

その余裕に不愉快さを感じ、一跳びに相手のいる場所に襲いかかる。
 着地と同時に、蹴りや手刀を繰り出す。妖力纏わせた手や足は、生木を切りき裂き鎧を抉ることができる。並の人間なら、この瞬間にも血の海に沈んでいるはずだ。

しかし、敵は血の海に沈むどころか、かすり傷すら負っていない。攻撃の大半を舞いのような動きでかわし、残りも霊力を込めた杖で受け止めてしまう。
 それどころか、杖の逆撃を喰って、刀の斬撃でもはねかえす体に鈍い痛みが走った。

「クッ!」掌から糸を網状にして放つ。
 糸は同じ太さの鋼に匹敵する強さと人の力では引き剥がせない粘りを持ち、その網は熊さえも押さえ込める。

 多くの敵に対して切り札になったこの技も、この除霊師には効き目はない。網の範囲を見切り、金剛杖で軌道をそらせながら、有効圏外に出ている。

 網はむなしく木と木の間に巣を掛けただで終わるが、その隙に、相手の手の届かない木の上に避退する。

除霊師は、引き下がった形のヤツメに軽く含み笑いを見せ、
「あなたが、そうして引き下がるのは何度目かしら? 何度、来ても同じよ。そんな及び腰で、私を倒せるって思ったとしたら、大間違いよ。本腰を入れてきなさい。」

 その言い回しに、すぐさま挑もうと考えるが踏みとどまる。
 挑発的な言動が、自分の攻撃圏内にこちらを呼び込む策であることに気づいたからだ。

 今までの成り行きから、除霊師には、木の上にいる自分に攻撃をする術(すべ)はないようだ。だから、挑発的な言動でこちらを誘い、反撃の中でこちらを仕留めようとしているに違いない。

‘律儀につき合って、バカを見たね。そうと判れば、じっくり、ヤツメ姐(あね)さんの恐ろしさを見せてやろうじゃないか。’
内心で、そうほくそ笑むと、策を組み立てる。


戦いが、それから小半刻(約30分)ほどが続いた後、除霊師の動きが不自然に止まり、焦ったように左右を見る。

その表情に、会心の笑みを浮かべるヤツメ。

あれから、距離を取りつつ、網を次から次へと吹きかけていった。それで仕留められると思っていないし、実際、絡め取ることはできなかった。
 無駄にも見える行為の目的は、この空間自体に罠を張ること。そして、その罠が完成した。
 除霊師の背後は巨木が遮り、周囲の大半は幾重にも蜘蛛の巣が覆い、逃げ道を塞いでいる。

「あと1回で『詰み』のようね。どう追い込まれた気分は?」

「どうかしら? まだ、『詰んだ』わけじゃないでしょう。」と除霊師。
素早い動きで懐から何かを取り出すと、地面に叩きつける。

 鈍い爆発音と共に大量の煙が視界を遮る。

 色々なモノが混じっているため、感覚が鈍るが、霊力源の位置はわかる。強い霊力が仇になった形だ。

「無駄だよ!」と嘲笑うと、その霊力源に網を放つ。

網は、間違いなく霊力源を補足した。

にやりと笑ったヤツメが、トドメを刺すべく地面に降り立った時、足下から、光と共に複雑な模様が浮かび上がった。

‘封魔結界?!’と、思う間もなく、体に鉛を仕込まれたように重くなり動けない。

煙が晴れると、除霊師を絡めたと思った場所には、紙でできた人形(ひとがた)あるだけだ。脇で、除霊師が隠形の印を解く。

煙に紛れた瞬間に、自分の霊力を隠し、同時に霊力を式紙に込め身代わりにしたに違いない。
霊力の隠匿と付与を同時にこなすとは、予想以上の霊力の持ち主だ。敵の霊力を正しく測ったつもりが、見誤った。

「あと1回で『詰み』のようね。どう追い込まれた気分は? 罠を用意したのは、あなたではなくて私だったのよ。」
 除霊師は、あてつけのように似た言葉で語りかける。

‥‥ 言葉に反発はするが、してやられた悔しさで気力を失う。

たしかに、これほど強力な封魔結界は咄嗟に組めるものではない。こちらが罠にかけているつもりになっている時、それを見破り、その上を行く罠をしつらえたに違いない。
 ひょっとすると、最初からこうなるという筋書きがあり、こちらは、知らずに筋書き通りを演じた道化かもしれない。

 その意味では、『見誤った』のは相手の霊力ではなく、『読み』の深さだといえる。

除霊師は、霊力の高まりで光を増した金剛杖に一つ素振りをくれ、
「『神隠し』で多くの人を苦しめたんだから自業自得よ。せめてもの慈悲に、一撃で極楽に逝かせてあげるわ。」

‘えっ?!’結界により朦朧としかけた意識が、思わぬ言葉ではっきりとする。
‘こいつ、『神隠し』をアタシの仕業と思ってるんだね。やってもないことで殺(や)られたんじゃ、成仏なんかできゃしないよ!’
 憤慨した気持を梃子に”力”を一気に解放する。

 周囲に激しい稲妻が走り、結界は砕け散った。

 相手はその余波を避けるために跳び退くが、『それも予想の範囲!』とばかりに、鋭い踏み込みで一撃を送ってくる。

「ぐっ!」”力”の有りったけを解放した直後のため、動きが鈍く、避けられない。
 右肩に鋭い痛みを感じるが‥‥ ‘致命傷じゃない?! はずしたのか?!’

本能的に閉じた目を開けると、除霊師が数え切れない蝶にまとわりつかれている。それにより、狙いを(わずかに)はずしたに違いない。

すかざす、左の掌を手近で一番高い木の先端に向け、糸を打ち出す。からみつくと同時に引き絞る。

「長く生きてるから色々と悪さをしたこともある。でも、『神隠し』は、アタシが仕業じゃない! してもいないことで退治されてやる義理はないから、逃(ふ)けさせてもらうよ!」
 怒りを込めた表情でそれだけ言うと、力を抜き反動で空高く舞う。

 空中で糸を切り、別な木に糸をからませ振り子運動で離れた木に。同じ動きで次の木と、できる限りの早さでその場から遠ざかる。



飛び移っているうちに、こちらの動き合わせ飛ぶ影が現れる。

「シジミ、おかげで助かったよ。」その影に声をかける。

「お礼には及びませんって。このシジミ、姐(あね)さんのためなら、例え、火の中、水の中、決して厭(いと)うもんやおまへん。」

「でも、もうちょっと早く来て欲しかったね。けっこう、危ない所だったんだよ。」
 そこまで言った後、あることに気づき、
「ひょとして、恩を売るために、危なくなるのを待ってたんじゃないだろうね?」

「それは邪推と云うもんでっせ。春といっても、夜に蝶を集めるのはたいへんなんです。それにウチの腕じゃ、あの隙を狙わないと返り討ちに会うのがオチやないですか。」

話としては筋は通っているが、口調に説得力は感じられない。そのことを追及しようかとも思うがやめる。逃げ出すのに必死で、半ば忘れていた傷の痛みがぶり返したためだ。

 思っていたより傷は深い。気が張っている今はまだマシだが、一度、休むと動けなくなりそうな実感がある。
‘それにしても、葉っぱの化け物だけでもうっとおしいのに、あんな除霊師にまで狙われるんじゃ、ショバを捨てる潮時かもしれないね。’



夜の闇に、妖怪が消えると共に、まとわりついていた蝶たちも散っていく。

 戻ってくる気配もないことから、除霊師は緊張感を解く。
‘助っ人は予想外だったね。もっとも、助っ人ということではお互い様なんだけど。’

「お母さん、逃がしたの?」木の陰から助っ人−十ほどの少女−が姿を現す。

「あなたにも頑張ってもらったのに、逃がしちゃってごめんなさい。」
あの時、すり替わった式紙に霊力を与えたのは娘だ。こちらが導いたとはいえ、隠形を維持しつつ式紙に命を与える霊力は、すでに自分を凌駕している。

「いいよ、私はお母さんの手伝いができれば、それでいいんだから。」
 少女はうれしそうに微笑む。

「ほんと、この娘(こ)って、健気なんだから。」娘を強く抱きしめる。

「それにしても‥‥ 」抱擁を解き、今一度、妖怪が消え去った方に顔を向ける。

 去り際に『神隠し』に無関係だと言った。
 たしかに、あの妖怪が『神隠し』をしたという判断は、状況証拠だけで直接的な証拠があったわけではなかった。
 こうなってみると、いきなり仕掛けたのは性急すぎた判断と悔やまれる。

 後悔を顔に浮かべる母に娘が、「妖怪だから嘘をついたのかもしれないよ。」

「そうね。嘘かもしれないわね。」気を遣ってくれている娘に微笑みかける。
 その後、やさしく教え諭す口調で、
「でも、人外たちは、たいていに場合、人より正直なのよ。それに、『妖怪だから』って『嘘をついた』決めつけるのは良くないわ。私たちは妖怪や人外を相手にするのが仕事だけど、それだけに、彼らに間違った印象を持つのはいけないことなのよ。」

「わかった、お母さん。これからは気をつける。」

「ほんと、この娘(こ)って、なんて素直でかわいいの。」再び抱きしめる。
 第三者が見れば、その暑苦しさに辟易するかもしれない。

再び抱擁から解放された娘は、「それで、これからどうするの?」

「そうね‥‥」
 『神隠し』の下手人(犯人)と思い、一月以上をかけ絞り込んだ相手が、的はずれだったらしいことに徒労感は大きい。しかし、この程度で落ち込んでは、『美』しく『神』のような腕前と謳(うた)われ、つけられた”美神”の二つ名(:アダ名)が泣く。

 頭を振り徒労感を追い出すと、月明かりに浮かび上がっているオロチ岳に目を向けた。
「れいこ、今度は、峠に出る幽霊さんに『神隠し』のことを訊きに行くっていうのはどうかしらね。」


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