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山の上と下

1 旅の始まり


投稿者名:よりみち
投稿日時:05/ 1/ 7

山の上と下 1 旅の始まり

高い山の頂にも雪がほとんど見えなくなり、麓の森が新緑に輝いているのが望める甲州街道。三人連れの旅人が西に向けて歩いている。

 一人は、裕福な町人風の身なりをした初老の男。
一人は、二十代半ばの浪人風の男。『精悍』の二文字が似合う引き締まった顔つき・体つきは、今の太平の世よりは乱世の方が似つかわしい。
最後の一人は、二十歳前に見える眉目涼やかな若侍。光の当たり具合により栗色に見える総髪を無造作に後ろで束ねている。隙のない着こなしは、どこかの身分ある武家の跡取りといったところだ。

家業を譲り、物見遊山の旅に出た初老の男とその用心棒。何かの縁で道行きを共にすることになった若侍といった雰囲気だ。

 急ぐ様子もなく、風景を楽しみながらの旅といった風情だが、見る者が見れば、浪人だけでなく、若侍も周囲を警戒しながら歩いているのがわかる。


 一行は、本街道と脇街道の分岐にさしかかったところで立ちどまった。

「助さん、格さん。ここいらで休もうじゃないか。」
そう言うと、初老の男は返事を待たず道端の石に腰を降ろす。

『助さん』と呼ばれた若侍は軽くうなずき、『格さん』と呼ばれた浪人も反対しないことで同意を示す。

「ご隠居、なかなか達者なものですね。」
『助さん』が、のんびりと足を伸ばす『ご隠居』−初老の男に声をかけた。朝から今まで、ゆっくりとした足取りながらも、五里(約20km)ほどの道をこなしている。

「あったりめえよ。こう見えても若い頃は山師として日ノ本中の山を回ったことがあるんだ。いくら病み上がりの身といえ、まだまだ、若い者には負けやしねぇよ。」
外見に似合わない威勢の良い声で応え、
「助さんは、どうだい? ご府内(江戸)から出るのは初めてと聞いているが、ちーっとばかしきついんじゃないか。」

生真面目そうな顔つきそのままの堅苦しい口調で、
「一朝、事ある時に備えるのがもののふと思い、日頃から鍛えています。このくらい何でもありません。」

模範的な答に、ご隠居が少し白けた表情を浮かべる。
「格さんはどうだい? 武者修行とかで、旅慣れてるから平気なんだろう。」

 厳しげな表情の割に温厚そうな人柄を感じさせる声で、
「まあな。俺がする旅は、野宿が普通だから、毎晩、宿を取れる旅なんざ楽なものさ。」

「しかし、何だ、」ご隠居は楽しそうに二人を見て、
「二人のような腕の立つ用心棒がついているんで、こちとら、安心して旅を楽しめるってもんだ。」

‘それほど楽天的になられてもな。’と苦笑する『格さん』。

本来は、一刻も無駄にせず先を急ぎたい旅のはずなのだが‥‥



 『格さん』が、この旅を依頼した人物の屋敷に呼び出されたは七日前。

 案内された部屋は、あらかじめ人払いがされており、呼び出した当人である屋敷の主人と小姓しかいない。

屋敷の主人は、バカ殿風(その傾向は多分にあるのだが)の十代後半の若者。れっきとした大藩の当主である。八年ほど前、その藩のお家騒動に巻き込まれ、知り合った間柄だ。

 主人は、よく言えば鷹揚、実際は、単にぼーっとした口調で、
「リョウ、急な話で悪いんだけど、旅に出る気はないカナ。」

語尾をぼかす言い回しは、高貴な身分の者は言葉尻を取られないように語尾を曖昧にしなければならないとしつけられたためで、この若者の口癖になっている。

「いきなりな話だな。まぁ、『いきなり』はいつものことだから、かまわないがな。」
リョウ−涼は、殿様相手とは思えないようなぞんざいな言葉遣いで返事をする。

 礼儀を知らないわけでも、ことさら反発しているわけでもない。目の前の人物が、タメ口をききあえる関係であることを望んでいるからだ。人払いされているのも、そうした間柄で話をするための主人側の配慮である。

「涼殿には、人を一人、無事、目的地に送ってもらいたい。」
 脇に控えた小姓が、平坦な口振りで話を引き取る。

 小姓は十代前半・中性的な美貌の外見をしている。性別としては女性だが、いわゆる人外で、この当主の守り神的な役割を勤めている。

 主人に代わって彼女がする説明によれば、ある人物が遠州(静岡県)相良まで行くのだが、それに付き添って欲しいとのこと。

「早い話が、用心棒をしろってことか。」

「そういうことだ。旅の諸費用は、むろん、当方が払う。帰ってくれば、礼金もはずませてもらう。」

「そいつは、助かるな。」
彼らと初めて出会った頃は貧乏で、金で苦労していた分だけ、金をからめた話に反発したが、今は、金の意味と意義は普通に理解している。

「(困ってるのなら)いつでも召し抱えるんだけど、その気はないカナ。」
 若殿が、それなりの真剣さを込めて口を挟む。

「そいつは勘弁してもらおう。お前さんとタメ口を叩けなくなるからな。」

主人は少し残念そうだが、会うたびに提案し、断られている話だからしつこくは言わない。

主人とのやりとりが終わったと判断した小姓は、何もなかったように話を続ける。
「ただ、普通の用心棒よりは苦労をかけることになる。というのも、護るべき人は、ちょっとワケありの上、少しばかり変わり者なのだ。」

「ワケありは当然だな。あんたトコが、家来じゃなく俺みてぇな、はやらねえ町道場の主(あるじ)に頼むんだ、まともな話じゃないってことぐらいはわかっちゃいるさ。」

「ワケというのは、その御仁が、牢抜けをした罪人なのだ。」
小姓の姿を取った人外は、さらりと重大なことを言ってのける。

「それが『ちょっと』したワケかい。たしかに、ご家来衆には任せられんな。」
驚きもせず、その話を受け入れる。この程度でがたがたしていては、身が保たないほど、このバカ‥‥ ではなく若殿には、色々な経験をさせてもらっている。
「しかし、何をしでかした罪人で、何であんたトコが逃がす手伝いをするんだい?」

「知りたいのか?」小姓が探るような視線を向ける。

 少し考えた後、首を振り必要がないことを示す。
 ここの主人、というより、小姓に全幅の信頼を置いている。彼女は、危険なコトを頼むことはあっても非道なコトを頼むことはない。
 つまり、その人物は罪人であっても悪人ではなく、説明しないということは、こちらの立場を考えた上で知らない方が良いと判断しているに違いない。

「信用してくれ、感謝する。」その心を読んだような顔つきで軽く頭を下げる。

‘よせよ!’という感じで手を振り、続きを促す。

「そんな身の上にも係わらず、最後の旅になるのだから、ゆっくりあたりを見物しながらの旅にしたいと申しておる。」

「なるほど、『少し』変わり者らしいな。」
牢抜けをした身で、物見遊山の旅をしたいとは、度胸が良いのかバカなのか、あきれながらも、興味は引かれる。

「そういう御仁の用心棒だ。腕の立つ、それも絶対的に信頼できる人にしか頼めない。」

「で、俺ってわけだな。」頼られるのは、悪い気はしないという感じでうなずく。
 もっとも、その性格が、目の前の連中と知り合って以来、数え切れないほどの命のやりとりをするハメを呼び込んでいるのだが。
「わかった。ヒマな身の上だ。やらせてもらおう。」

「これは手形だ。」
 二つ返事で引き受けてくれることが判ってたかのように、すぐに、三枚の書き付け−旅行手形−が出される。もちろん、偽物だ。

「この手形の名前の由来は何だい。」
 渡された手形には渥美格之進と記されている。

「涼殿は情に篤(あつ)く厳格な所があるから、”篤”み”格”之進ということで、殿が決めた。私も良く似合った名前だと思う。」

「四・五代前の家臣の名前をもじったんだけど、気に入らないカナ。」と付け加える。

‥‥ 無言の涼。この主従の感性をとやかく言っても始まらない。

「残りは、護衛される者の手形ともう一人いる護衛の手形だ。合流したら渡してくれ。」

護衛される者は、光衛門。護衛役は、佐々木助三郎となっていた。


 旅の準備を済ませ、三日後、新宿で相手と合流する。

説明を受けた風体で護衛される男が指定の場所で待っていた。脇には、これも説明にあった姿形で、もう一人の護衛を務める人物が控えている。

‘ん?!’その人物は、親しいというわけではないが見知った間柄であった。

相手もこちらに気づき、やって来る。

 護衛すべき人物に会釈をした後、相棒となる人物に顔を向け、
「加江殿、何であんたが、来るんだ?」

 若干、突っかかった言い回しになったのは、危険が予測される旅に相応しくないと感じたからだ。

「まず、私の名は、手形にあるのもで、その名ではない。」ぴしゃり言い切った後、
「私では不足か? それとも、女だから不足とでも?!」

涼は、その喧嘩腰の物言いに苦笑で応える。

 佐々木助三郎になる人物は、男のなり(姿)をしているが女性である。
 そこそこ大身の旗本の娘で、普通なら釣り合う旗本に嫁ぎ、大人しく家に納まっていなければならないのだが(何かの祟りか)一人の人として認められたいという思いが強く、それを示すため剣の道を志しているという変わり者だ。

「大切なのは護衛としての腕前だろう。私の腕前は、その辺の男よりも、よほど上と自負している。間違っているか?」

「間違っちゃいねぇよ。あんたの腕前は知っているつもりだ。」
剣の道の志す者同士として知り合い、何度か竹刀を合わせたことがある。腕前は悪くはない、どころか、道場での試合に限れば、勝てる男は少ない。

「それに、追っ手がいたとして、女がからんでくればどうする? お主、切れるか?」

「難しいだろうな。」絶対に、とは言わないが、あまり気乗りはしない。
「しかし、なんでこんなヤバイことを引き受けたんだ?」

 自分と違って、衣食住が保障されている身の上である。命のやりとりがあるかもしれない仕事を引き受ける理由はない。

「本物の戦いを経験したい。自分の剣技がどれくらい”本物”であるかは道場で竹刀を交えてもわからんからな。」

「”本物”って、別に確かめなくったって困らないだろ。だいたい、あんたの身分じゃ(刀を)抜いちゃ拙いだろ。道場で勝てりゃ十分じゃねぇのか。」

「真剣での戦いを知らずしてもののふとはいえん!」

‘なら、ほとんどの武士は、『もののふ』は名のれんだろうなぁ。’と内心でつぶやく涼。
 それが太平の世であるということだし、数え切れないほど真剣を抜き合わせた身から言えば、その方が、よほど幸せであると思う。

「それに‥‥」加江は、さらに言いかけようとするが口をつぐむ。

「人を切れば、度胸がついて強くなれるって考えていなさるのかい?」
 やりとりを聞いていた、光衛門の手形を受け取る男が、質問と言うより確認といった感じで口を挟む。

「ああ、そんな風に考えている。」暗い目で肯定する。

「‥‥あまり、強くなった気はしねぇがな。」ほとんど聞き取れない声でつぶやくご隠居。

 涼はことさら表情を消して、
「まあ、いいさ。あんたにあんたの思惑があることは、かまわねぇ。要は、お互い、きっちりと役目を果たせば良いということだからな。」

「その通り。当てにしてもらってけっこうだ。」

その場で互いに『ご隠居』『格さん』『助さん』と呼び合うことを決める。



「ところで、格さん。」

ご隠居の声で、涼は、意識を回想から現実に切り替える。

「この後のことなんだが、脇街道に入り、オロチ岳の峠を越えて遠州の方に出たいんだが、どうだろうね。」
分岐を表す道標を指さす。それには、脇街道がオロチ岳の峠につながっている道であることを示している。

「オロチ‥‥岳だって?」涼は、申し出の意図が分からず聞き返す。
 遠回りとは言えないが、あまり、普通の旅人が使う道ではない。

「いやね、前の宿場でオロチ岳の辺りで神隠しがよく起こってるって話を聞いちまったもんだからな。あそこは、峠に出る幽霊もけっこう知られている。面白そうじゃねぇか。」
 一応遠慮がちだが、‘ 面白そうな話は逃したくない。自分の目で見たい。’と顔に書いてある。

さすがにうるんでこそはいないが、星の一つもまたたこうかという目に涼は、
‘餓鬼の目だな、こりゃあ。’

初老の域に入ってるのに、子どもような好奇心を持ち続けていることは、ある意味うらやましい。それも、(旅の間に交わした話で判ったのだが)森羅万象に通じる豊富な知識を持っているにもかかわらずだ。

それだけ知識欲旺盛な人物が、(この旅が終わるとともに)身の安全のため、一生、相良の町から出られない境遇になるとのこと。最後の旅にあたり、色々なものを見ておきたいという気分は判らないではない。

 幸い、今のところ、旅自体に危なそうな兆候は見えない。何時までに着かなければならない旅ではなし、少しぐらいの我が儘に付き合ってみても良いかと思う。

涼はちらりと加江の方を見る。加江は軽く肩をすくめ、判断を一任することを示す。

 わざとらしい大きなため息を吐いてから、
「わかった、オロチ岳を通って行こう。頼まれた奴から、あんたの希望はできるだけ叶えるように言われているしな。」

‘ありがてぇ!’拝むように片手を立て、感謝を示すご隠居。


休んだついでに、ここで昼食を取ろうということになる。

 念のため、加江が周囲を見て回る。
‘?!’道標の後ろ手に回った時、草むらに倒れている人−たぶん男−を見つけた。

 草でよくは見えないが、うつぶせでピクリとも動かない。特に、荒れた様子も見えないので行き倒れだろう。実際、身につけている衣服は、行き倒れにふさわしく(?)、質素というかボロで、誰かがはぎ取って売ろうとしても売れない代物だ。

 倒れた男に注意を向けつつ、手で二人に合図を送る。
それに気づき、近づく二人。興味深そうなご隠居と臨戦態勢を取る涼。

 背後の二人を感じながら近づくと、わずかだが、倒れている人の体が動くのが見えた。

‘?!’油断なく剣に手をかけ、もう一歩前に出る。

「お姉さ〜ん ご一緒にお茶でもしませんかーー!」
そう言うや、男は跳ね起き、飛びかかってくる。

「?!」加江は反射的に刀を抜き、横なぎに払う。
 ただ、敵意や殺意といった”気”を感じなかった(代わりに悪寒は感じた)ので、ぎりぎりで手首を返し、刃があたらないようにする。

 刀は相手のあばらの三枚目あたりを打ち、そのまま、体を横にふっとばした。


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