椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十五 『炎遁』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:04/ 1/20
























 ――ホムラノガレ――
























 そして、そこもまた暗かった。
 尖沙咀からそれほど離れていない、工業地土瓜湾(トゥグゥワン)。発展途上地域たる香港の中でも活発に活動を続けるその大きな機械群も、夜になれば無気味なオブジェの群れと化す。――作業機械の狭間に寝転び、伊達雪之丞はただ暗さだけを感じていた。

(魔装術使わなかったら……死んでたな。間違いなく)

 炎が膨れ上がった瞬間、咄嗟に纏った魔装。――それでいて猶、雪之丞は吹き飛ばされた。
 膨れ上がる爆炎に吹き飛ばされ、二ブロックほど空を飛んだ。気が付いたときは廃ビルの屋上に激突した後であり、既に爆発から数時間が経過していた。


 ――そして……ここまで逃げてきた。


 自らが信じてきた“力”。それによって、ひのめを止める事も出来ずに……

(明弘……)

 脳裏に浮かぶのは、息子の顔だった。――小さい頃の自分に瓜二つであり、最近こまっしゃくれてきた憎たらしいガキ。――自分と、妻の息子――

「結局、俺はひのめを追い詰めちまっただけなのかも知れないな……」

 見上げた天井には、やはり闇が渦巻いていた――






















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 久しぶりに帰ってきた妙神山の山上は、やけに冷え冷えとして見えた。――それが自らの心情の故である事は疑いないが、それが解っていても猶、感情は感覚を狂わせる。そこに名はなく、誇りはなく、心もない。繋がるものとして、ただ身体のみが存在する……パピリオは嘆息した。報告は、重い。
 そして、表情。眼前に立つ、小竜姫の表情。

「やはり……ですか」

 そこに、驚愕はない。
 ――ただ、それに似たモノとしての諦念。その感情のみが、竜の瞳の奥には見えた。――神剣の達人、妙神山の小竜姫としての思いではなく、一人の竜(ヒト)としての思い。少なくとも、絶対に表面には出さない……思い。

「私は……炎が上がった瞬間に脱出した。多分、伊達も生きてる…… でも明弘は……多分、建物の中にいたとしたら助からない…………」

 唇を噛む。
 妙神山修行場の奥の一室において、向かい合って座す小竜姫に向け、パピリオは毒づいた。――どうにもならない事は解っているし、ひのめをここまで追い詰めた雪之丞に対する怒りも、今はもう遅きに失したという事も解っている。ただ――この胸中にある暗澹とした思いを、小竜姫に吐き出したかった。――それだけ。

「師匠(センセイ)……いえ、小竜姫。ひのめちゃんをどうするつもりなの……?」

「…………」

 沈黙。その感触に、瞬時に頭が沸騰する。

「私がこの後どうするかは……その答えを聞いてからしか決められないのよ…………ねぇ……小竜姫、答えてよぉっ!!」

 掴み掛かりたい――その切なる衝動を、皮一枚で自制している……その確信。それでも猶、眼を閉じたまま沈黙を続ける小竜姫に対する、純粋な怒り。衝動――
 立ち上がる。――小竜姫を残して。

「答えてくれないなら――――私は……神族じゃない。私がしたい事は――私が自分で決める……!」

「……あなたは一応戦犯よ。身柄は神族の監視下にある」

 坐す小竜姫が初めて発した答えが、その言葉だった。――ただひたすらに自己を滅し、私(わたくし)を滅し、そこに残ったただ一つの自ら。神族としての小竜姫。
 そして、その言葉は一つの解答を指していた。少なくとも――パピリオにとっては。

「……止めるのね……小竜姫。やっぱり……神族は――――ひのめちゃんを始末するつもりなのね……!?」

「そんな事は……しないわ」

「嘘よ!」

「――嘘じゃない!!」


 ――ダン!


 その刹那、立ち上がった小竜姫の視線はパピリオを見下ろしていた。瞳の奥に、隠そうとしても隠し切れない憤怒を湛えた――啼竜の、呻き声。

「パピリオ――あなたは何にも知らないから……そんな事が言えるのよ!――まず、神族はひのめさんが半年前に妙神山を下りたときに、既にその保護を取り止めているわ。パピリオ――あなたを人界研修の名目で付けたのは、私の独断よ……!」

 叫ぶ小竜姫。歪められた、眉。
 神としての責務と、竜(ヒト)としての激情、その狭間……

「だから……私は雪之丞さんを頼ったのよ。――でも、駄目だった! 結局、ひのめさんは過去から逃れる事は出来なかったのよ……だから……」

「……何が……起こるの? 小――師匠(センセイ)……」

 見上げる……小竜姫は涙を流していた。竜の涙、それは感情。――頬に、水滴が落ちる。
 唇は重かった。それでも、強いて開けざるを得なかった。小竜姫は何かを知っているし、それは恐らく、ひのめにとっても――或いは、パピリオ自身にとっても致命的な事になりかねない……

「師匠――」

「――恐らく、ひのめさんを殺そうとするのは同じ人間――政治よ…… 少なくとも社会にとっては、大規模なテロ活動を起こす可能性のある、大量殺人犯は危険因子……」

 涙は、流れつづけている。
 小竜姫はとうとうと語っていた。
 その瞳には何も映らず、その言葉には何も篭らない。溢れ出る激情は全て涙に変じ――その声は、ただただ事実のみを語っている。

 ――事実を語るという、拷問。それを知りながら、何も出来ないという矛盾。

「もう……私たちには手は出せない…… 人間は、一番重要な因子を理解していないのよ……もし……そう、もし……彼らがひのめさんを殺したとしたら……何が起きると思う?――いくら彼女だからって、組織が本気になれば、それこそ、狙撃でもして殺す事は容易い事だわ……」

「……何が……起こるの……?」

 唇が、塩辛い。舐めると、汗の味がした。脂汗――いや、冷や汗か?

「…………ひのめさんは――間違いなく悪霊化するわ。それも、過去最大レベルの強力な悪霊にね。そして――ひのめさんの“力”は、今でさえ、街一つを瞬時に消し去る事の出来る力なのよ…………」

「ひのめちゃんが……悪霊化…………?」

 唐突に突きつけられた、事実。――それが何を意味するモノであるのか、瞬間パピリオには理解出来なかった。
『悪霊』。この半年間、自分がひのめと共に祓ってきた存在。その存在はただ存在というだけであって、最早何を思うことも、何をする事も出来ない存在……


 ひのめが――


「…………どうすれば…………どうすればいいのよっ!! 私がどうしたら、ひのめちゃんは助かるの!? ひのめちゃんを……殺させるなんて……ッ!!」

「……パピリオ、あなたは一度ここに帰ってきてしまった。神界からの不干渉令は、あなたにも伝わってしまった…… 干渉は――出来ないのよ…………」

「――――そんな……事!!」

「神が人間界に干渉してしまったら……人間は神の力を頼るようになってしまう。――それは、人間社会という一つのパラダイム全体の成長を、健やかな物でなくしてしまう…………」

「――師匠ぃッ!!」

 握り締めた拳が――痛い。自らの強力な握力が自らの身体そのものに掛かった結果、自らの身体を破壊しようとしている。――その、純然たる感触。それを認知して猶、力を緩める事がどうしても出来ない――
 唇を、噛む。小竜姫を、睨む。――その小竜姫自身も、最早なりふり構わずに涙を流しつづけている。神と――竜(ヒト)。二つの相反する信念が、ふたつの心で鬩ぎ合う……

(ひのめ……ちゃん…………ッ!)














 そこは――静かな戦場だった。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★





















「……そう、そうね。解った―― ……ん?……この身体じゃあ流石に逃げられないわよ……ま、今回は旦那に任せて、私はICPOの監視下でゆっくりしてるわ。――ん、ありがと――父さん……」


 ピ。


「……フゥ」

 コードレスホンを切る――透明な電子音と共に。それはあくまで無機的で、機械的で、そして機能的なものであった。――その用途とは相反して。
 その矛盾に、美神令子は独り苦笑を漏らした。

(まったく……父さんもマメなんだから……)

 ――どうせ、自分も監視されている事には気づいているんだろうに…… 静かに、微笑する。

 どうやら、自分が感じていた感触は間違いではなかったらしい。確かに数日前から、買い物に行くにも誰かがついて来ているような気はしていた――
 休職して既に半年余りになるが、まだまだ仕事で培った勘は衰えてはいない。その事実に、場違いな満足感をすら覚える。――再び、苦笑。

(――とはいえ……)

 尾行までしているというのに、生活の監視――特に、電話の盗聴をしていないとは考えにくい。恐らく、今の会話も盗聴されたと見ておいた方が良いだろう。
 ――となると、そろそろ直接乗り込んでくる頃だ。

「…………ひのめ……か――」

 呟くと同時に、かなり目立ってきたお腹をさする。――特に、意味があった訳ではないが、妊娠したという事が解ってからの癖のようなものであった。其処に生命が宿っている事を確認する為の――

「これからしばらくICPO指定のホテル暮らし……人質生活かぁ。胎教にはこれ以上ないって位劣悪な環境よね。……おキヌちゃんに裁縫でも習っときゃ良かったかな?」

 独り言に自ら苦笑を返し、遠く東京の空の下にいるのであろう、歳の離れた妹に思いを馳せる。――大丈夫だ。ひのめの事ならば、きっとアイツが何とかしてくれる……

(今までだって……ずっと、そうだったもんね)

 馬鹿で助平でどうしようもない御人好しではあるが、それでも――この人類最強のGS、美神令子が選んだ男なのだから。

「そうでしょ……?――“横島クン”・・・・・・」

 もう何年前になるのか――結婚前、夫が自分の助手であった頃の呼称。――短期間でGSとして成長し、そして開花した頃の、思いで深い呼び名……

「そろそろ……日本に着いた頃でしょ。少なくともICPOが私を拘束する前には――」

 そして――インターフォンが音を奏でる。
 立ち上がり、受話器を取る――無論相手は解っていた。――そして、その相手に対して、現在の自分が何の対応策も打てない事も……

 それでも――場に慣れた唇は鮮やかに滑ってくれた。







「――先に断っとくけど……訪問販売はお断りよ?」




















   ★   ☆   ★   ☆   ★



















 光は、ステンドグラスより漏れ出でる。荒れた礼拝堂の内部を照らし、転がる酒瓶を照らし、朽ち掛けた長椅子を照らす。埃の舞う澱んだ空気はむしろ美々しく、その廃墟然とした内装を輝きの渦中にうずめる――

(どうでもいいんだ――もう、どうでもいい…… 僕は――結局、ICPOを変える事は出来なかった―― ひのめちゃんに偉そうな事を言っておきながら……僕は……)

 輝きの中、ピエトロは仰臥していた。――既に、酒を呷る事もしない。煙草を燻らす事もしない。食事も――もう何ヶ月かは摂っていない。ただ、待つ――
 限界を。
 その、甘美な瞬間を……
 唐巣は死んだ。自分は迷っている。西条は死んだ。誠は追っている。美智恵は死んだ。ICPO内部は、ひのめの暴走によって反美智恵派に占められた。ひのめが暴走した。自分は――壊れた。

 何処に……いるというのだ。

 破戒――だがそれもまた、既に既存の事実の上塗りに過ぎない。――結局、信じる事が出来なくなった瞬間に、宗教者としてのピエトロ・ド・ブラドーは滅びていたのだから……

(もう……どうでもいいんだ……この世に僕がやり残した事は、もう残っていない……後は、ひのめちゃんが……誠自身が決める事だ……そうなんだよ……)

 長椅子に臥したまま、酒瓶を探す。――ただ、無償にアルコールが欲しかった。
 解っていた事だった。酒瓶は、少なくとも長椅子の上には転がってはいない。それでも、半ば本能的に長椅子の上をまさぐる。

(そうだ……後は……自分が決める事だ――)

 長椅子の上に起き上がり、辺りを見回す。どうという事のない、薄暗い礼拝堂。椅子が並び、壁に罅が入り、壊れたオルガンがあり、そして――――


 ――人が立っている。


「…………!?」

 反射的に身構える。――アルコールで磨耗し、意志の減退で鈍磨しているとはいえ、少なくともピエトロは元GSではあった。そう、GS――――
 身体から……力が抜ける。
 入り口の付近に呆然と立つ一人。
 背が、少し伸びている。長かった髪が、バッサリと切られている。そして――――
 その表情は、泣き出す寸前の子供に似ていた。明るい栗色の髪はほつれ、顔に泥がこびり付いている――

「ひのめ……ちゃん――」

 そのまま抱きついてくるひのめを、ピエトロは止める事が出来なかった。


















 〜続〜


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