『くっ・・・。何たるザマだ。魔界軍特殊部隊大尉たるものが。』
ともすれば途切れそうになる意識と戦いながら、ワルキューレは既に5回目になるセリフをはいた。
胸と腹からは紫色の血が染み出す様に流れている。 狙撃により受けた傷だった。使用された弾丸が
精霊石弾ではなかったため、致命傷には至っていないが、時間がたてば動けなくなるのは明らかであ
った。
『どこか・・・・、隠れるところを・・・。』
今、彼女はマンションの駐車場に停めてある車の隙間に潜りこんでいた。幸いにも時刻はもう真夜
中に近く、人通りもないため、人間に発見されて騒がれるという危険性なさそうだった。
だが、このままここに留まっていてもいずれ動けなくなり、やがて夜が明ければ人間に発見されオ
カルトGメンに通報されるだろう。それだけは絶対に避けねばならなかった。
しかし、やっとの思いで敵の追撃を振り切り、もう飛ぶ力も失せて墜落一歩手前という状態で潜り
込んだため、ここが何処かもわからず移動の際に目立つ翼を隠す魔力すら残ってはいなかった。
(いざとなったら潔く自決を)、
とも考えたが、自分の精霊石銃は全弾撃ち尽くし、自決用の毒薬の入ったカプセルは逃走中に紛失し
てしまった。それに、
『組織の中に裏切りものがいる。』
この事実をなんとしても軍上層部へ伝えなければならないという使命感が、絶望の底に沈みそうに
なる気持ちをかろうじて繋ぎ止めていた。
『やるしかないか・・・。』
今のワルキューレにできることは一つしかなかった。目の前のマンションの一部屋を占拠し身を隠
すと共に、何とかして弟のジークと連絡をとり救助を待つ。
だが、一つ問題があった。マンションには当然住人がいる。住居を占拠されれば驚いて騒ぐであろ
う。へたをすれば抵抗してくるかもしれない。そうなれば今のワルキューレには彼らを殺すしか方法
がない。そして、それが後に発覚した場合、先の大戦以降冷え切っている魔界と人界の関係に決定的
な悪影響を与えるのは明白であった。それに、あまり認めたくないが個人的な感情として、
『二度とあいつらとは顔を合わせられないだろうな。』
という思いがあり、ワルキューレに行動をためらわせていた。
だが、もはや彼女に選択の余地はなかった。
『やるしかないか。』
再度、迷いを振り切るように呟くと顔を上げてマンションをみつめた。
車の陰より身を起こしかけたワルキューレは、次の瞬間、また車の隙間に潜り込んだ。視界の右隅
に此方に向かってくる人影を捉えたのだ。影はワルキューレに気づく様子もなく次第に接近してくる。
雲の隙間より微かに漏れてくる月明かりに朧げに浮び上がるシルエットや歩くスピード、左手にさ
げたカバンの形状などから、影の主は若い男性、おそらくはバイト帰りの学生とおもわれた。
『まだ私にも運があるようだな。』
もし幸運の神などというものが存在するとしたら、例え敵であったとしても、今だけは心から感謝
したいとワルキューレは思った。
実際のところ、並の人間と大差ないレベルにまで疲弊した状態で、どうやって周りの住人に気づか
れること無く目的の部屋に侵入するかという問題は非常に厄介だった。
普段であれば壁抜けを行うにしろ、体のサイズを縮小させて隙間から潜り込むにしろ、造作もない
ことであるが、今それを実行すれば霊基構造が拡散して復元できなくなる恐れがある。
だが、今目の前を歩いている男を統制下に置けばそんな手間はなくなるし、まだ若い男のようなの
で、自分の容姿をもってすればその後のコントロールも簡単であろう。
それにもし学生であれば一人暮らしの可能性が高い。一瞬の間にそこまで計算すると、ワルキュー
レは車の陰に隠れながら男の進行方向に先回りし、男が自分の前を横切った瞬間、背後から襲いかか
った。
『騒ぐな。おとなしくしていれば危害を加えるつもりは無い。だがもし大声をあげたり
すれば・・・・。』
ワルキューレは男の口を背後から塞ぎ、相手の耳元で呟くと、肋骨の隙間に精霊石銃の銃口を食い
込ませた。
男は恐怖で竦んでしまったのかまったく動こうとしない。ワルキューレはしばらくそのままの態勢
でいたが、男の様子を探るため、押し付けていた銃口をゆっくりと離した。
男はそれでも動かなかった。
口を塞いでいた手をゆっくりと移動させ、代わりに左肩をつかんだ。
「何が目的なんだ?」
ワルキューレに背を向けたまま男が口を開いた。想像よりはるかに若く、しかし以外に落ちついた
声だった。
「目的はなんだ?」
男が再度尋ねてきた。
『追われている。しばらく身を隠す場所が欲しい。』
「俺にかくまえと?」
『拒否権は認めない。』
ワルキューレは再度銃口を相手に押し付けた。僅かな沈黙の後、
「そっちを向いていいか?」
『なんだと?』
「俺に拒否権はないんだろう? だったらこれから匿う奴の顔を確認する権利ぐらい
はあってもいいだろう。」
ワルキューレは一瞬躊躇したが、もはやこのような駆け引きともつかない無駄話をしている時間は
なかった。右膝が笑いだしていた。
『いいだろう。ただし、ゆっくりとこちらを向け。それと、これからなにを見ても声を一切出すな。
出したら殺す。』
「わかった。」
男がゆっくりとこちらをふりむいた。
声から想像したとおり、まだ若い青年だった。顔付きからすると年齢は横島より1〜2歳上、どこ
にでもいる学生かフリーターといったところだが、身に纏う奇妙に落ち着いた雰囲気と平凡な外見の
落差に、ワルキューレは微かな違和感を感じていた。
青年はワルキューレの姿に驚いたのか、目を大きく見開き彼女の顔を凝視している。このままでは
埒があきそうにないのでこちらから声をかけた。
『いつまでそうしているつもりだ。もう十分だろう。さっさと部屋に案内
しろ。』
青年は一度大きく深呼吸をした後、口を開いた。
「部屋に案内するのはいいけど、その目立つ耳と翼はどうにかできないか?。ここの玄関には監視
カメラがあって警備会社に繋がっているから、その姿で入ったら10分も経たないうちにGSや
オカルトGメン達が押しかけてくるぞ。」
『そんなことは解っている!!』
実際は、焦るあまりその可能性を全く失念していたのでプライドを傷つけられ、思わず怒鳴り返し
た。
青年は、ああそうですか、とでも言うように一度肩を竦めると、ワルキューレをうながすように見
詰かえしてきた。
そんな視線に苛立ちを感じながらも、相手の言い分はもっともだったので人間に変身すべく精神を
集中する。ここにたどり着いたばかりの時に、同じことをやろうとして失神しかけたため大分不安で
はあるが、傷をカバーしている分の魔力をつかえば短時間なら大丈夫なはずだと自分にいいきかせた。
ブン
なにかが振動するような音と共に、ワルキューレの輪郭が一瞬ぼやけ、次の瞬間翼が消え、耳の形
も人間のそれと同じになっていた。
だが、成功したと思ったとたん、胸の中から口に向かって血液が逆流してきた。
グッと歯をかみ締めそれを押し戻す。傷口からも新たな出血がはじまっていた。目の前が暗くなる
のを意志の力で持ち直す。
青年はワルキューレの様子には構わずに、着ていたジャケットを脱ぐと彼女に渡した。
「これを羽織って傷を隠せ。それと、玄関を入るときは俺の後ろからなる
べく離れるな。自分の足元を見るように自然な感じでカメラを避けろ。」
ワルキューレは黙ってジャケットを受け取り、言われたとおりに羽織ると傷を隠すように全てのボ
タンを留めた。袖が長かったので肘の所まで捲くりあげる。銃はベルトに挟んだ。
ワルキューレの準備が完了すると、青年が建物の方に歩き出したので、彼女も後を追ったが、途中
で足が縺れ、思わず青年に縋りつき、そのまま彼の腕を抱え込んだ。
「何のつもりだ?」
『誤解するな。足が縺れただけだ。それにこのまま訳ありの恋人達のふりをしていれば、私がカメ
ラを避けていても怪しまれないだろ。』
「なるほどな。」
そのまま入口をとおり奥にあるエレベーターに乗る。青年が3階のボタンを押すとすぐに扉が閉ま
り、10秒ほどで再び開いた。エレベーターを降りて直ぐの部屋のドアの前に立つと、青年はカギを
開けて部屋のなかにはいった。
ドアの脇の表札には「結城 健一」とだけ書かれていた。
ワルキューレが主役ですか。とても新鮮でいいですね。
ワルキューレをかばうことになった「結城 健一」というオリキャラの活躍にも期待します。 (鷹巳)