椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ一 『宿炎』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 5/27








 跳ね起きたのは、黄昏。













 鼓動はいつも通り、落ち着いていた。














   ★   ☆   ★   ☆   ★








 窓の外には雨が降る。
 じめじめした梅雨の空を塗り、天から落ちてくる無数の涙粒。――全身に受ければ、まるで自身神の涙に打たれているような――そんな愚にもつかない事を感じさせてくれる。


 雨は、嫌いではなかった。

 ひのめは窓を開けた。
 外は風が強かった――当然、雨粒は勢い良く室内へと吹き込んでくる。ひのめは舌打ちした。これでは、後で自分が母に叱られるだろう。
 窓を閉め、代わりに椅子から腰をあげる。
 栗色の長髪が、さらりと揺れた。この彼女自慢の長い髪は、湿気の中で一層に艶やかさを増しているように思えた。頭を軽く振り、肩にかかった髪を落とす。

(ちょっと、太ったかも知れないわね)

 思うところと言えば、それだった。最近雨が続き、マトモに野外で活動をしていない。それでいて三度の食事はしっかりと摂っているのだから……自然の摂理として、太るのは当たり前と言える。昨日体重計を見たところでは、一グラムたりとも変わってはいなかったが。
 それでも、そう思うコトにした。そうでもなければ、自分は外に出る事が出来ないだろう。
 大きな姿見の前で一度ターンをし、自らの服装を確認。季節に合った白のノースリーブの上に季節に合わない薄手のカーディガンを羽織り、部屋着のチノパンの代わりにジーンズを用意する。コレだけで良い。別段遠出する訳でもなかった。

 家を出た。
 暴風が、出迎えてくれた。

(何か、気持ちいいわ……)

 傘を差さずに、暴風の中に身を晒してみる。――それは既に暴風ではなかった。






 不思議な、安心感を与えてくれる。














「冷たい――」


















 みるみる、雨粒がひのめの全身を覆ってゆく。――長い髪を濡らし、お気に入りの茶色いカーディガンを濡らし、買ったばかりの夏物のジーンズを濡らした。
 その感触に、何故かゾクゾクする程の刺激を覚える。ウズウズする程の興奮を覚える。


「…………はぁ。戻ろ」


 結局は、ひとりで雨に当たっているだけでは風邪を引く以外に行く末はない事に気づくのに、そう時間はかからなかった。小さく、くしゃみをする。

「……ったく、可愛い娘を飢えさせといて、母さんは何やってるのよ? これでアタシがもうちょっと不良さんだったら家出してるところよ。まったく」

 毒づき、ひとりでいる事による胸中の不安を誤魔化す。
 我ながらだが、自分は強情であると思っている。――本来は寂しがり屋なだけであったはずなのだが――いつから、こうなってしまったのだろう? 苦笑する。
 苦笑しつつ、四年前に姉がアメリカへ渡った際に管理がてら母に預けられた旧い広い建物を眺める。――静かだった。怖いほどに。

 唾液を飲み込んだ。
 苦い味がした。

 高校時代、興味本位で煙草を喫ってみたときの、あのなんとも言えない苦味が、何故か思い起こされる。身体が冷えた所為か、小刻みに震える身体を押さえつける事が出来ない。――早急に入浴した方が良いのかも知れない。

(そうよ。うん)

 無理矢理に自分を納得させ、取り敢えずは濡れたカーディガンを脱ぐ事とした。――軽く脱いで下着姿になり、そのままバスルームへと向かう。



 お湯が張っていなかった。



(母さん――っ!!)


 思わず、ここにいない――ついでに言うと、現在死ぬほど働いているはずの――母に毒づいた。届くはずもないが軽く怨嗟の声を送っておく。
 仕方がない。ないものはないのだ。取り敢えずは、シャワーだけでも浴びよう。
 そう思い、ブラを外した。――自然、視線は正面の鏡の中の自分に向かう。その後、見下ろし、自らの自分の姿へと。

 ブラを外した左の乳房の右上部、ちょうど、心臓がある辺りの位置に、十センチほどの皮膚の空洞があった。
 性格には、火傷痕である。

(『コレ』のお陰で……夏になっても大胆な水着とか着れないのよねぇ……)

 目下、それが彼女の最大の悩みの種になっていた。火傷の痕は、それそのものにしてはかなり大きく、普通の水着を着ても、楽に見えてしまう位置にあった。水着を買う際には、如何にしてこの火傷を隠すかにも焦点を置いて探さねばならない。大概は、『大胆さ』とか『可愛さ』といった要素が割愛される。
 鏡の前で、微妙に胸に両手を当て、所謂『セクシーポーズ』を取ってみせる。


(これさえなけりゃあねぇ……)

 ひそかに、高校時代には、クラスの誰よりも胸が大きいという自負はあった。これは、何故かあの歳になっても化け物じみた端麗な容姿を維持している母や、熟年になってますますその美貌の度合いを濃くしていった感のある姉から受け継いだ美神の血なのかも知れない。感謝はしていた。
 だが……

(もうひとつの『血』は……アタシにまでは入らなかった……か)





 母、美智恵は現在、ICPOオカルトGメン日本支部長を務めている。





 姉、令子はフリーのGSとして第一線で働き、現在はアメリカ政府直々の依頼により、公費でサンフランシスコに長期滞在している程の、世界屈指の実力者であった。











 そして、彼女、ひのめは――
 自嘲し、笑う。

「美神家の出涸らしっ子か……」

 バスルームの扉を開け、おもむろにシャワーのスイッチをひねる。流れ出た水流は冷たかった。









 彼女には、霊能力というものがなかった。









 徐々に、流れる水が温かくなってゆく……









 母は早くからそれに気付いていたようであった。十二歳のとき、既にひのめの頭の中からは、母や姉の跡を継いでGSになるという希望は消えていた。――漠然と、何かになりたいとは思っていた……

 今、十九歳になった。
 高校は普通科を卒業。その後、大学に行くでもなく、さりとて何処ぞに就職するでもなく――アルバイトをしながら未だに母の元にいる。

 ひのめは嘆息した。
 結局、自分はまだ、何をしたいのかすら分からなかった。


















   ★   ☆   ★   ☆   ★


















 カタカタ、カタカタカタ……
 無数の文字情報が、明滅するディスプレイ内に現れては消える。

 暗かった。場所そのものに似合わずに。

(……眼を悪くするかも知れないわね)

 暗がりの中でひたすらにキーを叩き、美神美智恵は陰鬱に自覚した。近頃頓に視力が衰えてきている事は、今更自覚するまでもなく厳然たる事実であった。――全ては年齢。年齢を考えれば仕方がない。

 立ち上がり、腰を伸ばす。
 実際、視力に霞みが感じられた時点で、彼女は既に第一線からは遠ざかっている。立場こそオカルトGメン日本支部会長などというものであるが、実際は体の良い名誉職であるに過ぎなかった。実権は、既に未だ若い西条輝彦に譲っている。


(それも今更――か……)


 再び嘆息した。
 暗い部屋の中に、キーボードを叩く音のみが木霊する。部下達が纏め上げてきた情報を練り上げ、更に自らの経験を付加して練度を高める。それのみが、現在の彼女の仕事の全てだった。―― 一日の大半がデスクワーク。現場の人間であった美智恵からしてみれば、失笑するに余りある状態である。


 それでも、これはこれで良いのかも知れない――
 最近、そう思うようにもなってきた。



(――ん?)

 いつの間にか、携帯電話にメールが入っていた。集中が切れる為、バイブ機能すらOFFにしておいたので見逃していたらしい。
 無駄に最新機能がごてごてとつけられたそのカード型電話(試供品)を取上げ、メール受信欄を確認。――ひのめ、だった。

















 娘。


















 親としてはあり得ベからざる事ではあるが、美智恵は後悔していた。
 パソコンデスクの上に置かれたアイスコーヒーのグラスに腕が当たり、氷とグラスが澄んだ音を立てる。それと同時に、自ら抉った左胸の痛みが、にぶく脳髄を刺激した。


「――軽率だったのは、私ね……」

 唇から、自然に言葉が漏れ出でていた。
 既に齢六十に手が届こうとしている。大分白髪が目立つようになった栗毛に手をおき、美神美智恵は薄く笑った。
 それはただ単純な事であった。不注意と偶然が重なり合って生まれた、言ってみれば『事故』とさえ言える出来事であった。

 あの日は、晴れた日だった。美智恵はそのとき、仕事で仙台にいた。そこもまた、快晴だった。

 きっかけは、貼っていなかった呪符。そして、激情。
 あの時期、常にひのめの身に付ける衣類には全て、火気封じの呪符が内部に縫い付けてあった。美智恵がそうした。

 炎という力は、発現してからは非常な脅威となるが、発現前ならば矮小な力でも封じる事が可能である。――ひのめの力も、あの当時、美智恵は全ての洋服に縫い付けた呪符で防いでいた。

 ひのめがパイロキネシストであるという事実は、一部の人間以外には知られていない事であった。――その中に、ひのめと仲の良い友人の母がいた。
 あの日、ひのめはその友人の母がその前日、買ってくれた服を着ていた。スカートを穿いていた。僅かに靴下のみに呪符が仕込まれていたが、それだけでは、母から受け継いだひのめの豊富な霊力を縛り付けるには大いに不足であったのであろう。





















 ――『事故』が起きた。
































「駄目な母親ね……私は」


 ひのめは現在も、母親であり日本GS協会の重鎮である彼女による『保護観察処分』の下にいる。――無論当人は気付いていないだろうが、この役目は長年、美智恵にとっての大きな精神的負担となってきた。

 そして――



















































 美智恵はパソコンの電源を切った。
 立ち上がり、豪雨に煙る大都会を、ガラス越しに睥睨する。

(そろそろ、帰らなきゃね……)

 既にこの建物に残っているのは、彼女独りとなっていた。数十分前に所長である輝彦が建物を出たのはぼんやりと覚えているが、気が付いたら辺りが真っ暗になっていたのには、我ながら驚いた。

 感覚器官が鈍っているか――

「私も……そろそろ潮時ね……」

 働いた。働く事で、全てを元に返す事が出来ると信じていた。
 霊力を失い、それも出来なくなった。視力が減退し、第一線からも退いた。そして今、確実に精神機器の磨耗は進行している。

「これも……罰(ばち)なのかも知れないわね……」

 左胸の傷痕――自ら肉を抉った痕――に眼を落とし、薄く微笑む。取り敢えずは、まだ死ぬ訳にはいかない。自分には責任がある。何としても、ひのめを――
 ドアノブに手をかけ、細く開く。

「大丈夫よ、ひのめ――母さんが、アンタを護ってあげるからね――」
















 プチン……















 何かが、切れた。

















 ドアが爆発した。







 〜続〜


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