先生のありがたい配慮で、ゼミに戻れることになった。
学校では、商学部商学科なんて肩書きの学科に在籍しているのだが、ゼミで専攻している内容といえば全く商学とは関係ない。 むしろ社会学、ていうか絶対に社会学だ。 フツウ、商いを勉強するのに少年犯罪のことを研究するかしら。 さらに、卒論のテーマは「何でもいいから」ときたもんだ。 わーい。 同じゼミを無事に卒業した友達は黒人音楽の歴史についての論文を出し、見事に合格の二文字を手に入れたらしい。 わーい。 でもこんな適当過ぎる場所に所属しているわけで、めっきり登校回数が少なくなった。 春学期は休講なのに単位はしっかりくれるから。 わーい。
そのおかげで、最近また「何をしてる人なの?」って聞かれることが多くなってきているんですけど。 ・・・。 少なくとも今年度は列記とした学生の身ですってば。 某レンタルCD屋の社員でもなければ、引きこもりがちな兼業主夫でもないんだってば。 ただ後者かと尋ねられたら、きっとスーパーひとしくんをあげるけどね。 ・・・。
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今日もまた
僕は電車に乗る途中で
キャベツの死体を見つけてしまう
僕の足の裏に付いている地球が
僕から離れようとしない
宇宙は僕らにかまわずに
どんどん遠ざかっていく
僕は地面に耳をつけて
君の足音を聞くよ
この曲好きなんだけど、日本語訳の最後の節だけ読むと何だかストーカーっぽい気配が。。。 いや、最初の節に自分がひっかかる要素が全て入っていて混沌ながらも爽快なんだけど。 煮え切らないが爽快。 非常にparadox風。 人間は朝起きて夜眠るというbiorythmを持っているはずで、本来、朝が来るというのは喜ばしいことのはず。 極端な例えを挙げれば、古代文明の中には太陽がまた昇るように生贄を奉げたりした事例もあるくらいだしさ。 しかし、現代社会においては「朝が来る」という事象は、どこか憂鬱になる要素を付随させられてしまった感がある。 そんな悪循環にはまっている少年は、きっと毎朝キャベツの死体を見つけてるんだ。 この形容では、死体であるものがキャベツであるということが欠かせない。 花や虫では駄目、言わずもがな鳥や哺乳類といった大型の動物をもってくることはtabooで、そうすると一気にrealityが失われてしまう。 あくまでキャベツであるということが、誰かの憂いにもなれない倦怠を表せるんだと思う。
さて。 最後まで曲名を明かさなかったなハハハン。 ヨシヨシ。
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雨が降る前には必ず雨の匂いがする
窓越しに見える外の風景は、すっかり春へと変わっていて、
少しの高揚と憧れ、そして強迫観念にも似た焦燥感を覚えた
雨の匂いがすると安心する
まだ、ぼくは感覚が完全に麻痺してしまったわけではないと勘違いをするから
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