「ほっとした」のトークはこちらです。
CSOIでのエルビスを見て感じ、プロスケーター引退のニュースまで口に出せずにいた「ブラックなこと」から引退までの心境をつらつらと。自覚して書いているので、ある程度危険度は下がるはず。
イカレたファンの本音トーク、さあ行ってみよう!(←開き直り)



CSOIのフィナーレで私はかなり冷ややかな視線でエルビスを追っていたと思います。

本業と副業が逆転したね。
スケートが副業になったね。
もうこの人はフィギュアスケーターではない。


スケートをしているエルビスはもういい。
今度エルビスがらみでカナダに行く時はカンフーの試合を見に行く時だ―――



今までで一番近い所でエルビスを見ているのに(初のアリーナ席です、私。)、一番遠くに感じる。今のこの人の実体は半分ぐらいどこかに行ってしまっているような気がする。
ここにあるのはある意味抜け殻、カリスマの残像。
カナダ人にはそれが見えないだろうか?―――見えないのだろう。
むしろそう見える私がおかしいのだ。


この手の視点のずれは日本のみどりさんに対する盛り上がり方と似ているように思う。
みどりさんとエルビスはギネスブッククラスの特異なジャンパーという点で似ているが、それぞれの国で名声やファンの愛情が変化した重荷と闘い続けなければいけなかった点でも似ていると思う。
(そういうものと闘い続けなければいけないのはどのスポーツ選手もそうだが、そういう悲壮感を感じさせたと書く方が的確な表現か)
それを意識しながらエルビスを見てきたつもりだったが、今までに感じなかった「もう放してくれ」というような意思が感じられるのは。


何から放してくれと?

カナダのプロスケートはこの状態のこの人に頼らざるをえないのだろうか?



視点が大きく揺らいだような感覚。
カナダのスケート界の地盤は思っているより弱いのかもしれない。CSOIの将来が心配だ。



行き過ぎたファンというのは下手なアンチよりタチが悪いというのを認識した瞬間でした。
こんなこと感じるなんて、ついに頭イカレたか私……。


何がおかしかったんだと訊かれると答えに詰まるのです。
確かにResolutionには「ギャラ半分返せ」と思いましたが普通にかっこいい演技でしたし、もう一つのSeptember Endもそう。アンサンブルでは見せ場もあったしリンクの隅で待機している時にはカート先輩と仲良さそうにちょこちょこ絡んでいましたし、観客の反応も普通に盛り上がっていました。


なのに、なぜそんな感想を抱く?

長いツアーの中の一つの公演の演技でそこまで判定されたら立つ瀬がないだろう!
しかも2年ぶりに見ただけのくせに。
プロスケーターは100%一つよりも70−80%で全てやりぬくことを要求される世界。たまたま調子が悪かっただけだ。ツアー開始直前にカンフーの試合があったんだから、氷から離れた期間があってもおかしくない。



いくらでもその内容を批判できます。でも感じとったという事実は否定できないのです。
考え付いたことではなく、感じ取ったことだから。エルビスのファンになって色々読んだり見たりして積み重なってきたものを通じて感じ取ったことだから。
色んなことを自覚していても、自分を否定することはしょせん自分にはできないのです。
自分で否定できないのなら、誰かに否定してもらうしかありません。

誰かに否定してほしい。日本語で。
でもCSOIをわざわざ見に行くような気合の入ったエルビスファンはもういない。カナダ在住の日本人ファンに知り合いはいない。


そろそろ潮時か……。



……とまあ、こういう内容のことをオンラインで書こうか書かないかぐだぐだ迷っていたわけです。
「ライーヨー」でブチ切れて他のエルビスファンの方達を傷つけた前科がありますから、書くならせめてなるべく穏やかな形で…と思っていたのですがしょせん無理な話でした。


なのでこの引退という展開はエルビスからゴーサインが出たといいますか。免罪符をもらったといいますか。何かしら「許された」と感じた瞬間だったのです。



……「許された」という思いを強くした記事が出ていますので、こちら
どこの部分で許されたと思ったのかは書きません。





いきなり引退を知らされるのではなく、終わりを認識した状態で終わりの知らせを聞くことができたのは幸運でしたし、幸せなファンだ思います。
ですが、今好きなスケーターを追っている人にこんな終わり方をしてほしくないと思っているのも事実です。


……っつーか、こんなファンになっちゃいかんよ、みんな……。

 

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