「姉妹都市提携の経緯について」(グレンデール市編)
                            東大阪市国際交流協会 
                                 副会長 堀  裕 彦
 T はじめに(姉妹都市交流とは何か)

  国際交流の重要性が叫ばれて久しい。およそ国際交流には「学術・技術交流」をはじめ「産業・経済交流」、
 「文化・スポーツ交流」さらには「国際観光」まで広範囲に及ぶと思われるが、とりわけ中核を担うのは地域
 の特性を活かしながら住民誰もが自由に参加できるという点で、やはり「姉妹都市交流」ではないかと考える。
  さて、わが東大阪市は全国レベルで見ても比較的早期に姉妹都市提携がなされたので、今般40周年を迎える
 運びとなった。本稿では二つの姉妹都市の内、グレンデール市との姉妹都市提携の締結に至る経緯について振返
 ってみたい。
  もっとも、私が初めて協会事業に参加させていただいたのが1981年10月に実施された「第一回姉妹都市を知る
 教室」であったから締結当時を振返れる立場にはないが、幸いにも当協会の初代会長で縁結びの立役者であった
 故山崎秀治会長(以下「山崎会長」と呼ぶ)が、古稀記念に出版された自叙伝の中で提携の契機からその後の交
 流の様子について詳細かつ正確に記述しておられるので、そのご著書を紐解き引用することにより、与えられた
 任を果たすことにしたいと思う。
  余談になるが、十数年前に私自身の関心から本テーマについて概要をお尋ね したいと申し出たところ、早速
 翌々日にもメッセージを添えて恵贈して下さったのが、2巻から成る前述の自叙伝であったことを付け加えてお
 きたい。  

 U 姉妹都市提携の経緯 

 アメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデール市と当市の間で姉妹都市の盟約が結ばれたのは1960年(昭和35年)
 9月23日であり、市・区レベルとしては全国33番目のことであった。因みに提携第1号は長崎市とセント・ポール
 市(アメリカ)間で1955年12月7日で提携都市・月日ともに興味深い。 前置きが長くなったが、そもそもグレン
 デール市と姉妹都市提携を締結されたのは東大阪市の三市合併前の一つ旧枚岡市であった。当時枚岡市で市会議長
 の公職にあった山崎会長が、隣接の旧布施市とベルリン市ヴェディング自治区が姉妹都市提携を締結したことに触
 発されたのが発端になったようである。それでアメリカ文化センター(現在の「関西アメリカンセンター」か?)
 にアメリカ西海岸で提携候補地を照会した結果、パサディナ、ロングビーチ、グレンデールの三市が推挙されたが、
 結局は都市の規模・立地条件の類似性からグレンデール市(以下「グ市」と呼ぶ)に白羽の矢を立てられたようで
 ある。そして市会議員の任期を満了された山崎会長は、1960年6月に姉妹都市提携を前提としたグ市への表敬訪問
 を果たされている。会見時、グ市市長E・C・コールキャノン氏も提携に大賛成であり、事実それから1ヶ月前後
 で市議会決議がなされたようである。それを受けて枚岡市においても直ちに姉妹都市提携の議会決議がなされたよ
 うである(おそらく、その決議の日が前述した姉妹都市締結日として登録されたものと推測する)。
  さて、自治体レベルでの提携手続が完了した後、山崎会長を中心に民間人による「姉妹都市委員会」が結成され
 た。当時の中心事業は、英語教師の派遣と帰朝後の講習会であったという。その後、1979年11月に姉妹都市委員会
 は「東大阪市姉妹都市協会」へと改称され、さらに1996年4月には発展的に解消して、現在の「東大阪市国際交流
 協会」へと改組された。改組後の活動については別項に譲るとして、当時の活動として特記しておくべきはグ市へ
 の日本庭園開設協力事業であろう。すなわち、枚岡市当時の姉妹都市委員会の委員有志で灯籠を贈られたのが端緒
 となり、最終的に双方の努力が実って1974年5月、グ市民の憩いの場であるブランド・パーク内に日本庭園(園内
 の茶室も含む)が完成したという日米友好の象徴的な事業であった。完成9年後に交換学生としてグ市に派遣され
 た時に私もこの庭園を見学させていただいたが、遥かなアメリカの地で日米交流の証しを垣間見て意を強くした記
 憶がある。 

 V おわりに(これからの姉妹都市交流)

  山崎会長のご著書を基にしてグ市との姉妹都市提携がなされた1960年前後にタイムトリップしてみたが、わが国
 の高度経済成長期の元気なイメージとダブって、また当時の日米姉妹都市当事者の先達の情熱が伝わって来るようで、
 懐かしい気持ちになった。
  他方では、もう一つの姉妹都市であるベルリン市ヴェディング自治区(現ミッテ区)と姉妹提携を締結して2年後
 の1961年8月に「壁」により東西ベルリンに分断されるという不幸な事態に陥った時期があり、山崎会長も著書の中
 で「ヴェディング自治区は政治的な問題、統治的問題など諸問題があるようで・・中略・・グ市ほど緊密でないのが、
 残念だ・・」と述べておられたが、時は流れ歴史は動き、1989年11月に壁は崩壊し統一ドイツに復帰した。そして今
 では親密な姉妹都市関係を構築中であるのに対して、むしろグ市との交流が新たな局面を迎えているのも現実である。 
  今回、グ市との姉妹都市締結40周年という節目に際し、山崎会長を中心とする先達の軌跡を辿る機会が与えられた
 ことに感謝して、本稿を閉じることにしたい。
 

 《参考文献》  *山崎秀治著「思い出すまゝ七十年」昭和 57年1月15日  146頁以下。 
         山崎秀治著「続・思い出すまゝ七十年」 昭和60年5月10日 189 頁以下。 
           *(財)自治体国際化協会編「日本の姉妹 自治体一覧(1998年版)」6頁。