2003/6/1(日)

月は日曜日から始まった。先月の連休明けからスタートした両親のマンションリフォームも、事情があって10日ほど遅れているが、ユニットバスが設置され、リビングのフローリングが張り詰められ、そしてシステムキッチンが据え付けられようとしている。父は70年、母は50年来住み慣れた所ではあるが、毎日の暮らし向きを考えて、私たちの近くの駅前マンションに越してくることになっている。引越し業者も今日打合せに来てくれたらしい。予定は6月28日である。

2003/6/13(金)

案だったバイマーヤンジン(チベット人声楽家)夫妻と高尾裕二先輩(大阪大学教授)と昨晩会食した。皆さん、多忙の方ばかりなので日程調整が難しかった。でも、一つの事に向かって一生懸命取り組んでおられる方と一緒にいると英気を分けてもらえそうな気がするものだ。近税会から依頼されていた原稿の草稿が出来上がった。パソコンで書いていると、草稿と清書が同時進行できるので凄く便利である。これから読み直ししなければ・・・。

2003/6/15(日)

大阪市国際交流協会のメイン事業のひとつ交換派遣青年の面接試験があり、選考委員に加わった。ドイツ・ベルリン市のミッテ区への派遣青年3名を選考するのだが、30名の応募があった。1グループに4〜5名ずつに分けて.順次面接した。16歳から21歳の青年達で、それぞれ個性があって絞り込むのが難しかった。幸いにも選ばれた青年にあっては、初心を忘れずに事業に積極的に参加して欲しいものだ。

2003/6/28(土)

憎の空模様であったが、予定通り両親の引越しを敢行した。午前8時40分過ぎに東大阪の実家へ着いた時には、既に引越し業者さんが、荷物の半分くらいは積み込みをしていた。義弟も既に手伝いに来てくれていた。予定よりかなりのハイペースで作業を完了し、新居に着いたのは10時15分くらいであった。一旦新居に荷物を下ろして、さらに山荘への荷物移動も済ませてもらった。結局、マンションへ集結して、家具を組み立てたりして、昼食を12時半ころに終える事ができた。さすがに、母も眩暈がすると言っていたが、忙しくも充実した記念すべき一日となった。