科学哲学ニューズレター |
No. 60, January 24, 2006
How should we read the Leibniz-Clarke Correspondence, by Soshichi Uchii
The Last Issue edited by S. Uchii
Editor: Soshichi Uchii
現在の編集者内井は本年三月末で定年退職となるので、当ニューズレターの編集もこれが最後となる。とにもかくにも、きりのよい60号を迎えられたことを喜びたい。今後当誌がどうなるかは後を引き継いだ方々の方針次第だが、科学哲学科学史関係の紀要を新たに起こす計画もあるようなので楽しみである。この最終号の内容は、その紀要のために頼まれたわたしの原稿をいち早くウェッブ版にしたものである。内井の最終講義は3月26日(日)午後に予定されており、内容や演題はまだ確定していないが、本号の内容と関連の深い時空論あるいは宇宙論関係の話になる確率がきわめて高い。とにかく、オモロイ話にするべく努力中である。
ライプニッツ−クラーク論争から何を読みとるか
内井惣七
1.はじめに
定年退職を迎える年齢になったわたしに向かって、幾人かの人々はいまだに「なぜ精密工学を勉強していたあなたが哲学に転向したのか」と問いかけてくる。気分が乗らないとき、わたしはこの問いに対して「理由や動機はもう忘れた」と答えてこの話題を打ち切ることもある。そして、このつっけんどんな答えは半分「正しい」と言ってよいと思う。というのは、大切なのは、最初の理由や動機ではなく、転向後のプロセスと持続、そしてどれだけの結果を出したかということだからである(それなりの目標を公言してわたしの研究室に来ながら、途中で消えていった学生を何人も知っているのだ!)。しかし、隠している半分の答えにかかわる事情のうちで、いまでもはっきり覚えているのは、二十歳代の初め頃、ハンス・ライヘンバッハの名著(そして市井三郎氏の名訳)『科学哲学の形成』を読んだときの衝撃である。空間と時間に関わる哲学的問いかけにふれたのはこれが初めての経験だった。以来、この問題にいつか切り込んでみたいと思い続けていたのだが、結果を出せたのはようやく最近のことである(内井2004、2006)。小論では、最新著(内井2006)で到達したわたしの結論の一部──最も一般的な部分──だけを、理由ともども簡潔に展開してみたい。
2.ライプニッツ−クラーク往復書簡
時空論の古典の一つとして『ライプニッツ−クラーク往復書簡』があることはよく知られている。この文献は、わたしも十年ほど前から読み始めたのだが、読み方には相当の準備と工夫が必要だということがわかってきた。たとえば、ライプニッツを専門とする研究者に尋ねてみても、よく返ってくる答えは、「この往復書簡はクラークが小物なのであまり面白くない」(前述ライヘンバッハもこの意見)とか、「神の知恵や時空の本性について、結局両者の言い分は水掛け論になっていて、黒白を決めようがない」という類のものが多い。しかし、クラークは、かなりの部分ニュートンの見解を代弁しており、この論争をニュートンとライプニッツの間の争いと読むことも十分可能だから、「クラークが小物だ」と片づけたのでは「ニュートンもつまらない」という結論に陥りかねないではないか。もちろん、こう言うからには、ニュートン自身の見解も確認して裏をとらなければならないが、それは『プリンキピア』、『光学』、リチャード・ベントリーとの往復書簡、そしてニュートンの若いときに書かれた未完の手稿『重力について』(Newton 1668?)などによって可能である。そこで、(1)ライプニッツ−クラーク往復書簡を読むにしても、ライプニッツとニュートン自身を対決させる形でこの論争を読む、というのがわたしの第一の着眼点である。
しかし、この作業だけではまだ不十分である。わたしは哲学史や科学史的な関心だけからこの論争を調べたいのではない。「時空の哲学」という旗印を掲げたからには、この古典的論争から現代のわれわれがどういう教訓を得るかが勝負なのであって、そのためには論争点を入念に分析し、われわれの後知恵を活用してでも黒白が決められる形にできるだけ持っていかなければならない。したがって、(2)彼らが答えようとしていた問題群が現代ではどのような形になっているのか、そして彼らの発想の延長線上で、そういった問題にどのような解決の見通しを立てうるのかという、われわれ自身の問いかけが不可欠である。これには、現代の物理学や宇宙論の知識が不可欠であり、それをふまえた上での哲学的問題の立て直しが必要である。たとえば、「物事はなぜ現にあるようになっており、他のありようではないのか」というライプニッツ得意の言い回し、世界のあり方には充分な理由がなければならないという「充足理由律」は、現在の物理学や宇宙論で意義があるのかないのか。ライプニッツの有名な「不可識別者同一の原理」(互いに区別できないものが二つ以上あることはなく、区別できないものは同一である)は、物理学で成り立つのか成り立たないのか、またどういう意義を持ちうるのか。これらの問いに答えられないようなライプニッツ解釈に、わたし自身は意義を認めることはできない。
以上二つの着眼点を生かすような読み方はどうなるのだろうか。
3.論争の始まり
ライプニッツは、イギリスの王としてハノーファーから迎えられたジョージ一世に仕えていた。この王の皇太子妃キャロラインとライプニッツの間に親交があり、ライプニッツが彼女に宛てた手紙の中で、ニュートンの自然哲学がイギリスの宗教を堕落させていると書いたことがきっかけとなって、クラークとの間で論争が始まる。これがなぜ時空の哲学と関係してくるのだろうか。
まず、ライプニッツは、ニュートンが「空間は神が事物を知覚するための感覚器官だ」と言っていると見なし、これが神の能力を貶めていると非難する。ニュートンの問題の言葉は『光学』の「問い 28」に出てくる。これに対するライプニッツの言い分は、もし神がそのような感覚器官(のような空間)を必要とするのなら、世界のすべての造物主としての神の地位が損なわれることになるではないか、というもの。このライプニッツの言い分は、現代の多くの読者にはなかなかピンとこないかもしれないので、さっそく「現代語」に翻訳しておく必要があるだろう。ライプニッツの見解では、空間は同時存在するものの間の関係であり、時間は継起する事物の間の関係だから、いずれも創造された事物に依存して生まれるはずなので、すべての事物を含む宇宙を創造すれば時空を別に作り出したり仮定したりする必要はない。これに対し、ニュートンやクラークの見解では、物質的宇宙は空間と時間の中で創造されるので、宇宙の創造と時空の創造とは別々の話になるはずなのである。これが、宇宙の物質とは独立な絶対空間と絶対時間(『プリンキピア』冒頭、定義に続く注解で論じられるが、原型はNewton 1668?にある)とを要請したニュートンが支払うべき代償となったのである。この問題は、現代宇宙論にも引き継がれていることに注意しよう。宇宙創成は時空の創成と同じなのか、それともあらかじめ前提された枠の中で宇宙が創成されるのか。ニュートンとライプニッツの論争は、言葉こそ古いが、現代宇宙論にまで至る射程を持っている。
次に、ニュートンの見解によれば、神は「腕の悪い時計職人」のように、ときおり自分の作った世界に介入してネジを巻き直さなければならないことになって、これも神の能力を貶めることになっている、とライプニッツは非難する。この言い分についても「現代語訳」を補わなければならないだろう。力学できわめて重要な概念として「運動量(物体の質量に速度をかけたもの)」と「運動エネルギー(運動している物体がなしうる仕事の量で、質量に速度の二乗をかけて半分にする)」がある。運動量保存の法則とエネルギー保存の法則という、力学において基本的な法則に関わるのでどちらも重要なのである。ところが、ニュートンの時代には「運動の量」をどちらで測るべきかという論争が継続中だった。ライプニッツはエネルギー概念の支持者、ニュートンらは運動量概念の支持者だと考えて大過ない。ところが、悪いことに「力」というアイマイな言葉を使って論争がおこなわれることもしばしばで(たとえば、運動エネルギーは「活力」と呼ばれた)、いろいろと行き違いが起きたのである。ちなみに、ライプニッツの力学論文では、力が「能動的、受動的」と二分され、それぞれがまた「原初的、派生的」と二分されて実にややこしい構成となっている。
ライプニッツが「腕の悪い時計職人」の比喩を使ってかみついているのは、「宇宙の中で運動が失われる傾向にある」というニュートンの見解である(『光学』問い 31)。たとえば、惑星系において彗星などとの相互作用が重なって運動が失われれば、不規則性が生じて増加し、「やがては改革を必要とする」(『光学』問い 31、終わりのほう)。この「改革」とは、神が自然現象に介入する(「時計職人がネジを巻く」)ということではないのか。
これに対し、ライプニッツ自身は「能動的な力は世界において保存される」と一貫して主張する。この「能動的な力」をどう解釈するかという問題はあるが、十九世紀に確立されたエネルギー保存則のようなものを十七世紀末にすでに予見していたライプニッツの慧眼には目を見張らされるものがある。ライプニッツも運動量が世界において必ずしも保存されないというニュートンの見解には同意するのだが、別種の力の保存が成り立たなければ、神の設計が不完全となるので、そのようなことはありえないと確信しているのである。この「別種の力」とは現代の言葉でいえばエネルギーである。したがって、世界を神の作った時計にたとえるのなら、この時計は神の介入や改革を必要とせず、完璧に動くものでなければならない。これがライプニッツの言い分である。
4.ニュートンのコスモロジー
以上二つの論点が、時空論が関係する限りで、ライプニッツとクラークが応酬していく主要な題材である。この論争の道筋について、詳細な分析はすでに最新著(内井2006、第II章)でおこなっているのでそれを参照していただくとして、ここで指摘しておきたいのは、この論争が現代の科学を考える際にも依然として持っている意義である。その意義は、ニュートンとライプニッツのコスモロジーを対比させてみると明瞭になってくる。クラークがしつこく拘ったような、「神の感覚器官」という言葉の文脈や意味の詮索は、この意義をかえって覆い隠してしまいかねない些末な事柄にすぎないのである。
では、ニュートンのコスモロジーを拾い出してみよう。その手がかりは、クラークが言及している『光学』の問い 28の終わりの方と、クラークが全然言及しなかった、ニュートンとリチャード・ベントリーが1692年から翌年にかけて交わした往復書簡のうちにある。
まず、『光学』問い 28では、自然哲学の任務が、現象から原因を突きとめていき、ついには機械的でない第一原因に到達することだと述べられている。物質のない場所には何があるのか、引力は何によって生じるのか、恒星はなぜ互いにぶつかってつぶれないのか、などなど、現代の宇宙論の話題になりそうな疑問が次々とあげられており、こういった事態を作り出した神の第一原因に迫るために、自然哲学の探究が役立つのだ、というニュートンの見解が示される。しかし、絶対空間と絶対時間に関するニュートンの見解をこの文脈で考えると、すでに小論の3節で示唆したように、宇宙創成の問題は二段構えにならざるをえないことが明らかとなろう。時空は物質とは独立なのだから、物質的宇宙の創成に当たって、物質の創成と時空の創成とは二つの異なる問いとなるわけである。
これは、ニュートンの言葉尻をとらえたつまらない揚げ足取りではない。ニュートンのコスモロジーがもっと具体的に展開された文書(ベントリー宛ての手紙)でも、この二段構えの構造がはっきりとわかる。リチャード・ベントリーは、ロバート・ボイルの遺産によって始められた「ボイル講義」のトップ・バッターに指名された聖職者であり、その講義は1693年に「無神論の論駁」というタイトルで出版されるが、その前に手紙でニュートンにいくつかの質問をし、自分のニュートン力学理解に間違いがないかどうか確認しようとした。それが、ニュートンのコスモロジーを引き出すことになったのである。
ニュートンの返書(1692年12月10日づけ)では、空間の有限の領域に宇宙のすべての物質が均等にちりばめられていたとしたなら、物質は互いの引力によってその領域の中央に一つの大きな球体を形成してしまうだろうと答えられる。これは、もちろん、われわれの現実の宇宙で見られる事態ではない。では、万有引力の働くわれわれの宇宙で、いったいなぜ星々がちりばめられて、太陽系のようなものが存在しうるのだろうか。ニュートンの答えは、「無限の空間に物質が、大局的には、均一に分布していればこれが可能である」というものである。この場合、部分的には物質が引力により集まって、より大きなかたまりを形成しても、大局的には均一な分布のために、そういったかたまり相互の間では引き合う力が相殺し合って平衡を保ち、互いに遠く離れたままになるはずだ、というのである。太陽やその他の恒星はこのように形成されたに違いない。
ニュートン自身はこの答えが力学的には危ういことをよく承知していた。しかし、それを逆手にとって、「神の配慮が働いているに違いない」という、第一原因への推測へ持っていくのである。
わたしには、こういったことが、単なる自然の原因によって説明できるとは思えず、その原因を意志ある行為者の意図と考案に帰さざるをえません。
つまり、科学的、合理的な考察による説明が限界に達することを認め、その先は、われわれ人間にうかがい知ることはできないが、「神がそう決めたに違いない」と仮定して説明を打ち止めにする。これがニュートン自身のとった立場であり、同じ態度はクラークによっても繰り返し表明されている。それが、ライプニッツ−クラーク書簡で「充足理由律」の解釈について両者がいつまでたっても平行線のまま終わった理由なのだが、それについては後にもっと詳しく論じる。
ニュートン流のコスモロジーの危うさは、ベントリーへの二通目の返書(1693年1月17日づけ)で、ニュートン自身によって、次のような巧みな比喩によって描かれている。彼は、まず有限の空間に均一に分布する物質が一か所に集まる過程を考え、全体の重心に当たる場所に一つの粒子が正確に位置している(そして、全過程を通じて動かない)ということがいかに難しいことであるかを論じる。水平なガラス板の上に、鋭い針先を下にして針を垂直に立て、倒れないように平衡を保つことができるだろうか。これは、不可能ではないが、きわめて精密なチューニングを要する難題である。有限空間の指定された一か所に物質が球体を形成するというのは、この問題に比すべき難題である。しかし、無限の空間の中で、無限に多くの恒星が互いの距離を保ったまま均一に分布するという前述の宇宙論についてはどうだろうか。これは、一本ではなく無限個の針をガラス板の上に立てるのと同じくらい難しいとニュートンは正直に認める。ところが、この難題も、神の力をもってすれば可能となるのである。
5.コスモロジーと境界条件および初期条件
以上、ニュートンのコスモロジーでは、空間(無限の空間)があらかじめ前提されていること、および力学的説明の限界に到達すれば、科学的知識の及ばない神の意志や配慮が持ち出されることを確認した。これを、「ニュートンの時代にはまだ神学的思考が残っていたからであって、現代のコスモロジーや科学には関係が薄い話だ」と速断しないように注意しておきたい。たとえば、1917年のアインシュタインの相対論的宇宙論においても、似たような事態を指摘することはたやすい。アインシュタインは、宇宙には変化がほとんどないという当時の先入見と、認識論的に望ましい宇宙論では宇宙に外から課される境界条件(たとえば、重力場が無限に広がるとしたら、無限遠点の重力場はどう設定すべきか)は無しですませたいという考えを生かすため、有限で境界のない静的な宇宙像(球形宇宙)にたどり着いた。しかし、宇宙全体のエネルギー(物質)密度や、重力による宇宙の収縮に対抗するための宇宙定数(空間の斥力を表す)については、経験的データと合わせるためにいわば天下りで導入するほかはなかったのである。こういった条件については、アインシュタインの重力場方程式は何も指定することができないので、「神の配慮」を仮定して切り抜けるニュートンの方策と大差はない(しかも、このようにして確保した有限宇宙の平衡状態も、後にエディントンが証明したように不安定で危ういのである)。1980年以前のビッグバン宇宙論でも同じようなことが見られる。現在の宇宙が膨張しているという経験的データに合わせ、しかも宇宙での元素生成や銀河形成を説明するための「ビッグバン」は、やはり初期宇宙のエネルギー密度や温度について、それ以上説明不可能な初期条件を持ち込まなければならない。「なぜそのような初期条件が実現されたか」は、この宇宙論では説明不可能なのである。では、こういった事態は宇宙論や科学理論にとって不可避なのだろうか。実は、この問題に密接に関係してくるのがライプニッツの「充足理由律」なのである。
6.充足理由律をめぐる争い
そこで、ライプニッツ−クラーク往復書簡に戻って、充足理由律に関する応酬を確認し、その後ライプニッツのコスモロジーを見ることにしよう。ライプニッツは、クラークの第一返書に答えた第二の書簡で充足理由律に言及し、次のように言う。
さて、この単一の原理、すなわち、物事にはなぜ他でもなくこうでなければならぬという充分な理由がなければならないという原理によって、神の存在や形而上学の他のすべての部分、あるいは自然神学、そしてひいては数学から独立な、自然哲学の諸原理──動力学や力の原理のことだが──に至るまで、証明を与えることができる。
ライプニッツは、これに先だって、論理学と数学については矛盾律が基本原理だという主張も行っていることに注意しなければならない。充足理由律は、数学から自然哲学や形而上学に進むときに必要となってくる原理である(この原理には複数の異なる解釈が可能であって、多義的だという指摘が度々なされていることは承知しているが、小論の議論にはあまり影響がないので立ち入らないでおく)。クラークが数学と自然哲学との間のギャップを十分に認識していないので、ライプニッツはこのようにていねいに念押ししたのだった。そして、充足理由律は、ニュートンの絶対時間と絶対空間に対する反論において重要な役割を果たすことになる。
これに答えて、クラークは第二返書で充足理由律を言葉の上では認める。しかし、次の引用文でわかるとおり、重大な但し書きを加えた上での話である。
確かに、何事もなぜそれがそのようであって他のありようでないのかという充分な理由なしでは存在しない。そして、それゆえ、原因がなければ結果もありえない。しかし、この充分な理由とは、多くの場合、単なる神の意志にほかならない。たとえば、物質のこの特定の体系が、なぜ他の場所ではなくこの特定の場所に創造されたのかということについては、いずれの場合も物質の体系(または粒子)が同じであって、(すべての場所が物質に関しては絶対的に区別がなく同等なので)どちらであってもまったく同じであるときには、単に神の意志によってそう決まったという以外に理由はありえない。
「しかし」以下の但し書きは、クラークだけの見解ではなく、ニュートン自身も同意するはずである。すでに確認したとおり、ニュートンのコスモロジーは無限の空間を前提したものであり、ニュートンも神の意志あるいは配慮に訴えていた。以下では、この但し書きをつけたものを、「充足理由律のクラーク版」と呼ぶことにしたい。ライプニッツに言わせれば、この「クラーク版」は充足理由律の精神を裏切るものである。そして、この違いがまさにニュートンとライプニッツの科学観を分かつ大きな溝である。
それだけのことなら、誰が読んでもわかりそうなものだが、それを「科学の二つのヴィジョン」という風に一般化して解釈してみたいというのがわたしの提案である。このように話を広げるのには「充分な理由」がある。ライプニッツの充足理由律は、彼自身何度も強調するように、きわめて射程の広い原理であり、単に時空の問題だけに限られるものではなく、知識一般に関わることを意図されている。そして、最終的にはライプニッツ晩年の形而上学とコスモロジーに相当するモナドロジーを生み出す。同じく、ニュートンについても、用心深く威厳をもって書かれた『プリンキピア』だけでなく、もっと自由に諸種の疑問が述べられた『光学』を読めば、狭い意味での物理学だけではなくもっと広い学問(科学)のあり方を考えていたことがわかる。こういった歴史的事実に加えて、最近の物理学や宇宙論をざっと眺めても、ライプニッツの大きな構想と同じ方向に向かう動き(力の統一理論や宇宙創成の解明など)が確かに見られる。したがって、「科学のヴィジョン」という大風呂敷めいた表現も、あながち的はずれだとは考えられないのである。
7.充足理由律と絶対時空
しかし、先を急ぐ前に、充足理由律の具体的な使い方を見ておかなければ、わたしの立論に説得力を与えることは難しいかもしれない。そこで、時空の哲学をある程度知っているものにとっては初歩的かもしれないが、絶対時空に対するライプニッツの反論をおさらいしておこう。
ニュートンやクラークのように、絶対空間と絶対時間という外枠をおいてから宇宙論を考えようとするとどうなるか。直ちに生じるのは、「宇宙は、いつどこで創造されたのか」という疑問である。彼らはこれに答えることができない。つまり、(ライプニッツ版の)充足理由律を満たすような答えを与えることが原理的に不可能となる。ライプニッツの診断によれば、彼らが絶対時空の枠を宇宙の外から仮定してしまったので、本来存在しないはずの問題が「難問」となって現れたにすぎないのだ、ということになる。この架空の問いに無理やり答えようとすると、クラーク版の充足理由律を持ち出さざるをえなくなる。これに対し、ライプニッツ流の時空の関係説によれば、空間も時間も事物の間の関係となるので、宇宙を創造すれば時空も付随して創造され、外的な枠としての時空を前提することはまったく不要となる。空間も時間も宇宙創造の瞬間から存在を始めるので、宇宙の中で同時存在する事物の関係がすなわち空間、創造後の出来事(同時存在する事物)の順序(これは宇宙の法則によって決まる)が時間となって、「どこで」という問いも、「いつ」という問いも答える必要がなくなる。したがって、その分、充足理由律を満たすことは容易になるはずである。
以上の議論が基本線であるが、往復書簡では次のような議論が繰り返し現れる。絶対空間が(ニュートンが言うように)絶対的に一様で、その中におかれる事物がないときには,その空間の一点は他の一点とまったく見分けがつかないとしよう。そうすると、神がこの空間の中に物質世界を創造するとして、その物質世界全体を、物質相互の配置を変えないまま、空間のどこか特定の場所に置くという理由が存在しないことになる。たとえば、世界の西と東を180度入れ替えても違いがないので、どちらを選ぶ理由もありえない。かくして神は充足理由律を満たすことができない(ライプニッツによれば、神も充足理由律を満たさなければならない)。したがって、充足理由律を前提するかぎり、そのような絶対空間の仮定が成り立たないということになる。もちろん、逆に絶対空間の存在を固持すれば、充足理由律のライプニッツ版を否定せざるをえないことになる。これがクラークのとった方策である。
「腕の悪い時計職人」の批判も充足理由律と関係づけることができる。法則に従った宇宙の運行に、ときおり神の介入が必要だというのでは、法則込みの宇宙の創成が不完全だったというそしりは免れない。充分な理由に基づいて作られた「最善の宇宙」なら完璧であるはずである。クラークにとっては皮肉なことに、のちのラプラスは、ニュートン力学(と現在の状態)にもとづいて完璧な宇宙の過去と未来を見通せるデモンを想定したのだった。
8.充足理由律とモナドロジー
次に、先ほどふれたモナドロジーについて、必要最小限のことを紹介しておこう。ライプニッツ第五書簡(91節)では、次のきわめて簡略な言及しかない。
各々の単純な実体、魂、あるいは本当のモナドとは、その状態が先行する状態の結果となるという本性のものであるから、ここに調和の原因が見いだされる。なぜなら、神はこの単純な実体を、最初にそれ自身の観点から宇宙を表象するようにするだけでよい。それだけで、この実体は常に表象することを続けることになり、しかもすべての単純な実体はいつも同じ宇宙を表象することになるのだから、互いの間で調和することになるからである。
これは、「予定調和」という言葉をいくら唱えても何も説明したことにはならないというクラークの非難に答えて、なぜそのような調和が成り立つかをライプニッツが説明しようとしたところである。しかし、これだけではモナド説のポイントはまったくわからないので、いくつか重要なところを補って、なぜライプニッツがこのように奇妙な説を唱えたのか、また、この奇妙な説が現代宇宙論にどのような関わりを持ちうるのか、もう少しわかるようにしてみよう。
ライプニッツ後期の哲学では、真に存在するもの、実体は、われわれに見える物理的世界の対象ではなく、そういった対象を究極的には生みだしているが表面からは見えないところに存在する単純なものである。これがモナドと呼ばれ、無限個存在する(神が宇宙創造の際に無限個作ったとされる)。いわゆる物理的対象だけでなく、われわれ人間や動物も含め、すべてのものはモナドの集まりから作られている。モナドは部分を持たないので単純であり、したがって広がりも形も持たない。では、「大きさや形を持つ物理的対象とモナドとの関係はどうなるのか」という疑問が直ちに生じる。ライプニッツの答えは、「物理的対象は、実は、すべてのモナドが生み出し、いくつかのモナドが知覚する現象にすぎない」ということになる。もっとも、現象のうちにも「よく基礎づけられた現象」とそうでないものとが区別され、いわゆる物理的対象は「よく基礎づけられた」ものとなるので、すべてが夢のように見なされるわけではない。
「では、各々のモナドは知覚という心的な活動をするのか?」と疑問は広がる。ライプニッツの答えは「イエス」である。各モナドはそれぞれの観点から他のモナドを自分の内に映す(あるいは表象する)のだが、そのことが「知覚」と呼ばれており、モナドの刻々と移り変わる知覚は「状態」と言われることもある(この状態とは「あるものが別のものを映す」という関係で決まることに注意)。そして、知覚を変化させる内的原理は「欲求」と呼ばれる。
各モナドは結局同じ全宇宙を(それぞれ異なる観点から)みずからの内に映すのだから、互いに無関係ではありえず,一つの状態が変われば必然的に他のすべての状態も変わるという連関と調和が生まれる。神は、創造の際にモナドにそういう性質と法則を与えたというわけである。モナドは、不可識別者同一の原理によってすべて異なる個体でなければならないが、それぞれの個性はそれぞれの状態から生まれるのである。そして、不可識別者同一の原理の基盤は充足理由律にほかならない。なぜなら、互いに区別できない二つの物があったとしたなら、神はそれらを別様に扱う理由を持たないことになるので、たかだか一つしか作れないからである。
ライプニッツのこのような考えが少なくとも矛盾を含まないことは、数学的なモデルを作ることによって示されている(Mates 1986, 80)。しかも、バーバーとベルトッティが1980年代に到達した関係説力学(古典力学だけでなく一般相対論にまで拡張可能)においては、事物の相対的な配置(相互の間の距離)のみが基盤とされるが、それらをすべて表せる相対的配置空間と呼ばれる抽象的な空間では、すべての点は互いに異なる(区別される)ものを表し、不可識別者同一の原理を厳密に満たすことができる(内井2006、第IV章参照)。つまり、ライプニッツ流のアイデアを少なくとも物理学に生かすことはできるのである。
9.情報の流れによる宇宙のダイナミクス
もちろん、いかに矛盾がないとはいえ、「こんなおとぎ話みたいなモナドロジーにいったいどんな意義があるのか」という疑問がわくであろう。では、「知覚」という小難しい言葉を「情報」という言葉に代えてみてはどうだろうか。「モナドの状態は、そこに映された情報によって決まる」と言い換えてみるだけで、ライプニッツの発想の意義が少しは見えやすくなるのではないだろうか。そうすると、「欲求」とは「情報を変える」と翻訳される。つまり、モナドの形而上学は、「情報の担い手を究極的実体と見なし、宇宙の変化を情報の流れに着目して解き明かす」という試みとして解釈可能である。驚くべきことに、現代宇宙論でもこういった視点が注目されているのである。詳細には立ち入れないが、宇宙の情報の流れは「ホログラフィー原理」と呼ばれるものに支配されることになり、情報の担い手は三次元の物体や空間ではなく二次元の面でしかないことになる(とすると、三次元空間は二次元の情報から生み出された現象になる?Smolin 2001, ch. 12参照)。モナドロジーには、少なくともこのような視点を荒削りではあるが先取りしていたという意義があって、単なる哲学史上の一エピソードとして片づけるわけにはいかないのである。
モナドロジーの観点からすれば、空間と時間も(モナドの世界には物理的時空はない)、モナドの知覚(モナド間、宇宙での情報の流れ)の中ではじめて成立する概念である。このように、あるモナドと別のモナドが他方を「映す」(知覚する)とか、他方に「映される」という関係を基本に据えたのは、宇宙のすべてが互いに関係しあっていることを強調し、宇宙の変化を情報の流れから解明しようという野心的な試みのためだったことがわかるのである。これがライプニッツのコスモロジーのシナリオにほかならない。ちなみに、電子や陽子など、「素粒子」と見なされた対象を、微小なひもの振動から生まれる現象だと見なす現代のストリング(ひも)理論の発想は、ライプニッツが晩年にたどり着いた思想の再現にほかならない。今から300年も前にこのような発想をしていたとは、まさに「ライプニッツおそるべし!」
10.科学の二つのヴィジョン
駆け足ではあったが、このように見てくれば、充足理由律がなぜわたしの言う科学のヴィジョンと関わってくるのか、ある程度は見えてきたものと思う。ライプニッツの充足理由律は神の選択にも適用されるので、「単なる神の意志による」という逃げ口上は禁止されることに注意されたい。ここで、神の話では納得しにくいという人は、もっと現代的な「究極の理論」と読み替えて議論を再構成してもよい。この理論は、宇宙の創成も含めて、世界のすべての出来事に「なぜ他ではなくこうなのか」と理由づけを与えなければならないのである。それができなければ「究極の理論」として失格である。そこで、ライプニッツの科学観、科学のヴィジョンとは、「あるべき科学はあくまでも究極の理論を目指すべきである」という指針に要約できるだろう。量子力学の出現により(神はサイコロを振ることになるから)、ライプニッツの理想を文字通り実現することは不可能になったけれども、少なくとも究極理論の理想はまだ生きている。
これに対し、どのような科学理論もそれ以上理由づけのできない「神の意志」に訴えざるをえないというニュートン流の立場は、「ある事実を説明するのに役立つ」という理由だけで仮定される前提(その前提自体は説明不可能)も、科学をやる上では不可欠であって、理想的な科学理論でも許される、というヴィジョンとなろう。簡単に言えば、「何もかも説明できるような理論を求めることは不合理だ」と言い換えてもよい。
では、ニュートンとライプニッツの立場の違いを、このように現代科学にまで拡張して対比させた結果、いったい何が見えてくるのだろうか。ここで、わたしがライプニッツのほうに肩入れしすぎではないかという読者の嫌疑を招かないように、一言重要な注意を述べておく。それは、科学はどうあるべきかという科学のあり方、あるいはヴィジョンをこのように二つのタイプに分けたからといって、「どちらかが絶対的に優れているか」、「どちらが本当に科学のあるべき姿か」という答えが、文脈や状況と無関係に一義的に出るとはかぎらないということである。
ニュートンが実際とったように、空間と時間という、力学を組み立てる際の外枠を導入したことは、ニュートンのおかれていた(科学の)状況において誤った選択だったとわたしが判断するわけではない。それどころか、その後三百数十年にわたる科学の歴史を眺めたうえでの後知恵からしても、ニュートンの選択は賢明だったとしか言いようがない。ライプニッツのヴィジョンは、そのスケールの大きさと徹底ぶり、先見性には目を見張るものがあるにもかかわらず、当時の状況ではまず実行不可能な方策でしかなかった。たとえば、関係説の力学が実際に構築されるのは1920年代であり、その可能性が専門家に認められてくるのは実に1980年ごろからである(内井2004、167以下。内井2006、第IV章)。
ライプニッツの状況が時代的に現代と離れすぎていてわかりにくいという向きには、アインシュタインの事例を考えてもらえばよい。一般相対性理論という、ニュートンの重力理論に代わる最高傑作を仕上げたあと、アインシュタインは「統一場の理論」(重力場と電磁場を統一する理論)に向かうが、後半生の三十年間はほとんど新しい成果は出せず、量子力学にも反対の立場を貫いて、学界でも孤立した存在となった。もちろん、最近では素粒子論の統一理論や一般相対論と量子力学を統一しようという試み(量子重力の理論)も盛んになってきて風向きが変わってきたが、後知恵でわかったことは、アインシュタインが統一場の理論に没頭した頃は、まだまだ機が熟していなかったということである。自然界の四つの力(重力、電磁気力、原子核での強い力と弱い力)のうち、重力と電磁気力という二つしかわかっていなかったのだ。したがって、四つの力がすべて出そろってはじめて、統一理論に向けての試みが可能になったわけである。
ライプニッツは、ちょうど力学や時空論をやるための道具立てに関して、晩年のアインシュタインと同じような状況にあったことがわかるだろう。統一場の理論や力の統一理論を求めるのは、もちろんライプニッツ的な科学のヴィジョンに基づく。しかし、機が熟していなければ、このように野心的で、ある意味英雄的な試みは、成果を生み出せない。このような時期には、目標をもっと手頃なところに絞って、できるところから空白を埋めていくという、ニュートンがとったような、強引な仮定をおいてでも実行可能な方策をとらなければ仕事が進まないのである。事実、ライプニッツは哲学的にはきわめて魅力的なアイデアを提唱したが、ニュートン力学と対抗できるような相対主義力学や関係説の時空論は決して進展させることができなかった。
他方、ニュートン的な路線がうまくいったからといって、他方の路線やヴィジョンを切り捨ててしまうと、変革期や機が熟したときに指導原理が欠けることになる危険がある。このように、いずれのヴィジョンも科学にとって必要不可欠だと考えられるのだが、最近の物理学ではライプニッツ流のヴィジョンが盛り返してきていることは興味深い。いま最先端の理論だともてはやされている「スーパーストリング理論」のうたい文句は「すべてを解明する」だし(しかし、実際は10次元の外枠を仮定するのでライプニッツの精神にはほど遠い)、力の統一理論や量子重力理論の試みも盛んになってきた。こういった動きはもうしばらく見守るほかないのだが、「ビッグバン」など、かつては「仮定するほかない」と見なされていたいくつかの事柄が、新しい理論(たとえばインフレーション宇宙論)によって説明(理由づけが)可能なものに置き換えられてきた過程は、その新理論にまた別の仮定が導入されているにせよ、ライプニッツ的な充足理由の追究が科学的探求の深まりを支えている一つの原動力であることを示唆しており(内井2006、第V章参照)、科学哲学をやる者にとってもきわめて心強いのである。
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