科学哲学ニューズレター

No. 47, November 1, 2002

Kazuyuki Ito, Abstract of "Galileo's Mathematical Theory of Motion"

(Doctrate Thesis)

Editor: Soshichi Uchii


「ガリレオの数学的運動論」

要旨

伊藤 和行


1.序論  

ガリレオ・ガリレイは,落下法則の発見などの業績によって,近代西欧科学の創始者の一人とみなされてきた.彼は,落下法則の数学的定式化と投射体の放物線(パラボラ曲線)軌道の発見を通じて,自然現象における数学的規則性の探求と操作的実験による確証という近代物理学,さらには西欧近代科学を特徴づける方法論のモデルとなるものを提示したのである.  

ガリレオが『新科学論議』(1638)において展開した落下運動の数学的考察は,以後の加速運動の理論の出発点となったものだったが,その理論的核心ともいえる「中間速度定理」と斜面運動の「原理」は彼が直面していた問題を反映していた.彼は,落下法則を数学的に導出する際に,一様加速運動の定義から,通過距離が時間の2乗に比例することを直接導出せずに,「中間速度定理」(ある時間において一様加速運動によって通過される距離は,その最終速度の半分の速度でなされる均等運動によって同一の時間において通過される距離に等しい)によって,一様加速運動を均等運動に還元するという間接的な方法を取っている.このようにガリレオが間接的な証明を選んだのは,加速運動における速度の十分な数学的表現を見いだせなかったためだった.  

また彼は様々な傾きの斜面上の下降運動に関する命題を数多く導いているが,その出発点となる,斜面運動の「原理」(高さの等しい斜面を下降したときに物体が得る速度は等しい)を『新科学論議』では「要請」として仮定し,力と加速の関係には言及していない.さらに落下運動に関しても,一様加速が生じる理由には触れず,一様加速運動であることを仮定していた.ガリレオは落下運動を論じる際に運動を引き起こす力にはまったく言及しなかったのである.この背景には,彼が速度と運動力との関係をめぐって大きな理論的問題を抱えていたことがあった.本論文は,「中間速度定理」および斜面運動の「原理」に関する証明を鍵として,ガリレオの数学的運動論が,速度の数学的表現,またその理論的基盤において持っていた問題を明らかにしようとするものである.

2.速さの概念  

我々は,加速運動を扱う際には,速度が数学的に定義され,時間の関数として表現されることを前提している.瞬間速度が,ある時刻の近傍における平均速度の時間的極限すなわち距離の時間微分として定義されるように,距離と速度,加速度は微積分の操作によって数学的に関係付けられている.一方ガリレオが運動を数学的に扱おうとしたときに用いることができたのは比の理論であり,彼の速さの概念を適用したときに生じたパラドクスは,その概念が加速運動を扱うには不十分であることを示していた.  

ガリレオは運動論の数学化に際して,加速運動を扱う際に瞬間速度に対応するものとして「速さの度合」を用い,その数学的表現として「不可分量」の概念を導入した.しかしパドヴァ時代の手稿からは,「速さの度合」の集まりが何を表しているのか,距離とはいかなる関係にあるのかという問題の解決に彼が苦悩していたことが窺われる.ガリレオには,時間と速度を両軸とする図において面積が距離を表していることは決して明かではなかったのである.ガリレオは一様加速運動における距離と時間との関係を直接求めることを断念し,一様加速運動を均等運動に還元する「中間速度定理」によって間接的に求める方法を取ったのだった.「中間速度定理」の証明では,一様加速運動と均等運動での「速さの度合」の集まりが比較され,両者が等しいことから,通過距離も等しいとされている.しかし「速さの度合」の集まりと距離との関係については何も述べられず,その問題は未解決のままだった.  

ガリレオの運動論における主要な数学的問題は「不可分量」の概念から生じていたと言えよう.「不可分量」は有限な大きさを持つ量ではなかったため,極めて小さいが有限な大きさを持つ無限小量のように極限操作によって有限量に関係付けることができなかった.だが「不可分量」の理論はガリレオにとって,自然現象の分析に数学を用いることの正当性を擁護する際に重要な役割を果たしていた.数学的「不可分量」としての点には,物理的な「不可分量」である原子が対応し,数学的世界と物理的世界は「不可分量」をともに構成要素とすることにおいて構造上の共通性を持っている.この両世界の構造的な共通性こそ,ガレリオに,数学的法則を自然現象に適用することの正当性を提供するものなのである.

3.速度と力  

ガリレオは,『新科学論議』おいて落下運動を論じた際には,物体に働く力にはほとんど言及せず,加速運動に関する議論を進めていた.落下運動では,物体に働く力が.重力という方向も大きさも一定であるのみならず,すべての物体において生じる加速の大きさが同じであったために,運動力と加速の関係が顕在化することはなかったのである.しかし異なる傾きの斜面上の下降運動を論じる際には,斜面の傾きによる加速の大きさの変化が問題となるのである.ガリレオが残した斜面運動の「原理」の証明では,この運動力と加速の関係という問題は,機械学的(静力学的)「モメントゥム」(下降力)に速度すなわち一定時間における通過距離が比例するという主張によって表されている.この主張は,現代的に見れば,物体の重さの斜面方向の成分に加速さらに速度が比例することに対応している.  

この「モメントゥム」と速度の比例性の説明は「原理」の証明には見られないが,運動物体の衝撃力を論じた「衝撃力論」の中にこの問題を解く鍵が見いだされる.そこでは運動物体が持っている力を表すために運動論的(動力学的)「モメントゥム」(現在の運動量に対応)が導入されていた.この運動論的「モメントゥム」は速度に比例するが,また機械学的「モメントゥム」にも比例するとされていた.この結果機械学的「モメントゥム」に運動論的「モメントゥム」が比例し,さらに速度が比例することになるのである.しかしこの考えは,物体の落下運動では,物体の重さによらず,すべての物体が同じ速度を持つという重要な法則と矛盾する結果を導く.すなわち静力学的「モメントゥム」は物体の重さに比例する以上,それから生じる加速,そして速度も重さに比例することになる.この問題を解決するためには,重量と質量を概念的に区別することが必要だったが,ガリレオにとって,重さは物体にとって本質的な性質であって,そのような区別は困難だった.

4.落下法則と古典力学の誕生  

トリチェッリ,ホイヘンス,ニュートンといった17世紀に力学を築いた人々は,ガリレオの数学的運動論という新しい試みを継承し,落下法則を加速運動を論じる際の出発点としていた.彼らは,ガリレオがその試みにおいて直面していた問題をどのように理解し,解決していったのだろうか.  

トリチェッリはガリレオの後継者として,ガリレオの運動論のほぼすべての領域に関して考察していた.彼は「不可分量」のパラドックスを指摘し,それを避けるには「不可分量」に有限な大きさを与えねばならないことに気づいていた.また落下運動における「モメントゥム」の増大のメカニズムの説明では,瞬間を「不可分量」ではなく有限な大きさの時間部分と考えていた.運動物体の衝撃をめぐっても,その「モメントゥム」の起源から衝撃力と打撃力の区別という新たな試みを行い,後者の尺度として「物理量」を導入し,重量と質量の概念的区別に近づいている.しかしトリチェッリの運動論は,ガリレオの設定した問題の枠組にそってなされていたために,彼の独自性が制限されてしまっていた.  

ホイヘンスは,落下法則から出発して遠心力を定式化し,サイクロイド振子の等時性を証明した点においてまさにガリレオの後継者だった.遠心力の大きさを求める際には,微小時間における円運動による接線からの移動を落下運動として捉えて,この問題に落下法則を適用している.またサイクロイド振子の等時性を論じる際にも,落下法則と斜面運動の「原理」を考察の出発点としていたが,しかし彼の証明はガリレオのものとは大きく異なっていた.「中間速度定理」の証明は,「不可分量」の方法ではなく「取り尽くし法」に極限を適用することによって行われ,面積が距離を表すものと考えられている.また斜面運動の「原理」の証明では,ガリレオの「モメントゥム」による証明に代えて,ガリレオの「高さ保存定理」(運動エネルギー保存則の先駆と考えられる)を用いた背理法による証明を提示していた.さらにホイヘンスでは,ガリレオに見られるような機械学的(静力学的)考察はまったく姿を消してしまっている.  

ニュートンは『プリンキピア』において,幾何学的方法によって中心力の働いている物体の運動を論じた際に落下法則を出発点としていた.彼は運動力が時間とともに変化する一般的な加速運動の場合にも,微小時間においては,運動力は一定とみなせるので落下法則が成り立つとしたのである.しかしニュートンは,「不可分量」の方法は使わずに,「最初と最後の比」という極限を用いた方法を用いていた.ニュートンもホイヘンス同様,加速運動の考察の出発点としてガリレオの落下法則を捉えていたが,しかしガリレオの数学的手法は新しい手法に取って代わられ,証明も書き換えられ,その成果が彼の理論体系の中で新たな役割を与えられ,受け継がれたのである.

5.結論  

ガリレオの数学的運動論は,加速現象を数学的に表現するというまったく新しい試みであったがゆえに大きな理論的問題を内包していた.それは彼の落下運動の理論の要である「中間速度定理」や斜面運動の「原理」の証明の検討から窺われる.ガリレオの直面した問題の一つは,彼が加速運動における速度を数学的に表現するために用いた「不可分量」の概念から生じていた.もう一つの問題は,力と運動の関係をめぐるもので,運動力と加速の比例性を「モメントゥム」の概念から導出しようとしたことによるものである.  

ガリレオの試みを受け継いだトリチェッリ,ホイヘンス,ニュートンらは,落下法則を加速運動の考察の出発点としつつも,異なる数学的手法でもってその証明を改変し,そして落下法則自体も彼らの研究目的に合わせて新たな理論体系の中に組み込んでいる.その結果,ガリレオの落下法則は新たな数学的証明とともに,新たな理論的役割を与えられた.落下法則は,もっとも基本的な加速運動である一様加速運動に関する理論として,より一般的な加速運動を考察する際の理論的出発点とされたのである.我々が「ガリレオの落下法則」として認めるものは,彼以後の科学者たちによって歴史の中で形成されたもののだった.落下法則が受け継がれていく過程で,ガリレオが用いた数学的技法や物理的概念,思考方法は歴史の中に埋もれてしまったのである.  

近代科学は先の世代の成果を受け継ぎ発展させていくことによって大きな成功を収めたが,その過程で,成果は新たな文脈の中で再解釈され,また思考方法や概念は陰に隠されてしまったのだった.本研究で検討したように,ガリレオの数学的運動論も例外ではなかったのである.


編集後記 伊藤和行助教授の長年蓄積されてきたガリレオ研究が、このたび京都大学文学研究科に提出された学位論文として結実した。この論文はいずれ何らかの形で出版されるはずであるが、一足早く「要旨」をこのニューズレターでお届けする。ガリレオを彼の元々の文脈に戻し、彼が解こうとした問題を復元し、ガリレオ自身の推論方法を再構成してみるという伊藤助教授の研究のスタンスを少しでも読みとっていただければ幸いである。こういった研究なくして、まともな科学史研究は成り立たないと編者は考える。(内井惣七)


Last modified Dec. 1, 2008 . (c) Kazuyuki Ito, and S. Uchii (Editor's note)