科学哲学ニューズレター

No. 22, December 3, 1998

Soshichi Uchii: Bibliographical Notes on the Philosophy of Space and Time

(Japanese only; sorry for the English readers!)


空間と時間の哲学、文献ノート 

内井惣七


現代の科学哲学の「ハードコア」とも言うべき分野であり、多くの俊英を引き付けているのは空間・時間の哲学と量子論の哲学とであろう。いずれも、日本では研究者の層がきわめてうすく、科学哲学が日本に導入されて五十年が過ぎたというのに、世界との差は開くばかりである。ただし、量子論の哲学については、北大の石垣寿郎氏らのグループが頑張っている。京大の当研究室では、三年ほど前から空間と時間の哲学の日本のレベルを上げるべく講義や演習を始めている。これからこの分野の研究に入ってくる人達のために、まず文献ノートを公表し、手引きとしたい。 [* 印のついたものは初学者向き。]


*(1)ニュートンの絶対空間と絶対時間の規定、およびこれらをめぐる議論については、次の著作の冒頭近くにある注解(Scholium)を最低限確認しておかなければならない。

Newton, I., Mathematical Principles of Natural Philosophy, 1729, tr. by A. Motte and F. Cajori (邦訳は、世界の名著『ニュートン』河辺六男訳、参照)

*(2)マッハのニュートン批判(力学批判および絶対空間・絶対時間の批判)は、現代の哲学にとって古典中の古典である(第二章)。ただし、力学史としては近年批判されることも多い。

Mach, Ernst, Die Mechanik in ihrer Entwicklung, 1883 (『マッハ力学』伏見譲訳、講談社、1969

*(3)フランスの数学者ポアンカレの幾何学に関する規約説は重要な古典である。彼以後の論者によっても頻繁に言及されるので一度は原典を確認しておかなければならない。非ユークリッド幾何学への入門にも資する。

Poincare, H., La Science et l'Hypothese, 1902 (『科学と仮説』河野伊三郎訳、岩波文庫、1959

(4)アインシュタインの二つの相対性理論の論文については、次を参照されたい。解説も参考になる。

Einstein, A., "Zur Elektrodynamik bewegter Koerper", Annalen der Physik 17, 1905.(中村誠太郎訳「運動している物体の電気力学について」、アインシュタイン選集第一巻、共立出版、1971)

Einstein, A., "Die Grundlage der allgemeinen Relativitaetstheorie", Annalen der Physik 49, 1916. (内山龍雄訳「一般相対性理論の基礎」、アインシュタイン選集第二巻、共立出版、1970)

*(5)アリストテレスから19世紀までの歴史的な概観と、特殊相対論の基本、および時間の因果説の明晰な解説については、ファン・フラッセンの初心者向けの本がよい。彼は、ライヘンバッハ-グリュンバウムの路線(後述)に好意的な立場をとる。→van Fraassen's page

van Fraassen, B.C., An Introduction to the Philosophy of Time and Space, Random House, 1970 (Paperback edition, Columbia University Press, 1985).

(6)経験主義、規約説の立場から書かれた古典的著作はライヘンバッハの次の本であり、いまだに読みごたえがある。少々古くはなったが、哲学研究者向けの特殊相対論および一般相対論への導入書としての役割も果たせる。

Reichenbach, Hans, The Philosophy of Space and Time, Dover, 1958 (Original German edition, 1928).

*(7)運動の相対論と時空の関係説とに好意的な立場で書かれたライヘンバッハのニュートン批判については、現代の論者の逆批判も多いが、次の論文(ドイツ語の原著は1924)を一読しておくべきであろう。

Reihenbach, Hans, "The Theory of Motion according to Newton, Leibniz, and Huyghens", in his Modern Philosophy of Science, Routledge and Kegan Paul, 1959.

(8)時間の向きについて論じたライヘンバッハの古典的著作は

Reichenbach, Hans, The Direction of Time, University of California Press, 1956.

(9)ライヘンバッハの路線を批判的に継承し、入念に展開した大著は、グリュンバウムの次の本である。前半分ほどが初版(1963)のリプリントであり、ここだけ読んでも価値がある。→Gruenbaum

Gruenbaum, A., Philosophical Problems of Space and Time, 2nd ed., Reidel, 1973.

(10)ライヘンバッハから最大の知的恩恵を受けたというスクラーの名著は、次の本である。相対論を理解するために不可欠な、ガウス-リーマンの解析幾何学の手ほどきをしてくれるのもありがたい。

Sklar, Lawrence, Space, Time, and Spacetime, University of California Press, paperback edition, 1977 (1st ed., 1974).

*(11)むずかしい数学的道具立てを必要とする一般相対論を一般向けに解説した名著としては、次がおすすめできる。

Geroch, Robert, General Relativity from A to B, University of Chicago Press, 1978.

(12)ライヘンバッハの路線に批判的な立場から書かれた名著として定評があるのは、フリードマンの学位論文を練り上げた次の著書である。時空の物理学理論のまとまった展開も含んでいるので、けっこう歯ごたえがあるが読む値打ちのある本である。Introduction だけとりあえず目を通しておくのもよい。→Friedman's page

Friedman, Michael, Foundations of Space-Time Theories, Princeton University Press, 1983.

(13)やはりライヘンバッハの路線には批判的な立場から、空間と時間の「絶対説」と「関係説」の対立を軸にして入念な議論を展開したのは、アーマンの次の本である。レベルの高い本なので、読むのはなかなか骨が折れる。かなりの準備が必要であろう。→Earman

Earman, John, World Enough and Space-Time, MIT Press, 1989.

(14)もっと読みやすい、しかもアップトゥデイトな概説論文は、次のものである。アインシュタイン、ライヘンバッハらの話から始め、時空論の理論と方法を解説したのち、同時性の規約的性格に関する David Malament の1977年の成果(時間の因果説論者が中心的主張の一つにした、特殊相対論における同時性の規約的性格を否定する)も解説されている。→Norton

Norton, John D., "Philosophy of Space and Time", in Introduction to the Philosophy of Science (Salmon et al.), Prentice-Hall, 1992.

*(15)最後に(本当は最初に)、日本語で読める相対論のわかりやすい教科書としておすすめできるのは、次の本である。こういった本で物理学を平行して勉強しないと、時空論の哲学などできるわけがない。

シュッツ『相対論入門』上下(江里口良治・二間瀬敏史訳)、丸善、1988.


絶対空間、絶対時間、絶対運動

まず、物体の見かけの運動は、観測者に相対的に記述できる。例えば、BがAに相対的に時速20キロで運動して近づいてくるとき、Bから見ればAも同じく時速20キロでBに近づいてくることになる。そこで、こういった運動は「BはAに相対的に時速20キロで近づいている」という相対運動として記述するのが適切である。しかし、それ自体は不動の絶対的な視点が固定できるなら、その視点からのAの運動もBの運動も一義的に規定できるはずである。これが絶対運動の記述となる。例えば、この絶対的な視点から見て、Aが時速10キロである決まった方向に移動しており、Bが逆方向から時速10キロでAの方に移動しているなら、この記述が、先の互いの相対運動に対応する正しい記述となるはずである。しかし、このような「正しい記述」ができるためには、いわばこの絶対的な視点から広がる絶対空間が要請されなければならない。

また、時間についても同様な要請が必要だとニュートンは考えた。例えば、われわれが使う「一日」という時間の単位は、本当は地球の回転のムラや地球自体の太陽の周りの運動から生じるズレのため、不均等であり補正を要する。そこで、個々の物体やそれらの運動とは無関係に、均等に流れる絶対時間が要請される。絶対運動の記述のためにも(運動の速度を言うためには、距離という空間的概念に加えて時間も必要である)、この要請が必要である。

しかし、単なる要請では、なぜそれを受け入れなければならないのか理由が乏しいと見なされるかもしれない。そこでニュートンが持ち出すのは、力の概念である。等速運動では力は生じないが、加速度運動(例えばひもに重りをつけて回転させる円運動)では力が生じる。見かけの運動だけではなく、力が生じるか生じないかが絶対運動を相対運動から区別する根拠となる。水を入れたバケツを綱につるし、十分によじった後で放すとバケツは回転運動を始め、その結果生じた力によって中の水は周辺が盛り上り中心がへこむという現象が生じる。このような力の発生が、絶対運動の証拠であるとニュートンは論じたのである。[BACK]

マッハのニュートン批判

マッハは、時間や運動はあるものに相対的にしか測定できず、絶対時間の概念も絶対空間の概念も意味をなさない形而上学的な概念だと批判した。マッハによれば、力学的法則は、物体の相対的位置と相対的運動のみを素材として成り立つ法則である。ニュートンがあげた回転するバケツの水の例も、絶対空間における絶対運動を仮定せずとも、バケツの水とそれ以外の物との相対運動の結果として力が生じる、と考える方策が開かれていると指摘した。[BACK]

規約説

幾何学の公理は、経験から独立な真理でもなく経験的な真理でもなく、われわれが選んだ規約にすぎない、と見る立場がポアンカレのいう規約説である。もちろん、この選択は経験に導かれて行なわれたものだが、これが示すのは、選ばれた規約が他のものよりわれわれにとって便利であるということにすぎない。ポアンカレはこの見地から、ユークリッド幾何学がわれわれにとって最も便利な幾何学であり、そうあり続けるだろうと予測した。

ライヘンバッハは、ポアンカレのこのような主張を少し改変し、空間的・時間的な測定のためには何らかの取り決め(規約)によって測定の基準を設定しなければならないので、その基準の設定自体が真であるとか偽であるとかを問題にすることは意味をなさない、と主張した。この基準の設定のしかたにより、当然、現実世界で成り立つ幾何学は変わることになる。取り決めの対象になるのは、例えば長さの単位、異なる場所での長さの同一性の基準、離れた場所での同時性の基準などである。ライヘンバッハのこのような見解は、相対性理論から大きなインパクトを受けて打ち出されたものである。[BACK]

非ユークリッド幾何学

われわれがよく知っているユークリッド幾何学では、ある直線と、その上にはない一点とが与えられると、この点を通り、かつその直線に平行な直線はただ一つ存在する(これを「平行線公理」という)。しかし、19世紀になって、ユークリッド幾何学とその他の公理は共有するが、この平行線公理は満たさない幾何学も論理的に可能であることがわかった。そのような幾何学が非ユークリッド幾何学と呼ばれる。前述のような平行線が複数個存在するロバチェフスキー幾何学、まったく存在しないリーマン幾何学の二つのグループがある。[BACK]

二つの相対性理論

アインシュタインの相対性理論は、重力のない場合を扱う特殊相対性理論(1905)と、重力のある場合を扱う一般相対性理論(1916)の二つがある。当然、後者のほうが一般性が大で、その分数学的にも格段にむずかしい。運動状態によって長さや時間の伸縮が生じるのはどちらの理論でも同じだが、時空のゆがみ、重力波やブラックホールが出てくるのは後者である。[BACK]

時間の因果説

ライプニッツという哲学者がこの説の先駆者であるが、因果関係を基本として時間の順序を定義できると見なす説。ライヘンバッハ、グリュンバウムらが今世紀の主要な提唱者である。時間の順序だけでなく、時間の異方性(時間には流れる向きがあること)も重要な問題となる。[BACK]

ガウス-リーマンの解析幾何学

数学者ガウスは、曲面を一般的に扱う幾何学が解析的手法を用いることによって可能になることを発見し、その理論を展開した。リーマンはその手法がさらに任意の次元をもつ空間に一般化できることを示した。この数学的手法により、一般相対論での曲がった時空が扱えることになる。もう一つの重要な洞察は、空間の二点の座標を与えることと、それら二点間の距離を与えることとが分離するということである。つまり、座標が決まっても、距離の与え方にはまだ任意性が残るので、規約の導入によって距離という量的概念も幾何学も変わりうるという規約説に重要な論拠を与えることになる。[BACK]

「絶対説」と「関係説」

ニュートンとライプニッツの見解の違いに起源をもつ対立。すでに解説したとおり、ニュートンは空間と時間の絶対説をとる。これに対し、ライプニッツにとっては、空間も時間も事象の間の関係にすぎない。したがって、事象がなくなれば、空間も時間もなくなることになり、ニュートンが言うような絶対空間や絶対時間は意味をなさなくなる。これが関係説の基本的な考え方である。絶対説の方は、空間と時間を「入れ物」、物体や事象は入れ物のなかの対象だと見なす、という比喩がわかりやすいかもしれない。中の対象がなくなっても、入れ物、すなわち空間と時間は存続する。[BACK]

同時性の規約的性格

アインシュタインの特殊相対論がもたらした大きなインパクトは、「同時性」の概念が、異なる運動状態にある二人の観測者の間では異なるということにあった。光速度一定の原理により、どの座標系にとっても光速度は同じであり、光より早く伝わる信号は存在しない。そこで、(1)観測者のもとでの事象Aと、観測者からの光が届かない時空の領域にある事象Bについては、時間的な前後関係が決められないことになる。また、(2)Aから時間 t に発射した光がCに届いて反射し、時間 t'' に Aに帰ってきたとしても、その光がCに届いた時間 t' はどうやって決めたらよいのだろうか。

これら二つのいずれの場合にも規約を導入しないと同時性が決まらないというのが「同時性の規約的性格」である。アインシュタインは(2)の光がCに届いた時間を

t' = (t''+t)/2

と決めたが、これは一つの規約であり、これによってAの事象とCの事象の同時性の基準が決まるのだが、他の規約をとってもかまわない(その場合は同時性の基準が変わる)、と規約説の論者は主張する。

もう少し詳しい解説については、Allen Janis, Conventionality of Simultaneity を参照。[BACK]


編集後記 本年度は空間時間論を本格的にやるつもりだったが、あまり研究がはかどらなかった。しかし、ライヘンバッハを読むのに二年もかけて何もアウトプットがでないのは恥ずかしいので、この文献ノートの形で一部を公表することにした。科学哲学を目指す若い方々は、こういうタフな題材に是非チャレンジしていただきたい。わたし自身は、二十数年前から時空論をやりたかったのだが、遂にこの年齢まで本格的に手をつける機会に恵まれないでいた。(Dec. 3, 98. 内井惣七)


Last modified Nov. 30, 2008. (c) Soshichi Uchii