科学哲学ニューズレター

NO.14, June 1996

S. Uchii, "International Fellows Conference in Italy"
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イタリアでの国際フェロー集会(内井惣七)

ピッツバーグ科学哲学センターでは、四年に一度、センターの過去・現在のフェローが集まる「国際フェロー集会」を開催している。今年はこの集会(第3回目に当たる)がイタリアのピサ近郊のリゾート地、カスティリオンチェロで5月20日から24日まで開催された。内井はこの集会での「19世紀の生物学」というセッションのメイン・スピーカーとして参加してきたので、集会その他の様子を簡単に報告しておきたい。

今回の集会は、イタリア側のホストとして、フィレンツェ科学史科学哲学センターの所長アレッサンドロ・パニーニほか数名のメンバーがほとんどの準備と運営を行なってくれたようである。内井は19日の夜遅くピサのガリレオ・ガリレイ空港に到着したのだが、遅い便で到着するフェローのため、所長ほか二三のスタッフが空港で待っていてくれたのにまず感激した。内井よりまだ遅く着くメンバーがいるとのことで、内井はセクレタリのスザーナが運転するスズキのジープで一足先にホテルへ。チェント・クヮランタ・クヮトロ(144)が部屋番号。

翌20日(月)は、交通渋滞に巻き込まれて遅刻してやってきたフィレンツェのアメリカ領事スーザン・パターソンの挨拶で始まった。会場はカステロ・パスキーニという城である。コーヒーブレイクの後の特別講演は、ウェス・サモンの "Dreams of a Famous Physicist"――ノーベル賞物理学者のワインバーグが科学哲学をこき下ろして一頃話題になったが、これに対する科学哲学者からのカウンター・パンチ 。科学哲学をこき下ろすときの殺し文句として、「科学を知らない」というセリフがよく投げつけられるが、物理学者の科学哲学の論議はそれ以上に「哲学を知らない」ことを逐一示していくという、穏やかなサモンの人柄とは反対の痛烈な論調。内井にも似た経験があるのでひとまず溜飲を下げる。
参加したフェローの総勢は、二十数カ国から百名近く(数えてはいないが)と多数なので、セッションは三つの部屋にわかれて同時進行で36に及んだ。すべてに触れることはしないが、比較的目だったトピックスを紹介すると、論理実証主義(再評価の動き)、空間・時間、数学の哲学、科学方法論、クーン、量子論の哲学、生物学・生物医学関係など。

水曜日(22日)はバス二台を連ねてフィレンツェ見物のエクスカーション。フィレンツェ・センターの若い(そしてもちろん美人)秘書が先頭に立っての見事なガイドぶりで、午前中はミケランジェロ広場からサンタ・クローチェ教会(多くの有名人の墓がある)、ヴェッキオ宮殿、ヴェッキオ橋(近くには金細工、宝飾店、みやげ物店が建ち並ぶ)、レプブリカ広場、ドゥオモと回ったところで予約してある昼食の時間となり、「ラ・ペントーラ・デッロロ」というリストランテへ。本場のパスタ、料理、ワイン、デザートとたっぷり二時間以上かけて楽しんだのち、自由行動。アカデミア美術館でダヴィデ像を見るのもそこそこに、わが家の女どもに厳命されていたみやげ物を買いあさりに町中をうろつく。何とか買い揃えた頃には、また8時の夕食に集合すべきリストランテへの道順がわからなくなる。しかし、数多くのフェローがいることは心強い。ほどなく、広場のカフェでたむろする一群を発見し、合流して夕食へ。またまた二時間半以上たっぷり食べて飲んだ頃に、バスを待たせている先ほどのガイド秘書が帰りをせかしにやってきた。バスに乗ってもまだ遊び足りない連中が「カフェを飲みにある店に立ち寄ろう」と主張するのをピッツバーグの所長ジェリー・マッシーが制止し、カスティリオンチェロのホテルにたどり着いたのは真夜中。

翌23日の夜のセッションではいよいよ内井の発表。この年齢になるとあがりはせずにイタリア語でまず一発ハッタリをかます。"Darwin on the Evolution of Morality" というタイトルで、『人間の由来』第一部での「良心の起源」の分析を紹介し、それが倫理学にもつ意義を示唆。コメンテイターのロバート・バッツ(カナダ、ウェスタン・オンタリオ)のコメントは、もっぱら内井が(意図的に)論じなかった倫理学プロパーの展開に集中し、「お前の議論は(倫理学の)自然主義に行く着くはずだ」とご親切にも予言してくれる始末。自慢ではないが、内井も師匠のヘアも自然主義に色目を使った覚えは一度もないし、講演でも再三「自然主義はとらない」と明言したにもかかわらず!しかし、科学哲学者は「倫理学を知らない」し、倫理学者は「科学哲学を知らない」ので仕方がないかと自分を押さえる。「ダーウィンは人間と動物との連続性の主張にもかかわらず、自分はイギリス帝国主義のイデオロギーに毒されていたではないか」というきわめてアンフェアなコメントについては、ピッツバーグの次期所長に内定しているジェームズ・レノックスが内井の肩をもって弁護してくれたので助かった。

翌日24日(金)は最後の日なので、午前中のセッションはさぼってピサ見物へ。汽車の改札はだらしないが、車両は快適で時間も早い。駅で一緒になったギーセンからの若いフェローとともに一路「斜塔」を目指して歩く。古い町並みの一角を抜けたと思ったら、突然見えた斜塔!しかし、凄いのは斜塔だけではなかった――まさに "Piazza dei Miracoli" (奇跡の広場)――緑の絨毯の上に並ぶ四つのモニュメント。ロマネスク-ピサ様式の繊細で気品のあるドゥオモ(なかにはガリレオの振子の等時性の発見の「神話」のネタにされている「ガリレオのランプ」もある)に比べると、フィレンツェのドゥオモは醜悪にさえ見えてくるほどである。カンポザント(墓地)の回廊と中庭も美しい。重厚で音響効果のすばらしい洗礼堂も秀逸である。イタリア人のガイドが一人で歌う歌声が何重にも反響してまるで聖歌の合唱に聞こえる(リコーダーを持ってくるべきだったか!)。

午後の二時すぎホテルに帰り着いて、午後のセッションには参加。論理学者のベルナップ(ピッツバーグ)とマッコル(マクギル)らが講演した枝分かれする時空のセッションは面白かった。最後の特別講演はデイナ・スコットの「抽象数学とコンピュータ科学との関係」。マックのパワー・ブックを使ったハイテク・プレゼンテーションは、最初こそ音楽に乗せたグリーティングとジョークで笑わせたが、要するにコンピュータを利用して数学のヒューリスティクスがうまくいくという自慢話で、だいぶ退屈した。口の悪い連中は、「最後に"Buy Apple Computers!" と一言付け加えるのを忘れたのとちがうか」とまで言う始末。

翌朝は朝五時の一番のシャトル・バスで帰路につく。ローマ空港のカフェテリアでマッシー夫妻と朝食を共にしたが、レジの男が釣銭をごまかしたのに気づき、二千リラを取り返す。やっぱりピサがよかった!

新専攻生紹介
修士課程1回生
 野澤 聡(京大理・文卒、デカルトの運動論で卒論。ヨハン・ベルヌーイの研究を計画)
 井上和子(京大薬・文卒。ギッブスを中心に熱力学から統計力学にいたる過程の研究)
 石原明子(国際キリスト教大卒、ウェーバーの社会科学方法論で卒論。医療における「治癒」の概念に関する研究を計画)
学部3回生
 澤井 直(医学史に興味、将棋部)

来年度の大学院生募集
本年度より大学院重点化が認められたので、当研究室も大学院の現代文化学講座に所属することとなった。それに伴い、来年度の大学院入試は修士課程だけでなく後期博士課程編入試験も行なうこととなった。試験は来年二月中旬に行なわれる。秋には募集要項が出される予定。

RECENT VISITORS

3月末 スウェーデン・ストックホルム大学のDag Prawitz 教授。慶応大学での線形論理国際会議と数学の哲学シンポジウムで来日したついでに京都・奈良も訪れた。内井はミシガン大学で教授の論理学とセミナーを受講した。27年ぶりの再会。


Dag Prawits at Heijo, Nara.
Photo by S.Uchii

5月中旬 人工生命の第五回の国際会議で講演をするため、内井の恩師、ミシガン大学のArthur Burks 名誉教授(80歳)が奈良を訪れた。人工生命の提唱者クリス・ラングトンは彼の最後の Ph.D.


A.W.Burks

5月22日 サウス・ウェスタン・ルイジアナ大学の Lewis Pyenson 教綬が当研究室の主催で "Obloquy: The Atomic Bomb in American Memory" という講演を行なった。


編集後記 Buon giorno, Grazie, Arrivederci.(96.6.21/内井惣七、写真撮影も)

Last modified Nov. 29, 2008.