科学哲学ニューズレター

No.11, September 1995

S. Uchii, "Recent Studies on Evolution and Ethics"


研究動向「進化論と倫理」(内井惣七)

Evolutionary Ethics, ed. by M.H.Nitecki & D.V. Nitecki, State University of New York Press, 1993.
○『進化と倫理――トマス・ハクスリーの進化思想』J・パラディス&G・C・ウィリアムズ編(小林傅司・小川真理子・吉岡英二訳)、産業図書、1995。

今回は上記二著を紹介したい。いずれも「進化論的倫理学」に関わる。進化論的倫理学は、ひところ大変評判が悪かった。というのは、この倫理学は進化論という科学理論を基礎として、その権威を借り、「われわれはいかに生きるべきか、何を為すべきか」という価値判断を導き出すことを標榜した(あるいはそのように解釈された)からである。英米の哲学では、ムアが「自然主義的誤謬」の典型的一例としてスペンサーの進化論的倫理学を叩き(Moore 1903)、多くの哲学者はこれで引導が渡されたと速断した。また、スペンサー流の考えが粗雑に通俗化された形態では、「生物界は生存闘争を基本とし、適者生存の法則によって進歩する。ゆえに、人間社会の進歩も同じ法則に委ねるべきだ」というたぐいの主張となった。このように適者生存をモットーとし、社会的な弱者の保護を無用と見なして競争に勝ち抜いた強者を礼賛する思想は、一般的に「社会的ダーウィニズム」と呼ばれ、資本家のイデオロギーとして利用された。また、ドイツではナチズムにも流れ込んでいく。こういった「悪しき思想」との連想ゆえに、進化論的倫理学は論外と見なされたのであろうか。


しかし、このように粗雑な社会的ダーウィニズムが進化論的倫理学のすべてだと考えるのは(19世紀から20世紀前半に限定しても)大きな誤りであるし、進化論の擁護者が進化論的倫理学の支持者だと見なすのも同じく誤りである。例えば、ダーウィン自身は『人間の由来』(1871)の第一部で進化と倫理の関係について実に洞察と含蓄に富む考察を展開したが、公式には進化論的倫理学の支持者ではなかった。また、上記いずれの本にも収録されているT・H・ハクスリーは、ダーウィンの熱心な支持者であったが、人間の倫理の課題は、自然淘汰を含む「宇宙的過程」と対抗し戦うことにあると主張した。いずれにせよ、進化論的倫理の是非を論じる前に、まず進化論的倫理学の言い分を検討してみる必要がある。この倫理学は、少なくとも、進化と倫理の関わりには生物学的・哲学的にきわめて興味深いいくつかの問題――例えば、道徳の起源、利他性や協調性の基盤――が含まれていることに注意を喚起している。とくに、1975年に出たエドワード・ウィルソンの『社会生物学』をきっかけとして、再び支持者が名乗りをあげ始めた新しい進化論的倫理学は、20世紀後半の新しい進化生物学の知見を拠りどころとしており、少なくともその点は従来の倫理学の研究者も決して無視してはならないはずである。実際、シンガーが編集した倫理学の最新のアンソロジーでは、最近の進化論的倫理学が拠りどころとする題材がかなり取り入れられている(Singer1994, pt.I)し、メタ倫理学の著作として位置づけられるギボードの近著(Gibbard 1990)にも同様の傾向が著しい。


ちなみに、新しい進化生物学の知見とは、主として動物の「利他的行動」を自然淘汰説で明快に説明する方法が見出された(W.D.Hamiltonらによる)ことである。(ここで、「利他的」という言葉は、「あたかも他者の利益を促進するかのような」という意味で、かっこつきで理解されなければならない。というのは、アリやミツバチが意識や意図をもって文字どおり利他的に行動しているわけではないからである。)このような知見のあるなしが、最近の社会生物学系の進化論的倫理学と19世紀的なそれとの大きな違いである。


さて、背景と予備知識の説明が長くなったが、 Evolutionary Ethics は、まず、(1)進化と倫理をめぐる19世紀末期の論考として、ハクスリー、レスリー・スティーヴン、およびデューイを取り上げて採録している(ハクスリーの論文の邦訳は、上記『進化と倫理』に多数の原注も省略しないで収録されているのでありがたい)。次に、(2)進化論的倫理学の最近の提唱者の中から、ロバート・リチャーズ、マイケル・ルース、リチャード・アリグザンダーという三人の代表的な論者が、自説を簡潔にまとめた論文を寄稿している。彼らの大部の著書にあたる前に、それぞれの説のエッセンスが手っとり早く把握できるので有益である。それに続いて、(3)このような倫理学に懐疑的な論者の論文が四編収録されている。例えば、進化生物学に優れた貢献をしている生物学者であり、『進化と倫理』の編者にも加わっているウィリアムズは、ハクスリーにほぼ近い立場から批判を展開している。そして、(4)最後の部分では、進化と倫理をめぐって派生する種々の生物学的、社会的話題を論じた論文が並べられている。


『進化と倫理』では、もちろん主役はハクスリーであり、彼の同名の論文が核となっていて、前後に現代の編者の論文が付けられている。ハクスリーの論文は学識豊かな美文なのであろうが、はっきり言って19世紀的な回りくどさには少々辟易する。これは、当時の進化論的倫理にいち早く反対の立場を述べ、ある意味で英雄的な倫理観を表明した意義深い論文ではあるが、洞察の深さ、含蓄の広さという点で、ダーウィンにはるかに及ばないとわたしは考える。意地の悪い結論かもしれないが、本気で読み直して新たに研究し直すべきなのは(現代の進化論的倫理学を考えるためにも)、ダーウィンのほうである(邦訳は問題が多いので、原典に当たるべし!)。



文献/Gibbard, A. (1990) Wise Choices, Apt Feelings, Harvard/Singer, P., ed. (1994) Ethics, Oxford.


Last modified Nov. 29, 2008.