科学哲学ニューズレター |
No.10, June, 1995
K. Ito, "Recent Studies on Galileo"
Our Activities in 1994
研究動向 ガリレオの手稿とDrakeの研究――近年のガリレオ研究――
伊藤和行
70年代以降ガリレオに関する研究は、それ以前に比較し非常に多くなった。それらのテーマは、初期の手稿、運動論、天体観測、宗教裁判、社会的地位など彼の活動の様々な側面に及んでいる。中でも70年代後半から80年代前半にかけて最も研究者の関心を集めたのは、ガリレオの運動論の発展過程の再構成だったと言えよう。ガリレオが落下法則を主張し、数学的運動論を展開したのは、晩年の1638年に出版された『新科学論議』においてであったが、書簡などの資料から1610年頃には落下法則を見いだしていたと考えられる。一方1604年のパオロ・サルピ宛の書簡では、彼は、落下速度は落下距離に比例するという誤った考えを抱いていた。したがって1604年から1610年頃までのパドヴァに滞在していた数年間にガリレオがどのようにして正しい落下法則に到達したのかが多くの研究者の関心を集めたのである。
この問題を解く鍵は、現在フィレンツェの国立中央図書館手稿室(Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze,
Sala dei Manoscritti)に保存されているガリレオの手稿にある。この手稿は国定版ガリレオ全集の編者であるAntonio Favaroによって整理されたもので、現在も彼によって付けられた番号によって呼ばれている。その中のMs.72およびMs.74が、この問題となる時期の運動論および機械学関係の手稿を集めたものである。(なおこの二つの手稿はマイクロフィルム化されており、筆者の入手したものは東京大学教養学部教養学科図書室に納められている。手稿のコピーが入手できないことを理由に、国定版ガリレオ全集など他の研究者の手が入ったものを用いる研究者がいまだに見られることは筆者には理解できない。)
この手稿の中で、国定版ガリレオ全集の編集者であるFavaroが全集の中に収めたのは、彼が理解し重要だと判断した一部分だけだった。それゆえガリレオの運動論の発展過程を再構成するにはこの手稿自体に戻ることが必要なのである。最初に手稿全体を詳細に検討したのはWisanだった。彼女は記念碑的研究である"The
New Science of Motion : A Study of Galileo's De motu locali" (AHES,
13, 1974, pp.103-306) において、ガリレオの手稿の内容を整理し、『新科学論議』第3日の命題と関係付け、ガリレオが各命題を発見していった過程を再構成しようと試みた。しかしながら彼女は、ガリレオが運動法則を発見した過程の再構成自体を中心的なテーマとはしなかった。
彼女とは反対に積極的に運動法則の発見過程を再構成しようと試みたのがDrakeである。彼は国立図書館に長期にわたって滞在し、手稿の紙のすかし模様まで利用して各紙片の年代決定を行ない、自らの推論を構成した。Drakeはこの問題に関して70年代中頃から膨大な量の論文を発表しているが、それらは『ガリレオの生涯』(田中一郎訳、共立出版、1984;Galileo
at Work: His Scientific Biography, Chicago, 1978)にまとられた。Drakeはガリレオが落下法則を法則を発見する際に実験が果たした役割を大きく評価し、思考実験としたコイレの主張を真っ向から批判している。すなわち落下距離が時間の平方に比例するという法則を見いだすに当たって、斜面上を球を落下させる実験が中心的な役割を果たしたと考えたのである。
Drakeの研究は多くの研究者の関心を集めたが、彼の強引な議論は多くの批判も呼び起こした。とくにR.H.Naylorとの間で80年前後の数年にわたって行なわれた論争は有名である。両者の論争は次第に泥沼化し、最終的な決着が付くことはなかったが、論争の過程で明らかになったことは手稿解釈の背後にある両者の科学観の違いだった。Drakeは、ガリレオを、何の理論的前提もなく実験から帰納的に落下法則を導き出した実験科学者として描こうとしていたのに対して、Naylorは、実験における理論負荷性を認め、ガリレオの実験も理論を検証するための理念化されたものと捉えている。Drakeの議論はある意味で素朴な科学観に基づいていると言えるが、しかしNaylorもDrakeを打ち負かすだけの論拠を挙げることはできなかった。両者の論争は手稿の中だけでは決して決着の付くものではなかったが、しかし両者の間で一致していたのは、ガリレオがこの時期に斜面上の降下実験を行なったということである。思考実験とみなしたコイレの主張は誤りだったと認められるし、この点こそDrakeらの最も重要な業績だといえよう。
80年代中頃以降、この問題に関する研究はほとんど見られなくなったが、Drakeは90年代に入り、『ガリレオの生涯』以降の研究の成果を『ガリレオの思考をたどる』(赤木昭夫訳、産業図書、1993;Galileo:
Pioneer Scientist, Toronto, 1992)として発表した。この著作では、落下法則発見の契機は振り子の運動に見いだし、斜面上の落下運動実験は検証に用いられたとしている。しかしそこでの彼の議論は必ずしも十分なものとはいえず、また以前の主張との整合性もほとんど検討されていない。また「ガリレオの単位系」の議論におけるように、しばしば現代物理学の視点からの読み込みが激しく、ガリレオをより現代的に捉えようとする傾向が顕著である。
ここまでDrakeの研究を批判的に紹介してきたが、それはそれだけ彼の研究が80年代に大きな影響力を持ったからである。筆者は、この問題は手稿からの再構成だけからでは結論を導くことは困難ではないかと考えている。残された手稿は決して秩序だったものではなく、各研究者が自らの主張を組み立てる際には自らにとって都合の良い紙片を利用する一方で、都合の悪いものは無視するということも見られうるのである。
だが視点を変えれば、この問題解決の突破口が存在するのかもしれない。その手がかりは、Drakeも指摘している振り子の運動にあるのではないだろうか。ガリレオが若いときに発見した振り子の等時性の合理的な説明を求めていたことはよく知られており、『新科学論議』第3日で見られる斜面上の下降運動への固執――第3日の自然落下運動を論じた部分には38の命題が見られるが、自由落下運動に関するものは最初の2つだけで、あとはすべて斜面上の落下運動に関するものである――は、それが動機と思われるからである。
またガリレオの運動論の発展を考える上で見逃せないと筆者が考えるのは、彼が用いた概念に関する研究である。これはM.L.A. Biagiや Paolo
Galluzzi によって進められたが、ガリレオの運動論においてキー・タームともいうべき「インペトゥス」や「モメントゥム」といった概念の歴史的分析を通じて、彼の運動論の構造および発展過程をさらに明らかにする可能性があると思われる。Drakeの研究は手稿の中の閉じた研究であり、しばしば非歴史的な側面を含むものであったことを考えるとき、研究の新たな展開をはかるためには、一度手稿の外へ出てガリレオの運動論全体を捉え直す必要があると思われる。
PS:Drakeはガリレオの手稿の写真版を Galileo's Notes on Motion (Firenze,
1979) として出版しているが、これを研究の出発点とすることはできない。なぜならそこに納められた手稿は鋏によって刻まれ糊を用いて貼り合わされたものであって、彼の手によって再構成されていたのである。この著作から知られるのはDrakeの思考過程であってガリレオの思考過程ではなかった。なにゆえ彼がこのようなものを出版したのか、筆者は理解に苦しむ。その後、ガリレオの手稿の写真版をそのトランスクリプトとともに出版する計画がイタリアで進められていると伝えられたが、残念ながら未だに出版されていない。
参考文献
Naylor, R. H., "Galileo's Theory of Motion: Process of Conceptial
Change in the Period 1604-1610", Annals of Science 34 (1977),
pp.365-392.
Segre, M., "The Role of Experiment in Galileo's Physics", Archive
for History of Exact Sciences 23 (1980), pp.227-252.
高橋憲一「ガリレオの迷宮――運動論形成過程の初期段階」、『歴史学・地理学年報』(九州大学教養部)第17号、1993年、31-65頁。
Biagi, M.L.A., Galileo e la terminologia tecnico-scientifica, Firenze,
1965.
Galluzzi, P., Momento: Studi galileiani, Roma, 1979.
Clavelin, M., La philosophie naturelle de Galil仔, Paris, 1968.
Shea, W. R., Galileo's Intellectual Revolution, New York, 1972.
『新科学論議』のテキストとしては従来「国定版ガリレオ全集」が用いられてきたが、以下の版も重要である。
Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuovi scienze,
a cura di A. Carugo and L. Geymonat, Torino, 1958.
Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuovi scienze,
a cura di E. Giusti, Torino, 1990.
『新科学論議』の英訳と仏訳を挙げておく。
Galilei, G., Two New Sciences, Including Center of Gravity and Force
of Percussion, Madison, 1974.
[このDrakeの翻訳はイタリア語の単語に対応する英語の単語を機械的に当てはめたものであって、原文において理解が困難な部分は翻訳では理解不可能になっている。なお下のClavelinの仏訳は、彼の解釈を認めるか否かは別にして、意味の通る仏語にきちんと翻訳されている。]
Gali仔, Discours et d士onstrations math士atiques concernant deux sciences
nouvelles, tr. par M. Clavelin, Paris, 1970.
原文からの邦訳は残念ながら次の部分訳しか存在しない。
『新科学論議』(抄訳),伊東俊太郎『ガリレオ』(人類の知的遺産31)所収,講談社,1985年,215−263頁.
4.01 内井教授、倫理学講座の併任を終え、科学哲学科学史の専任に。
4.01 科学哲学科学史研究室に初めての専攻生が来る (3回生が三名)。
4.15 『科学哲学ニューズレター』第1号
4. 20 ヘア『道徳的に考えること』( 内井惣七・山内友三郎監訳) 勁草書房
5.02 『科学哲学ニューズレター』第2号
5. 『サクセス』5月号、特集 I 「頭を柔らかくする発想の極意」(内井惣七 他)
6.05 『科学哲学ニューズレター』第3号
9.12 『科学哲学ニューズレター』第4号
10.03 『科学哲学ニューズレター』第5号
11.07 ダメット教授講演会 "Existence, Time, and Possibility"、 京大会館
11.12 関西哲学会発表、内井惣七「確率革命、または確率概念の科学への浸透」福井、芦原研修会館
11.19 日本科学哲学会、シンポジウム「複雑性について」(司会 内井惣七) 、北海道大学
12.08 『科学哲学ニューズレター』第6号
95年1.12 教授会で科学哲学科学史助教授に伊藤和行氏の任用が決まる。
1.13 『科学哲学ニューズレター』第7号
1.30 課程博士論文試問、橋本康二「論理的帰結関係と真理概念――タルスキを基礎にした言語哲学的諸問題の研究――」(主査 内井惣七)
2.01 書評 村上陽一郎著『科学者とは何か』(内井惣七)、『科学』65-2 (岩波)
2.23 課程博士論文試問、八幡英幸「超越論哲学における『私』――カントにおける自我と世界――」(主査 内井惣七)