ホームズから何を学ぶ

--- 内井惣七 ---

(このエッセイは、光村図書、中学校国語学習指導書3上、1993年、65-67 に掲載されたもの。この教科書および学習指導書は絶版となったので、ホームページに掲載する。)

わたしがシャーロック・ホームズと本格的なかかわりを持ち始めたのは、つい最近のことである [1987年]。一九八七年はホームズ物が世に発表されたから百年目にあたり、ホームズに関する書物が本屋の店頭にたくさん並べられて人目を引いていた。また、タイミングよく、英国グラナダ社によるテレビ映画「シャーロック・ホームズの冒険」がNHKで放映されて、わたしも何作か見ていたのである。

このような事情でたまたま購入した本に収録されているホームズ物第一作「緋色の研究」を読み始めて、わたしは驚いた。何と、ホームズが論理学に関するかなり難解な見解を長々と述べているではないか!そこで、わたしに直ちにヒラメイた仮説は、「ホームズは十九世紀後半の論理学をよく知っており、専門家の域に達していたにちがいない」というものだった。

わたしは、すぐにこの仮説を検討する作業に入った。主たるホームズ物のテキストを調べて、証拠集めを始めたのである。自分でも驚いたことに、三か月後には一冊の本になるだけの原稿が完成したのである。これは、『シャーロック・ホームズの推理学』[講談社現代新書、1988]という題の本となって、数か月後に出版された。

ところで、さきほどのわたしの仮説は、誰にでも思いつけるようなものだったのだろうか。そうではない。現に、日本にも「シャーロッキアン」と呼ばれるホームズ愛好家がたくさんいるはずなのだが、これまでに誰一人としてこのような仮説は提唱しなかった。わたしにこの仮説がヒラメイた第一の理由は、わたし自身が論理学の専門家のはしくれであり、それ相応の組織化された知識を持ち、論理に関する事柄について鋭敏なアンテナを持っていたことである。

ホームズ自身、人間の知性のこのような働き方をよく知っていた。つまり、人間の知性はいろいろな面で限られたものだから、自分のよく知らない事柄については、簡単な推理でも難しく感じるし、またよく間違いを犯したりもする。しかし、この限られた知性も、使いようによってはまさにホームズ並みのあざやかな推理をなしとげることができる。たとえば、囲碁や将棋の専門家は見事な推理に基づいた対局を見せてくれる。このように、自分の好きな分野、よく訓練された分野、十分に知り抜いた分野では、凡人でもそれなりのホームズになることができるのである。

もちろん、そのためには、思いついた仮説や推理を合理的な手続きにしたがって検証する努力が大切である。その際、細かい事実も見落とさない観察力が不可欠であることは言うまでもない。ホームズの名人芸は、このような努力と日頃の訓練のたまものなのである。ホームズのテキストを注意深く読めば、こういった点を確認する彼の言葉や態度を見出すのは容易である。たとえば、「黒いピーター」という作品で、ホームズは「どんなときにもほかの可能性を考えて、そっちの備えも固めておくべきなんだ。これは犯罪捜査の第一原則だよ」と言う。また、「海軍条約書事件」では、捜査の初期にすでに有力な結論を得たのだが、あまりに早く結論に達したので「自分自身を疑っている」と公言している。

限られた長さの教材では、ホームズの推理の諸相すべてを伝えることはできない。そこで、教材として書き下ろしたわたしの一文では、以上にふれた(1)知識の整理・組織化、(2)合理的な検証、(3)および観察力の三点に的を絞って話をまとめたつもりである。

⇒ シャーロック・ホームズの推理

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Last modified, June 14, 2006. (c) Soshichi Uchii

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